ノマドランドのレビュー・感想・評価
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日本人にノマド生活が出来るか?
日本人は、家族としての概念として、筐体としての概念として、家というベースがあって生きているので、果たしてこういう生活圏がない。
米国人は、ベースに個人があり、確立しているからこういう人たちのコミュニティができるのだろう。
主人公も、夫との思い出が素晴らしく、それを大事にしているから、ハウスレスの生活ができるのだろう。
私には、そこまでの個人が確立されていないから、この生活はできない。
この映画の人々は、都会ホームレスとは異なり皆優しい。
ノマドと種田山頭火
個人評価:3.9
降旗監督のあなたへをなぜか思い出した。種田山頭火の放浪の生き方。そして旅と放浪の違いとは。ノマドの人々はどちらかと言えば旅にあたるのかもしれない。
ノマドの生活を続ける理由。そこに悲しみのテーマを感じる。
作品賞にノミネートされる作風としては、黒人、ジェンダー、格差などの差別テーマが主流だが、本作は過酷な季節労働の現状を伝えると同時に、ノマドの人々の価値観と人生のあり方がテーマとなり、今までの作品賞の作風だけではない部分がある。
また前作のザ・ライダーと同様に、美しいアメリカの大地とともに描かれる本作は、絵としても壮大で見応えがある。特に夕暮れの薄光を捉えた場面が多用され、映像美にも溢れた作品だ。
勇敢で正直
見方によってはちょっと羨ましい生き方かも~
家や職を失い、大きめの車を改造して最小限の家財道具を積み込み
職と暮らしやすい気候を求めて、広大なアメリカ大陸を
自由に行き来する高齢季節労働者を追った
まるで、ドキュメンタリーの様な作品。
特に大きな出来事は起きないのだけど
彼らの日常そのものが、出会いと別れの繰り返しであり
時には自然の厳しさによって、静かに眠れない夜もある。
それでも彼らの生き方を観ていると
都会では味わえない広大な土地ならでは風景と
時には野生動物などにも出会ったり
時間にも場所にも縛られない生き方は
ちょっとうらやましくもある。
広大なアメリカ的、生き方だよな~
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
主人公のファーンは他の町から
夫の住む町にやってきた来た。
夫を亡くしてからも、町を離れずに
夫が生きた町に拘って生きてきた。
皮肉なことに、そこが企業城下町であったために
企業が倒産してしまうと
町そのものがゴーストタウンとなって
家も仕事も失ってしまった。
もっと早く生まれた町に戻っていれば
また別の生き方があったかもしれないのに~
けれど、ノマドとして暮らすうちに
住むところに拘る心がどこかに溶けて行く。
1~2年過ぎたあたりだと思うが
冒頭に出てきた貸倉庫へと戻ったファーン。
彼女がここで何をするか
静かな中に硬い決意を感じる。
この映画を格差社会の現実と観るか
何にも支配されない自由な生き方と観るか
案外深い映画だと思う。
ライムスター宇多丸さんの解説では
彼女が白人女性だからできる生活であって
黒人だったら無理と言うのも
この映画の隠れた問題定義かもしれない。
本物のノマド暮らしをする人たちが多数出演していて
生活の様子がとてもリアルでした。
眠気に注意(^_^;)
まず断っておきますが、決して悪い映画ではない事だけは始めに言っておきます。逆にこの映画のように鑑賞後に精神的にずっしりと来る映画は好きな方です。ただ物語は、特別な起伏もなく、荒涼とした乾いた大地の地平線の様に、ただひたすらと淡々と進みます。
主人公が車上生活をしながら、いろいろな人に出会い物語は進みます。仕事、お金、生と死、家族…いろいろ考えさせられます。
映画の紹介文で美しいアメリカの自然の映像が…とありましたが、正直あまり美しいとは思えませんでした。確かに雄大な景色が映画全編に映し出されていますが、全体的に暗く、荒涼とした大地、雪、彩度が低い…自分が美しいと思う映像ではありませんでした。
寝不足ではなく、体調万全な状態で鑑賞する事をオススメします(笑)
あと余談ですが、ここのプロレビュアーさん達って、どんな映画でも高評価してて気持ち悪い。お金の匂いしかしませんね。。。
追記
アカデミー賞ねぇ〜…悪い映画ではありませんが、大絶賛される映画とも思えませんが…アンソニーホプキンスのファーザーの方が良い気がするけど、私の見る目がないという事か(^_^;)
2008年
その年に私は再就職し、半年もたたずにリーマンショックというものの凄まじさを知った。
突然翌日に職を無くすということの恐怖、しかもこれから退職金をもらってゆっくり余生をすごそうという時期にそのようなことに直面した場合、どう生きていくか。
主人公はどちらかと言えば寡黙で、そして理知的な女性。
ストーリーの中で関わる人達は、自分の思いをそれぞれ皆に語っていくのだが、彼女はそれをただ淡々と聴いていく。
流れる美しい景色と、ゆったり流れる時間に、彼女の心はなかなか読めない。
途中いくつかのアクシデントがあるが、それも自分のなかで咀嚼し、糧にしていく。
観ている途中、何度も自分に当てはめてみた。自分には彼女のように生きられるだろうか、いや、出来ないだろうなと。
一度ノマドになっても、家族に迎え入れられて屋根のある生活に馴染んでいく人もいる。
彼女を迎え入れるよう計らってくれる優しい人たちもいる。
ストーリーの終盤、彼女は自らの口で自分の過去を語る。
そこで彼女は決心した様子で、今は亡き夫と暮らした地へ赴く。
観賞後、再び自分ならどうするか考えたが、やっぱり私には彼女のようには出来ない。
本当の自由とは、とてもとても勇気のいることだと思う。
言葉足らずで言いたいことが言い切れていないが、この作品を通して、自分を見つめる今後の課題ができたと思う。
老人よ家を捨てて旅に出よう
なぜ旅をするのか
「ノマドランド」
主演のフランシス・マクドーマンドと相手役以外は全員本物のノマド。ほぼ全員が素人なのに、そこになぜか通常あって然るべき不自然さが全くない。
映画はドキュメンタリーとフィクションの境を漂いながら、映像の力を信じてどこまでも丁寧に物語を紡いでいく。
ノマドの表情と身体、車内の生活道具、刻々と変わる自然。それら全てを同じテーブルの上に並べ、今までロードムービーがあの手この手で描いていた「なぜ旅をするのか?」という問いに、かつてないほど雄弁に答えてくれる。こんな映画、自分は初めて観ました。
はじめは高齢者ノマド=経済主義の歪み、みたいな映画をイメージしてたけど、もちろんそうした側面はあるけど、これはそうした人間中心主義的な話ではなくもっと普遍的で壮大な、旅や孤独、あるいは美しいものに触れる事そのものを描いた映画です。
ぜひ、大画面かつ音響の良い映画館で観る事をお勧めします!傑作です。
思い出したこと
さよならではなく、またね
生き方を尊重しつつも、その年で車中泊?!季節労働者?!車が故障したらやっていけるの?病気になったらどうする?という世間の目。
しがらみもなく、自分には出来ないことをやれている。そこは正直羨ましくさえ思った。もちろん好きで家や仕事を失ったわけではないけれど。
自由なノマド妹に、素敵な家に住んでいる姉はおそらくそんな気持ちもあったことでしょう。
自分には出来ないし、日本では無理だから、余計に羨ましく思ってしまったのだけれど。そういう車専用の施設がちゃんとあるアメリカはやっぱすごいわ。
集会は若干宗教的な雰囲気も感じたが、ミニマリストとして、敢えてそういう生き方を選ぶ人もいると思う。
息子家族と暮らし、ノマドではなくなった友人を訪ねるシーン。ノマド仲間としては淋しさを感じるだろうが、お互い押し付けることもなく。歩み寄るというより、距離を置くことでうまくいくのも。
最後、息子さんを亡くしたノマドの言葉が刺さった。
生きている間、いろんな人との出会いや別れがあるけれど、さよならとは言わなくていいんだね。
誰とでも「またね」と別れられれば、淋しさも半減するかな。
スリービルボードでは終始怖い人というイメージのマクドーマン、この作品でもやっぱり男勝りな雰囲気はあったけど、女性らしさとかお茶目な一面も見られた。
転々と生きてみたくなる
庭から見える景色が一番落ち着く
旅に出る人々の話
素晴らしい作品でした。
人間は最後にどこに行きつくのか、人生の目的地とは?
自分にも遠くない未来に待ち受けているであろう老後の姿が胸を突く。
自由と孤独と不安で一杯、よくよく考えたら今もそんな感じだ。
家族はいるけれど、自分が死ぬ時はどんな感じだろう、泣いてくれる人いるかな。
なんて思いましたよ。しんみりしました。
希望の物語なのかはまだ分からないけれど強い映画だと思った。
大自然は強い、容赦なしだけれど人間も負けじと強い。
大自然は美しい、人間も同じくらい美しい。
アメリカの国土ってこんなにも美しかったんですね、忘れてました。
そりゃネイティブアメリカンの方々も自然を崇めるよね、景色が神々しい。
それを奪った人々の子孫が大自然に癒されてるんだから皮肉なものです。
お金の奴隷になった現代人に本来の大事なものは何かを気づかせてくれるような内容でした。
主演のフランシス・マクドーマンドは圧巻の演技でしたね。
表情も仕草もドキュメンタリで実在の人物かと思えるほどの存在感と演技力です。
顔のシワが人生を物語、瞳が心を映し出してました。
ビートたけしがお腹の出ただらしない体を見ながら言いました。
「この体にするまで何百万かかったと思ってるんだ」
樹木希林がシワと白髪が増えた時に言いました
「せっかくシワが出来てくれて、白髪が生えてきてくれたんだからもったいないじゃない」
アンチエイジングやダイエットも必要だけれど年相応の姿ってあるものなんですよね。
無理に矯正しちゃうとほころびや不自然さがでてしまう。
マクドーマンドは本当に自然体だった。衰えた体を受け入れてそのままで表現してた、ヌードシーンとかも含めて佇まいがこの上ないほどきれいでした。
肉体と精神て別物だと言われてるけれど、その二つを一つにしていくのが人生で正しい年の取り方なのかも知れない。とにかく憧れてしまうほどのいい年の取り方です。
現代のジプシーのような生活をする人々。車一つで自由に暮らす人々がアメリカには多いことや、老人が最期を求めて旅をする事など興味深い題材だった。
なかでも印象的だったのは燕の巣の話をする所。
これほどまでに美しいものを見たことが無い、その瞬間の幸福が人生最高の瞬間で今、死んでもいいと思えるほどの景色。
確かに人生で一番幸福な時に死にたいと願うのは当然の事、今まであんまり意識してなかったけれど人生最大の感動ってなんだろう?もう出会ったのかまだなのか、それを知るまでは生きていたい。
諸星大二郎の短編漫画「カオカオ様が通る 」にも同じような考えを持つ民が出てくる。
顔をフードで隠している怪しげな人々だが、実は感動的な風景や現象を見ないようにしているのだ。なぜなら、感動的な物を見た時、人生で最も幸福なこの瞬間に自殺を選んでしまうから。ノマドランドのワンシーンをかなり前から諸星先生は漫画で表現していた、それは人間の普遍的な願いの一つなのかも知れない。
余談だがこの漫画の影響で、私は学生時代にとあるオンラインゲームである試みをしていた。
冒険やレベル上げなどほっておいて、そのゲームで最も自分が気に入った場所を見つけ、そこに居続ける事。
ひたすらに景色を眺め続け、そこに来た他のプレイヤーに挨拶をする、それだけのゲームプレイ。
友人に話したら笑われてしまった「せっかく月額払ってんだから冒険をたのしもう」と言われてしまった。実際、すぐに飽きて冒険を楽しんだし、上記の試みはほぼ失敗だったのだけれど。今ならできるかも知れない。
まあ、ゲームより現実で旅とかして感動した方が映画にちかいけれど。
話が逸れたが本当に素晴らしい映画でした。
誰が見ても心に染みて人生に影響を与える作品であることは間違いないです。
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劇中セリフより
「この旅に『さよなら』はない」
またどこかで会える、死ですらちょっとのお別れでしかない。
そうなると友人を多くもっておきたいですね、また会えるなら色んな話がしたいし聞きたいから。
大人向きなドキュメンタリー風映画。
アカデミー賞最有力候補作品なので気になって鑑賞!大人向けのドキュメンタリー風映画。子供や若い子には不向きかな。
色々な仕事をしながらアメリカ各地を旅し、車中生活を送る女性のお話。同じ車中生活を送る人々との出会い、その人々がなぜ車中生活を送っているのか。特段びっくりするような事が起こるわけではなく、まるでドキュメンタリーを観ている感覚。景色の空がとても美しい‥。
排泄するシーンやらはリアルで綺麗なものしか見せないってことはしない。汚い仕事も文句も言わずに黙々とこなす主人公。妹や友人に一緒に暮らそうと言われるのに頑なに拒否する、そこまでして車中生活を送るのはなぜか??
ホームレスじゃなくてハウスレスなのよって言ってたシーンもそれってどう違うのかなって考えさせられる。さすがアカデミー賞候補、考えさせられる良作映画。ただ面白かったとはなんとなく言えないけど、すごいです。
生きるということ
私自身、引越しが多く、もう実家がない。なつかしく訪れる家もない。それは、悲しいことでなく、次への必要があってのこと。
今、自分が住む家は、自分のためのコンパクトな住まい。自分の居心地のいいようにあれこれ手を入れているが、賃貸物件。
この必要空間は、もしかしてキャンピングカーでもいいんじゃないか、と、もうずっと前から思ってる。 初めて、キャンピングカーをみてあこがれたのは、ピンキーとキラーズのテレビ番組 ww 50年以上前の番組です~ ww
旅がしたい。定年位になれば、キャンピングカーで各地を旅したい、と今でも思っている。
が、日本は難しいんだよね、オートキャンプ場が一泊2,3千円。 停められるとこって、少ない。 (アメリカでも、どこでも停められるわけじゃない、っていうのも、この映画にでてくるけどね)
ホントに、ワタシにとっては、ある意味、居心地のいい車に住むのは夢なんですよ。
いや、現実に、アメリカは、そういう人がいて、という話。
原作が、ノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」ということで、現実は、「何かを失って、心を痛めた高齢者」が、収穫時期や、クリスマス需要のネット宅配なんかの季節労働に出向いたりしながら、暮らしている。
この映画を観て、え! って思ったのが、エンドロール。
役名と、役者名が一緒の人がいっぱい。
で、このサイトで、実際のノマドの人たちが出演してる、って。 びっくりです。
こんな映画、こんな撮り方そう多くはない。 明らかなノンフィクションとも違う。。
「スリービルボード」の女優さん、あの映画は共感できなかったけど、彼女の存在感は忘れられない。 普通映画で書かない部分を、この映画は、いちいち入れることで、すごくヒリヒリするけれど、考えてみれば、生きていることは、いつもそういうヒリヒリ感を抱えている。
わざわざ描かれると、痛いけど、それは、生きていると当たり前なんだよね。
どんな豪華な家でも、病気にもなるし、死ぬときは死ぬ。 そう、すべからく、人は死ぬのです。
この映画は、いろんなシーンが次々とたくさんでてきて、大自然と触れ合う場面が、ちょいちょいでてくる。
対極は、「マディスン郡の橋」かも。 家に縛られて、家で一生を過ごす。
どっちも大変、どっちもどっち・・・ なんだよね、結局、という、人生の選択肢を示してくれてるという映画でもあります。 残された人生、どう過ごしますか?
観る年齢によるかもしれない
タイトルなし(ネタバレ)
リーマンショックの後のこと。
米国ネバダ州にある石膏大企業の企業城下町は、その企業の倒産とともに地図から姿を消した。
町そのものがなくなってしまったのだ。
60代のファーン(フランシス・マクドーマンド)もそこで暮らしていた一人だった。
石膏企業で働いていた夫が死んだ後も住み続けていたが、町がなくなってはどうにもならない。
そこで彼女が選んだ残りの人生は、全米をヴァンで移動しながら季節労働の現場を渡り歩くノマド(遊牧民)の生活だった・・・
という物語で、季節労働の現場現場で知り合う人とのも交流が描かれるがストリーとしてはこれだけである。
しかし、心に沁みる映画である。
なにが心に沁みてくるのだろうか・・・
つらつらと考えているうちにたどり着いたのが「喪失感」。
夫を亡くし、町もなくなった。
残されたのは、自分ただ一人。
そして、残された自分のまわりに広がる米国西部の土地と風景。
茫漠とした喪失感と対峙する茫漠とした風景・・・
主人公ファーンは常に「対峙」しているようにみえる。
オートキャンプで見知った仲間たちと出会っても、すぐには輪に加わらない。
孤独というのとは少し違う感じがする。もちろん、孤立とは違う。
対峙しているのは自分。
内省している。
しかしながら、内省し、喪失感を抱いているのは、周囲にいるノマドの仲間たちも同様である。
ノマドの仲間たちは、もう老境にはいった人たちも少なくない。
その歳になれば、何かしらの喪失感を抱えているのは、ごく自然なことだ。
リンダ・メイもスワンキーもボブ・ウェルズもそうだ。
そんな彼らにファーンは共感し、ファーンと同様に観客も彼らに共感していく。
リンダ・メイもスワンキーもボブ・ウェルズ、かれらノマドの仲間たちは、実際にノマド生活を送っている人たちで、監督のクロエ・ジャオはそんなかれらの心情を上手く引き出している。
よくよく観るとわかるのだが、かれらがひとりで語るシーンは、かれらが自分自身のことを語っている。
監督がインタビュアーとして、かれらから言葉を引き出したのだろう。
映画では、それらをファーン演じるフランシス・マクドーマンドが聞いているように編集で上手く繋いでいる。
仲間と共感・共鳴しながら、喪失感と折り合けていく・・・
底にあるのは、米国の自由の精神だろう。
相手の自由を認め、相手の自由を束縛しない。
裏を返せば、自分自身も他者に認めてもらい束縛されない、ということ。
そう考えると、日本とはまるで生き方考え方が違う社会だ。
老境の、そして白人たちばかりの、ノマドたちの暮らしに、米国の原風景をみた思いがしました。
ノマドという生き方
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