劇場公開日 2022年4月8日

  • 予告編を見る

「人類には民主主義が精一杯なのだろう」親愛なる同志たちへ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5人類には民主主義が精一杯なのだろう

2022年4月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

 共産主義の理念は、能力に応じて働き、必要に応じて消費するというものである。なんとも合理的であり、そういう社会が実現可能であれば、今流行りの持続可能開発目標に近づくだろう。しかしそれは夢物語だ。
 ドストエフスキーは社会主義について、非合理的な存在である人間を合理的なシステムに組み込めるはずがないと喝破した。そのとおりだと思う。
 労働については、皆が皆、一生懸命働くとは限らない。それに共産主義における労働というのは主に第一次産業と第二次産業だ。マルクスは金融資本主義が経済の主流になるとは考えなかっただろうし、IT技術などは想像すらできなかったに違いない。
 消費については、プライベートジェットや大型クルーザーや果ては自家用の飛行場まで必要だとする人もいれば、極端に質素な生活で十分という人もいる。人間の欲望に合理性などないのだ。
 つまるところ、国家が強権的に管理することになる。人間はまだ共産主義に移行できるほど完成されていない存在なのである。だから共産主義国は、共産主義がどれだけ平等な幸福を齎すかを宣伝しなければならない。プロパガンダだ。プロパガンダを必要とする政治は、要するに欺瞞の政治である。

 本作品はキューバ危機の頃のソビエト社会主義共和国連邦のある一都市の様子を描いているが、ソ連の縮図となっている。強権的な管理社会は、反体制的な言動に厳罰を課す一方で、プロパガンダへの協力や有用な情報提供には褒美を与える。仮面社会、密告社会だ。
 ソ連の体制側にいる主人公は、共産主義の理想を信じて疑わない人生を送ってきたが、平和なはずの町で暴動が起き、銃撃で人々が殺され、娘が行方不明になったことで、共産主義を疑いはじめる。しかしそれはこれまでの人生を疑うのと同じことだ。自分の人生が無駄だったとは思いたくない。心は千々に乱れる。
 共産主義の強権の中枢にいる人は、逆に共産主義の理想を信じていない。信じていれば人々が自発的に共同作業と共同分配を行なうはずだから、強権的な管理は必要ない。管理が必要ということは、共産主義の理想は実現されることがないということである。つまりソ連は、その出発点から決定的な矛盾を内包していたわけであり、内部崩壊は必然だった。

 共産主義に限らず、すべての強権的な政治は内部崩壊が必然である。現在は民主主義国よりも強権政治の国が多いが、過渡期であるとも考えられる。マルクスも過渡期の問題を論じている。強権政治→民主政治→共産主義ということなら、現在も過渡期ということになる。
 しかしドストエフスキーの言う通り、人間が合理的な整合性を獲得するとは思えない。人類には民主主義が精一杯なのだろう。

耶馬英彦
いなかびとさんのコメント
2022年4月15日

チャーチルの「民主主義は最低の政治体制だが、これに勝る政治体制は
ない」を思い起こします。

いなかびと