「【サンフランシスコの黒人青年達の哀しみと、それでも街を愛し、”誇り”を持って生きる姿を静かなトーンで描き出した作品。現代アメリカが直面している人種の分断を仄めかすように描いた作品でもある。】」ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【サンフランシスコの黒人青年達の哀しみと、それでも街を愛し、”誇り”を持って生きる姿を静かなトーンで描き出した作品。現代アメリカが直面している人種の分断を仄めかすように描いた作品でもある。】
ー冒頭から驚かされる。海岸近くの道の法面で、防護服を着た男性達が何やら”ゴミ”らしきもの拾っている姿。その脇を普通の恰好で横切る黒人達の姿。
遠方の遠浅の海に突き出た半島には、何やら工場らしきものが建っている。-
・主人公ジミー・フェイルズ(本人)と友人モント(ジョナサン・メジャース)はぼんやりと道沿いで何かを待っている。
”バスが来ない・・”
・目の前の海からは、目が両側に二つある奇形の魚が桟橋に打ち上げられている。
ーここは、サンフランシスコではないのか? あの建物はどう見ても・・-
・ジミーが大切にしているスケボーは、ファッションではなく移動手段であることが劇中で分かる。
ー彼は、車を持っていない・・。-
・19世紀ヴィクトリア様式の建造物が並ぶサンフランシスコ・フィルモア地区は且つて、日系移民が多数住んでいた。
が、戦時中の日系人の強制収容で黒人が住む町になっていき、今では富裕な白人層が住む地域になっている事。
黒人たちは別の地域で暮らしている事。中にはジミーのように友人宅に転がり込んでいたり、車で寝泊まりする者もいることが、徐々に分かって来る。
ーこの地域の、歴史的変遷がさりげなく描かれ、語られている。そして、黒人たちが置かれている境遇も・・。-
■印象的な事
・ジミーもかつては、祖父が1946年に自力で建てたという尖塔が特徴的な、フィルモア地区の豪華な館に住んでいたが、家族離散で今は友人モント(ジョナサン・メジャース)宅で暮らしている。
劇中で彼の父が家を手放し、現在は妻とも離縁している事が語られる。
ー道路わきには、黒人青年たちがぼんやりとした表情でたむろしている・・。彼らと、防護服の人々の道路を挟んでの対比の構図。-
・ジミーが且つての家の一部を、ペンキで塗りなおしているシーン。突然、投げつけられる食べ物らしきもの。
”何をやっているの!” この家の住民らしき初老の婦人から投げつけられた言葉。
ージミーは勝手にペンキを塗っていたらしい。だが、嫌がらせではなく彼がこの家を大切に思っており、手入れしていた事が分かる。ー
・ある日、その家が初老の夫婦の家が売り出されることになり・・、物語は少し動き始める。ジミーは違法だが、自分たちの家具をその家に持ち込み、住み始める。
一方、軋轢はあったが友人であった青年がある日、諍いから撃ち殺されてしまったと言う事実が告げられる。泣き崩れる一人の青年。皆、茫然としている。
そして、ジミーの家にも異変が起こる。ある日、家具が道路に捨てられ、家には大きく白人の不動産屋の顔が張り出されたポスターが・・。
その白人不動産屋から告げられた”幾つかの事”
ーあの家は、200万$もするのか・・。それに登記簿に記載されていた事は真実なのか・・-
ー亡き友を偲んで、モントが自作自演した一人劇。今作で、唯一、黒人の怒りが炸裂するシーンである。心に沁みる・・。-
■ナカナカ来ないバスの中での白人の女子学生たちの言葉。
”この街を出たいね・・。”
それを聞いたジミーが微笑みを浮かべながら言う言葉。
”この街を好きになってよ・・”
<劇中では詳しく語られないが、モントの家がある海辺の町から今や白人富裕層が住むフィルモア地区へのバスは、黒人居住区と白人居住区との分断を解消するために設けられたバス通学制度のために導入されたモノである。(昨年の民主党の候補者指名争いでの、バイデン氏とハリス氏の論戦は記憶に新しい・・。)
だが、そのバスは滅多に来ない・・。>