スペシャルズ! 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話のレビュー・感想・評価
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スーパー民間人!
長過ぎるサブタイトルだけで全て読めてしまいそうですが... なんでこんなに熱いんじゃ!! ブリュノとマリク、まさに熱男! 2人の中年男の情熱に頭が下がりまくりましたね ちょいと入り込む友人達のブリュノへのサプライズ的お見合いシーンには笑いを頂きました いいシーンですよね😀 本国フランスで大ヒットしたとの事... 国民の社会的弱者への関心と支援考慮を私達 日本人も見習うべき所はあるだろう とにかくヴァンサン•カッセルの演技が良い! 個人的に彼史上No.1でした! 彼の存在が重いであろうテーマを最強でスペシャルな快作にしてくれた気がしました
大変な
仕事とは言ってはいけない様な活動ですよね。時間は関係無いし、相手は悪気が無いしで。自分には無理ですね。でも、その後の後日談がテロップベースになってしまったのは、物足りなさが残りました。
自助じゃどうにもならない現実
まず、邦題をつけた配給会社の奴出てこい!
と文句を言いたくもあるが、それはさておき。
武器は根気と信念だけ、いま困っている自閉症の子どもとその親のために、出来る限りのことをするという、未認可施設の二人の活躍ぶりは素晴らしい。
そんな施設が国の基準に合わないからと、役人が営業の取り消しのため監査に来る。
守ったというより、今いる子どもたちの行き先はなく、誰も引き受けていないので、なし崩しに国が「見逃さざるを得ない」となるだけなのは拍子抜けながら。
何はともあれ、看護師たちを攻撃するほど、どこの医療機関も断らざるをえない重度の自閉症児たちの対応機関が不在という、制度の矛盾に対しての批判的な内容はすごく刺さった。
自助の強要ばかりで、公助の少ない我が国も思い出しつつ。
ちょっとだけ気になったのは、対処方法が20年くらい前のイメージに近い気がしたこと。
自閉症児たちは、音に過敏なケースが多いため、最近は耳栓やイヤホンの着用を試みることが多いと聞くが、それはせずにいるのに、時代設定として皆がスマホを使っていた。
スマホがあるなら、行方不明対策に、GPS装着は?
などなど。
それらのことから考えるに、時代としてはバラバラなエピソードを、直近に落とし込み再現したのかも、とも思いました。
【”行政は自閉症ケア施設の監査をする前にやることがあるだろう!”セイフティーネットワークの綻びに対する根本的な問題を明らかにするとともに、ASDの人々を献身的に支援する人々の姿に頭を垂れる。】
ーパリでASD(自閉症スペクトラム障害)支援施設を運営するブリュノ(ヴァンサン・カッセル:冷酷な殺し屋のイメージが強かったが、今作品でそのイメージは払拭)とマリク(レダ・カリブ)は毎日、朝晩ASDの若者たちが起こすトラブル対応で走り回る日々。-
・ジョゼフは頻繁に列車の非常ベルを押してしまうし、長く施設に幽閉されていたバレンティンは外部と上手く接することが出来ず、頭をイロイロなモノにぶつけるため、常にヘッドガードを装着している・・、など様々なASD症状を持つ青年たちと向き合う二人及び施設の支援員。
ーブリュノはキッパを頭に載せているから、ユダヤ教徒であろうし、マリクは自らアラブ系だと述べる。つまり、この支援施設の中心人物は純然たるフランス人ではない。又、遅刻が多く嫌々ながら支援員をしているディランは黒人だ・・。-
・何故、彼らはあそこまで献身的にASDの若者たちの面倒を見るのか・・。
序盤、ブリュノが言う言葉からヒントを貰う。”彼らがいるから、俺たちは救われる・・。”
ー深い言葉である。共依存ではないだろうし、彼らがいるから職があるという事でもないだろう。もっと崇高な考えの下、彼らは毎日働いているのだろう・・と解釈する。
彼らは決してASDの若者たちに上から目線で接しない・・。多少面倒ではあるが、一人の人間として接している姿。-
・ある日、ディランが目を離したすきにホテルの部屋からいなくなったヴァランタンを探すブリュノとマリクを始めとした支援員たちの懸命な姿が印象的だ。ヴァランタンの失踪前、彼の行動を知る彼らが、ホテルの部屋の突起物にごく自然に丁寧にカバーをかける姿も何だか沁みた。
ー高速道路での、あの救出行為は下手をしたら自らの命も危ない状況である。-
<ASDの若者たちが、ブリュノとマリクが運営する”正義の声””寄港”に身を寄せるまでの経緯は語られるだけだが,彼らがどのような扱いを受けてきたかが良く分かる。
だからこそ、杓子定規に施設の運営を監査する行政の男女に対して、ブリュノが預かっている一人一人の写真と彼らの症状の特長を叫ぶように叩きつけるシーンが心に響く。
そして、何より彼らとASDの若者達が徐々にではあるが、楽しそうに交流する姿と、二人の寛容な姿が観ている側にある感慨を齎すし、大きな問題提起を提示する作品にもなっているのである。
舞台はパリだが、決して他人事ではない問題でもある。>
目が離せない
無認可で赤字経営、でもどんな問題を抱えていても支援を断らない。国がつぶそうとした、そんな自閉症ケア施設を守った男たちの実話が基です。にしても、自分の人生を犠牲にしてまでも自閉症の子供達や青年少女に心血を注ぐ主人公の情熱には頭が下がる思いです。その思いが国を動かした、この功績は計り知れないものがある。 とにかくラストまで、その熱い思いが観る者の心を動かす、そんな良作でした。
【どうして助けようとするのか】
どうして人は人を助けようとするのか。 ユダヤ人のブリュノ、イスラム教徒のマリク。 宗教的には対立関係にあるはずの、二人を中心に人種や宗教を超えて、知的障碍者を助け、自立をさせようとする人々の姿勢に、様々な考えがよぎる。 どうして人は人を助けようとするのか。 この答えは、案外簡単で、それが人の本質だからではないのか。 だから、宗教や人種をいとも簡単に超えて助け合う。 それが、この映画の中にも語られていると思う。 マリクが言う「自分たちも救われているんだ」という言葉に、お金とか名誉とかではない、何か言葉で言い表すには難しい、感情が込められているように思う。 そして、障害者を閉じ込めておくだけではなく、自立できるように最大限努力をする。 親が子供を育て、自立させるのだって同じだ。 ブリュノが監察官に「40人全員、連れて行ってくれ」と叫ぶところは、貫いてきた姿勢と、世の中の見る目とのギャップを想像して胸が苦しくなる。 宗教や人種、そして障碍を超えて集い、助け合う、この人達のことを、どんな事をやっているのか、もっと知りたいと思う。 また、僕達も、仮に少しずつであっても、障碍は個性なのだと思える世界になればいいと思う。
日本の状況はもっと酷い
ヴァンサン・カッセルを初めて見たのはナタリー・ポートマン主演の映画「ブラックスワン」の演出家役で、主人公ニナを狂わせる独特の世界観の持ち主だった。次は「たかが世界の終わり」で、少しでも自分のことに踏みこんで来られると、怒りの感情を爆発させてあることないこと怒鳴り散らす難物を演じていた。私生活ではイタリアの宝石と呼ばれる女優モニカ・ベルッチと結婚。母国語フランス語の他に英語の台詞も流暢である。 本作品では、公式の施設で受け入れてもらえない重症の自閉症患者を無条件に受け入れる無認可のケア施設の経営者ブリュノを好演。自閉症患者たちが病気を克服して社会に出て自力で生きていくようにするのが彼の大目標だ。そのためにはひとりひとり全く異なる患者たちに個別の対策を講じなければならない。 公式の施設は予算と規則で縛られており、自閉症が重症であるほど入所を拒まれる。熱心な職員はブリュノに受け入れを依頼することになる。管轄官庁の役人たちは現場を知らず、無認可のブリュノのケア施設が無認可というだけで排除しようとする。しかしブリュノは自分たちを排除することは重症の自閉症患者を排除することであることを知っている。 物語の主要な部分はブリュノたちのケアの現場である。自閉症は知的障害を伴うから、言葉による意思の伝達は難しい。最終的には言葉でのコミュニケーションが出来て仕事が出来て自立が出来るのが理想だが、それまでは言葉に頼らず、言葉以外の手段で情報をやり取りする。自閉症は脳の異常であり、脳は体からしか情報を得られない。見せる、聞かせる、臭わせる、触らせる、食べさせる、体を動かさせるといった、身体への働きかけによって、脳は次第に情報の処理ができるようになる。ブリュノたちのやり方は理に適っているのだ。 慣れたケア担当者は患者の暴力に怯まない。いちいち反応すると暴力によって何らかの影響を及ぼすことが出来るという体験になってしまう。幼児を見ているとすぐに分かるが、押したら音が出るものなどがやたらに好きである。非常ベルを押したらけたたましい音と一緒に人々が騒ぎ出す。だから非常ベルを押す。人を殴ったら痛いと大声を出したり泣き出したりする。だから殴る。言葉を発せられないから言葉の代わりに殴るのである。何度も殴らせないためには反応しないことだ。 ブリュノたちの施設に集まる人もまた問題を抱えている。多くの人が見向きもしない自閉症患者の施設に来て働こうというのは、それなりの覚悟をしてきた人たちだ。患者に殴られても平気な顔をし、労働時間が長くても給料が遅れても、患者のために努力する。彼らをまとめるブリュノは休みなしだ。おかげで結婚もままならない。それでも患者とその家族が笑顔を取り戻すために寝食を忘れて働く。しかしブリュノたちの施設は無認可のままである。 社会が自閉症患者を見捨てようとし、実際に排除されてしまった重症患者をブリュノたちみたいな人間が多大な犠牲を払って面倒を見る。そんな社会はやっぱりおかしい。重症の自閉症患者を抱える家族には健康で文化的な最低限度の生活が保障されないのだ。税金はまずそういうところに投入されるべきだろう。弱者を公助で救う。金持ちや成功者はそれこそ自助で生きていけばいい。 日本では自助、共助、公助の順を政策として掲げる冷酷な政治家がトップになろうとしている。真っ先にに見捨てられるのが弱い人々であることは目に見えている。国民を個人として尊重するのではなく、グロスで処理しようとすると、最も恩恵を受けるのは富裕層であることは自明の理だ。消費税の逆進性と同じことである。弱者を切り捨てる残虐な政治家が首相になる日本では、ブリュノたちと同じように弱者のケアに頑張っている人々の努力も、いずれは切り捨てられるだろう。仕方がない。日本の有権者がそれを望んだのだ。 最後にタイトルについて。原題の「Hors normes」は解釈が難しいが、当方としてはブリュノの施設が無認可であることから「無認可施設の日々」とでもつけたい。邦題の「スペシャルズ! 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」は原題からかけ離れすぎている上に「男たちの」という限定もおかしい。ブリュノとマリクの施設には女性も働いていた。それに物語の主眼はブリュノたちがどんな思いで日々努力しているかであって、政府から施設を守ったことではない。配給会社のギャガの人がつけた邦題かもしれないが、早急に改めるのが懸命だと思う。
正常と異常はグラデーション
みんな変だった。愛すべき「変」も含めて。まずは自閉症の子どもが一筋縄ではいかないことは頭でわかっているつもりだったけど、繰り返し映像と音響で見せられ出口のなさに思い至る。子どものうちはまだいい。思春期を迎えその先の人生こそ・・・ということだ。「ああ、やっぱり閉鎖空間のパラレルワールドを知らぬがホトケで生きてきた自分。」と再認識。そんな我が子に振り回されてエキセントリックな言動になりがちな親、公私の区別なく天職に人生を捧げる経営者、支援スタッフなのか自閉症者なのかパッと見ではわからないような若者たち、エリートだけど心の渇ききった監督官庁公務員、誰一人正常な人なんていないわけね、と大づかみしてみることもできた。 中心人物の二人は片やユダヤ教、片やイスラム教信者というのはフランス映画ならではのウィットの一つかな。何れにしてもなぜこの二人、特にブリュノは結婚もせずに一人ブラック施設運営に身を粉にして捧げているのか(彼のスーパー包容力は本当に素敵です。第1号顧客・ジョセフの気持ち痛いほどわかる)、過去の背景なども描いてくれるとなお良かった。
ヴァンサンカッセルいいやん。
無許可で、支援する人たちも、ドロップアウトした少年少女を独自で教育して、見放された自閉症の子供達を預かるそら政府は目くじらたてるよ。しかも、ユダヤや中東の人達もいてる。まあ無茶苦茶。しかし、彼らのハートは熱くみんな頼りにしてます。大変だ!
特別に仮許可するって政府らしい。
ヴァンサンカッセルがいい。
デュランが気にいる言語療法士さん可愛い❤️。
重たいストーリーに加えストーリーも重かった感じ。
謳い文句の「笑いと涙で....」はちょっと違うんじゃね(笑) 自閉症の更正施設を運営する主役ブリュノを中心として展開するストーリー。 毎日色んなハプニングを乗り越えながら自閉症の人達を社会復帰されようとする姿が素晴らしい。 他の施設が手を焼いて手放した子供達を受け入れるんだけど、国の監視官からの是正要求に立ち向かう展開。 施設は守られたんだけど、結局なにも改善されない感じ( ´∀`)
熱いオトコたちの闘い
もう、圧倒されました。 同業として、本当に頭が下がる思いです。 こんなふうに、あるべき姿を形にできるのは、間違いなく民間の力なんだ、どこの国も。 公的機関が、ここまでの制度を整備したら、こんなにリスキーな支援を民間が担わなくてもよいわけで。 でも、公的機関はやらない。できない。 責任問題ばかりに目がいき、本当に必要な支援を行おうとはしないんだ。 たしかに、就労支援をしている素人の若者を使うのは危険だ。けれども、WinWinの関係であることを教えながら、彼らにも生きる目的を持たせる「信じる力」が素晴らしい。 そうなんだ、信じることなんだ。 そして、「寄港」と「正義の〜」は良い関係。信念を後押ししてくれる仲間がいれば、それだけで続けられそうな気がする。 そこなんだな、仕事ってやつは。 素晴らしい映画です。福祉職にはぜひ、見て欲しいと思いました。
こんな生き様凄すぎる
実話だというのが信じられないような男の話だった。 自閉症の子供達は子育ての時に少し関わりもあったが、この映画でその子たちは軽度だったのだと知った。 24時間本当に休まる時もなく、親が育てられないような子供を引き取って根気よく少しずつ関係を築く。そして自立できるように見守ったり言い聞かせたり。その子の母親のフォローまでしている。 彼は全人生かけてやってるのだ。残念ながらこの映画ではなぜ彼がこの仕事にここまで関わることになったのかはわからない。でも、彼のこの生き様は、支援者として関わる訳ありな若者たちに前に進むことの大変さと楽しさを見せていると思う。 ネタバレになるので具体的には書かないけれど、登場人物同士の関係がいい。暖かく見守ってやる関係や少しずつ不器用に近づいていく関係、どれも実話ならではの説得力で観ている側の涙を誘うと思う。
「効率化」を追い求める社会との決別
この作品は、作品の内容とタイトルやポスターのイメージと間にかなりギャップがある。あきらかにターゲットを誤りかねないマーケティングの失敗だ。 ポスターのようなポップな感じもないし、実話もの特有のあっと驚くような奇跡も、「世界が涙した」のような感動作品でもない。 この作品はのdiversityのさらなる発展性を問うたり、社会正義を振りかざしているわけではない。「人権と博愛の国」といわれるフランスにおける発達障害者支援の今を知ってほしいという切実なメッセージだ。 人はいつかは老いていき、自分だけでは生きていけなくなる意味で決して他人事の話ではない。現代においては行政に解決を求めるのは賢明な解決方法ではない。社会のセーフティーネットを地域のコミュニティで相互扶助のシステムを作ることも一案。私たち一人ひとりが考えていく。 現代社会においてハンディキャップを持つ人に立ちはだかる壁は社会の「効率化」だ。 自分は「業務効率化」や「生産性向上」といったキーワードのコンサルビジネスに身をおく人間だが、「効率化」という言葉が大嫌いだ。「効率化」しても社会は決して豊かにはならないし、行き着く先はいつも閉塞感と疲弊だけだ。 日本は慢性的な労働力不足と低成長経済下で国際的にも労働生産性が低いと指摘されるなか、企業や政府そして一般社会までも一層の「効率化」を求めている。 ハンディを持った人びとが「社会不適合者」として「日常」生活から「隔離」され、やまゆり園のような事件を私たちの「社会」が引き起こしている。 車内で具合の悪くなった人が出て電車が一時休止(ほんの数分のできごとだ)したときに周囲の人の舌打ちや悪態をつくなど、これが私たちが求めた豊かな社会の姿なのかと憤りを感じてしまう。 観る人それぞれの良心と見識に訴えかけ、自身の「傍観者」としての今までの行動を振り返って自分に「不快感」を覚えるかもしれない。 本作の受け止めかたに今までの生きかたや考え方が投影されて、観賞後の感想や意見も人それぞれ変わってくるような作品。個人的には老若男女多くの人に観てほしい。
何とかしようとする思い
無許可だし、資格を持たない職員ばかりだけど、熱く強い思いから40人の子供たちの面倒をみるブリュノと「正義の声」と、ドロップアウトした若者に支援者としての居場所をつくるマリクと「寄港」の話。 入所者やその家族のみならず、他の施設にも頼られ走り回る様子や、大人になりきれず甘さを持つ若者を諭です導く様を絡めてみせていく。 フランスのこの辺の政策は全然知らないけれど、行政の言い分もわかるし、そこに携わる人の思いもわかるし、そこを頼りにする人の気持ちも痛い程わかる。 そして感情だけでは語れない様々な難しい問題があるのも良くわかる。 映画としては問題を提起しているだけという感じも否めないけれど、それは自分には到底出来ないことだし… 自分も仕事で障害者や支援法人の方々と多少接することがあるけれど、現場の職員さんをみていると凄いなぁとか、仕事という思いだけでは出来ないなぁとか、そんな陳腐な感情が頭に過るだけで、何も為していないからね。 そういうことを考えさせたり感じさせたとりするという意味では、とても意義を感じる作品かな。 ヴァランタンとディランの関係性の描き方は優しさを感じて好きだった。
ま・じ・め!!!
家族とふたりで観に行った。「最強のふたり」の監督だからきっとまた、ハートウォーミングで痛快なコメディだと勝手に想像してた。終わって、ふたりで、「真面目じゃん! 俺たちふたり、少しは事前確認してから来いって話だね」と大笑いした次第です。 というわけで、この映画、真面目です。そして、真面目に楽しめました。実話にもとづいた物語です。ドキュメンタリーではないのだけれど。観終わって思いました。みんなが、この映画を観るといいな。機会があったら、ぜひ、観てください。 パリで重度自閉症の子供たちをケアする施設(ただし無認可)を運営している男が、新たな要望や、様々なトラブルに対して、「何とかする」と言い続け、四苦八苦しながらも毎回なんとかし続ける話。彼の施設で働く支援員たち(ただし大半が無資格)は、(こちらもボランティアで)行き場なくドロップアウトした若者を教育している友人マリクが送り込んでくれている。 事実に基づいてはいるがフィクション映画、そのメリットというか、ドキュメンタリーではできない工夫を感じた。映画の中で起きること、描かれる出来事は、次から次に起きる苦労。俺は、それらをひとつずつ解決する主人公を観続けるだけなわけだが、それら苦労の中に、「ジョゼフは、地下鉄で4駅の区間を非常ボタンを押さずに無事に到着できるのか」、「新人のディランは、ヴァランタンの介助人になれるのか」 といった、結果がどうなるかについて、観ているこちらがちょっとドキドキするエピソードをさりげなくおいてある。だから、素直に映画に引きつけられ続ける。 次から次に起きる出来事を解決するといっても、大半はすっきり解決できるわけではない。だから、観ているこちらも気持ちよくなるわけではない。ただ、それらのことを、こんなことがあるんだ、と見続けることは、幾分かでもこの世界を知ることになり、知ることそれ自体に価値があると、自分は思う。 観たからといって、彼らのように、他人の社会復帰のために人生をかけて尽力することはできないが、観たのだから、明日から少しでも理解したつもりになって暮らそう。 みんなが観るといいな。 追記 自閉症の人たちの多くは、自分 たちの周りの世界を理解する力を身につけるにつれて、人への対応の仕方がよくなります。 (自閉症 Q&A ver.1.1 より引用) 彼らがやっていることは、重度自閉症の人に、道を広げる行為なんだな。
「スペシャルズ?」 しかし、観るべき作品
キャッチ―な作品名やポスターの印象とは裏腹に、重い社会問題を扱った作品。( ケン・ローチ作品に近い印象か。) 原題が気になったので調べてみると、フランス語で「Hors Narmes」(規定を逸した)とのこと。ああ、と納得。英語タイトルは「Specials」。邦題もこちらからとったのだろうが、内容を踏まえると違和感が強い。 因みに国内はGAGAが配給会社。明らかにエンタメ型の映画では無いし、ミニシアターで扱われてもおかしくは無い内容だが、この作品を全国のシネコンで観られる点についてはGAGAに頭が上がらない。一方で、広告から受けるポップな印象と作品との間には大きなギャップを感じたので、その点については敢えて記載しておきます。 内容について、正直感動した。観る価値の高い映画と感じます。 実際の医療・介護の現場はこんなに甘くないとの意見もあるようですが、徹底的に現場のリアルを伝えたいのであればドキュメンタリーを撮ればいいのであって、この作品の主目的はそこでは無いと個人的には感じます。(まあ、ドキュメンタリーには演出は無いといったイメージも、視聴者側の勝手な妄想かもしれないが)。 こういった社会問題に対して、普段は意識的で無い私を含めたほとんどの視聴者に対する問題提起であると。そして、これまでのレギュレーションやプロトコールなどは、これからの社会構造や価値観などに合わせて改善をしなければならないし、それは不可能では無いのだと。 最後に、自閉症を含めたCNS領域の患者さんたちとの新たな共生のあり方についても、ポジティブな可能性を示す内容でした。
この映画の役割と受け止め方を考える
以下はある児童保育関係の本からの抜粋。 『自閉症スペクトラム障害(ASD)は広汎性発達障害(PDD)とほぼ同じ意味で使われている。以下の3つの症状をあわせ持っているのが特徴。 ①対人的相互関係における質的な障害 (人と視線が合わない、友達が作れない、その場に合わない行動をする、など) ②意思伝達の質的な障害 (言葉が遅れたり、使い方が間違っていたりして会話にならない) ③限定的、反復的でワンパターンな行動や興味 (興味のあることだけにこだわり反復したり、ものの細部にこだわる)』 ただ、医学の世界でも、診断分類の改訂が行われるなど断定的な定義付けは難しいようです。 もちろん、症状が激しい場合、社会生活を送るうえで障害となることは事実だと思いますが、身体的な病気と違って、発現事象としては、どちらかといえば〝個性〟のひとつのようでもあり、そう考えると定義の枠に収まらない個人差や多様性があるのは当たり前のようにも思えます。 そのような個性を人として受け入れることと社会制度として受け入れることについては、どうしても不整合が生じます。税金での社会保障費の捻出、養護にあたる人材の育成と待遇、家族や医療・養護従事者の精神的な負担と使命感のバランスなど。 そのようなことについて、当事者でないと、普段は、なかなか意識して考える機会がないので、ハッとさせられることばかりでした。 前述の本によれば、ASDの出現頻度は人口の約2〜3%で、男児が女児の3〜4倍になるそうです。 (※注意欠如・多動性障害(ADHD)の出現頻度は人口の3〜10%だそうです。) 映画では、他の施設や病院では引き取り手のないほど症状の重い方々がメインでしたが、それだけ我々の身近にも(気が付いていないだけで)苦労している本人やその家族がいらっしゃるということです。 たぶん、花粉症の人の数ほどではないですが、映画館で年間100本以上の映画を見てる人よりは比率が高いと思います。
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