マイ・バッハ 不屈のピアニストのレビュー・感想・評価
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この音楽家の演奏にもっともっと浸りたくなる
音楽家の物語といえば欧米メインとなるケースが圧倒的に多い中、本作の舞台はラテンアメリカ。それだけでも非常に意義深い作品ではないか。主人公の神童ぶりは、まだ幼い少年時代の描写から鮮烈だ。どんな難しい練習曲も「タッタタ、タッタタ」とたやすく拍を諳んじてみせ、音楽への情熱は人一倍。それに、いつしか世界進出する彼には無邪気で奔放なところもあって、そこがまた人を(特に女性たちを)惹きつける。
演奏場面で俳優の表情と手の動きをきちんと活写するあたり、相当な準備期間を経てこの難役に挑んだものと感じた。そして苦難に次ぐ苦難と対峙する後半は人間ドラマとして力強く、言葉以上に音楽が魂のうねりを代弁する。決してあきらめない。絶望しない。自分にやれる範囲で情熱を捧げる。その人生が巡り巡って音楽の響きにもいっそう輝きをもたらしているかのよう。本作を鑑賞後、この音楽家の演奏にもっともっと浸りたい思いで一杯になった。
端正な演奏と裏腹の軽率な“やらかし”の描写はラテン気質ゆえか
「20世紀最高のバッハの演奏家」と聞くとグレン・グールドを思い浮かべる人も多そうだが、それは置いといて。ジョアン・カルロス・マルティンス本人の音源が使用された演奏シーンは、超絶技巧から優美なタッチまで多彩なピアノ音楽の魅力を的確に描写し、彼の端正なピアニズムを効果的に伝える。
ただし存命中の偉人の伝記映画にしては「この話ぶっちゃけていいの?」と驚かされる“やらかし”がいくつか。娼館で初体験、数日入り浸って公演に遅れそうに。ひいきのサッカークラブが公園でボール回ししているのに飛び入りして最初の大怪我。バッハ全ピアノ曲収録中の外国の街で見知らぬ女に誘われ付いて行き夜道で強盗に襲われまた大怪我…。もっと慎重な性格なら経歴も随分違ったかもと思わせる。本人も監督もブラジル人なので、ラテン気質ゆえの大らかさか。何にせよ、単なる苦労話やお涙頂戴に仕立てず、お調子者っぽい側面も率直に描いた点は潔い。
浪花恋しぐれだよ♥
3年前に有楽町で見た。バックグラウンドで流れる音楽が、JAZZ、ボサノヴァ、ロックだったのは覚えていたが、伝記映画の領域で見ていた。だから、印象にも余り残らなかった。
(伝記映画なんて持ち上げ映画だからね。)
そして、
その後、この映画は、僕の記憶の恩讐の彼方になっていた。長い事、グレン・グールドの伝記と思っていたのだ。本日鑑賞してそれが間違いだと知った。
『芸術への執着は破滅的な探究』と彼が言うと
『破滅的な探究は性的衝動である』とカルメンは返す。
言い換えれば、『芸のためなら生活は二の次や』なのである。それは自由。しかし、彼の世界は浪花節の世界なのである。
グレン・グールドの生涯の映画でない事が分かって良かった。
しかし、googleレンズでは、『グレン・グールド』と判断する。つまり、彼はグレン・グールドをリスペクトしているのだろう。彼が少なくともグレン・グールドよりも優れているとかは思えない。また、ブラジル人としてのとアイデンティティが彼の行動を語っているとも思えない。あくまでも、彼個人の性的嗜好と見るべきだと思う。また、本当に凄い演奏家なのかは、僕は演奏出来ないので、判断でできない。
まぁ、グレン・グールド見たくハミングしないから良いとは思うが。
兎も角、僕はこの映画を再見して『バグダッド・カフェ』の黒人青年の姿を思い出した。芸術的な力量はこの映画の主人公の方が高いと思うが、邦題『マイ・バッハ』と『バッハを所有する』となれば、『バグダッド・カフェ』の黒人青年のほうがバッハに対する愛はあったと感じた。
天が与えた才能を使いバッハを愛したピアニスト
9歳であれだけ弾けたら皆んなに期待されるよね。
バッハの曲は難しいのにロマンティックで情熱的な演奏が出来てとても羨ましい!
音楽家の最後って大概貧乏で大変な末路だと勝手に思っていたけどこの映画のエンドロールを見て感動した!
とことん音楽をこの人は愛しているのが分かる。
本人の演奏をもっと聴いてみたくなる
映画って勇気を与えてくれて素晴らしい💓
良い作品、ありがとう。
芸術家はみんなこういうタイプなのかと勘違いする
芸術家はみんなこういうタイプなのかと勘違いしそう、今一彼のピアニストとしての素晴らしさが伝わりづらかった。偏屈で女好きの一面どころかそこしかなかったようなぁ。実在の人物なのでそこにドラマを求た自分も見立て違いでしたが。
ただやはり演奏シーンは聴き入ってしまうほどの迫力もあって、知っている曲が流れると興奮もするしもっと聴いていたかった。実際の音響を使っているとのことで納得。パラリンピックでの演奏シーンを見たかったと思うのは我が儘かな。自分で調べます。
音楽の神様は、いる。
ピアノの神童→ピアニストとして成功→花高々の最中右手をケガ→挫折。
やっちゃったよ。
でもそこからどう立ち上がっていくか。
約1時間ここまで。でも、まだ多分1時間あるけど?。
そこからが、興味深かった。
「人生のほとんどをピアノの前で過ごしたから、愛し方がわからない」。
なるほどね、その道の達人はだから不器用なのか。
そしてもう一度ケガをしてしまう災難。指に障害。もう再起不能だよね普通。
でも医師の言葉「ピアノ“は“弾けない」。
音楽を表現するのは、何もピアノだけじゃない。
そっか、そういうことか!。
印象的だったのが、一度挫折した時。
久しぶりにピアノに向かった際、アパートの住人からこんな苦情が。
「窓を開けて弾いてくれ、よく聞こえないじゃないか」。
自分の音楽を、聞いてくれる人がいる。きっと彼の励みになったでしょう。
なんでも作品中のバッハピアノ曲は(多分全編バッハ曲)。
実際のジョアン自身が録音した曲を、使っているとありました。
ピアノの音色が嫌いじゃなかったら、ぜひおすすめの1作。
後半からがグッときますよ。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「バッハの曲は、すべての演奏家のためにある」
ジョアン・カルロス・マルティンス
ブラジル生まれの天才ピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの伝記映画。
世界的に名は轟いていたが、不慮の事故により右手の指三本が動かなくなる。
その後も次々と試練が訪れるが、都度、乗り切って行くのがすごい。
芸術への執着は破滅的探求
「芸術への執着は破滅的探求」
これ、いつか見た光景です
僕も鍵盤を血で汚したことがあるから。
0か100かしか選べなかったぶきっちょな僕は、10年ほどバッハを弾いたあときっぱり音楽はやめ、膨大な書き込みのある楽譜も全部捨てました。
「神経を切って言語中枢を残すか、あるいは言葉は失ってでも手を温存するか」、
― ピアニスト、ジョアンが立たされたこの究極の選択は「弾くか」「死ぬか」の、つまり0:100の決定だったのでしょう。
凡人の僕は、鍵盤を捨ててしまっても こうして平気で生きていますが、ジョアンはそうではなかったはず。
DVDを、空いた時間に細切れで観たけれど、どの場面から再生してもあの本人の音源と、役者の一途さには、鼻水を垂らして僕は泣くばかりでした。
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【残った左手で弾く】
「左手のためのピアノ協奏曲」(モーリス・ラヴェル作曲)。
ジョアンの妻はこの譜面を、夫のために棚の下のほうから見つけ出して、彼のためにピアノの上に置いてあります。
いろいろの思いはおくびにも出さないで。
実は左手のための鍵盤曲はちゃんと世の中に存在していたのです
元々は右手を失った戦傷者のために創出されたと言われています。
日本では半身麻痺から再起したピアニスト舘野泉が有名。
シューマンも過練習で手を壊して作曲家に転向した人物。
時を見て、夫のためにラヴェルの楽譜をそっと出した妻=弁護士のカルメン。良き理解者。
【楽譜のネガの部分を弾く】
【フェルマータは延ばす印ではない】
モーツァルトやベートーベン以降の古典派の楽譜では、私たちが音楽室で習ったとおりで「フェルマータは延ばす印」です。半円の中に点のマーク。
しかし、それ以前のバロック時代においてはフェルマータの用法は逆です。真逆です。
⇒「延ばさないで止める」「残響を消すために止めて待つ」の意味なのです。
『そもそもイタリア語における"fermata"とは、「停止」を意味する名詞である(例えばバス停の標識には"Fermata"の表示がある)。』Wikipedia
楽譜の研究者が、
延ばすはずのフェルマータ記号が、バッハのスコアにおいてはどうもおかしい事、
つまり他声部は止まらずに流れているのに、(=つまり同時に全体が流れて行くはずのスコア楽譜なのに)、何故かひとつの声部にだけフェルマータ記号が付いているケースを発見し、バッハに代表されるバロック時代の、独自のフェルマータの用法・意義が判明したのです。
【バッハ弾きにおいては、フェルマータは「無音」指定】
ゆえに、そこを踏まえて、
僕がこの映画で特に心引く一語として残ったのが教師とジョアンの問答なのでした、
「君に奏でて欲しいのは静寂」
「音楽のポジではなくフイルムのネガの部分」
「休符だ」
ああ、これわかります!
僕もパイプオルガンを独習していてこの“秘密”を発見しました。演奏は埋めることではなく、引くこと。
音楽の奥義は音を出さないことなのです。
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【楽譜の指示する無音部分を無音として弾く】
①パイプオルガンは、他の鍵盤楽器と全く違い、音の頭に強音のアクセントを付けることは出来ない。そして他の楽器と異なる特徴としてはキーを押している間は音量は減衰なく、永遠にその音が鳴る。
②ところが、人は鳴り続けている音にはわりとあっけなく無感覚になる。音が切れた(静寂が戻った)瞬間に「音が鳴っていたこと」「音が消えたこと」に気がつく。
特にバロック様式の演奏において、旋律が複数絡み合う「多声音楽」では、聞こえにくくて聴衆の耳と印象に残りにくい内声部の音価は「敢えて短く切ってしまうことでその音が長く聴こえる」と言う不思議な手品が引き起こされるのです。
10延ばさなければならない音価の音符を、敢えて8で切って静寂を置くことで逆に指定されている10の音価が強調されて11に聴こえるのです。
⇒これこそがバッハの時代のフェルマータ。
例1:有名人が亡くなると、「巨星落つ」と報じられ、巷の人間は「へー、あの人はまだ生きていたのだなぁ」と知らされ、死によって命が持続していたことに気がつく。
音が終わること、命が終わること=休符と静寂の回復によって、それまで延ばされていた音は「鳴っていたこと」と「消えてしまったこと」との両方が同時に成立し、初めて音に印象と生命が宿るのです。
例2:潜水艦の映画を観ると必ず艦内に響いている「あの音」。「コーン、コーン、コーン・・」ご存知ですね?
機器が正常であり、順調に動いている合図の信号音なのだそうです。異常発生時には「音が消えることによって」艦員に緊急事態を知らせます。
警報ブザーやベルは電源喪失時には鳴りません。使えません。
だから「音が消えることによって」何事かを=異常を=知らせる方法を残してあるのです。
説明が長くなりましたが、
音の減衰のあるピアノやチェンバロならなおさら意識して音を消し、静寂をアピールしなくてはならない。
・・ジョアンの教師が「無音こそ音楽の生命だ」と教授したあのシーンには、我が意を得たりでした。僕しか知らない奥義だと思っていたので(笑)
ジョン・ケージは「4分33秒」という画期的な前衛ピアノ曲を作りました、興味のある方は動画検索して下さいね。
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それにしても
思わぬ所から=クラッシック音楽の郷里ではない遠い大陸から
ダンタイソン=ベトナム
ランラン=中国
アルゲリッチ=アルゼンチン
そしてバレエではジョルジュドン=同アルゼンチンなど、
奇跡のように突然変異の演奏家が誕生する、この現象は一体何なのだろうか。不思議だ。
本作中の録音はすべてジョアン・カルロス・マルティンス本人の物。
ジョアンのバッハはリズム重視。タンゴとサンバの血を彼は出自のベースに内包しながら、安易に南米風に、また万人好みのフュージョンに流れていく危険を徹底的に排し、バロック時代のバッハの楽譜に正面から向かっている。
この姿勢に、何よりも打たれた。
以上、
僕まで久しぶりに無我夢中になって、長文を書いてしまいました。
誰かが言っていた!諦めない事こそが才能!
全くノーマークで、緊急事態宣言の中、
スクリーン数の少ない極小ミニシアターは営業しており
お目当ての映画と二本立てだったので鑑賞!
凄かった!
小さなころから天才ピアニスト!それは間違いないが
海外に出たとたん娼館に泊まり込みって!
才能は有るけど破滅型の人間の話なのかな?
と思いきや、事故でピアノの道が危うくなっても
酒や女に崩れることなく、
鍵盤を血に染めて演奏を続ける執念!
その後も襲ってくる不幸に壊れることなく
音楽を追い続けるその姿勢が
表題のごとく
誰かが言ってた!「諦めない事こそが才能!」
正にその通り!!
この映画が実話で、映画の中の演奏シーンは
すべてホントの音って!!凄すぎる。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ノーマークだった映画を何かの都合で観たときに
「幸せな出会い頭事故!!」が発生するときが、まま、有る。
この映画もそんな一本!
ぜひ、チャンスがあれば若い人に観て欲しい。
才能があっても人生は一筋縄では行かないし
好きなことやりたかった事と今やってる事が多少違っても
本当にそのやりたかった事が自分の生きる道だと思うなら
王道以外にもその世界に接しながら生きる術は
自分次第で何とかなる!
広い視野で考えるヒントを貰える映画ですよ。
医者はそうは言ってない
映画「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」(マウロ・リマ監督)から。
作品冒頭に流される「芸術は痛みによってのみ完成される」というフレーズが
最後の最後まで、貫いていて、期待を裏切らなかった。
これだけの才能がありながら、無茶なことをして怪我をするのは、惜しい、
そう思った視聴者も多かったに違いない。
「新しい習慣は細い線に似ている。だが繰り返す度に線は濃くなる。
それが束ねられて太いケーブルになると、
我々の思考や行動にその習慣が深く染み込む」
それをピアニストとして実践し、大きな成果を上げた人生だからこそ、
有名になっても、酒や麻薬に溺れることはなく、
鍵盤を叩く指が大怪我をしても、前向きに捉え、努力を惜しまない。
両手が無理なら、左手だけで・・「左手のためのピアノ協奏曲」に挑戦、
しばらくして左手も使えなくなり、医者に断念を通告され、彼は落ち込む。
しかし、同伴した女性弁護士が、こう励ました。
「二度と音楽ができない」と言われた・・と投げやりな彼に、
「医者はそうは言ってない」とキッパリ。
「じゃあ、何と言った?」と聞き返す彼に、
「ピアノは弾けない、と」(言っただけよ)と、簡潔に答えた。
彼は、音楽を諦めろ、と言ったわけではないことを悟り、
指揮者として、活躍していく・・このストーリーが嬉しかった。
言葉に敏感だった女性弁護士のアドバイスは、彼に光を与えたよなぁ。
心技体
芸術が 心技体による最高のパフォーマンスによって傑作が生み出されるなら、ジョアン・カルロス・マルティンスは、体の怪我によって技が再現できなくなり、のちに心も崩れかけた。しかし芸術への渇望が消えなかったからこそ生きながらえながらも、晩年に渡って新たな芸術を生み出すことができた。ビルエヴァンスは天才的な美しさがありながらも長年の薬物によって人生を終えたが、ジョアンのピアノにはずっと変わらない情熱が宿っていた。心を鍛えるのは難しいが、最後は強い精神力が生を全うする為に大切だと感じた。昨年2020年にバイオニック技術を利用した手袋を使って20年ぶりにピアノを弾いている姿がSNS上で拡散され、見ていたが今回の映画で深い背景を知ることができた。
芸術とは痛みを伴う
題は英国の作家オスカー・ワイルドの名言を冒頭に用いた。映画の冒頭に流れた言葉であり、映画で切に感じた言葉だったからだ。右手に痛みが伴おうとも、言葉を2分しか話せずとも、白の鍵盤を血で濡らそうとも、ただひたすらにバッハを表現し続ける男、ジョアン・カルロス・マルティンスの生涯を、美しい音楽と共に追った2時間となった。
最初の妻(?)は、「辞書には芸術の追求により周りが見えなくなる。それは強い欲望だ(曖昧)」と言い残しジョアンの元を離れる。だがその後出会ったカルメンが「それは性的欲求と同じだと同じだと、心理学辞書が言っていたわ」と話す。この考え方の置換に魅了された。
私が言葉を重んじるように、彼らは言葉ではなく音符を、そして静寂を重んじる。静寂を大事にしろと若かりし頃のジョアンに話すレッスンの男性も素敵だと思えた。私も言葉と同様、静寂も大事にしたい。音楽に嗜みたい。強く思うことができた。
冒頭に述べたワイルドの言葉について。私は今のところ、創作を「楽し」んでいる。決して「痛い」と感じたことはない。音楽を嗜む彼らはきっと、痛いけれど、それでも気持ちがよい。否、それが自慰行為のようなものなのだろう。ランナーズハイと似たものだろう。私も時々貪るように文章を書くときがある。常にその域に達したら、どれだれ気持ちがよいのだろうか。
翻訳について。恐らくジョアンたちの公用語はポルトガル語だ。だからその部分は曖昧だが、英語翻訳について疑問を覚えた。翻訳には難しいのかもしれないが、日本語に訳すると、英語本来の美しさが霞んでしまうように思う。いつかそれを感じない作品に出会いたいものだ。私自身も翻訳に少し興味があるので、窓を叩いてみてもいいのかもしれない。
基本的に私は、数多のことを考えながら生きているし、物語を嗜む。しかしこれは音楽映画ということや、言語が日本語や英語ではないことも相まって若干のミステリアスを孕むからか、無心で見入っていた。ジョアンの激情からバッハやピアノに思いを馳せる二時間、大変貴重なものとなった。
「邦題」 がしっくりくる作品なのかも、と感じました。ピアノ演奏にひたむきに向かい合った一人のピアニストの物語です。
タイトルを見たとき「バッハの伝記映画か」と勘違い。
バッハの曲なら全て、譜面無しで演奏できる人の話だと分かり
ブラジルの映画ということも知り、興味がわいて鑑賞。
音楽を聴くのは好きなのですが
私自身、楽器の演奏は全く出来ません。 えっへん
なので、
「両手が別々の動きでピアノを演奏できる」
という人はそれだけで
尊敬の対象です。
そんな私にとっては
主人公のピアノを弾く指の動きの速さには
ただ驚くばかり。
メトロノームの刻むもっとも速いリズム
(なのかな?)に合わせ
超高速で鍵盤を叩く姿をみて
「盤上の筋肉体操」
「ピアノ演奏とは、かくも魂の荒ぶるものだったか」
と
息が詰まりそうでした。
◇
孤高の天才の生涯を描いたお話
なのかと、最初は思っていたのですが
少年時代も
大人になってからも
理解してくれる人が側にいました。
音楽家としては障害と戦いながらの人生ながら
そう捨てたものでも無かったようです。
(ただ、間男はダメでしょ )
◇余談
バッハ
音楽の授業で出てくるので
名前だけは知っていたものの、どんな曲が有名なのか
全く知りませんでした。
ネットでバッハの曲を聴きながら
レビューを書いていたのですが
息が詰まるような曲ばかりではなさそうです ほっ
「ネコ踏んじゃった」
この曲だけはピアノで弾けるというヒト
多くないですか?
(私もそうなのですが…)
簡単だから、という理由だけなのでしょうか ?
…
謎です
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
ジョアンのピアノと生き様に感動する逸品
Johann Sebastian Bach & João Carlos Martins❣️
今作はブラジルのピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスのアンソロジー。「20世紀最高のバッハの演奏家」と称されたということだが、クラシックの演奏家には明るくないので彼のことは知らなかった。
いわゆる神童だったのですね。若くして世界に出たのだが、人としては問題ありで、次々に遭遇する苦難も自業自得と言えなくもない。そんなダメなところも憎めないのは抜きんでた才能のせいか。
今作の演奏はすべてジョアン自身によるものとのこと。映画好きには欠かせないバッハの音楽が在りました。極上の音と下世話ながらも実に人間的なジョアンの生き様に感動する逸品であります。
感動☆彡
バッハの生涯かと思って見に行きました。
一人のピアニスト、しかもブラジル人のリアルな話
感動☆彡しました。
歳をとるごとにステージが上がるごとに
パートナー、環境が変わって
芸術とは、過酷な人生なんだなぁと。。。
ピアノ全て本人の音源ということなので
またまた感動☆彡しました。
芸術を追求した先は…
ピアノ経験者で、バッハが大好きな知人を思い出しながら観ていました。
もちろん主人公とは成し遂げた偉業が違いますが芸術を追求する人特有の頑固さ、ストイックさ、周りとは相容れない自意識の強さなど共通するものがあり、芸術がそうさせてしまうのか?それともそういう人種が芸術に惹きつけられるのか?どちらもありそうですが、彼の場合は原動力は芸術への探究心や情熱でそれに取り憑かれた様に突き動かされて生きているのだと思いました。
エンドロールでは彼が今まで行った慈善事業の数々が映し出され、彼が心から音楽を愛している事が分かり心温まりました。
音楽好きの方、ぜひ映画館でご覧になってみて下さい。
力強いピアノ大好き
鬼のような指さばきのピアノは
観るものを圧倒させます!
押し寄せる大波のような
力強く荒れ狂う旋律!音楽!オーケストラ!
音楽に魅入られた者の気概と人生を
ひとつの曲にまとめたような
素晴らしい映画でした!
これが実際に居た人の話だと
いうのだから世の中は恐ろしいですね!
真面目に育てられた童貞クンが
娼婦に飛びつく様が
またなんとも人間らしくて
素敵でした!笑
サントラ盤があればよかった!
子供の頃は内気ないじめられっ子タイプ。そのまま大人になったなと思って観てたら意外と女ったらしな面があり…
子供の頃から見てたけど、どこにそんな要素を持ってたんだ!?
コンサート始まっちゃうよ~
3日間ものあいだ練習しなかったとは、才能はあると思うけど、凄い自信だね!
ふむ…サッカー?
ピアニストって手を守るためスポーツは自粛するものだと思っていましたよ。
でも…好きに生きたいよね、分かる気がする。そうでないと貴方じゃない。
血みどろの鍵盤、窓を開けて地域住民に聴かせる練習、のエピソードが心に染みた。
エンドロールの本人映像は泣いた。パンフレットとサントラを買って帰ろう!と決心が固まっていたのに、無いみたいですね。
サントラじゃなくとも、ジョアンのピアノのバッハを買えば良いのでしょうけど。。
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