いのちの停車場のレビュー・感想・評価
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命とは? 生きるとは? 真摯に考えさえられる良作
東映グループ・岡田裕介会長が陣頭指揮をとられていた作品。製作途中で帰らぬ人となったため、
岡田氏にとっての遺作。成島出監督がメガホンをとり、吉永小百合が自身初となる医師役に挑んだ
社会派作品。金沢を舞台に、在宅医療を通して同僚たち、患者、その家族との向き合い方を丁寧に描いている。
共演の松坂桃李、広瀬すずがラーメンをすすりながら語らうシーンは印象深い。こんなご時世だからこそ、命とは? 生きるとは? と真摯に考えさせられる作品。
駆け足の構成と、小さな違和感の積み重なり
現役医師で作家の南杏子による原作小説は、実質的に連作短編集。東京の大学病院で救命救急医として働いてきた主人公・咲和子がある事件を機に退職し、老父が暮らす金沢の実家に戻り、近くの診療所で在宅医として再出発する。
全編を通じて描かれる診療所メンバーや父との関わりを除くと、6人の患者やその家族とのエピソードがまさに短編集のように構成されており、これが少々せわしない。起(患者との出会い)→承(患者や家族との心の触れ合い)→結(過半数のケースで死別)というパターンが患者1人につき15~20分程度で繰り返される計算だ。小説であれば読者は自分のペースで一人一人の死にじっくり向き合えるが、2時間の映画に詰め込まれると、この患者さんが死んで次、次の患者さんも死んでまた次、と駆け足になり、個々の死が相対的に軽んじられてしまった印象だ。原作に忠実に構成するなら、1エピソードが1時間程度の連続ドラマの方が合う気がする。
小さな違和感を覚える場面もいくつかあった。大きな交通事故現場から搬送された複数の重傷者に緊急手術を施す冒頭では、ベテラン外科医・咲和子の口調が妙にゆったりして聞こえる。一分一秒を争うはずの場面で、切断肢などの描写もリアルすぎるほどなのに、吉永小百合の台詞読みに緊迫感が足りない。1945年生まれの吉永の年齢は70代半ばだが、咲和子の年齢設定はおそらく50代くらいだろう。咲和子の父親役に田中泯(吉永と同じ1945年生まれ)というキャスティングにも無理があるが、咲和子を50代とするなら一応つじつまは合うか。
共演に西田敏行、松坂桃李、広瀬すずをはじめ実力派の豪華キャストが揃ったが、ミュージシャン出身のみなみらんぼうと泉谷しげるの演技が気の毒なほど拙く、これもまた違和感。
在宅医療や安楽死といった重いテーマに真摯に取り組んだ姿勢は伝わるし、金沢の風情ある景色を背景に収めた映像も味わい深いが、駆け足の構成に小さな違和感が積み重なり、総じて物足りなさが残った。
家で最期を過ごす提案
救急一本できた医師が、
事務員が点滴を打つという事態の責任をとって、
地元に戻り地域医療に携わると共に、
高齢の父親の安楽死を検討するという脚本。
テーマ自体は現代的で重いのだが、
ツッコミどころが満載すぎて。
点滴を打つという失態をした事務員野呂が、
吉永小百合演じる医師咲和子を追いかけて金沢までやって来て、地域医療のまほろばで働き始める。
いや本当に罪に問われてないのか?
そこでも懲りずに、
厚労省大臣だった癌患者の最期に息子のふりをしたり、
医師免許がないのに小児がんの子と何度も面会し親以上に打ち解けている。
咲和子先生は、救急上がりながら、カルテが全部、手書きの驚愕。
痛みからの解放を求める父親について相談しに、まほろばのメンバー行きつけのモンゴルびいきの料理店に寄り、まほろば院長に相談したら、視聴者への説明のためなのか、院長が、咲和子の言わんとしている安楽死について悟るまで何度も聞き返す。ボケたか?と思った。
「また家族を失うんですね」と泣く広瀬すずに、
「野呂くんは必ず医師になって戻ってくるわ」
と看護師の心模様をわかっているのはさすがだが、
野呂はこれから医学部受験→国家試験→研修医と最低でも10年近くかかる酷なお知らせ。
わざわざ院長に相談に行ったのに、一方的に店を後にし、嫌な予感がすると駆けつけて来てくれた看護師にも上記の慰めにならない慰めのうえ、父親の安楽死に向かう咲和子。。
「この国では安楽死は犯罪です」というゴールを院長がはっきり述べていて、そこゴールならありえない選択となるはずだが、「でもこれは何度も父と話し合った私の結論なんです」と私の結論が上回ってしまう、医師咲和子。辛い心境なのはわかるが、役柄上豊富な医師経験を持つだけに、思考に違和感。
結局、タイトルの通り、地元のバス停が家族を出迎える想い出の場になっていて、その頃を思い出して、踏みとどまる=いのちの停車場となるのだが。
現代化についていかれていないおじいさんが、心の機微だけを追って書いた脚本。という印象。
私ひとりでならできないけど、みんなでならできる気がして、と長年の介護の中で手が回らずゴミ屋敷化してしまった患者の家を片付けるところはとても良かった。
父の提案で、しほりに寄り道してダベ煮を食べる場面も、おそらく一緒に食べる人生最後のダベ煮だろうとわかりながらの心境と、背景で川沿いに風になびく加賀友禅らしき反物の描写が印象的で良かった。
先進医療を勧めた幼馴染が先進医療の影響で亡くなるのも、咲和子にはとても辛かっただろう。
ただし、咲和子は救急で咄嗟の判断を迫られる場が長ったからか、四肢切断なども医療の目線でさっさと決められる一方で、地域医療という最期までをいかに生き生きと過ごすかという視点では、結末を出すのが早い気がした。
患者本人の意思も、延命治療の要不要の本人の意思も大切なのだが、遺された時間を濃くいきいきと過ごすための医師の目線を咲和子はこれから学んでいくのかなと最後の日の出シーンで感じた。
看護師の言う、院長と咲和子さんは全然違うという意味はそこかなと。
治療はどんどん技術が進むが、身体に負担がかかる。
できそうな治療をするよりも、しない決断をする、
いのちのしまい方。進んでいくルートから降りる、いのちの休ませ方。降りた後、囲んでくれる人がいたら暖かい。そのような最期の過ごし方はどうでしょうという、監督からの提案を感じた。
モンゴルびいきの食堂ご主人が言う、「パオ包」の全てを包み込む概念は、家族でも血の繋がりはなくても、一緒にいて支え合うという安心と強みがあって、命のしまい方にも繋がるから作品に取り入れたのだろう。
色々、考えさせられる作品
CSで録画視聴。ストーリーがちょっとわかりきっているのはマイナスだが、今の日本の医療社会を示すのに理解しやすい作品。
吉永小百合の演技はさすがだし、松坂桃李の演技も見事だった。
作品を観ると自分だったらどうだったかと考えさせられながら鑑賞した作品。
この展開でよい
今、見終わったばかり。
他のレビューでは展開が早すぎると言っている人が多いが、映画としてはこれでよい。最後の終わり方もよかった。
父は生きていたし、薬も使わらず、きれいな朝日を迎えられたのは、そういうことだと思う。みんな前向きに一歩前に前進しようとしていたし、そんな家族の成長とともに主人公も前向きになれたのであろう。
それにしても、だれにも訪れる重要なテーマで、しみじみ余韻に浸っている。
やや薄い
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医師試験に毎年落ちて医師になれず、大病院で事務職の桃李。
非常に優しく、子供が泣きわめくのを見てつい医療行為をしてしまった。
その責任を取って上司の小百合は退職。地元金沢で訪問医療に携わる。
そこへ追って来た桃李、院長の西田、看護婦のすずで家族同然になる。
でそこからオムニバス形式で5~6人の患者に対応するが大体死ぬ。
小百合の父は病により、慢性的な痛みに苦しめられてた。
そして尊厳死を希望し、小百合はそれを決意、西田にそう告げる。
で最後、思いとどまったのか、今からなのか、親子共に朝日を見て終了。
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いい作品だとは思うんだけど、オムニバス形式って薄く感じてまうわあ。
石田ゆり子のが一番泣けたけど、他のはそんなにいらんくない?
ってかどれか1つをメインにして焦点を当てた方がいいと思った。
オムニバスが終わったと思ったら急に父親の尊厳死の問題になる。
どうしても端折った感じは否めないなあ。
いつか訪れる死について・・・
金沢の主計町茶屋街近くの診療所を中心に地域の在宅医療、終末期医療に取り組む医師の目を通して、医療の限界と葛藤を描く社会派医療ドラマ。
想像はしていたが、テーマがテーマだけに子供から老人まで次々と死んでゆく患者を看取る話なので重苦しく辛い時間が淡々と続く・・。
名だたる俳優であれば演じていることが頭の片隅にあるので、まだ観ていられるが子供の場合はリアルに辛い。映画に登場することで死を定められたようなものだから希望の持ちようが無い無力感に付きまとわれる。
お年寄りが神仏に願うことは長寿でなくピンピンころりだそうだが納得してしまう。
映画を観ていられる日々の有難さを痛感すると共にいつか訪れる死について考えさせられる深い映画でした。
主役の吉永小百合が、医師らしくない
1=吉永小百合は、言葉遣いや行動等が医師らしくない
2=感動場面は少しあるが、観終わった後に余韻に浸れない
3=1945.3月生(映画撮影の2020年で75歳)なのに、50~60歳代の役
→ 多少の無理筋は、映画なので容認
吉永小百合のファンとしての感想
4=これが吉永小百合の最後の映画になるとしたら、少し残念
5=出来れば、大女優:吉永小百合らしさを強調した
ハッピーエンドの恋愛映画で終わって欲しかった
6=相手は、もちろん浜田光夫、一択
いのちのしまいかた
終わり方→しまいかた の表現が
とても心に刺さった。
医師、看護師、
医療の現場で働く方達には
本当に頭が上がらない気持ちでいっぱいになった。
自分の命のしまいかた、
そして、改めて
あたたかい家庭をきづきたいと
心の底から思えた。
引き締まりが…
救急救命の最前線にいた医師が終末医療に携わる様々な人達と出会い触れ合うことによって最後にあるべき物・事を想う。
これは救命の最前線の、人の命を救う立場の人が、様々な理由で治療がままならない人たちを見るうちに変わっていく様を見せる映画なんだと思うんだけど、いかんせん吉永小百合さんが最初から終末医療の先生みたいなもんだから転換がぼやけて分かりづらかった。最初の救命のシーンにキレと緊迫感がなく、声にハリがなくて穏やかだったから、もうそこから中々入り込めず。途中から『だとしたらこの役は誰がいいんだろう❓』って考えちゃうくらい。
松坂桃李と広瀬すずの主演と言ってもいい様な、もっとそっちを出してもいい様な。
えぇ。泣きましたよ。普通に泣きましたよ。
とても面白かったです。
良いも悪いも考えられないくらいに尊い内容
老若男女全て平等に与えられた命。しかし、その命の運命は知ることも変えることも出来ない。
そういった命にまつわる事を描いた映画である。
その映画について、描き方が云々、ストーリー性が云々、嘘臭い、演技が下手くそ、大根役者とか批判する人もいるだろう。
しかし、命というイシューにおいて真面目に向き合った内容で何もぶれてない。
命というイシューに冷笑する様な事は自分には絶対出来ない。
いい映画でした。
映画よりも、小説で読むことをお勧めしたい
原作の小説は、在宅医療での問題を、作者の経験を反映して、丁寧にまとめてあって、読みごたえがあった。
しかし、映画だと、脚本が、小説の肝心なところをはし折し過ぎてしまった箇所が目についた。2時間以内という制約はわかるが、リアリティは小説の1/5程度ではなかろうか?
この脚本だと、なぜ主人公が、東京の病院を辞めて富山の実家に行ったか、なぜ野呂君という若い男性が後を追ったのか、わかりにくいだろうと思う。
あと、個々の俳優さんは頑張っているのだが、他の人のレビューでも指摘されているが、キャスティングに無理がある。この作品のテーマの1つは、救急という人を「生」を保つという目的が明確な現場と、在宅医療という「死」に向かう患者と家族に何が大切かを考えさせられる現場の対比なのだ。そのため、最近まで、救急でバリバリの優秀な医師だったという設定が欠かせないので、原作通り60歳前後の女優さんを選んでほしかった。
大女優からの引き継ぎ
吉永小百合扮する救急医師白石咲和子は、責任をとり病院を辞めて生まれ故郷の石川県のまほろば診療所で在宅医療をやることになった。
吉永小百合の救急医は、ちょっと緊迫感に欠けていた様な気がするけれども松坂桃李と広瀬すずが三すくみとなって盛り上げた。特に憂いを含んだ眼差しを見せた広瀬すずが良かったね。将来の大女優からの引き継ぎの様なインパクトがあったよ。
じわじわと感じる映画
ストーリー自体既視感だらけの中身
ただ作り方が丁寧でその安心感で観られた感じです。
吉永小百合さんを主人公に使って作りたかったのは非常にわかる。
しかし田中泯さんが彼女のお父さんとか、救急医の責任者とか、誠に申し訳ないがこの年齢でそりゃないよなって部分のキャスティングのアンバランスさの違和感がずっと残ってしまった。
ここは50代年齢の女優を据えるべきだった。
何に忖度したのだろう。
子供のエピソードは反則
涙腺崩壊鉄板ですね。
吉永小百合さんは一体何歳の設定?
いくら見た目が若いとはいえ、同い年の人を父親役にするのは…
実年齢よりも20は若い設定でしょうか?
そろそろ年相応の役をさせてあげてください。
物語もラストが中途半端でモヤモヤが残りました。
終末期医療に一石を投じる作品。
2021年。監督:成島出。原作は現役医師の南杏子。
吉永小百合主演の医療ドラマです。
課題も山積みですが、とても考えさせられました。
これだけ高齢化が進む日本の現状です。
病院で死ぬか?
家で死ぬか?
現実は待ったなしです。
長年に亘り救命緊急医だった白石佐和子(吉永小百合)は、あるキッカケで、
父親(田中泯)の住む金沢に戻ります。
そして金沢で在宅医療医院「まほろば診療所」で医師としての再スタートをきることに。
在宅医療を行う「まほろば診療所」のスタッフ役の松坂桃李がとても良かったです。
医師免許に何回も失敗してる設定なのですが、彼の演ずる野呂くんが、
とても好きになりました。
(松坂桃李は普通の青年をこんなに自然に演じられるんですね)
野呂くんと小児がんの少女・萌(佐々木みゆ)との交流は良かった・・・
萌ちゃんがお父さんに言う「小児がんの子供でごめんなさい」
この言葉には泣かずにいられませんでした。
(野呂くん、本当に優しい。)
最後まで観ると、吉永の父親役の田中泯・・・これはもう入魂の演技で、言葉が出ないくらい素晴らしいです。
診療所日記・・そう言ってもいい程、患者さんが通り過ぎて行きます。
それも死期の近い患者さんが・・・
エピソードそれぞれがあまりに短いし、掘り下げが足りない。
伊勢谷友介、石田ゆり子、柳葉敏郎、小池栄子、といい役者が揃ってます。
みなさん、出演場面が少なく花を添えた程度でした。
特に伊勢谷友介のエピソードは尻切れトンボになり、ここは演出も苦しかったようです。
看護師として「まほろば医院」で働く広瀬すず。
彼女も辛い過去を抱えて生きてます。
自然な演技と可愛らしさ、やはり魅力的です。
西田敏行は安定です。やはりいい、好きです。
肝心の吉永小百合さん。
言いたいことはいっぱいあるけれど、76歳でまだ主演すること、
需要があるのは凄いことですね。
人間の終末期医療のあり方を考える問題提起の役割は果たしたと思います。
人間模様は、多くの人が経験すること、共感を持ちました。
「安楽死」
これは難しくて、どのように描いても描ききれない・・・
コロナ禍で「命の選別」が図らずも浮かび上がりました。
もう少し時間をかけて時期が来れば「安楽死」も進展するかも知れませんね。
「死」と向き合い「死」考えるキッカケとなる問題作だと思います。
サユリストのための映画
吉永小百合が映画出演122本目にして初の医師役を務めた話題作が公開されたのは、ほぼ1年前でしたが、ちょうど3回目の緊急事態宣言の最中で、映画館に行くのをつい躊躇していて観そびれていたものを、漸く1年越しにWOWOWで観賞しました。
とにかく、良くも悪くも今や唯一の国民的俳優・吉永小百合の、吉永小百合による、吉永小百合のための映画です。その存在感は際立っており、彼女が画面に現れるだけでストーリーに関係なく映像全体にオーラが迸り、映像に緊張感が漲ります。将に“スター”の貫禄です。
制作時には75歳を超える女優が、松坂桃李、広瀬すずという旬の人気若手役者を脇に率いて堂々と主役を張るという事実に驚かされます。普通なら老婆の脇役が然るべきなのに、その年齢感のない風貌には風格が漂い、年齢を超越した真の美しさが滲み出ています。而も興行収入も11.2億円を上げて、常に着実にヒットさせていることこそ国民的女優の証しだと思います。
先ず冒頭の、吉永小百合扮する辣腕医師・白石咲和子が遭遇する事件シーンの、緊迫感と間断ないカット割りのテンポの良さに、いきなりぐいと惹き付けられます。ただこの冒頭シーンは、本作の本来の物語である在宅医療診療しかも終末医療を主に扱うことへの伏線導入部のため、舞台が金沢に移った後は長カットでゆったりとしたテンポとなり、落ち着いて観られるようになります。
ただ手持ちカメラによるカットが異常に多く、画面が常に微妙に揺れていて、観ている方は船酔い気分になってしまいます。ストーリーが平板ゆえに画面に変化をもたらそうとしたのかもしれませんが、寧ろ落ち着かない印象です。
吉永小百合がキャリア医師役に扮するというユニークさはあるものの、そのエリート医師ぶりは冒頭だけで、金沢ではその反動でいつもながらの常識的模範的善人に徹し、而も深刻で重いテーマにも関わらず、寧ろそれゆえに幾つかの”死“を、穏やかに且つ厳かに描き出します。患者の命を救うことから、患者の意思を尊重するという大きなパラダイム・シフトで、真正面から捉えると重篤な社会的課題ともいえます。
ストーリーが非常にオーソドックに展開するのは、捻りを加えるには、登場人物に悪人がいないせいでしょう。波瀾もなく、カタストロフィも訪れない、従い観客はカタルシスを得られませんが、私のようなサユリストは落ち着いて安心してスクリーンに入り込めました。
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