親愛なる同志たちへ 劇場公開日 2022年4月8日
解説 「暴走機関車」などで知られるロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキーが、冷戦下のソ連で30年間も隠蔽された民衆弾圧事件を題材に撮りあげた社会派サスペンス。1962年6月1日、ソ連南部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生した。フルシチョフ政権が目指した豊かな共産主義統治にも陰りが見え始め、生活に困窮した労働者たちが物価高騰や給与カットに抗議の意思を示したのだ。危機感を抱いたフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために現地へ高官を派遣。そして翌日、約5000人のデモ隊や市民に対して無差別に銃撃が行われる。広場がすさまじいパニックに陥る中、熱心な共産党員として長らく国家に忠誠を誓ってきたリューダは、18歳の愛娘スヴェッカの行方を捜して奔走する。リューダを演じるのは、コンチャロフスキー監督作「パラダイス」でも主演を務めたユリア・ビソツカヤ。2020年・第77回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。
2020年製作/121分/G/ロシア 原題:Dorogie Tovarischi 配給:アルバトロス・フィルム
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2022年4月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
国家という大きな共同体と家族という最小単位の共同体が、一人の女性の中で衝突する。市政委員会のメンバーである主人公は、体制側の人間だ。イデオロギー的にも共産主義の正しさを心底信じている。一方、その娘は、工場に勤めており、ストライキに参加し体制を批判する側となる。ストは大きな暴動に発展し、軍が鎮圧に乗り出すと、安否のわからなくなった娘の行方を追って主人公は奔走する。 軍が市民を殺すという事態を、体制側は隠ぺいしようとする。しかし、娘がそれに巻き込まれた主人公は、何を信じればいいのか揺らいでいく。娘を想う気持ちと国家を信じたい気持ちの狭間で主人公は葛藤し続ける 主人公と娘の他、主人公の父も重要な存在として描かれる。彼は、コサック兵の軍服を大切に保管している。コサック兵はかつてロシアの支配に対抗した軍事勢力だが、この作品の舞台はコサックがかつて活躍した土地でもある。そんな父の存在によって国家と娘の対立軸に、歴史の経糸が折り重なり、分厚い物語に仕上がっている。改めて、ロシアとはどんな国なのかを知るために、見てほしい作品だ。
なんとも痛烈なタイトルである。60年代、ソ連の南部にある街で起こった労働者たちの大規模なストライキが、無差別銃撃事件へと発展していく過程をモノクロームで描いた作品だ。興味深いのは、ストライキの参加者が主人公というわけではなく、むしろこの混乱をどう収めるか頭を悩ませる”市政委員の女性”にスポットを当てていること。党への忠誠を誓う彼女の瞳を通じて、フルシチョフ政権が派遣する軍やKGBの暗躍、人が逃げ惑い命を落としていく凄惨な状況が浮き彫りになる。そして彼女自身も一人娘の行方を探して街を彷徨い続けーーー。徐々に不安と絶望に覆われていく主演女優の演技に言葉を失う一作だ。この事件から60年が経つが、時代は何も変わっておらず、「力で抑える」「恐怖で治める」ことがもたらす悲劇はいまだ無くならない。現在TVやネットを通じて伝えられるウクライナの凄惨な光景もまた延長線上にあるものではないかと意識させられた。
2022年3月10日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
This Russian black-and-white tale of a political massacre in the 1960's feels relevant in the age of shutdowns and surveillance identification; not to mention the event takes place only a few hours drive from Mariupol. Disgruntled factory workers meet their demise when the KGB steps in, and a socialist-loyal official finds herself at the brunt of the disappearing act. Slow but terrifying.
2022年7月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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観たのは数か月前。映画公開と前後してロシアのウクライナ侵攻がはじまり、あらすじを書いたあたりでレビューがストップしていました。 さて、コンチャロフスキー監督は、同じく監督のニキータ・ミハルコフの兄で、ソ連時代から監督をし、後、米国でもエンタテインメント系の作品も多く撮っていますが、半数ぐらいは日本では劇場未公開ではないかしらん。 監督作品が劇場公開されるのはいつ以来のことかしらん。 2014年製作の『白夜と配達人』は東京国際映画祭で鑑賞しましたが。 1962年、フルシチョフ政権下のソ連南西部ノボチェルカッスクで党役員として活躍するリューダ(ユリア・ヴィソツカヤ)。 実生活では、コサック兵として闘った経験のある父と、機関車工場で働く18歳の娘スヴェッカとの3人暮らし。 町の党委員としては上級の地位にあるのだが、独り身ゆえに疼く心は押さえきれず、同じく党役員と不倫関係にある。 リューダを悩ましているのは、スターリン政権からフルシチョフ政権に代わっての物価高騰と食糧不足。 しかし、それとても党地方組織委員という立場からすれば、希少な食料はわけなく手に入る。 それよりも、娘スヴェッカの行動だ。 若気の至りといえばそれまでだが、政府に楯突くような素振りが感じられる。 そんな中、スヴェッカが働く機関車工場でストライキが勃発する。 社会主義国家の中でストライキとは俄かに信じがたいリューダだったが、物価高騰と食糧不足に加えて、経営陣からの一方的な賃下げ。 スヴェッカはストライキに参加し、他の労働者たちの熱に浮かされて、過激な行動に出るのではないか・・・ リューダも含めて、党幹部が集まった目の前に、労働者のひとりから石礫が投げ込まれ、それが合図であるかのように、銃声が鳴り響く・・・ といったところからはじまる物語は、数年前のマイク・リー監督『ピータールー マンチェスターの悲劇』を思い出すが、国家が国民に銃を向ける映画といえば『天国の門』もそうですね。 で、市民へ向けての発砲、国からの弾圧は映画の中盤、どちらかといえば前半に近いところに位置している。 この発砲銃撃事件までの演出は、共産党地方都市幹部のリューダの日常を描いていくわけですが、狭い部屋での鏡の多用など、普通に撮れば平板になるところを多層的にみせている演出。 冒頭の不倫シーンはヒッチコック『サイコ』をちらりと思い出しました。 そして、発砲銃撃事件となるのですが、混乱の描写を対立法・体位法という、哀しみ大きシーンとは反対の陽気な音楽。 事件近くの美容室で、無音で飛ぶ銃弾に女店主が被弾するシーンでは、ラジオから陽気な音楽が流れている・・・ おお、久しぶりにこの手の演出を観ましたぞ。 黒澤明や小津安二郎も使っていたので、60年代ぐらいまでは割とよく見た演出方法なのですが、ここ最近はとんと観なくなりました。 この混乱の中、娘スヴェッカは行方不明となり、リューダが探す物語が後半となります。 この後半は、近作では『アイダよ何処へ』を思い出しましたが、古くはフレッド・ジンネマン監督『山河遥かなり』も思い出しました。 後者を思い出したのは、リューダを手助けする党幹部の男性が登場することも影響しているかもしれません。 ただ、この男性が登場することで、ややドラマがメロウな方向に流れてしまったのは残念。 探索当初は娘の生存を信じていたリューダですが、次第に娘の死を確信するに至る。 そして、彼女が着けていたリボン(だかの小物)を手掛かりに、娘が埋葬されたと言われる墓にたどり着く・・・ このあたりはかなりのメロウ描写なのですが、監督の想いは最終盤にありました。 死んだと思われていた娘であったが、実は生きていた。 そして、母娘が並んで呟く「この国は、きっと良くなる」という言葉。 これはコンチャロフスキー監督の祖国ロシアへの郷愁と希望と祈りのようなものが込められています。 過去の暴行に目を背けることなく、そんな歴史も受けとめた上で国を信じたい、という願い。 老境のコンチャロフスキー監督に今回のウクライナ侵攻はどのように映っているのでしょうか。 そのことも含めて、今年いちばん心に感じるものの多い映画でした。
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