「ワイン醸造所にいたこともあるきりんです。」アナザーラウンド きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ワイン醸造所にいたこともあるきりんです。
黄桃の桃缶を開けた。
ブリキの缶に沈む黄色いお月様。
今夜のお酒は、大好きなあの桃缶の甘いシラップに、氷と炭酸水とジンビームをステアしたもので。
お酒が入れば つらつらと、よもやま話はとめどなく、今宵のレビューの行く先は、さあさ楽しき一人語り♪
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さて、
【 ちょっとだけアルコールの力を借りたい 】
って願うこの映画なんですよ。
わかるなぁー。
すごくわかる。
僕は、
僕にぴったりのいいカウンセラーや精神科医に出会ってみたくて、過去いくつもの扉を叩いてみています。
でも、中々いないですね。相性の合うカウンセラーって。
人の生死。苦悩。臨終にがっつり四つに組み合う仕事を、かつてやっておりました。
緊張しいの僕。慎重で完璧主義で疲れやすいのです。
「『ほんのちょっとお酒が入った感じで、心も体もリラックスできて、いくらか滑舌も良くなり、相手の欠点にも無理なく目を瞑れて、自他共に笑顔で和やかになれる前向きなお薬』なんて物はないんでしょうか?」とドクターにmedocineをリクエストしてみたこともあるのです。
注文が多すぎたでしょうか?いや、まだまだです。リクエストに更に付け加えてそのお薬の“アルコール濃度(効き目)”や“効能(味わい)”の希望も伝えます
「抗不安薬や抗うつ剤のような精神弛緩剤ではない物。頭脳明晰で、かつラッキーになれる、そんな上げ上げ気分をもたらしてくれる覚醒剤的なものを見繕ってよ」とマスター(医者)にカクテルを頼んでみたのですが
=これ、ミケルセンたちが試みたアルコール効果ですよね=
しかし、
あれこれ試してみてはダメ出しの連続。
結局「きりんさんご希望のそんなお薬はないんですよォ・・」との回答でした。
てか、どのドクターやカウンセラーも、 ご自身が苦難の最中におられるようで、まるで例外なく病人の面持ち。
なぜお金を払っているこちらが医者たちの悩みを聞いてあげる羽目になるのでしょうか。タメイキ。
「大丈夫ですか先生、ちょっと薬飲んで休んだほうがいいんじゃないですか」と何故僕が言わなくちゃならない?(笑)
結局望みの物(ブツ)は得られませんでした。
身を任せ切れないのは、カウンセリング学をかじった者の悲しき弊害であるかもしれません。
苦笑いでそれを報告すると「プロに金を払うより、友だちに話すほうが元気になれるんだよ~」と従兄妹(医者)のアドバイス。
これ、至極ご名答なのかもしれません。
ああ、なるほど、
◎本作映画「アナザーラウンド」は、ストーリーの主人公はお酒ではなく人間です。
お酒の味わいよりも「友だちの有難味を味わう」、まさにそのための映画でしたね。
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【友だち】
男たちの友情。この映画は大人のスタンド・バイ・ミー。
誕生会の席で、
“ミケルセンの異変”に気付いた同僚たちの、この付き合いの良さったら!これを親友と呼ばずして。
ストーリーが散漫にならずに堅実に進行するのは、ひとつの学校が物語の舞台となり、同じ職員室で声を掛け合う教師たちの、共有課題のエピソードだったから。
それぞれが専門とする哲学と、文学と、歴史と、音楽を、ごく自然に酒の席でも話題として交換し合えるし、
そこに心理学や精神医学も加わって、子供っぽいお遊びの実験を思い付くわけですよ、
「苦悩する自分たちを治験台にして『0.05%説』の有意性を確かめる実証実験をみんなで論文にまとめてみる」、
・・この前半のコミカルさが良いんですねー
チャーチルとヘミングウェイの酒の効用。
酒に溺れなかったヒトラーの件。
そしてエリツィンやらクリントンやら、
「各国首脳の飲んべえたち 御失態のアーカイブ映像」が挟まれていて、これは視聴覚教材としても秀逸!スクリーンに映る偉人たちの酩酊ぶりに館内からも笑いが。
「学校物」のうまい使い方。
前半はコミカルに。
後半はシニカルに。
しかし教師たちの悩みは教室の中だけにとどまっていた訳ではなくて、それぞれが会社を終えて退勤した後にも妻子との時間が苦しくて、実年世代相応の悩みに苛まれていた訳で。
それゆえ
“アルコール実験”は、教室では上々の出来であったにもかかわらず、実生活や家庭に於いては実験は大失敗。
中年男たちの惨劇も観せてもらいました。
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【デンマーク探訪】
コロナウイルスのおかげで移動自粛の時代。
もちろん海外渡航にも様々な制約があり、外国への旅行はほぼ不可能だったこの2年間でした。
モンゴル、ブータン、中国、チベット、モロッコ、イスラエル、ドイツと、これまでマイナーだった世界中の国から送られてきたフイルムで、映画で旅を味わう楽しさも知りました。
劇中で、
愛国歌「デンマークよ」と、「デンマーク国歌」が繰り返し歌われます。(愛国歌は高校の音楽室で。国歌はチビッ子たちのサッカー場と葬儀の式場で)。
高校生たちのはっちゃけシーンのBGMも、デンマークのバンドのもの。
本作、デンマークでの
・夫婦&家庭問題、
・PTAの教育問題、
・ホルモンバランスも崩れ始めた壮年たちのメンタル、
そして
・飲酒。
故国「デンマーク」にフォーカスをして、郷土への愛を惜しみなく注いだ、この映画の制作陣の“ふるさとへの想い”が実によく伝わってきましたね。
キルケゴールの冒頭の名言
「青春とは? 夢である。愛とは? 夢のなかのものである」、
によって、過ぎ去った青春への憧憬と、若者へのいつくしみを語り、
そして自らの過ちの経験からの、回生への招きを人々に語りかけるキルケゴール。
⇒失敗したときに大切なのは「自分の不完全さを認めること」。そうすれば「他者と人生を愛することができる」、
― この金言が静かに提示され、
人生の揺らぎと喜怒哀楽、お酒のほろ酔いと覚醒が重ねて描写されていったのは、とても面白いプロットでした。
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【でも決して明るくはないエンディングですよね?】
プロットは面白かったのです。
けれども何かしら、体育教師トミーの(予測されていたけれど)残念な死に様や、妻からの復縁希望(=男に都合良すぎるメール?)にも酒がまとわりつくし、
あのラストのミケルセンのダンスにもあまり“解放感”が感じられない。どこかしら逃れられない死とか、離別とか、挫折への「不安からの逃避のための酒」を少し多めに感じさせるエンディングであったような。
そんな気がしました。
【喪服だ・・】
そしてここまで書いてきてハッと思い出したのは、
・そもそも体育教師トミーは、あの晩の誕生会でのミケルセンの涙を見て、親友ミケルセンの結婚の崩壊と離職を食い止めるために、あの「酒飲みゲーム」に参加したのであったということ。
・そしてトミーはゲームにはまり、アルコール依存症から抜け出せなくなり死亡したという結末。
・トミー最期の言葉は
「俺はお前らマーティンとアニカを愛している、きっと二人はやり直せる」だったこと・・
葬儀の帰り道、黒い喪服でジャズバレエを踊るミケルセンは、悔悟と、友人への限りない感謝を込めて、トミーの死んだ海に向かって踊るのだから。
やはりね、
北欧ならではの日照量不足ゆえなのでしょうか?
0.05%をあっけらかんと持続させるような能天気なハッピーエンドではなかったなーと思うのです。
季節性うつ病(※)や自殺者も少なくないあの国での、答えの無さ感は
苦いアブサンや、“酔い醒めの空虚感”も舌の上にザラっと残るような、鑑賞後の後引きでした。
(※ちなみに阪大病院では「(元気になりたいのならアルコールではなく)朝の光を浴びなさい」と言われました。「光療法」です)。
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【キルケゴール】
それらこれらを踏まえた上で、
最後に言ってみたいのは次のこと。
勇気をもって、いろいろな手段・ツールをもって(そこにはアルコールやmedocineの力を試してみることも含めてもよい)、人生の思いがけない新しい展開を掴むために、インスピレーション発見の可能性を探るために ❰冒険❱をしてみるのは無意味ではない、ということ。
酒が人を救うのではない、
❰冒険❱こそが人を救うのだということ。
♪
弱い人間の挫折や揺らぎを肯定しつつ、飽くなき前進を勧める実存主義者セーレン・キルケゴール。彼の思想のエッセンスが、この映画全編に香る。
逸品でした。
「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない」。
「自己自身を選ぶための戦い、その獲得の行為を表す言葉、これが悔い改めである」。
Søren Aabye Kierkegaard
甘い桃のシラップに、ほろ苦いバーボンが旨いです。
きりんの独りがたり、お粗末様でした。
LEON/Yahoo ニュース2021.
11.18より
「フォークナー、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、オニールといったアメリカを代表する作家たち。そんな彼らがアルコール中毒に痛めつけられながら、傑作を書いていたことを如実に示した本がトム・ダーディスの『詩神は渇く―アルコールとアメリカ文学』(トパーズプレス)だ。
アメリカのノーベル文学賞受賞作家7人のうち5人はアル中で、作家の苦悩に酒が切っても切り離せない存在であることが、読めばよくわかってしまうのだ」。
きりんさんのレビュー、中身が詰まっていて自分にも心当たりが沢山ありました。デンマークの愛国歌の歌詞も書いて頂きありがとうございます。美しい。アンデルセンなんですね。
ドイツの国歌の歌詞も元々は、ドイツ、いつかはひとつの国になったらいいなあ、と当時(19世紀初頭)思って願っていたリベラルなインテリの一人のフォン・ファラースレーベンによるものです。それがナチの時代に国土拡大の意味にねじ曲げられてしまって、一番の歌詞は歌われなくなってしまいました。
今晩は
マッツ・ミケルセン観たさに、車を一時間走らせました。
で、大満足。
酒は大好きで、社内でも酒豪として知られていますが、最近は飲み会も出来ずに寂しい限りです。
今作の血中アルコール度数0.05%という考え方は、面白かったし、40過ぎの男同士の友情も素敵でしたね。
そして、自制が効かなくって、滅びる体育教師の姿もシニカルでした。
私は、35まで登山を遣っていた事もあり、料理は好きです。週末のエッセンは私が担当です。
如何に限られた時間で、手際よく美味い料理を作るか。料理は数学であるし、頭脳が必要だと思います。あと、経験も。ストレス解消にもなります。
そして、故伊丹十三氏も書かれていた通り、料理をしつつ、並行してドンドン台所を綺麗にします。
家人も酒飲みなので、子供たちが小さい頃から我が家は外食は殆どせずに、週末は家族4人で卓を囲んでいました。
で、大きくなった息子から言われた事・・。
”外食した記憶が無い・・”
私は、正しい姿だと思うのですが・・。では。
どこかしら逃れられない死とか、離別とか、挫折への「不安からの逃避」を少し多めに感じさせるエンディングであったような。
>確かにそうですね。死の匂いがしました。私も冬季鬱の気があるので、分かります。
劇中で音楽の時間に生徒たちが合唱する愛国歌「I Denmark デンマークよ」は
アンデルセンの詞にシアベクが曲を付けたものです
デンマークに生まれ、ここに暮らす
ここに根を生やし、ここから世界が広がる
デンマーク語よ、母の言葉よ
甘く、優しく、私の心に響く
デンマークの風吹きすさぶ海岸よ
いにしえの遺産が
リンゴ畑と麦畑の間に立つ
うるわしき国、デンマーク、わが祖国
夏には美しい花で野原はいっぱいになる
この海辺で寝そべろうか?
満月がクローバーの野原を照らし、
ブナの林は輝いている
・・
以下略
シアベク (Paul Schierbeck,1888-1949デンマーク)