ノマドランドのレビュー・感想・評価
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アメリカ型資本主義に取り残された高齢者達
映画.com3.8 108分
フランシス・マクドーマンド、『スリー・ビルボード』を観て、作品と女優の世界感に引き込まれた。
この作品は、フランシス・マクドーマンドが原作に衝撃を受け、映画化権を買い、監督も指名したとの事。フランシス・マクドーマンドの世界感になっているのは、当然ではある。
出演者も、ほぼノマドの人達!キャストが役名と名前がほとんど一緒だったのも頷ける。
進化するIT・拡大するEC市場により求人の変化、取り残される高齢労働者、拡がる貧富の格差、自由の象徴のようなVANLIFEではなく家を失った為NOMAD生活とならざるを得ない。
彼らはアメリカという国に流されただけ…
それでもファーンは自由を求めてNOMADの生活に戻っていくのが、いかにもアメリカ映画らしい。
人間らしい"美しさ"
"放浪人" ノマド。広大な砂漠という大自然の中で自由な暮らしを追求する人々の姿を、スクリーンを通してストレートに体感できる貴重な映画でした。
"映像"と"音"という、映画が持つ最大の特権をフルに活用して、砂漠を照らす太陽の光や月明かり、雨風の音や人間の呼吸、土を踏む足音まで、挿入される音楽を極力なくすことでありのままの"空気感"をダイレクトに感じることができました。息を飲む圧倒的な映像の美しさも見応えたっぷりですが、じっくりと映し通される放浪生活を追体験することで、主人公と同じように人生観を深く考え、濃密な時間を過ごしたかのような錯覚を味わうことができます。キャンピングカーライフを送るほとんどの人々が高齢者だというのも、作品をより一層味わい深いものにしていると思いました。大切な人を失ったり、仕事に追われる日々を過ごし心身ともに疲弊した人々が、自由と癒しを求めて放浪の旅に出、お互いに助け合って生きていく様は、本来の人間らしい生き方なのではないでしょうか。美しいのはなにも自然だけではなく、そうやって生きていくノマド達の姿かもしれません。
この映画がアメリカンドリームを体現している、というのを耳にしましたが、あながち間違ってはいないのかもしれませんね。(自由を求めてやってきた移民たちの理想形) 。ただ、アメリカでホントにこんな風な車上生活を過ごしていけるのか少々疑問で、あまりにも理想的に映し出しすぎているかのようにも思いますが、そんなことを言ってもしょうがないので、受け入れます。
自分には彼女達のような放浪生活を送る胆力は到底ありませんが、日常とかけ離れた人生をこの映画を通してほんの少しだけでも体感できたように感じます。たったの100分程度なのに、こんなに濃密な体験ができる"映画"の素晴らしさを改めて実感した作品でした。
See you down the road,
Proレビュアーの方々の神々しい高評価は、too muchな気もするし、かと言って、「共感できない」一点張りの酷評も、私には当てはまらず。ただ、この暮らしを選んだ人たち、選ばざるを得ない人たちの実際を淡々と追う、それ以上でも以下でもない作品。共感なんてしなくてよい。ただ、映像は美しい。同情ではなく、旅情を誘う。
狭い我が国でバン暮らしは考えられないけど、ネットカフェやとある地区の安宿に置き換えれば、そんなに遠くない話。
今すぐ仕事が必要、年金じゃ足りない、しかし貴方の年齢では、、、という冒頭の会話は、遠く見えて実はそんなに遠くない自分たちの未来を見せつけられているようでした。
違いと言えば、別の部分。車上暮らしでも、依存症やPTSDに悩まされても、体験や情報を共有できるコミュニティが充実している社会。悲壮感は薄い。
屋根のある家に暮らしていても孤独な人たちは、我が国の方がずっと多く深刻な気がします。
ベリーショートと、スウェットと、マウンテンパーカのフードが、似合いすぎる60代、排泄シーンも軽々こなすマクドーマンド。彼女以外にこの役にハマる人が考えつきません。そして、彼女以外のほぼ全キャスト、実名出演なのも、なんだか心を掴まれました。
タイトルなし
コーエン兄弟作品でお馴染みで、近年では「スリー・ビルボード」で強烈な存在感を見せつけた名女優フランシス・マクドーマンドが原作本に惚れ込み、映画化が実現した本作。
マクドーマンドは主演も勤めているのだが、全編通してすっぴんで、ノマドの役に説得力を出すために実際に車上生活をしたり、日雇いの仕事にも従事したというのだから、その本気度が窺える。
マクドーマンド以外の殆どの出演者は実際に車上生活を送る人々で、役名も本名である。
始終静かに淡々と進んでいく展開だが、そこには家を持たない者たちの様々な思いが溢れていて、退屈することなく見いってしまう。
ノマドの人たちをただ社会的弱者と決めつけるのではなく、自らが選択し社会のシステムに組み込まれないで生きる人として描いているのが良かった。不幸な目に遭って放浪をしている人もいるだろうが、自分の意思で生きている人たち。マクドーマンド演じるファーンも含め、彼女たちの前には日々困難が立ちはだかり、悩んだり葛藤するが、自然を側で感じ、仲間との交流を大切にする。それが本来生きるということである。それを知っている人たち。
ノマドたちの世界では、さよならがない。一ヶ月後か一年後か、いつになるかはわからないがいつかどこかで再開できる。大切な何か、誰かを密かに夢見て彼らは今日も車を荒野に走らせる。
傑作だと思うが、オスカー取るぞ!という勢いを凄く感じてしまったので、4.5
生きるって寂しい
自分の願望が強すぎて、、
1991年夏にニューヨークからロスまで自転車で横断した。
23歳の私がその時思ったのは、日本での何気ない日常生活の
大切さ、貴重さだった。走りながら
ふと頭をよぎったのは、「帰ったら日常生活であれしよう、これしよう」という「日常への
想い」だった。
今回、ノマドランドの主人公に感じたのはあくまで「放浪」VS「日常」という
対比だった。ノマドの生活を続けるほど、日常に戻れない、戻りたくないと思う
ものなのか、、、
私のような遊びで自転車旅行した若者と異なり、主人公は
人生=仕事という側面でノマドを強いられている。だからこそ、主人公には
ノマドを強いられても「日常への想い」を持ち続けるような人であってほしかった、
という勝手な願望を抱いてしまいました。
感情的な安全が確保できなくなった世界
楽しい映画ではないですよ!
羊がいれば
ノマドとは遊牧民を意味するそうだ。でも、この映画に出てくる人々は、別に生き物を育てているわけではなく、定住してないだけ。個人的にはこの生活を遊牧民のように言うのは、なんか違うなと思う。羊連れてればいいけどね(笑)。しかし、こんなに厳しい生活している人が多いのか、アメリカ。アメリカン・ドリームって、いつのこと?
食べるシーンがよくある。だけど、食事を楽しんでいる感じがあまりしない。限りのある調理道具で缶詰を温めたり、栄養のバランス悪そうであまり健康的ではない。労働で疲れた体に、エネルギーを補給するために食べてるみたい。
なので、デイブの息子の家で出される料理を真っ当な食事だと思いつつ、ファーンの身になると、自分まで気がひけてしまった。デイブは息子と距離があるように言っていたけど、並んでピアノを弾いたり、すごく仲良さそう。嫁も優しいし、孫をあやしたりする生活に満足している。その上、妻(だか彼女だか)まで欲しがるとは、欲張りじゃないだろうか。しょせん彼のノマド生活は、かりそめの姿だったわけだ。
ファーンは、家を捨て、思い出の品々を捨て、自分1人で生きている。いつか限界は来るだろうけど、それでも自力でやっていける限り、続けていくのだろう。今は昔の写真もお皿も持っているが、そのうちこれらも捨てる日が来るような気がする。
スワンキーが、今まで見た美しいものを語る時、自然の風景のことしか言わないのが気になった。家族や友達など、人間との情愛や触れ合いはどうだったんだろう? ないわけないけど、いろいろあって、人間から距離をとっているのかな。なにげに共感できる自分がやばいかも。
現代社会で貨幣も使わず、エネルギーも使わず、通信も使わずに生きていくのは不可能。特にガソリンを切らしたら死ぬので、そのために働くというのが本末転倒な感じ。太陽光パネルと通信機器搭載のキャンピングカーがあれば、ガソリンを買わなくてもいいなぁ。でも、その車自体が高いか。
映画見た後、資本主義経済について考えていたら、牛で例える話を思い出した。「君は2頭の牛を持っている」 資本主義なら雌牛1頭売って、雄牛を買って増やすのが定石。でも、全ての人がこの通りにできるわけじゃない。増やすどころか減らす人もいるし、たくさん持つ人とそうじゃない人の差は広がる。牛は例えだけど、資本主義もそろそろ行き詰まってる感じだし、近い将来新しい形ができるような予感がする。せめて年取ったら安心して暮らせる世の中であって欲しい。
ほんとにこの映画にはかなり考えさせられた。私も10年後くらいにはこんな風になっているかも。年金支給は延ばされ、バイトで食いつなぐとか。キャンピングカーでは暮らせないけど、プランターで野菜を作るとか、工夫して生きていかなきゃなー。
広大な大地と空の変化
アメリカンは広い!
広大なアメリカの景色にのまれてしまう
KEEがぁ!
渋川清彦とすれ違った!!
そして同じ回で同じ映画ヲ!?
素晴らしい作品を最高な役者と同じ空間で観れた喜び、二倍得した気分!!!
恵まれた環境があるようで、愛する人を自分の居場所を失い、果てしない旅へ、果てないようで毎年同じようなルートを周り、姉の言葉や迎え入れようとする男性、ショーン・ペンの「イントゥ・ザ・ワイルド」と重なる部分も、老いを突き放すかのように排除する現代社会、デカいトラックで旅をする70も越えたような婆さんの姿が痛々しくもある。
自分自身やお国柄、そこを照らし合わせて観る必要があるのか、少ない年金を貰い帰る家がありTV見たり散歩したり至って普通な平穏を過ごす老後は幸せか。
放浪の民として漂流する現代のノマドに憧れながらも致し方ない厳しい現実を踏まえつつ、現代社会から逸脱した自由を謳歌しているような、簡単には捉えられない問題や事柄。
クロエ・ジャオ、前作「ザ・ライダー」に続いて素晴らしい作品を撮りながら、次作はアンジーでMCUからスーパーヒーロー物を、着々とアン・リーと同じ道を進んでいるのを良しとするか!?
ノマドというより?
遊牧民という言葉に、壮大なイメージを期待して観に行ったが、ただの車を持ってるホームレスという感じ。仕事もあんなに簡単に見つかるものかなぁ〜?でも、ノマド仲間の「別れる時にさよならと言わない。また会おうと言う。」みたいなセリフだけが印象に残った。ラストに主人公が元住んでいた家に行って、裏庭の砂漠に出るシーンを見て、彼女は家があった時からノマドだったんじゃないか?少し思った。
ノマドの生活でしか…
自分の存在意義を見出せないのかもしれない。
主人公のファーンを見ているとそう思えてならない。
働いていた工場や夫、家、街ごと無くなってしまった事で、車中生活をしなければならない。
ましてや高齢になったとなれば、自分だったら絶望感に苛まれてしまう。
観ていてとても辛くなりました。
同じような境遇のノマド達も、片や家族とともに家に戻る人もいる、片や自分の目指す場所に行く人達だったりで…。
ファーンも、お姉さんやボーイフレンドから、失った家に戻れるチャンスがあったのに。
そういえば、夫との思い出があるバン🚌と言っていたなぁ。
ハウスレスじゃなかったんだな。
でも何処かに安住の地を見つけてほしいと、そう思った。
自由と孤独
心を静めてくれる
マクドーマンドの体当たりぶりは半端じゃない
フランシス・マクドーマンドの体当たりぶりは半端じゃない。だけどこの映画がどうして評価されるのか理解できない。根底には、定住文化の日本人と、フロンティア精神が残るアメリカ人の開拓民文化の違いがあるのか。「アメリカの原風景なのよ」とか言うセリフがあったとしても、それが大多数のアメリカ人に刺さる言葉とは思えない。一定数、そんな人々がいるなあという認識程度ではなかろうか。
編集は巧みで、ものすごい情報量をぶつ切りにして繋いであるので、セリフのつなぎ目がない。どちらかというと、登場人物がすべて独り言をつぶやいているように聞こえる。たまたまそこに、マクドーマンドが居合わせているだけのように。特徴的なのは、絶対に目を合わせないでしゃべっていること。ちょっとアメリカ人の印象が当てはまらない。だからこそ、ものすごいリアリティを感じた。音楽も、たまに情感を強調したピアノソロなんかがはめられているが、基本的には状況音しか入らない。例えばラジオから聞こえてくる音楽とか。みんなでキャンプファイアしながら合唱する歌とか。
そんなこんなで、意外にいろいろと事件が起きているのだが、お気に入りの皿が割れてしまった。とか、文字にするとその程度のことが積み重なっていくだけのこと。ゆっくりと時間が流れているかのような錯覚を起こす。これが、老人にとっては目まぐるしい変化なのだろう。放浪の一年を通して、彼女の身の周りがどんどん変わっていく。
或るミュージシャンと知り合った時、彼が「ツアーの時に、その土地土地の断酒会に顔を出し、地域性や風土を知る。それがその街を知る一番早道だ」なんてセリフがあった。とても印象に残った。
時間があまりないので、多分もう二度と見ない映画だと思うのだけれど、眠れない時にずっと流してぼーっと見ていたいとも思う。不思議なテイストの映画だった。ただ、若い人にとっては退屈で、良さが伝わらないんじゃないのか。そうじゃなきゃいけないとも思う。だから賞なんかとって欲しくない。
人生の最終期を想像して、孤独でいることの恐怖ばかりを感じてしまった。
自分も間もなく高齢者の仲間入りをする。定年を向かえても生きるために働かなければならず、そのうち職探しをすることになる。
高齢者となって季節労働のクチを渡り歩く生活は、想像するだに過酷だ。そのほとんどは肉体労働でもある。
この映画に登場するノマドたちはほぼ高齢者。彼らは共同体(仲間)として助け合ったりはするが、群れて暮らすことはしない。一時共に働き、それぞれの別の職場に向かって旅立つ。かなり意思が強く独立心がなければ出来ない生活だ。
多様な生き方のひとつではあるが、ひとつの方向の究極に位置すると言えるのではないだろうか。
病気になって動けなくなったら、広野の真ん中で車が故障したら、独りで死んでいく覚悟があるのかもしれないが、自分は考えただけで怖い。
映し出されるアメリカの広大な自然が、その恐怖感を増幅させる。自分は自然のなかでのサバイバルは無理な人間だ。
主人公はやむなく「ハウスレス」の生活を余儀なくされたのだが、出会うノマドたちから生き方を学んでいく。
皆がみんな死ぬまで放浪生活を続けるわけではない。安住の地を見つける者もいる。
主人公はこの先どうなるかは解らないが、映画の範囲では車上こそが自分の居場所になってしまったようだ。
どんなに元気でも人は歳とともに衰える。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことに違和感を覚えた主人公は、いつまでジプシー生活を続けるのか、続けられるのか。
家があっても、子供たちは離れてそれぞれの生活を送っているし、親類縁者が近くにいるわけでもなく、ご近所付き合いも希薄なのだから、自分にも孤独死の最期が待っているのかもしれないけれど…
☆どなたか、私がこのサイトに投稿しなくなったら、気づいてくださるだろうか☆彡
これまでも逞しい女性を演じてきたフランシス・マクドーマンドが、かなり身体を張って演じている。彼女以外のノマドたちはほぼ本物だというから、マクドーマンドの「うるるん滞在記」なのだと思うと、物語とは別の面白さがある。
自分も「体験入学」程度ならやってみたい気はするが、きっと耐えられないだろう。
人よりも勇敢で素直なだけ
…というお姉さんの言葉が、心に残った。
一見、社会的弱者にも見えるワーキャンパーの人たちのなんと自由なことよ。でも自由って過酷。まさに自然。
家族のもとに戻り定住する人もいて、戻らない人もいて。どっちの生き方も否定も肯定もせず、説教くさいでもなく、人生が染み渡るいい映画でした。
自分はどう生きたいかな〜とか、考えさせられる映画でもあるんだけど、逆に小難しく考える必要はないよって思える映画。
保険だなんだ、家族だなんだ、家だお金だ、なんだかんだ、持てば持つほど、安心を得れば得るほど、動けなくなっていって最後は棺桶のサイズにすっぽり収まってしまう。それでいいのか?
最後に荷物を全部処分できる主人公に、少し嫉妬してしまう。僕には勇気も素直さもないかなぁ。
カヤックおばちゃんも最高でした。
ここで人生完成だなんて思える瞬間、なかなかないよね。
あと、ドキュメンタリー的な面白さもたくさん。
Amazonの配送場すご!
ジャガイモ畑ヤバ!
車の改造おもしろ!
みんな愛車に名前つけるの可愛い。
映画って、誰かの人生を経験することができる、すごい装置だなと思った。
新年に、毎年つけてるカチューシャがなんかいいよね。
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