「後が怖い」親愛なる同志たちへ LSさんの映画レビュー(感想・評価)
後が怖い
ペレストロイカまで存在自体が秘密とされていた、労働者の国・ソ連の地方都市で1962年に起こったストライキ・デモの武力弾圧事件を舞台に、翻弄される主人公と家族を描く。
市の共産党委員会に勤める主人公は、第二次大戦に看護士で従軍したスターリン信奉者で、デモに対しても党が解決することを疑っていなかった。しかし、デモ隊への銃撃が発生し、デモに参加していた娘は行方不明となる。銃火に触発されたのか、同居している父は、隠してあった昔のコサック軍装とイコンをひっぱり出し、昔この地で血みどろの殺し合いがあったことを語る。
娘を探す中で死傷者の存在が隠蔽されていることを知った主人公は、デモ容疑者を追って娘の所在を調べに来たKGB局員から、死者の遺体が密かに別の町に埋められていると聞かされる。局員の助けでその場所にたどり着いた主人公は、若い女を埋葬したとの民警の証言に悲嘆に暮れ、今まで信じていたものへの信頼が揺らぐ。帰宅すると仲間に匿われていた娘が戻っていて、主人公は再会を喜び安堵する。
本作はソ連時代の国家と社会のあり方を映し出す。対応に動員される軍が最初は銃の携行を拒否し、党幹部の命令の後も空砲にしていたらしいこと(デモ隊への実際の銃撃はKGBの狙撃手の仕業だと示唆されている)、KGBの幹部にも人命軽視のやり方に批判的な見方があることなど、体制内にも異論は存在したことが語られる。
一方、党の決定は絶対であり、誤謬を認めず(ストの原因となったのは生活物資価格上昇の中の賃下げだった)、市民への暴力行使を政治の手段とし、不都合な情報を隠蔽するといった点は、一党独裁の全体主義体制の典型であると同時に、党をポピュリスト指導者に代えれば、(本作の製作は2020年だが)現在彼の地で起こっていることにも通じて怖さを感じる。
ラストは屋根の上での母娘再会で、希望を見せる演劇的幕引き。だが、「DAU.ナターシャ」「DAU.退行」を観た身からは、当然この後を悲観せざるを得ない。以下は全くの想像だが、全ては娘を探すのを手伝う「頼りになる」KGB局員の工作で、市境で検問する軍も、遺体を「埋葬した」民警も、局員に求められ、あるいは強要されて協力していたのではないか。目的は母娘の信用を得て、娘を泳がせ、デモ主謀者へと辿ること。用が済めば一家は口封じに……。考えすぎであることを願う。
追記:ラストの悲観的解釈の理由は、KGB局員が娘の旅券を返したこと(遺品だからと思わせて、実は娘を泳がせるため(ソ連では国内移動にも必要)、軍の検問の指揮官に一人で会いにいったこと、民警が主人公の問いをオウム返しにしていたこと(全て肯定しろとKGBに事前に命令されていたのだろう)。監督は、ソ連を生きてきた人ならこうしたシーンの含意が分かるだろうと思ったのでは?
最悪の筋書きの、更にその先があるだろうと僕も思っていました。
ラブ・ストーリーになんかなるはずがないというこのお見立て、その通りだと思います。
母親は“危険思想”の娘や父親を党に密告していなかった時点で欠格者。その”弱さ“が映画のテーマでもあったと感じましたね。
とにかく恐ろしい映画でした。
共感ありがとうございました。
きりん
この映画は劇場で予告編を観てでしたが、その館が本作を推していて、POPの情報などからも興味を持ちました。
普段は本サイトの「上映中の映画」を読むぐらいです。多くの館にアクセスできるのは有り難いことです。