ノマドランドのレビュー・感想・評価
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人はみんな生き方を迷ってる。
娯楽映画とは違うので、多分出会うタイミングで作品の評価が大きく異るのではないかと思います。とりあえず私には刺さりました。刺さりまくりました。
ほぼすべての演者が高齢で、それだけにリアルと重なり合ったセリフは、静かでありながら鬼気迫るような迫力が感じられました。「生きていることに意味を見つけずにはいられない人の哀しさ」みたいなものが痛切に胸に迫ってきて、時に息苦しさすら感じられました。実際に周囲の観客も、時々大きく息を吐くような反応をされている方が多かったように思います。
美しくも荒涼とした景色の中で、人として生きる意味を考える、、、。そこに答えはないのかも知れない。でもこの世界には、答えを出すことではなく、考えることにすでに意味がある問いというのが存在しているのではないか、映画を観ながらそんな風に考えていました。
ところで是非パンフレットが欲しいと思って帰りに買おうとしたら、この映画のパンフレットは売ってないんですね。発売予定はあるが準備が間に合ってないとか。そんなこともあるんですね(笑)
幸せの定義について考えさせられました。
そんな事あんのか?町の大きな会社が無くなって、住民は強制退去。町の郵便番号まで無くなるなんて。町ごと消滅!?
主人公は大竹しのぶみたいなおばさん。旦那とはだいぶ前に死に別れた。彼女は車上生活をしている。どうやってお金を工面してるのかが、疑問だったんだけど、移動しながら各地で期間の決まった仕事をしている。ローテーションで短期の出稼ぎをやってるイメージだ。そんな彼女の日常を淡々と描いてます。ローテーションで移動中してるので、知り合いも増えるよね。まるで家族だ。アメリカという家の中を、マイルーム(マイカー)で移動してる気持ちなのかな。彼女には戸建てに住むチャンスが何度も訪れるんだけど、選ばなかった。そこに彼女の幸せが見い出せないからだ。俺の定義だとロードムービーは目的地を目指して旅をするお話だけど、この映画の印象は、オン・ザ・ロードムービー。こんな生活してみたいよね。でも、もっと大変な事だらけなのも想像できる。仕事にあぶれた爺さん婆さんがメインだったけど、自分的には若い頃に体験したい生活だわ。
楽しかったです。
あ、見た事ないカップヌードルだ!
アメリカの青春と白秋
私にとってはザッツ・アメリカ映画って感じで、内容にも映像にも圧倒されてしまいました。
非常に個人的な話ですが、私が生きてきた時代の、私が観てきたアメリカ映画史の終焉を見たような気分になりました。
そういう意味ではこの作品、アカデミー作品賞というよりキネマ旬報外国映画ベスト1って称号の方が似合いそうな作品でもありました。
私の映画の入り口で原点はアメリカンニューシネマであり、即ちそれは私の青春でもあり、それはロードムービー(=アメリカ映画)であったと言っても間違いないでしょう。
私がアメリカ映画で教わったのは、自由と平等の精神であり、真実の自分にこそ意味があるということであり、それがずっと私自身の哲学の核の部分であった様に思っています。現実の私は真逆の生き方だったかも知れませんが、こうあるべき的な人生哲学への傾倒だと思って下さい。
しかし、ロードムービーとはいっても作品毎にテーマは全く違うのだけど、それでも私の思うアメリカ的な精神性(自由という言葉への信仰)は、どの作品にも通じていた様に感じます。本作の言葉を借りると「さよならは言わない。生きていればまたどこかで逢える」ということなになるのでしょうか…
恐らく本作の登場人物達はニューシネマの時代に流行ったヒッピー達に近い年代であり、本作の多くのシーンでは当時の光景のデジャブに似た錯覚を覚えましたが、内容的には真逆であり、成熟し、諦観した会話であり集いに変化していました。
更にニューシネマの頃のロードムービーは、どんなに悲劇的な内容であったとしても、季節なら初春、1日なら朝焼けの時間帯の印象でしたが、本作では季節なら晩秋、1日では黄昏れの時間であり、その雄大な風景の美しさだけが絶対的でした。
私はある時代のアメリカ人とアメリカの大地を、映画(ロードムービー)を通してずっと見続けてきたのかも知れません。
この壮大なアメリカの青春と白秋、朝焼けと夕焼け、光と影が醸し出す、絶対的アメリカ映画の精神を、クロエ・ジャオ監督という中国人が描ききったことに、また新たな時代のアメリカ映画を感じました。
旅は生き方であると同時に死に方でもある
♫サヨナラは言わない昨日の私に 時の流れ少しだけ止めさせて♫ 国鉄の職員だった歌手の伊藤敏博さんの「旅の途中で」の歌詞の冒頭である。旅を歌った歌はたくさんある。歌われる旅は帰る場所があっての旅であったり、または行ったきりの旅立ちだったりする。松尾芭蕉は奥の細道の冒頭で、時の流れそのもの、人の移動そのものがすでに旅なのだと喝破した。作詞家松本隆は「瑠璃色の地球」の中で「地球という名の船の誰もが旅人」と松田聖子に歌わせている。事程左様に「旅」というキーワードには人の琴線に触れる何かがあるのだ。
本作品では、最愛の夫を亡くし、住んでいる町が消滅して住所も失った主人公ファーンが、古いバンを住居兼移動手段としてアメリカ国内を旅する話である。ロードムービーの王道に洩れず、沢山の出逢いと別れがある。時に悲しいことや辛いこと、老いを感じることもあるが、ファーンは持ち前の体力と冷静さと洞察力で旅を乗り切っていく。
ファーンの洞察力を感じたのは、姉の家で不動産投資の儲け話に敏感に反応して鋭く反論したときだ。かつてサブプライムローンの不良債権化でリーマンショックが起き、その影響で自分が町も家も住所も失った構図と、不動産投資の儲け話が同じであることにすぐに気づいたのだ。
「旅」という言葉には憧れとともに不安の響きがある。住民登録された住所に住まいがあり、健康保険証を持っていて定職や家賃などの定収入があるという定住の安心に対し、旅は常に不安である。しかしファーンは、定住の安心など、本当は風前の灯に過ぎないことを知っている。丈夫だと思っている足元は、実はいつ崩れ去ってもおかしくないのだ。だから本作品を観て、言い知れぬ不安を覚えた人も多いと思う。自分たちもいつファーンと同じような境遇に陥らないとも限らない。そのときに生きていけるかどうか。
そんな頼りない我々とは違い、本作品のファーンは不安よりも旅を楽しんでいるように見える。出逢うのはたいてい年老いたノマドたちだが、彼らも皆、旅を楽しみ、旅の途中で死ぬことを恐れていないようだ。人の世話になるくらいなら孤独に野垂れ死ぬほうがよほど潔い。旅は生き方であると同時に死に方でもあるのだ。
家族第一主義の映画が席巻するハリウッドで、本作品は異色中の異色だろう。家族を捨て家を捨て、孤独な旅に生きるノマドたちの世界。現世の利益に汲々とする人々の目には、野垂れ死には惨めな死に方に映るのだろうが、ノマドたちにとっては理想の死に方だ。「古人も多く旅に死せるあり」芭蕉も野垂れ死にを理想としたのかもしれない。
タイトルなし(ネタバレ)
アメリカの大自然が写り、美しい映像が多いと思った。
主演女優 フランシス・マクドーマンドの演技力が高い。衣装もリアルだからまるでドキュメンタリーを観ているようだった。
とは言え、私はこの映画を通じて心を揺さぶられることは無かった。多分、その理由はアメリカの社会問題が理解出来ていないからだ。アメリカでは格差社会が進んでいると聞くが、この映画は格差社会を否定するものでは無いと思った。お金を稼ぐことは悪いことでは無いが、それだけが全てではないのでは?というような視野拡大と言うか、問題提議と言うか、多様な価値観の肯定と感じた。wikiを見ると『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』が原作だと言うので、主に高齢者の格差問題がテーマかと思う。
主人公ファーンはノマド生活を送っている。ノマドとは、家を持たずキャンピングカーなどの大きめの車で生活をする人たちのことを指す。女優の年齢は60代。本作では高齢になる女性のノマド生活が描かれる。
ファーンには夫がいたが死別している。彼女が住んでいたネバダ州のエンパイアという町は、たしか炭鉱で栄えた町であったがそれが閉鎖されるとゴーストタウンとなった。
ファーンは夫との思い出があるエンパイアや家からは離れたくないと考えている。なぜ家に住まないのかは不明だが、多分町に人が居なく仕事が無いので、仕事を求めて移動生活してるのだろう。
ファーン以外にもノマド生活を送っている人は沢山いる。中にはガンの高齢者もいて、彼女は余命7-8ヶ月の中、故郷に帰り亡くなった。他にはたしか10代で出産し2人の子供を育てたのに、政府はたった5500ドルの年金しか払わないと愚痴る。5500ドルでは生活出来ないそうだ。
ファーンはノマド生活で仕事を求めて移動する。仕事がある時は駐車場に無料で車を停めれるが、仕事の契約が切れると駐車料金が発生するから、移動しなければいけない。
あれだけ広大な土地があるのに、町の駐車場にはなかなか車を停めれなそうだ。
ファーンの労働先としては、Amazonの梱包作業、飲食店の店舗スタッフ、トイレ掃除、キャンプ場のスタッフなど。どれも短期的な労働だ。
序盤にAmazonで働いて、また後半にAmazonに帰って来ていた。格差の対比としてAmazonなのかと思った。
映画は淡々と進んでいくが、大きな盛り上がりを見せることなく終わるので、この評価。
印象的だったことを上げる。
ファーンは臨時教師をしていた過去があるが、かつての生徒からホームレスなの?と聞かれると、いいえ、ハウスレスよと答えたとこ。
蛾が沢山飛んでいるとこ。昆虫が苦手な女性には難しいだろう。
ガンの女性から送られてきた動画で、鳥が沢山飛んでいるとこ。
ノマドの男性から交際を求められたのに拒否したとこ、経済的には協力して共同生活をした方が貧困から脱却できるのに。男性には息子夫婦が暮らす家があり、そこで安定した生活が送れそうだったのに。
男性に割られた皿を捨てずに修復したとこ。たしか夫から貰った皿だから大切なんだろう。
キャンプ場で客から電気が点かないと言われたファーンが配電盤みたいなのを操作して復旧したとこ。俺には無理。
大自然。
空き家。靴文化。玄関を開けると落ち葉が床に落ちている。安い作り。
高速道路のパーキングエリアみたいな所で車を停めていたら、車中泊禁止とスタッフに指摘されるとこ。厳しい。
ファーンの姉は幸せそうに暮らしている。
Amazonの配送スタッフが割と沢山いたところ。もっと無人化が進んでいるのかと思っていたが、やっぱり梱包の自動化は難しいようだ。
ファーンがウンコするシーン。演技とはいえ。
ファーンが裸で池に浮かぶとこ。
ノマド男性の家に行ったらたくさん鳥を買ってるんだけど、普通に食べてたとこ。
死生観
Amazon
裏庭の砂漠
風景や自然が心情を語る映画。
怒りや悲しみをもっとストレートに表現してもいい題材なのに、あえてそこは抑え、人と交わす言葉と自然とで「ノマド」の生き様を浮かび上がらせようとする。
主人公はノマドをやめて、一箇所で暮らすチャンスもあった。しかし、彼女はそうしなかった。
都市ごと閉鎖された土地にある、かつての自宅の裏庭に広がる砂漠の風景。
おそらく彼女は、この街で亡夫と共に暮らした時間の中に生き続けることを選んでいる。
背後にかつての「ハウス」を感じながら、裏庭の延長のような砂漠の中に居続けることを選んでいる。
そのほかの新たな時間は不要だし、その生活こそが彼女の生きるべき場所なのだ。
「ノマド」として生きることを敢えて選ぶ生があるとさたら……
「街ごと閉鎖」という過酷な現実の先に広がる人生を切々と感じさせてくれる、傑作といっていい作品。
ノマドという生き方
主人公がノマドになったきっかけは企業の倒産、企業城下町の閉鎖、そして夫の死を受け入れ切れないといったものだった。だが、彼女は元々人とは異なる生き方を好み、何れにせよそうせざるを得なかっただろう。
ノマドの多くはそれしか選ぶ道の無い人達かもしれない。でも、主人公のようにノマドという生き方を選ぶしか無い人達もいる。その人達は自由を求めて、意味を求めて、自分を見つめるため、死んだ人を大切にする為にノマドを選ぶ。可哀想とか、辛いとか、そう感じることも多い生活に見えるかもしれないが、そんな言葉だけでは説明が付かない、もっと大切な何かのためにノマドという生き方を選ぶ。だから、そこに出会いが生まれ、友情が生まれ、恋が生まれ、別れがきて、気付きがある。
私はプロアクティブに孤独と不安定を選ぶノマドの生き方を羨ましいと思う。私は、街に住み、定職を持ち、家族と暮らす安定した生活を、自信を持って自ら選び、幸せだと感じながら暮らしている、と言い切れるだろうか?
ノマドは、ノマドとしての生き方を考え抜き、選び、生き、幸せを感じているように見える。
その証拠にエンドロールを見て欲しい。一本筋を通して生きるノマドの出演者の多くは、主人公を含めた2人を除いて実際のノマドなのだから。
そして、ノマド達が生きるアメリカの荒野は、いつも美しく、厳しく、素晴らしい。
何も起こらない。それが良いのかも知れないが、アカデミー賞とまでは過大評価すぎる。
ネバダ州の採掘場が閉山し、
夫も死去したもう高齢に差しかかる女主人公が、アリゾナだかネブラスカだかのアメリカ中西部の自然豊かな地帯を古いボロいキャンピングカーを住居に、Amazonの出荷倉庫から、石売り、飲食店厨房、公共施設のトイレ掃除等
季節労働職を転々としながら地域も転々とし、
同じ立場のキャンピングカーに住む人々と時に交流しつつ、時に自然と向き合い、車のバッテリーかなんか壊れて、金がなく、渋々姉だか妹だかを尋ねたりする。中にはこのような遊牧民生活から家族の待つ住居へ戻り、親切にも「一緒に住もう」と提案してくれる同じ初老の老人もいる。
それとアメリカ中西部の大自然。
ただそれだけ。ホントにそれだけ コレでアカデミー賞とはムリムリ。ただのドキュメンタリーに毛の生えた程度にオスカーがいくほど甘くはないと思うよ。この映画はプログラムパンフレットも無いし、決して客入りがいいわけでも無い。興行的に成功していないのに、作品賞とか監督賞はあり得ない。キネマ旬報が大特集って、意味わからない。
頭使わなくて良いし、人々の触れ合いも、豊かな自然も良い。
こいいう人も居るのかと参考になった。
でもねぇ、いつまでも、上級国民のクズじじいと同じく運転し続けられるわけじゃないんだよ。
いかにもアメリカ的な大雑把な寛容文化を感じるが、日本人には馴染まない、まあだいぶ前に西田敏行主演で同じように朽ち果てていく車乗生活のおじさんの映画があったけど。朽ち果てる分だけ西田敏行版の方が良い。悲哀を感じる。
そもそもよくわからないのがAmazon倉庫って恒常的に忙しくないの?一定時期だけなの?Amazonにしがみつけばいいじゃん。それに①飲水、生活水②トイレの始末 ③シャワーとか衛生面 この三つだけでも乞◯並にハードル高い。
アメリカには医療保険同様生活保護もないのかなぁ。
静か、でも豊かさが溢れている
漂泊の思い止まず。不自由である自由。自由である不自由。
定住する人、しない人、出来る人、出来ない人。放浪する人、出来る人、せざるを得ない人。ノマドの人々を描きながら人間存在の根源のようなものを感じさせてくれるから秀作なんだと思う。
①思っていたより明るい映画なのに先ず驚き。車上生活を送らざるを得なくなった人々の暗い、シリアスな社会派映画とばかり思っていたのに。②ノマドの人々は意外と明るくたくましい。劇中でファーンの姉が言うようにアメリカ人の中には開拓時代のDNAが受け継がれているのかも。自分の家を持つのが人生の目標、みたいな日本では(現代はそうでもないか)なかなかこうはいかないだろう。③ノマドの人たちが増えたのはリーマンショックとそれに続くグレートリセットのせいだが、ファーンが姉の家にクルマの修理代を借りに行った時、そこにいたたまたま不動産屋がいたのが皮肉。彼らにファーンがぶつける「貯金を吐き出させ借金までさせて家を売る必要があるのかしら」という言葉には賛否両論があるだろう。④
これは傑作だった。激しく感動した。
生の再獲得をこそ撮る新味。支持。
まさかまさかの肩すかし
かなり期待して観たんですけど、巷で言われているほどの作品ではなかったです。フランシス・マクドーマンドの存在感は圧倒的で、アカデミーの主演女優賞は確実。でも一本の映画としての完成度はそれほど高くない。フィクションとドキュメンタリーの間隙を突くような視点は評価するとしても「現代のノマド」を通して写しだそうとしている映像に、思いの外魅力がないし、伝えようとしているものも底が浅く感じられました。「荒涼とした風景」なんてありふれたもので、例えば日本中の国道沿いにあるコンビニとドラッグストアの光景だって、ゾッとするくらい「荒涼と」しています。この映画の中の風景の方が、よりフォトジェニックじゃないかと言われればその通りですけど、それ以上でもそれ以下でもない出来映え。何かすごく甘えた印象をもちました。
ドキュメンタリーでもあり、フィクションでもあるノマドランド
家がない。常に漂流しているノマド。
非正規社員として、不定期にその都度、その都度お金を稼ぐために働く。
リーマンショックの影響で、企業が倒産してしまう、城下町が全てなくなってしまう。
その状況に巻き込まれて、家や家族や地域のコミュニティ全てを失ってしまい、思い描いていた老後とは、全く違った世界で暮らすことになってしまった人たち。
キャンピングカーで生活するというホームレスではないけど、ハウスレスな暮らしは、ノマドという遊牧民的なのどかな暮らしとは程遠いものだと思う。
ある部分、過酷で孤独だと思う。
社会としての問題を感じるところも多い。
ただ、その部分を超えて、自分の最期は自分で選ぶという、突き抜けた自由さを感じるのは、楽観的に見すぎているのだろうか?
ギリギリの生活をしながらも、生きながらえていくノマドという生き方は、
この映画で見る以上に過酷だと思うが、その中で出会う人たちとのふれ合いは、家に閉じこもっていても出会えないもののように思う。
老後に豊かであるということを金銭的なことを基準にみれば、豊かではないんだけど、
それが不幸なのかというと、そう決めつけて見ることも違うのかもしれない。
人間て、どこで最期幸せだったと感じるんだろう。と、ちょっと考えさせられる映画だった。
『喪失』のその先へ。 ロードムービーとして最高級だと思う。
ロードムービーが子どもの頃から好きだ。
筋金入りだと自認する。
そのロードムービーの大傑作だと思った。
素晴らしかった。
『喪失』をどう埋めて、生き直すのか。
埋まるわけがない。失ったものは、そのままは決して帰ってこない。
『喪失』も『欠落』もパズルのピースがはまるようなことはありっこない。
痛いおもいを俺なりにして、俺なりに学んだ。
世界は広いということ。
自分は欠けているということ。
世界は待っているということ。
好奇心だけを持って、外に出るということ。
旅の途中ならば、また会えるかもしれないという。
その通りだ。
地球というフィールドで、宇宙というフィールドで、旅を続けるだけでいいんだ。
切ないなって見える場面でも、なんだか主人公は生きる喜びが全身からあふれていた。
そりゃあ悲しいに決まってる。
でも旅の途中なんだ、人生っていうグレートジャーニーの途中なんだ。
まだ見ぬ世界があるんだ。
仏教的な映画なのかもしれない。
まぁそんなことは今はどうでもいい。
迷いながら、さ迷いながら生きる旅人たちに勇気と感謝を学ばせてくれる映画。
すんばらしい!
ロードムービー、マイオールタイムでも最高級だと思う。
特別な事とは思わなかった
ネバダ州エンパイアで暮らしていた還暦を過ぎた女性・ファーンは、リーマンショックによる企業倒産で、長年住み慣れた家を離れワンボックスを改造した車で暮らす選択をした。ノマド(遊牧民)として、季節労働の現場を渡り歩き車中泊生活をしながら、旅先で出会うノマドたちと交流を重ねていく話。
自分も長期連休には車中泊しながら旅をし、山登りや城巡りをしているので、車で寝る事は特別な事とは思えない。また、日本でも、リタイアした人がキャンピングカーで、春は桜前線を追って北上し、夏は北海道、秋から南下し、冬は奄美へと車中泊生活されてる人も居るし、ごく普通の事としか見えなかった。住所が無い所だけは違うだろうけど。
アメリカ西部の大自然は美しかったし、持ち物を車に入る物だけに出来たら究極の断捨離だなぁ、とは思ったがそれだけだった。
人によって感じ方は違うと思うし、あくまで個人的な感想です。
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