ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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大好きな綾野さんの作品
年明け前から楽しみにしていました。
綾野さんが常々映画のPRで仰っていた、「ぜひ抱きしめてあげてください」という言葉の通り、主人公・山本賢治を抱きしめたくなるラストでした。どうしようもない結末に、涙が止まりません。悲しくも温かい、様々な形の愛があるのだと気付かされました。エンドロールで流れる主題歌、millennium paradeの「FAMILIA」でも涙でした。
美化されないヤクザ映画
冒頭、綾野剛がシャブの売人に暴力を振るう場面。久々に感じた生々しい狂気。娯楽とは異質の狂気。その瞬間この作品は期待出来ると感じました。
今までのヤクザ映画はアウトローの美学を描くなど美化された作品が多かったけど本作は全く別。
ヤクザとして人の道を外れた生き方をして来た人間がことごとく全てを失う。映画的なご都合主義的展開はなく主人公が(単純な意味で)救われる世界は存在しない。
この世界は全ての人がハッピーになれるような優しい世界では無い。そんな世界で自分はどう生きるか。
藤井道人監督作品の人間に向けられた真摯な目線が好きです。「デイアンドナイト」でも感じたビジネス前提の作品では得られない人間への深い眼差し。
個人的にはここ最近の綾野剛主演作で一番好きです。
"現代"のヤクザ映画
全体を通してなかなか良かった。 中盤から後半にかけて色々な人達の感...
無知は怖くて馬鹿は怖いもの知らず
これも家族
家族とは何か?、を問いかける映画監督と言えば、山田洋次や是枝裕和、旧くは小津安次郎が有名ですが、この作品はもうひとつ異なったアプローチで描かれています。
「新聞記者」の時もそうでしたが、この監督の作品って不思議と尾を引きますね。エンドロールが流れて、ああ終った…では無く、そこから新たに自分の中で何かがスタートする感じ。鑑賞後あれこれ考え込んでしまい、結果、何度も劇場に足を運んでしまう。
俳優陣の演技も見事ですし、映像、脚本、伏線の回収も素晴らしい。特に14年の歳月をそれとなく表現する手法、出所する主人公を迎えに行くヤクザの車がプリウスだったり、工場地帯の茶色く汚れた煙突の煙が純白できれいになっていたり、刑事の吸う煙草がアイコスに変わっていたり、なかなか芸の細かい演出。社会全体がエコでクリアーでケミカルに変貌し、もう(旧態依然とした)ヤクザには居場所が無いぞというメタファーに感じました。
まだまだ若い藤井監督(34)、是枝裕和(58)まであと24年、山田洋次(89)まであと55年、長い道のりですが良い作品を作り続け、ずっと感動させてくれると嬉しいです。応援します。
綾野剛を見直した
繋がり…
自分は人間関係に関して器用な方ではない。
ヤクザ映画はヤクザを善人に描く事も屑に描く事もあると思うが、どちらにしろ、
演者の格好良さはあれど、ヤクザを格好いいと思った事はないし憧れもない。
ただ思うのは、ヤクザと言われる人達は、一方では義理や人情を重んじるという意味で、今のネットの繋がりだけ(に自分が見えてるだけかもしれないが)で満足してる人達より、人間関係においては、多少は幸せなのかもしれない。本気で愛を持って接する関係。家族のように
が、その家族のために、家族のせいで、本当の家族を持てなくなる皮肉…
もちろん自分は、現実世界のヤクザを知らないし裏社会の事なんて知らないので、あくまで「映画の世界のヤクザ」強いては「ヤクザと家族」を観ての話だが。
舘ひろしと渡哲也、渡哲也と石原裕次郎
のような男が惚れる、男同士の関係には強く憧れる。
ヤクザじゃなくても、不器用でも本気な人間関係を、今のこのSNS時代だからこそ築いて行きたい。そんな映画だった。
お父さんてどんな人だったの?
最初、水から始まって嬉しかった。それが枠構造だと最後に分かってショックだった。でもその後に若い二人が「お父さんてどんな人?」彼女のお父さんを問う言葉でもあり、彼のお父さんの話を聞くことでもあるかもしれなくて、繋がるんだ、素敵な台詞だと思いました。
ちょっと前に見た「聖なる犯罪者」同様、1回でも悪いことしたら当たり前の生活も仕事もできないのは、人間が普通に生きる権利を奪われていることなんだと思う。一方で、すでに教師や聖職者である人、まして親が、生徒や子どもに向ける性的虐待や暴力に対しては、なぜ緩いんだろう?親や先生は怖くて子どもは何も言えない。それに性的な犯罪は繰り返される。
居場所がない子ども、両親含めて家族が居ない子どもたちを受け入れる場所を確保して用意して迎えることをしないでおいて、「ヤクザ」つぶしをするんで済むんですか?と、私は思いました。あまりにナイーブなことを言ってることはわかってますが。
綾野剛の眼が凄く良かった。あと彼が出る他の映画を考えると、声が全部違う気がした。話し方はもちろんだけれど、発声も声そのものも。
1999年パートのカメラワーク、凄くかっこよかった。賢坊の目から見た情景だった。
期待は外れた。配役、芝居は最高。でもね、、、😭😭😭
素晴らしい‼︎
最高だった。
新聞記者の監督がただのドンパチ映画を撮るわけない
と思ってたけど、
今日本でヤクザ映画撮ったらこんな感じになるのかと
憂い嘆き悲しみを感じました。
3部に映画は分けられるのだけど、
99年のヤンチャな時代は血湧き肉躍るって感じで
ワクワクする導入だったし
なんと言っても舘ひろしの登場シーンが痺れる。
タイトルロールの入り方もヤクザ映画の系譜を感じて
鳥肌がたった。
05年は充実のヤクザ時代。
バリバリ王道のヤクザ映画で興奮しました。
主人公始め周りのキャラも立ってて、
因縁も絡まりとても良かった。
19年ここが新境地という感じで、
内容的には鬱展開が続くけど、ヤクザの真実が描かれてて
こんな事になってたのかと驚愕すらした。
時代の変化、街の変化、人の変化が描かれてて、
日本の進んでる道は正しいのか?と感じました。
仁義なきから続くヤクザ映画。
ヤクザ映画はその時代その時代の日本が描かれてると
思うけど、大丈夫か日本?
住む世界はヤクザとは全く違うけど、
ずーんと気持ちが重たくなりました。
ただヤクザ映画の新しい傑作だと思います。
質が高く内容も良かった
正直、タイトルがちょっと…って思ってしまいますが、その思いとともに明確なテーマを見せつけられると、これ以上の題名は有り得ないと実感できました。
始まりの画面の妙な縮小具合にかなり違和感を持ちましたが、それも工夫であり、全体的に映像やカメラワークといったビジュアル的な創意工夫が見て取れて、とかく古めかしいものに陥ってしまいそうになるテーマを、見事に現代的なものに仕上げていた印象です。
栄枯盛衰を丁寧に描いていた内容に非常に引きつけられましたが、映像や音なんかでも見ている者を楽しませてくれる作品なのかなーと思いました。
著名な役者を揃えて、そのパフォーマンスが存分に生かされているところも魅力的です。
ここ最近見た邦画では、ここまで質と内容ともに素晴らしく感じた作品はありません。
最後思わず泣いてしまいましたが、それでも回顧主義とか暴力的な解決を良しとは思えないような作風(と勝手に捉えているのですけれど…)それも相当に良かったところです。
綾野剛と尾野真千子 10
カッコ悪くてもカッコ良く生きたい
ヤクザとして生きていくしかなかった男が、不器用ながらも愛を求め続けた物語。しかし時代は変わりゆき、残酷にも社会が存在を抹殺していく。それでも仁義を貫き、家族に憧れ、もがいた先の結末とは…
これは、ただの任侠映画でも救いのない物語でもなく、人それぞれの善も悪もリアルを描ききった作品。
反社への風当たりが厳しくなるなか、それが必要悪だとしても悪は悪だ。駆逐されるべきだと考える人が大多数だろうが、その大多数が当たり前のように生きている社会の裏に蔓延り、誰もが足を踏み入れる可能性がある世界で、そこで実際に生きている人たちがいる。みんな毎日食べていくことに必死なんだ。
そこに斬り込んだ作品。ただ残虐ななかにもクスッと笑える、その世界での日常の掛け合いもあり、緩急の使い方が流石である。みんな同じ人間だ。
『新聞記者』に続き現代社会をエンタメの力で軽やかに抉り、ますます藤井道人監督が面白い映画をつくっている。
目線のカメラで臨場感を演出したり撮影も巧み。そこ反射で映り込まないの?とヒヤヒヤするぐらい。笑
そして綾野剛の三時代を演じ分け、役の一生を生ききった芝居が素晴らしい。舘ひろしは渋すぎし、北村有起哉など実力派名バイプレイヤーたちが周りを固める。どの役もこの人しかいないという見事なキャスティング。綾野剛は『新宿スワン』と『日本で一番悪い奴ら』に続いて、こういう役が定着してきたか。
また主題歌のmillennium parade「FAMILIA」は、常田大希にしかつくれない異次元の曲。
あらゆるパーツにこだわり抜いた珠玉のファミリーでつくり上げた映画である。
日本社会の変遷と"古き良き(?)"ヤクザの衰退 --- 試写会
オヤジとアニキ。日本社会の変遷と共に描かれるヤクザの衰退、そして何より家族(像)の物語 =【父権・オヤジ像の変化?】。作中何度も映し出される【工場】から出る煙のようにやがて消えていく定めか……。
1999年パートからのタイトルで鳥肌。けど、ワルにはあまりに気の良さそうな弱っちい奴の末路や、主人公と関わる女性の気丈さ。…など、とりわけ2005年パートにおける脚本(設定、展開)の点での既視感にも似た普通さ =【王道】感は否めないが、それを問答無用力技に超えてくる脂の乗りきった演出。時に大胆に動き回るカメラワークはじめ、撮影が良い。暴力描写ばかりかアクションっぽいシーンにも挑戦している。話の筋自体は小細工抜き至極真っ当な脚本もまた、本作の大きく出たタイトルや家族写真的ポスタービジュアルのように普遍的で、作品としての受け皿を大きくするためかもしれないとも思えなくもない。一方でコミカルな瞬間も入れられるのは流石。ヒッチコックじゃないけど、観客の興味集中保つためにも緩急の付け方大事。大局的にいい塩梅になっているばかりか、作品を見終えたときにその作中で"浮いた"部分が決して悪い部分として目立つのでなく、むしろ二人のかけがえのない瞬間・時間として愛しさすらある。
綾野剛の演技に震えた... --- 以前、バラエティー番組か何かで「自分の声で演じたことがない」というような事を言っていたけど、正直あまり分かっていなかったかもしれない。今回、その意味を感じた。とりわけ2019年パートでのそれが、達観しているじゃないけど、山あり谷あり苦労してき(てトゲの抜け)た主人公・山本賢治の人生経験が滲み出ているよう。声という点では、それまで威厳・重厚感そして歴史を体現していた、作品後半の舘ひろしさんも同様。義理人情だけではやっていけない、避けては通れない盛者必衰の理。
【適材適所】全編にわたって、恥ずかし気もなく悪びれもせず、容赦ないほど最適な役柄にキャスティングの妙が活きていた。言ってしまえば演じている人だけで、既にもう「そのキャラクターはこんな人なのだろう」と推測できるような。組長"オヤジ"舘ひろしさんは勿論、他にも例えば、主人公の友人(というより地元の先輩後輩みたいな舎弟?オラオラ市原隼人と『アンダードッグ』の友人店長!)の2人も、実に彼ららしい。寺島しのぶさんのキャラクターは比較的薄かった。あと、一番分からないのは2019年パートでドライバーをしたりしている若い衆の存在。どういう経緯であんな所に入ってしまった?きっと監督の中では理由バックグラウンドがあったり、作中でもよく見ればそういうヒントがばら撒かれていたりしたのかもしれないけど、少なくとも自分は見つけることができずハテナ。甘い汁・旨味なさすぎるだろ。あと、若頭アニキのドラッグ問題、その後の本筋に影響与えないならさして描く必要も感じない。
最初の方では、血気盛んじゃないが、若々しくバキバキにギラついた色合いが次第に(というより2019年パート?)、淡く薄くなっていくのが印象的・象徴的だった。主人公の若さや尖り具合だけでなく、社会的なヤクザの威光・威厳や影響力を端的に表すパラメータのようだった。
俯瞰ショットと【水】。銭湯のシーンのファーストカットと、作中終盤での似た構図での、差異を伴う反復。話が一周して終わりが近いのを感じさせる。
過去の自分を救う --- そして父になる(疑似)親子。例えば、1999年/2019年両者目を引くほどパッとした金髪という点以外にも、主人公が最初に白色のダウンを着ているのに対して、もう一人の彼が赤色のアウターというのも、1999年パートにおける主人公と彼の白色ダウンが向かえる展開を考えると頷ける。これもまた差異を伴う反復で示唆的、重ねられる。20年の時を経て守られる側から守る側へと、一人の人生を追った一大叙事詩。終盤の展開は読めるものであったが、そんなことはこの際重要ではない。キャラクター達や主人公の動線・葛藤を汲んだときに、好き嫌い超えて、何とも形容し難いカタルシスを放っていたのは間違いない。
少し話そうっか。millennium paradeの手掛ける主題歌は、常田さんらしい真っ直ぐな歌詞と共に、音楽面でもこの上なく作品に寄り添っていた。2時間超本作を見てきた後に流れるこの曲がべらぼうに刺さる。僕たちもまた水の中みたい。そりゃ歌詞も載せたくなるよ、と。
THE
NORTH
FACE
ファーストカットから引き込まれた
愛を求め続けた1人の男の生涯
この作品はただのヤクザの抗争、任侠映画ではない。ヤクザという世界に身を置いてしまった男の儚く、切ない1人の男の生涯を描いた作品である。
キャストの皆さん全員がそれぞれの役を全身全霊で演じていたのを感じた。舘さん、磯村くん、市原くん、北村さん、駿河さん…いやこれほどまでに1人でも欠けちゃ成り立たないストーリーも珍しいんじゃないかと思った。
この長い年月で全く変わらなかったのは工場の煙突の煙だけだった。そして、車の車種や携帯で時代の移り変わりを感じた。彼が生きた3つのそれぞれの時代の彼の目の輝き、映る景色の変化にも注目してほしい。
家族になりたかった。家族が欲しかった。でも、彼の踏み入れたヤクザの世界は簡単に元の真っ当な人間の世界には戻れない刻印が押されてしまうのだ。
なんて皮肉なことだろう。家族ができ、オヤジから大きな愛で包まれることで、彼は生きていくことができた。でもその世界に入ってしまったこらこそ、愛する女と娘と一緒にいることもできなくなった。自分を慕ってくれた仲間さえも不幸に陥れてしまった。
ヤクザから足を洗っても、この現実の世界は彼を受け入れてはくれない。自分の居場所はもうどこにもなかった。
3人で囲んだ朝食の食卓、それは彼の唯一の幸せな家族の姿だったに違いない。
山本賢治はヤクザで生きていくしか道はなかったのだ。でも、本当は幼い頃から強がっていてもきっと、愛を求め続けていたのだろう。素直になれなかったし、なれる場所もなかったのだろう。
救ってあげたかった。守ってあげたかった。包んであげたかった。millennium paradeのエンディングで一層、涙が溢れた。まるで、彼を讃えるレクイエムのようだった。
道義和人情都贏不了錢!
由香的內心,始終盼望自己還是當年那個純情善良的小女生,那年不知人間險惡、不懂社會森羅的單純,讓她在任俠氣氛瀰漫的黑道勢力圈裡沒有真正被欺負,甚至讓她得到宛如道上鬼見愁的賢治喜歡,她還真不懂,不懂黑道打打殺殺是為何,更不想懂大人們在酒酣耳熱之後想做些什麼,對她來說,陪酒就是為了完成學業而做的一份打工,只要賺夠了錢就會離開。
由香以為一切都在掌握中,至少在她認識賢治以前,要是當初不認識賢治就好。
那年的由香只是個對社會險境沒有概念的大學生,賢治好奇了,什麼樣的蠢大學生會到黑道把持的俱樂部上班?既然都踏進那扇門了,理應懂得行規吧?賢治在柴咲組雖然還沒當上實質幹部,起碼也是擁有諸多戰功的組長義子,打殺狠勁已在道上闖出名號,這樣的他怎麼可能連個小陪酒女都要不到?
賢治覺得丟臉,又覺得有趣,這女孩,如果早一點認識她就好了。
「ヤクザと家族 The Family」描寫一段跨越二十年的黑道生態,二十年前的暴力團雖然臭名在外,但在日本社會還是扮演了一些平衡的角色,即使多半都在為非作歹,真需要有野性正義的時候,暴力團還是願意跳出來扛下壓力。
起碼一九九九年時還是如此,賢治就是在那時憑著一股狂傲受到老大柴咲博賞識而入組的;十年時間裡,他爬到組內相當於三把手的位置,柴咲組將要做大,同時也得剷除同地區的敵對勢力;那個時候,誰也沒想到接下來的日本社會將陸續出現重大變動,看似無解的各地暴力團會在短短幾年裡近乎瓦解,賢治也沒料到,他那般依靠的柴咲組即將面臨重大挑戰。
起因還是他的衝動。
為了柴咲組的未來,他不顧一切扛下罪責,認為只要蹲個幾年出來照樣驍勇善戰,然而,好不容易離開監獄,賢治才發現整個社會已經不認得了。
「ヤクザと家族 The Family」描述的這段歲月,正是日本暴力團從最猖狂走向破碎崩解的時間;一九九二年,日本正式頒佈「暴力團對策法」,同時指定多個重大暴力團組織加強管理,法令是公布了,只是上有政策下有對策,嚴格說來對於指定暴力團雖有限縮其生存的效果,可實質效益有限,中間即便經歷幾次小型修正依然如此,直到二零一二年「暴力團對策法」進行了強度更大的修改,此一法令修訂終於直接把中小型暴力團打垮。
日本人的民族性向來有很多眉角,修改後的暴對法掐中社會大眾對暴力團成員的印象與畏懼,裡頭的人知道黑道混不下去了,想從良竟還要付出長達五年的觀察期為代價,甚至,五年過後是否真能回到社會常軌也是未知數,就這樣,柴咲組面對了無法抵抗的衰退,副組長中村想盡辦法維持住這個幾乎形同解散的組織,只為了回報宛如父親的組長。
中村的心情跟賢治一樣,兩人能做的卻也一樣,留不住的,強留真的很難。
出獄後,賢治發現組長老大病了、沒以前光采了,也發現副組長中村眉頭更深了,最直接的感受是,組員散的散、退的退,連自己的手下細野都已從良多年,甚至有個普通家庭、有個不起眼的工作,當年的兇猛早已不復見。
到了一定年紀,想法都會有所成長與沉穩,十幾年後再踏進社會的賢治霎時覺得好難融入,即便如此,他還是想找到當年遠行之前那個短暫收留他的傻女孩。
說這是悲劇,一點不假。
我看到的悲,是賢治對人生無法選擇且不能掙脫的悲哀,被關了十幾年以後,他無力再去衝撞與改變,社會氛圍也不容他再有發難,他就想當個普通人都處處受限,以前血氣方剛的他哪能想像?而電影其實沒有偏袒主角的處境,當年賢治刀裡來槍裡去對民眾與社會造成的恐懼和危害,自然有其必須承擔的後果,跟以往極道類型電影相似的是,主角總要償還當年的債務,不同的是,這一還竟無絕期。
連當年力挺的手下與心儀的女人,都沒辦法接受被周遭的人冷眼以對的隔離感。
就是一種隔離,參與過暴力團的人只能得到這種對待,他們還是這個社會的一份子,卻不再是社會的中堅份子,能當邊緣人的已經不錯了,遑論還要有翻身的機會,細野體悟得徹底所以只能盡量遠離,賢治也不能多說什麼,只是不明白這個時代怎麼變成這樣?不只是道義人情不再,連溫度都消散了。
只有小翼,那個進去之前還是個小蘿蔔頭、出來後居然已獨當一面的小翼還挺著賢治。
然而,「ヤクザと家族 The Family」雖然描寫了二十年來日本極道組織的興衰與發展,早年的俠義精神當然是會讓人動容的,可是暴力毀壞的本質沒變,電影也隱隱呈現當今日本暴力相關組織的變化,既然進展到了網路世代,老古板自然會被淘汰,底層的需求與脈絡沒有改變,暴力團在做的事情也沒改變,只是運作型態變了、賺取方式變了,一旦成為網紅所擁有的力量與影響力可就不是組織內的幾個小弟追隨而已,是不是有點熟悉?
網路應用套在暴力團等極道組織身上,不啻也敲響了新世代的警鐘,如果真成氣候,究竟什麼才會是正義?而極道家族又有什麼必須與必然?
現代社会の問題を焦点にしている
家族が欲しかった男と、それを許さない社会の物語
いわゆるゴッドファーザー的なヤクザの“ファミリー”だけではなく、様々な家族が描かれていました。
エンドロールで、よりテーマが強く浮かび上がる親切設計なので、最後まで席を立たずに余韻に浸って欲しい!
人生を踏み間違えた奴の再生物語はよくあるけれど、企業がコンプライアンス厳守で、反社チェックと公務員にピリピリしているこのご時世に、よくもまあヤクザ側にスポットを当てた映画を作ったもんだ。
ちょっとでも取り扱いを間違えたら大事故になりそうな領域に、わざわざ自ら斬り込むなんて!
『新聞記者』に続き、社会から抹殺されていく側の声なき声をすくい上げる、監督の漢気(おとこぎ)が胸熱。
しかも商業映画の規模で社会に噛みつく映画を撮れるのは、藤井監督ぐらいしか居ないのではなかろうか?
三つの時代が描かれますが、現代のパートに全てが繋がり集約されています。
行き場を無くしたヤクザ達は、人生をやり直す事もできない。
SNSで情報が拡散され、巻き込まれたくない者たちは、単純に“排除”を選択する。
もちろん反社会的勢力は、いて欲しくない存在だし、
いろんな権利を剥奪して「ああはなりたくない」と思わせる事も大切だけど、
社会的信用が無く、携帯も契約出来ずに、サウナにも行けない彼らは、いったい何処に居場所を見つければ良いのか?
結局は同じ世界から抜け出せず、巧妙に形を変えた犯罪が生まれるだけなのでは?
それに、復讐といった負の連鎖にも同じ事を感じます。
未来の為には、どこかで断ち切らなければならない!社会がすべきことは、もっと前の段階…道を踏み外す前の段階にあるのでは?
バイクの音が聞こえるシーンが切なく、
「だから三つの時代を描いたのか…」と府に落ちました。
主人公が命をかけてでも未来に残したかったものが出会うラストは、胸が締め付けられる思いの中で、暖かい涙が流れました。
とにかく綾野剛くんが可愛い!!
ヤバイ目つきのヤバイ奴ですが、ファミリーを得て守る者が出来てから表情が豊かになって、むしろ止められない感情に、こっちまで引きずり込まれます。
仲間を失った時の表情とか、たまらん。
母性本能をくすぐられると言うか、尾野真千子でなくても守ってあげたくなりますわ〜(*´Д`*)
舘ひろしが渋い!もちろん組長としてのオーラもありますが、恐ろしさと言うよりダンディが勝っている感じで素敵でした。
焼肉屋の寺島しのぶも良いし、尾野真千子は圧巻でした。
とくに職場で否定するシーンが最高!
『新聞記者』は青い炎のような映画だったけど、こっちは赤い炎のような映画。
アクションシーンはもちろん、大きく動くシーンが多くて楽しんで撮っている感じがしたし、ものすごく役者の演技に任せている部分もあって、違ったイメージで楽しめました。
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