ノマドランドのレビュー・感想・評価
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リアルに感じる完璧な演出
実在のノマドなど素人も混ぜて全編ロケなのだろうが、時にドキュメンタリーかと思うリアルさだが、実録ならこんな完璧に映るはずはないなとプロの仕事に感嘆する。
住んでいた家も街も夫も失い車上生活を続ける主人公の生き方を理解する姉が妹を弁護して、アメリカの開拓民の伝統だと言うが、これが必ずしも美辞麗句に聞こえない。ノマドたちを社会の片隅に追いやったのはアメリカの過酷なまでの資本主義だが、孤独に耐えながらも、逆境に耐える人々同士が結びつき助け合う姿にはアメリカ人の強さ、逞しさ、優しさもよく現れている。
家を持たず車で生活する人々を遊牧民(ノマド)ととらえて描いた作品。観る人によって、感じ取るものに違いが出る作品なのかなという気がします。
ノマド。遊牧民。
現実の生活とはかけ離れた世界。
だからなのか、その言葉を聞くと、
胸の内に憧れにも似た想いが
沸き起こるような、そんな気がします。
そんな自由な生活を送る人々の話なのだろうか と
勝手に想像し鑑賞してきました。
で
想像していたのとは、ちょっと いや
だいぶ違ったような気がします。
◇
主人公の女性、名前はファーン。
年齢不明。 (老齢の入口に差しかかったくらい? たぶん)
夫と暮らしてきたが、働いていた工場が閉鎖 …。
住んでいた家も立ち退かざるをえず
車上生活者となります。
この作品では、
彼女の車上生活者としての生活が
淡々と描かれていきます。
同じ生活スタイルの仲間たちとの接点も
描かれなくはないのですが
人生の重大事と呼べるようなイベントは起きません。
人生の終盤に差しかかった主人公を描いた
ロードムービー。
そんな作品に感じました。
◇
昔教え子だった少女に
今はホームレスなのかと訊かれた主人公。
彼女はこう答えます。
「ホームレスではない。 ハウスレスなの。」
定住する家。 それは、無い。
共に暮らす者。 それも居ない。
家は無くとも、帰る場所はある。
彼女は、そう相手に伝える。
それは、
自分自身にも言い聞かせている言葉なのかも
そんな風にも聞こえました。
この作品に登場する人たちは
ほぼ全て高齢の人たちです。
アメリカという国のある一面を描いた作品
そんな印象も受けました。
◇
人によって
受け止め方や感じ方作品の評価など
全てに差が出そうな作品なのかもしれないと
そう感じます。
人生これから上り坂の人と
折り返し地点を過ぎた人 (私はこっち☆)
この作品に共感できるのは
おそらく後者なのだろうと思います。
観てすっきりするタイプの作品では無いですが
色々と考えるきっかけにはなるかも
そんな作品でした。
◇あれこれ
ノマド生活の彼らは、 「さよなら」 を口にしません。
皆の元から立ち去る時に口にするのはこの言葉。
「また会いましょう」
これにはとても共感。
再会の見込みがなくとも 「またね」 がいいですね。
もう一つ
仲間の一人が病のために命を亡くし
それを知った皆が、焚き火の中に石を投げ入れる場面
生前の約束を果たす訳ですが
ここも心に残りました。
◇最後に
車が壊れたら、
彼らはどう生活していくのだろう などと
そんなことも考えていました。
動かなくなった車の上で踊るのかしらん なんて
⇒ それはラ・○・ランド…(汗)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
広大な映画
女優魂はすごいが、そんなに面白い話ではないです。
今作でオスカー3回目の受賞となったフランシス・マクドーマンド。
文字どおり体を張った演技は凄いです。
アメリカの大自然の映像も美しい。
広大なアメリカを自分の意思で移動しながら暮らす人々の姿を描く物語ですが、そんなに面白いものではないです。
一応、自分の意思で定住生活を選んでないようなことをいっていますのでご本人達からしたら悪くはないのでしょう。
一昔前のこの国(日本)では「フリーター」と言う生き方が、仕事に縛られずに自分な時間を好きに使える素晴らしいことと、ともてはやされたそうです。
ただ、現代ではあまり評価はされていません。
自分の勝手な思いかもしれませんが、2つが重なってしまってそんなに面白い話とは思いませんでした。
「死ぬまで」について考えさせられました
「それは、知らないアメリカの生き方だった」
◎ホームレスではなく、ハウスレス
アカデミー賞6部門でノミネートされ、主演は「スリービルボード」のオスカー女優フランシス・マクドーマンということで、映画好きなら劇場へ行かない理由がない作品。
この映画は、最初から最後までドキュメンタリータッチで描かれており、実際そこの人たちのリアルを見せれば、細かい説明等は不要で観ている側に伝わるものがある。
この映画に出てくるノマドの人たちは、日本でいう車上生活者のようなもので、自分のバンやキャンピングカーを移動手段としての車から、生活するための車へと改造して、仕事はアマゾンの倉庫や国立公園のキャンプ場などで働く。そういった仕事というのは、労働環境的にも過酷であったり、賃金も低い。ここまで聞くと悲惨な話のように聞こえるが、結論から言うとそうではない。
彼女たちは、毎日の生活はギリギリながらも、その一方で何にも縛られない完全な”自由”の中で生きている。
我々は、日々のなかでずっとお金や将来、老後といったものに縛られながら生きている。
しかしこの映画に出てくるノマドの人たちは、そういったものに縛られていない。自由な日々を楽しみながら生きている。
幸せとか自由の定義みたいなのを考えさせられた。
◎ノマドランド、それは自由の国アメリカだった
ノマド⋯遊牧民、放浪者
ランド⋯土地、国
タイトルのノマドランドとは、とどのつまり”遊牧民の国”
大きな視点で見たとき、アメリカという国自体が元々そういう人たちからなる国でもある。
だから、そもそもアメリカ人のDNAにそういったノマドの生き方みたいなのが刻まれているんだろう。
この映画を観て、知らない生き方がそこにはあったんだけど、それは昔から根本の部分ではずっと変わらない生き方なんだと思った。
そして、主人公たちが家ではなく、大自然で生きている姿を見て、人間どこでだって生きていけるんだと、生きたいところででっかく生きていこうとそんなことを言ってる感じがした。
4月26日のアカデミー賞で見事作品賞、主演女優賞、監督賞を獲ったこの「ノマドランド」
今、注目度高い作品なので気になる人は、緊急事態宣言明けてから是非劇場へ。
、、とは言っとくが一個人的感想としては、ぶっちゃけ面白くない。やはり、ドキュメンタリーチックに撮っているため、リアリティはあるが、話に起承転結があるわけではないので、言ってしまえば退屈。気づいたらエンドロールだった。
ハマらなかったというか、多分年齢的にビビっと来なかったのが大きいかな。
作品性が高いのはアカデミー賞を見ての通りなので、10年後とかにもう1回観たい。
過分に持たず、不足もない暮らし
ひとつの生き方として、なるほどな。こんな生き方もありっちゃありよな。
ひとつの生き方のモデルとして、主人公が女性であることが特に良かった。
ホームレスではなく、ハウスレスな暮らしは、過分に物を持つことは出来ず車に積めるだけ。割れたお皿も修復して大切に使う。
しかし、物以外のものは全く不足なく全部揃っているではないか!
まずは生きていくために仕事があるから収入もある。
タバコ、テキーラなどのお酒、コーヒー、抱きしめ合うくらいの女の友情もあるし、気があって優しくしてくれる男もいる、若い世代のライターをくれる男友達もいる。
新しい車を買うか修理するかの選択では、修理を選んだ。愛着があるし、ノマドにとって車は大切な相棒だ。
そして、車の修理代を貸してくれる親族もいる。
心の中には亡き夫も生きていて、指輪ももうはずれない。
何もかも揃ってる気がする。
いいじゃないか。
カッコいいじゃないか。
アカデミー賞
「痛烈な美に満ちている」
劇映画とドキュメンタリーの融合
工場閉鎖によって町が消滅し、車上生活者、現代のノマドとなった主人公。同じようにノマド生活を選んだ人たちと様々に触れ合い、アメリカ西部を季節とともに移動していく。
本作品のプロデューサーで主人公を演じるF・マクドーマンドと、デビッド役のD・ストラザーン以外、主要キャストをみな本人が演じているとのこと。セリフを含めて、ほとんどドキュメンタリーのようであり、それでも劇映画の構えにはなっている。
車上生活者と聞くと、社会から孤立した悲惨な状況を想像するが、現代のノマドたちは、自分にとって最も大切な生き方を自ら選んだ者として描かれている。主人公が姉に無心に行くシーンや、子供たちと暮らすデビッドを訪ねるシーンの結末が象徴的。このあたりの構成は、しっかりと劇映画になっている。
砂漠、バッドランド、セコイアの森など、アメリカ西部の風景が壮大。特に夕焼けのシーンが美しい。それにしても、アマゾンで働く人向けのRVパークというのがあるんだね。
アメリカならではの作品に見えるが、振り返ると、原発事故で故郷を離れさせられた人たち、道の駅などにいる車上生活者、季節労働者など、日本の現実にも重なって考えられる。
「ホームレスじゃない。ハウスレスだ」「ノマドはさよならを言わない。また路上で会おうと言うだけ」といったこの作品のキーとなるフレーズが心に残る。
これは映画ですか?
自然光だけで撮りあげ、どのシーンで一時停止しても美しい作品。
ただ、今作を語る上で、テレンス・マリックの名を出す方がいらっしゃいますが、お門違いなのでは?比べること自体、双方に失礼な気がします。
フランシス・マクドーマンドとデビッド・ストラザーンの2人以外、演技素人ってのが驚きですよね、英語の言い回しを理解してない当方を含め、多くの英語圏外の人は素人とは思わないのでは?
それは、実際のノマドがスクリーンに映っているからなのか、フランシス・マクドーマンドがノマドにしか見えないからなのか。
採点が2.5なのにはちゃんと理由があって、映画の質を評価しているわけではないんです。
キャストがほぼリアルであるが故、ドキュメンタリーなのか、作り話なのか、よくわからないんです。
だから、採点という項目には良いとも悪いともつけられなく、大変困る作品でした、なぜならその狭間の作品だから。
私が住んでいる北海道には、かつて炭鉱で栄えた夕張があります、言わずと知れた日本で唯一の「財政再生団体」。他人事とは思えない反面、今作の主人公は置かれた境遇を自分でたくましくなんとかしようとする姿。別に夕張の人達を卑下するつもりは全くないのですが、日本という国は水準はともかく社会保障はそれなりに整っているなぁと、今作をみて感じました。
我々が普段お世話になっているネット通販会社で働くってのがスパイスになってますよね、数クリックで届く商品の裏で、あんな工程がある事をまざまざと見せつけてくれましたし。
そもそも、ノマドという言葉が、日本では聞こえの良いお洒落な新しい働き方に、メディアによって洗脳されているかもしれませんが、実際はそんな生易しいものではなく、この歳になっても尚、選択を迫られる大変な事なんだと、思い知らされました。
こうも自由に思った事を書き込みできる現役世代が頑張らないと、この国の安寧は一瞬で滅び去ります。
この作品を観ることが出来て、なおかつ共感出来ないほうが、貴方がまだ良い環境で過ごせているのではないかと思います。
うまく入り込めませんでした、、。
名作「スリービルボード」「ファーゴ」で有名なフランシスマクドーマンドが主演でかつ製作に関わったとなると否が応でも期待は高まります!
アカデミー作品賞受賞となれば尚更です!
で、観賞。
う〜ん。結果的にうまく世界観に入り込めませんでした。
ノマドという生き方が日本生まれの自分にとってあまりにも馴染みがないのが一番の理由です。
さしてドラマチックな展開もなく、淡々と描かれるノマドの日常を見せられるけど「で?」と思ってしまいました。
要は「共感」出来なかった、の一言です。
確かに実際のノマド生活を送る素人の演技やアメリカの雄大な自然は惹かれるものがありました。
自分も生きかた死に方を考えるようになるであろう年齢になったら、理解できる映画なのかな〜。
絶賛の嵐の中、水をさす投稿ですみません。
後期高齢者車中泊生活のロードムービー
第93回アカデミー賞 作品賞
監督賞 クロエ・ジャオ
主演女優賞 フランシス・マクドーマンド
クロエ・ジャオって名前を初めて聞いたわ。
史上二人目の女性の監督が作品賞を受賞。
次回作はマーベルのエターナルズの監督に大抜擢されている。
映画は生物と言うが、アメリカでも労働者の高齢化は深刻な問題となっている。
後期高齢者がキャンピングカーで仕事を求めて移動生活をしている姿は対岸の火事とは思えないリアルさがある。
日本も高齢者として年金暮らししててもおかしくない方々が、朝から晩まで働いている。
2008年のリーマンショック以降、アメリカではいわゆるノマド生活を送っている方が急増している。
映画の中に登場するノマドは実際に車中泊生活を送っている方も登場するそうだ。
後期高齢者が肉体労働をしながら生活なんて、人生ハードモードすぎる。
それでもノマドにはノマドなりの人生観や価値観があり、一度きりの人生を生きている。
もう、半分以上ドキュメンタリーなのではないだろうか?
しかしながら、正直なところアメリカの経済事情や住宅事情なぞ知るはずがない生粋の日本人である自分は、恥ずかしながら映画のテーマに共感することができなかった。
日本アカデミー賞に翔んで埼玉が選ばれた時くらい、ピンとこない世界を2時間観続けた。
何か心情の変化や伏線があるのかと、鑑賞前は予備知識なしで劇場に足を運んでしまった。
それが今回の敗因だったように思う。
何度も言うが、映画は生物だ。
映画を受け取る側も、映画を作る側の描きたい社会情勢やバックグラウンドくらいは調べていかねば、映画を咀嚼することは難しいように感じた。
そもそも、映画は2時間の中で理解できる範囲が映画だと思っている。
2時間あるにしてはセリフが少なく、自然の美しさや雄大さを画面に収めることに力を入れている。
つまり、アメリカ社会問題に興味のない人が見たら、全然ピンとこないつまらない映画だってこと。
アカデミー賞っていつから社会派ドキュメンタリーの品評会になったんだろう?
アカデミー賞の基準とはなんだ?
一部のセレブリティが所得格差や人種差別、職業差別があることを理解し、問題提起していますよーとマウント取りに来てるようにしか感じられない。
少なくとも、自分には刺さらなかった。
大好きなマーベルのエターナルズ。
ロードムービーにならないか心配してしまう。
放浪の民…そして自由
アカデミー賞・作品賞ということで鑑賞。アカデミー賞らしい、社会に訴えるヒューマン・ドキュメンタリー風の作品。決して面白さや楽しさを求める娯楽作品ではなく、ノマド(遊牧民)である主人公の生活を通して、自分たちの生活を見つめ直す機会となる作品である。
夫を亡くし、工場の傘下であった街が、工場の廃業と共に閉鎖され、60歳を超えているにも拘らず、ノマドとなる道を選んだファーン。バンを改良したキャンピングカーで、北から南へとキャンプ地へ。季節労働のパートで日銭を稼ぎ、あるもので暮らし、自然と共に生きる生活。
何モノにも束縛されないで、ある意味自由気ままに旅をしながら生活するのは、毎日あくせくと時間に追われて働く現代人にしたら、理想の生活かもしれない。また、行く先々で、同様のノマドの人々と出会い、友情を育むが、同時に同じだけの別離も経験する。こうした生活者の中に、高齢者も多く、その人達がキャンピングカーで集える場所があるのは、広大で、自由の国のアメリカだからこその姿なのだろう。
しかし、一見、自由と思われる生活も、ホントにそうなのだろうか…?人は人と繋がってこそ生きていける。デイブがノマドをやめ、息子の家に納まったのは、ホームの穏やかさと孫の温もりを感じたからなのだろうし、ファーンの腕の中で、デイブの孫がスヤスヤと眠りに落ちるシーンは、ノマドの自由であるが厳しい生活との対比として、ファーンの心の葛藤が伝わってきた。
主演のフランシス・マクドーマンドは、この作品で3度目の主演女優賞と作品賞を受賞したが、創られた演技をしているというのではなく、ノマドの一人となって、ノマドの日々の生活を送る姿がリアルに描かれており、これまでの主演女優賞とは、ひと味違った感じもした。
改めて、ファーンと同じ年齢の自分だが、これからの余生を考えた時に、こうした生き方は、決して選択しない生き方であると断言できる。
若い人に見て欲しい。
自分には響かなかった
「home」はどこにあるのか
囚われ
会社が倒産して町ごとなくなり、ノマド生活が始まったことはわかるが、なぜ定住しないのかはなんとなく終盤までわからない。
理解者である妹や好意を寄せてくれる男性とその家族。暖かいベッドや不自由しない生活がすぐそこにあるにも関わらず、彼女がノマド生活にこだわるのは、彼女にとって過去の夫との狭い社宅での生活のみが還る場所だったのだ。そしてそこから見えていた荒涼とした風景に似た場所が唯一彼女が生きて行ける場所なのだ。
彼女にとってのノマドとは、自由を求めて等ではなく囚われて抜け出すことの出来ない生活なのだと感じました。
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