「親は選べない・工場から出る煙とは」ヤクザと家族 The Family Yushiさんの映画レビュー(感想・評価)
親は選べない・工場から出る煙とは
僕はこの映画を観てまず初めに思ったことは「ああ、僕が育った環境って恵まれてるんだな」という事である。
子供は自分の親を選ぶことができない。でも、どんな親のもと(またはどんな環境)で生まれ育つかって、結構重要だったりする。なぜなら、これから生きるための羅針盤のようなもの、「価値観」というのは、生まれ育った環境で潜在的に刷り込まれていくからだ。
たとえば、知的な親のもとでうまれた子供は、その家族の持つ「空気感」というべきものに誘導されるように、自然と勉強するようになる。そして頭のいい大学に入り、安定した職を手にし、安定した生活を送ることができるだろう。
木村翼(磯村勇斗)は、山本賢治(綾野剛)たち柴崎組が入りびたる食堂で育つ。はたしてそんな食堂で育った子供が勉強をしようと思える価値観を養うだろうか?お父さんが柴崎組の元若頭というのもあるが、賢治たちに憧れて育った翼は、案の定社会のダークサイドで生きることになる。別に、知的な価値観を持った子供が幸せだとか、そういったことを言っているわけではない。言っているわけではないのだけれども、選んでもない環境で育ち、選んでもない価値観が刷り込まれ、そして自分の価値観のもとで正直に生きた結果、社会的弱者になるというのがなんとも虚しいというか、やりきれなさを感じた。
この作品ではしつこいと感じるほどに、工場で煙が吐き出されているシーンが映し出される。その描写は、おそらく町の開発を示すとともに、社会全体の発展も示しているだろう。その工場が映し出されることが、工場が稼働することとイコールであれば、工場がよく映し出されるのは工場がよく稼働していることを示すことになる。工場が稼働すればするほど、すなわち社会が発展すればするほど、柴崎組はどんどん危険な立場に追い込まれていく。そして皮肉なのは、賢治にとっては「工場」は柴崎組を弱めた「悪」であるのに、組をやめてまともに生きようとするならば、その「工場」の下っ端で働かざるを得ないという事だ。
まともに生きようとする賢治だったが、同僚にSNSで元ヤクザであることをばらされ、その波紋が賢治の家族にも及び、一家は破滅する(ばらした張本人は「こんな大事になるとは思わなかったんですー!」と泣きすがる。しかしながら、SNSの流出事件ってこんな軽い気持ちが動機なのだろうか。そんな遊び感覚で人生をめちゃくちゃにされたらたまったものじゃないが、おそらくこれが現状なのだろう)。
「工場」とSNS…。
果たして、賢治は「何」に殺されたのだろうか。藤井道人監督の怒りの矛先が、なんとなくわかった気がした。