ノマドランドのレビュー・感想・評価
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「邂逅」という言葉を表すとしたら
きっとこうなるであろう、と思った。
日本では「ノマドワーク」くらいでしか聞いたことのなかった"NOMAD"という語。
根無草のように転々と生活していく生き方を、望んで選んだ者もいれば、そうせざるを得なかった者も居る。
劇中に何度か出てくる「石」がポイントだったのかもしれない。
地面を転がりつつもその地に佇むその様は、転々とするノマドランドの人間たちでもあり、かつて石灰の採掘の街で夫やその記憶と共に留まっていたファーンでもあるように思う。
国立公園では砂の粒が幾重にも重なって見事な岩肌の景色を作っていた。(岩に乗っかった2人の視線が一瞬交錯し、片方は慕う気持ちを滲ませたのも、もう片方はさっと前を向いて降りていくのも、凄く良かった)
積もれば長く残るものと化すこともある。そういえば、昔生きていた恐竜の等身大の像の前で写真を撮るシーンもあった。
例え移ろいながら生きていても心の中に拠り所となる家を持つことはできること、亡くした者も記憶の中に生き続けることの象徴みたいに思える。
ラストで火に石を投げて弔いとするその炎が立ち上がる先を、空に向かって辿っていく画の美しさと、ハッとさせられたような感覚が印象的だった。
このように石と言えども、様々なイメージを重ねることができる。
腰を据えることも、転がりゆくことも、どちらも美しく肯定するかのように。
カメラも地にしっかり据えるように空と地を捉えた引きの画が多かったようにも思った。
ファーンの他人との距離感の取り方も好きだった。ノマドランドの人々は皆そうなのかもしれないけれど、交流を持ちつつも、関わりすぎない。出会っては過ぎ去ってゆくのをただ受け入れる。さよならは言わずに、またどこかでの邂逅を願って別れの挨拶とする。
旅をしながら生きる目的や入口は様々でも、最終的に皆、どこかに定住するにしても旅を続けるにしても、自らの意思を持って人生を決め、進み、生きては死んでゆく。その様が本当にどこか潔かった。
淡々とした表現の中に、圧倒的にこれぞ人生なのだと滲み出る実感で包まれる感覚だった。
実際に旅をしながら生活している人々は高齢者が多いとのことだが、人生の酸いも甘いも知り、後悔も絶望も抱えながら長らく生きている人ほど、響く作品のように思う。
前作『ザ・ライダー』に続く秀作、この監督は期待大。
ファーン(ノマド)の暮らし方は季節労働で車で移動しながらというものだけれど、それは人々の人生そのものなのかもしれない。決して多くないセリフがしみじみと心に響き、俳優たちの無言の演技と目線が胸に迫る。
撮影は監督の前作『ザ・ライダー』と同じくジョシュア・ジェームズ・リチャーズ。荒野を引きで捉え明け方や焚火の光などを美しく生かす。『ゴッズ・オウン・カントリー』でもその力量はかなりのものだったが、見捨てられたような土地にそれでもなんとか生き抜く人間を対比させる映しとる。
それは全裸のあおむけで水に浮かぶマクドーマンド、真冬のフロントガラス、RVキャンプの駐車場などで生かされ、一方で、広大なアマゾンの倉庫や狭いバンの中での機能的/機械的な人工物との対比も良い。
ノマドたちに金銭的な不安はあるだろうが、すでにどん底を味わった強さも感じさせる。 なんらかの事情を抱えてここにたどり着いた人々の顔のシワや古びた持ち物。さりげなく助け合い共感しあい信頼し合う。
しかし(おそらく)キリスト教にのっとった共感や赦しと徹底した個人主義が、「人は皆一人で死んでゆく」という強さでもありはかなさでもあるのだろう。
漂流なのか、自由なのか
主人公は夫を亡くし、家を失くし、多分年金もほぼ無く、子供のいない高齢者だ。短期労働をしながらキャンピングカーで点々と放浪の旅を続けている。驚いたのは、定年後の第二の人生を楽しむ為にではなく、生活をする為に、終の棲家をキャンピングカーとしている高齢者が多いということ。アメリカの美しくも荒涼とした冬の砂漠が、主人公の不安をよりいっそう強く感じさせる。決して孤独ではないので、あんなに寂しさを強調した演出でなくても良いのでは?とも思う。彼女は亡き夫の想い出を失いたくないからと、その土地を追い出されても、尚もそこにいようとする。その呪縛から解かれるときが、真の漂流になるのか、真の自由になるのかよく分からないが、ラストの清々しい表情を観ながら空想に浸っていたら終わってしまってエッとなった。歳を取ったら、何か喪失感と向き合う時があったら、また観てもいいかもしれない。ベネチア金獅子賞も納得で、アカデミー作品賞も取るだろうと思った。
またどこかの旅先で
旅をしながら、土地土地で仕事をする。そのたびに新しい人と出会う。その繰り返し。
観ながら、大前研一の言葉が浮かんできた。人が変わるには3つの方法があって、それは、時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変えることだ、という言葉だ。(ついでに言うと"決意を新たにする"は意味がないらしい) ファーンは、そのうち"場所"と"人"の2つの条件は確実に満たしているし、"時間"もそうかもしれない。そうか、ファーンは自分を変えたかったのか、と思った。
じゃあ、何を?
その疑問が付きまとう。だけど、それは不満にはならない。むしろ、どこかいたわってあげたくなる気分になってくる。常識はあるし、人付き合いはできるし、仕事もしっかりとこなす。なのに、何が彼女を"高齢漂流労働者"にしてしまうのか。美しい自然美は、その哀愁を際立たせている。
ノマド提唱者(?)ボブが言う。「この生き方が好きなのは、サヨナラがないから。またいつか会えると思っているから。」と。そこで気付いて想像したのだ、亡くなった夫が彼女にとってどれほど心の拠り所だったのだろうと。すると、彼女の生き方がまるで、亡くした者(失くした物でも)にもう一度出会うために、自らが成仏できない精霊となって彷徨っているように見えてきた。だから、たとえ相手が快く迎えてくれようとも、ひとつの場所に留まることなんてできないのだ。
そしてまた、"またどこかの旅先で"出会えると信じながら旅を続けていく。そうやって新しい年を何度も迎えながら、これからもずっと彼女は生きていくのだろう。
人生の選択肢は無限にあると思える
淡々としていて大袈裟な展開はないので非常にリアリティで人生の選択肢は自由でいいんだと感じさせられる。
少し単調でつまらないと思う人もいるかもしれないが個人的には共感した。
私も20代後半で会社を辞め世界一周をし、ワーホリをし、日本で季節労働もし、いろんな人に出会い、いろんな人生の選択肢があって、いいんだと知れた。
私には、どの選択肢も間違ってないし、自由で良いんだと思い出させてくれた作品だった。
アメリカの広大な国をいつかまた旅したなー
自由とか、経済とか、色んな事を教えてくれるロードムービー
フランシス・マクドーマンドの眼差しを通して、
自由って、働くって、孤独って、家族って
、、なんだろう?って
漠然と考えさせられました。
とにかく、彼女の表情が素晴らしい、、、。
色んな事になんだか感謝したくなる
景色みたいな、アルバムみたいな、映画でした。
それでも生きていかなきゃならないから。
行き方とか考え方とか何がマジョリティかなんて時代の移り変わりとともにいとも簡単に変わっていくもの。
でも人はひとりでは生きていけないし、心の拠り所をもつもの、なのかな。
人生ってノマドそのもの。
そう思う一方で、まだ腹落ちしてない。
チャンスがあればもう一度観て咀嚼・消化したい映画。
何を言いたかったのか、わかりづらい
ストーリーの進め方や本物のノマドを使った絵は地味過ぎるが飽きが来なくて、楽しめたが結局何が言いたいのかわからない。ただノマドの生活を見せるならドキュメンタリーでいいし、選択肢としてノマド生活があるけど老いや、病気になった時の回答などは無く、原作を読めってことなのか。
それと、もっとアメリカの大自然の絵を見せてほしかった。
フランシスは原作に惚れこみ映画化したのだろうが、物語が弱く音楽も心情表現がわかりやすく考えさせる部分もあまりなかった。これがアカデミー獲るとすれば弾不足か、アメリカ人しかわかりえない精神性があるということなのか。
よくわからない。
アメリカの精神が大陸の自然美とともに巧く映し出されている。
夫を亡くし、職も定住地も失った初老(?)女性が、キャンピングカー生活の中で、季節労働をしながら、様々な同じような境遇の人たちと出会うロードムービー。
音楽も大きい展開もないが、彼女の生活や視点から様々な人生観を描いており、そこに何の答えもないが、終わってみれば、『生きる』という事を考えていた。
特にスワンキーという余命7~8か月の女性や、あのキャンプ地のリーダー的なサンタのおじさんの語りが、この映画の秀逸な点だった。
先日観た『ミナリ』にも通じる事だが、大陸の自然美の撮り方が絶妙に巧い。これは、本当アメリカ大陸だからこその美しさ。何もないところから何かを創り出す、また自分らしく生きるというのは、アメリカの開拓精神に通じるものがあるし、そう考えると、この土地には独特の精神が宿っているのかなあ、なんて考えた。
奇しくも『ミナリ』も『ノマドランド』も同時期公開で、アジア系アメリカ人監督作品。
昨今のアジア人ヘイトクライムなどが報じられる中、アジア系アメリカ人がアメリカの精神を映画にしたのは何かの偶然か。
I love マクドーマンド!
彼女を観たい!それが理由で鑑賞。
前作のスリービルボードで大ファンになりこの作品が待ち遠しかった!今作品の彼女も前作以上に最高でした。
ほぼすっぴんと思わせる超ナチュラルメイクにショートヘアーが最高の美しい姿だ。まさにノマドにぴったりの彼女!内から湧き出る大人の女性のたくましい姿、時折見せるお茶目な表情や遠くを見つめる色気のある瞳にただただ彼女に釘付けでした。ドキュメンタリーを見せられてるかの様な自然体の演技が素晴らしいです!
季節労働を転々としながらノマドとして生きていく彼女だか、仕事を変える度に変わるユニホーム姿の彼女がまた素敵過ぎて、、、、
作品としての評価は今回はしません、彼女の魅力を伝えたくての投稿でした!
この社会の片側より
ただ勇敢で素直な路の涯にー。
放浪、それは紛れもなく米国の伝統なのだ。強要とは程遠い、画面から穏やかに漂うメッセージに感動した。感じ方は人それぞれに違うだろう作品。此れ迄の日々に、苦心を抱きながら己の日常を励ましつつ前を見据えてきた者には、この視点が語る「人生の祝福」の意味は降注ぐ。懸命に働き、その地を愛し、守りたかった… 社会から投げ出された者こそ、地に根ざした適応者なのだ。彼女等に安住を、と“石に願う”思いでスクリーンを見つめていた。
寂寂とした世界観が色濃い、新たなるロードムービー。
劇中にAmazonの季節労働者の話が出てきたり、私が今まで観てきたロードムービーとは少し違う趣きで、現代社会のリアルさを物語に挿入することで、さらに寂寂とした世界観を色濃くしている映画。バギーツアーの観光客とトレーラーハウスのノマドの民とのコントラスト、砂漠と枯れた山並みとピンクに染まる美しい夕焼けの切なさ、企業が死に町が死に、それでもそこで生きる人がいる。昔撮影で二週間ほど滞在したアリゾナの風景はまさにあんな風だった。
「パリ・テキサス」や「バクダッド・カフェ」とはまた違うところで心の奥をツンと針の先で突かれるような映画。「スリービルボード」といい、フランシス・マクドーマンドの演技は強力のひと言。終盤にファーンが雨の岬で空を仰ぐカットは、全身で自然のパルス受け入れようとする、まさに魂の解放そのものだった。私もそのパルスを感じて心にさざ波が立った。
今感じる不自由さと向き合って
特段の知識もなく所謂洋画を観たくてさほどの期待もなく観た作品でした。
出演者のほとんどがリアルホームレス、いやハウスレスという事実を知りドキュメンタリーかと思った理由に納得した。
マクドーマンド演じるファーンも他のありのままに演じている出演者?もありのままに存在しファーンと対話している場面は自然そのものに感じた、アメリカ社会ならではの車中生活、ましてほぼ全員が高齢者、日本では考えられない逞しさと自由な生き方が許される社会を垣間見た、日本では年齢の壁の向こう側の寂しさや1人で生きる難しさを体感している年代の人達である、車を使いスマホを使いGPSを使い時にはコミュニティを作り自分で車を改造しながら旅を続け高齢者、そしてそれでも雇ってくれる仕事場もある。
ただその中には一人ひとり切実な事情がありその思い出を捨てきれず現代のノマドに身を投じているような気もする
リーマンショックという大波に揉まれ失くしてしまった生活の思い出と亡き夫の記憶が、出会いがあり定住を誘われても意思が揺らぐ事がない、彼女に放浪を続けさせる大きな理由でありさまざまな束縛からの開放感があるのかも知れない。
アメリカ社会でも西部の荒野や大自然の中と東部や大都会の中とはまた違うだろう、この作品に衝撃を受け共感し今の自分に向き合う事が出来た気がした、ノマドの人達があまりにも自然に存在し自分の言葉で語ってたから。
あまり良さが分からない
評価が良かったので急遽視聴。映画マニアにはウケるのか?ミーハーには全く良さが分からなかった。
なんどか時計を確認してしまった。
ホームレスではなく、ハウスレスの1人の女性の生活をただ追った話し。
全くつまらん。。。。。
実はオムニバス仕立て。
スリービルボードは好きで、フランシスマクドーマンドと町のしがらみのモヤモヤも上手く描けていたし、ラストも好きだった。
いくつかの賞で話題になった今作も映画好きには注目の一作だった。
しっとりと始まり、しっとりと終わる。
終始、いやらしく無い湿り気が心地よい、アメリカの大地の壮大さが伝わるロードムービーで有り、実は細かい章毎に別れたオムニバス映画だと思う。
行く先々での出会いで人との心の触れ合いを描く作風をとてもすんなりと受け入れていたけど、ああ、これは深夜食堂と同じ作りなんだなと気付いたら、全てがすんなりと収まった。
これは、主人公をフィルターにしたそれぞれの登場人物の人生の旅路を描いていたんだなと。
結果、主人公自身は冒頭の出来事を彼女なりに乗り越え、そして今の生き方と向き合う。
自由という素晴らしいモノを手に入れつつ、死の厳しさが常に背後に迫っている。
彼女たちは前に進む限り、目の前の進む道筋は自由に選べる。
そういうメッセージを感じた。
感染症の恐怖で箱の中に閉じ込められた生活を強いる我々には、希望というより、憧れの世界だと思う。
生き方を考えるとても優しい良い映画だった。
P.S. 膝が痛くて、只者じゃ無いデブから、ただの膝の痛いデブにレベルアップしました。
「生きる」意味を問いかけてくる映画です。
アクションもうるさい音楽も、美男美女も美しい夜景もない。
静かに流れる映画時間の中で、私は自分自身と対話をしていました。
自分の感情や想いより、安定・安全な暮らしを優先したいの?
何を一番、大切にして生きていきたい?
「普通」でなくなることは、すごく怖い。
でも、「普通」でいるために、自分の本音を見ないようにしていると感じる時があります。
学歴、性別、出身地・国籍や既婚・未婚など、仕事と直接関係ないことを問わない流れになってきた今、住民登録の有無も関係なくなる日も近いかもしれません。
遊牧民のように、キャンピングカーで移動しながら暮らす人たちが社会的に認知される日が来て欲しいです。
主人公が言うように、ある程度の年になったら貯金をはたき多額の借金をして家を買うという社会規範を疑ってもいいかもしれません。
日本は地震大国なので自宅壊滅の危機もありうるし、アメリカでも昨今住宅ローン破綻が問題になっていました。
自分の頭と心で生き方を選択することはできます。
この映画は、ノマドをその選択肢のひとつとして提示してくれた気がします(*^-^*)
アメリカ型資本主義に取り残された高齢者達
映画.com3.8 108分
フランシス・マクドーマンド、『スリー・ビルボード』を観て、作品と女優の世界感に引き込まれた。
この作品は、フランシス・マクドーマンドが原作に衝撃を受け、映画化権を買い、監督も指名したとの事。フランシス・マクドーマンドの世界感になっているのは、当然ではある。
出演者も、ほぼノマドの人達!キャストが役名と名前がほとんど一緒だったのも頷ける。
進化するIT・拡大するEC市場により求人の変化、取り残される高齢労働者、拡がる貧富の格差、自由の象徴のようなVANLIFEではなく家を失った為NOMAD生活とならざるを得ない。
彼らはアメリカという国に流されただけ…
それでもファーンは自由を求めてNOMADの生活に戻っていくのが、いかにもアメリカ映画らしい。
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