「1999年。両親を亡くして、荒れた生活を送る二十歳そこそこの若者・...」ヤクザと家族 The Family りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1999年。両親を亡くして、荒れた生活を送る二十歳そこそこの若者・...
1999年。両親を亡くして、荒れた生活を送る二十歳そこそこの若者・賢治(綾野剛)。
先ごろ死んだ父親は覚せい剤使用の果て、頼りの薬を得られなくなっての自殺だった。
それからすぐのある日、行きつけの韓国料理の食堂で、居合わせた柴咲組の組長・柴咲博(舘ひろし)を、敵対する暴力団のチンピラによる襲撃を救う。
それからほどなく、町中で覚せい剤を売っている輩を襲撃し、彼らの薬と金をまんまと奪取したが、それがバレ、暴力団員に拉致されてフルボッコ、命を失う寸前のところで、柴咲組組長の名刺が出て来て、命拾いをする。
それが縁で、賢治は柴咲博は「親子の盃」を交わすことになる・・・
といったところからはじまる物語で、物語はその後、2005年と2019年との3つの時代を描いていきます。
覚せい剤には手を出さない柴咲組組長と、覚せい剤を憎んでいる賢治は、世間のレールの上では生きていけない何かしらのはみ出し者(アウトロー)ではあるが、いわば昔気質のヤクザという設定。
心底の共通点がある故の、ファミリー、疑似家族というわけである(心情的には、ほとんど家族である)。
そんな彼らが、本家を同じくする敵対組織との抗争になり、賢治が相手組織の若頭を殺(と)り、服役するまでが2005年の物語。
ここまでは、これまでのヤクザ映画とあまり変わらない(というか、ほとんど似たか寄ったか)。
ただし、町の臨海部にそびえたつ工場群のインサートショットを含め、藤井道人の演出は堂々としたもの。
『新聞記者』で現代社会への問題提起をした監督にとっては、描きたかったのは2019年のパートだろう。
暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が施行されたのち、かつては必要悪という認識(多かれ少なかれの差はあれど)だったヤクザたちは、ほぼ絶滅危惧種、というか、存在自体が否定される状況となり、ヤクザをやめてからも、暗黙の「5年ルール」で人間としての権利を奪われてしまう。
それに拍車をかけるのが、SNSを通じての同町圧力で、賢治の舎弟だった細野(市原隼人・好演)がヤクザをやめ、産廃処理作業員として生活していても、生きづらさを吐露するシーンは胸を締め付けられる。
そんなヤクザの地位に取って代わったのがシロート集団、いわゆる半グレたちで、かつての柴咲組のシマでブイブイいわせている。
そのリーダ格が、行きつけの韓国料理の食堂の息子・翼(磯村勇斗)で、彼は、自分の父親がかつて柴咲組組員で敵対組織から殺られたことを長じてから知り、父親の仇を討ちたいと、心の底で望んでいる。
終盤、映画のキーになるのが細野と翼で、現代社会を描くには必要な設定で、なるほど、と思うのだけれど、最終盤になってから、賢治のヒロイックな行動と悲劇的な結末が、どうも嘘くさい。
いや、娯楽映画と肚をくくっての映画ならば、このヒロイック悲劇もある種のカタルシスになるのだろうが、藤井監督にはもうひとつ斜め上を目指してほしかった。
賢治のヒロイックな行動で救われた(かのようにみえる)ふたりが出会うラストは、やはりひと昔以上前の映画の決着点にしか見えず、個人的には、登場人物だれもがバラバラになってしまうようなラストがよかったのではないかしらん、と思う次第です。
とはいえ、力作であることは確かですが。
映画を観終わって思い出したのは、ドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』(これは観る前から想起していましたが)と、金子正次脚本・主演、川島透監督『竜二』です。