劇場公開日 2021年1月29日

  • 予告編を見る

「日本社会の変遷と"古き良き(?)"ヤクザの衰退 --- 試写会」ヤクザと家族 The Family よしさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0日本社会の変遷と"古き良き(?)"ヤクザの衰退 --- 試写会

2021年1月21日
Androidアプリから投稿

オヤジとアニキ。日本社会の変遷と共に描かれるヤクザの衰退、そして何より家族(像)の物語 =【父権・オヤジ像の変化?】。作中何度も映し出される【工場】から出る煙のようにやがて消えていく定めか……。
1999年パートからのタイトルで鳥肌。けど、ワルにはあまりに気の良さそうな弱っちい奴の末路や、主人公と関わる女性の気丈さ。…など、とりわけ2005年パートにおける脚本(設定、展開)の点での既視感にも似た普通さ =【王道】感は否めないが、それを問答無用力技に超えてくる脂の乗りきった演出。時に大胆に動き回るカメラワークはじめ、撮影が良い。暴力描写ばかりかアクションっぽいシーンにも挑戦している。話の筋自体は小細工抜き至極真っ当な脚本もまた、本作の大きく出たタイトルや家族写真的ポスタービジュアルのように普遍的で、作品としての受け皿を大きくするためかもしれないとも思えなくもない。一方でコミカルな瞬間も入れられるのは流石。ヒッチコックじゃないけど、観客の興味集中保つためにも緩急の付け方大事。大局的にいい塩梅になっているばかりか、作品を見終えたときにその作中で"浮いた"部分が決して悪い部分として目立つのでなく、むしろ二人のかけがえのない瞬間・時間として愛しさすらある。
綾野剛の演技に震えた... --- 以前、バラエティー番組か何かで「自分の声で演じたことがない」というような事を言っていたけど、正直あまり分かっていなかったかもしれない。今回、その意味を感じた。とりわけ2019年パートでのそれが、達観しているじゃないけど、山あり谷あり苦労してき(てトゲの抜け)た主人公・山本賢治の人生経験が滲み出ているよう。声という点では、それまで威厳・重厚感そして歴史を体現していた、作品後半の舘ひろしさんも同様。義理人情だけではやっていけない、避けては通れない盛者必衰の理。
【適材適所】全編にわたって、恥ずかし気もなく悪びれもせず、容赦ないほど最適な役柄にキャスティングの妙が活きていた。言ってしまえば演じている人だけで、既にもう「そのキャラクターはこんな人なのだろう」と推測できるような。組長"オヤジ"舘ひろしさんは勿論、他にも例えば、主人公の友人(というより地元の先輩後輩みたいな舎弟?オラオラ市原隼人と『アンダードッグ』の友人店長!)の2人も、実に彼ららしい。寺島しのぶさんのキャラクターは比較的薄かった。あと、一番分からないのは2019年パートでドライバーをしたりしている若い衆の存在。どういう経緯であんな所に入ってしまった?きっと監督の中では理由バックグラウンドがあったり、作中でもよく見ればそういうヒントがばら撒かれていたりしたのかもしれないけど、少なくとも自分は見つけることができずハテナ。甘い汁・旨味なさすぎるだろ。あと、若頭アニキのドラッグ問題、その後の本筋に影響与えないならさして描く必要も感じない。
最初の方では、血気盛んじゃないが、若々しくバキバキにギラついた色合いが次第に(というより2019年パート?)、淡く薄くなっていくのが印象的・象徴的だった。主人公の若さや尖り具合だけでなく、社会的なヤクザの威光・威厳や影響力を端的に表すパラメータのようだった。
俯瞰ショットと【水】。銭湯のシーンのファーストカットと、作中終盤での似た構図での、差異を伴う反復。話が一周して終わりが近いのを感じさせる。
過去の自分を救う --- そして父になる(疑似)親子。例えば、1999年/2019年両者目を引くほどパッとした金髪という点以外にも、主人公が最初に白色のダウンを着ているのに対して、もう一人の彼が赤色のアウターというのも、1999年パートにおける主人公と彼の白色ダウンが向かえる展開を考えると頷ける。これもまた差異を伴う反復で示唆的、重ねられる。20年の時を経て守られる側から守る側へと、一人の人生を追った一大叙事詩。終盤の展開は読めるものであったが、そんなことはこの際重要ではない。キャラクター達や主人公の動線・葛藤を汲んだときに、好き嫌い超えて、何とも形容し難いカタルシスを放っていたのは間違いない。

少し話そうっか。millennium paradeの手掛ける主題歌は、常田さんらしい真っ直ぐな歌詞と共に、音楽面でもこの上なく作品に寄り添っていた。2時間超本作を見てきた後に流れるこの曲がべらぼうに刺さる。僕たちもまた水の中みたい。そりゃ歌詞も載せたくなるよ、と。

THE
NORTH
FACE
ファーストカットから引き込まれた

とぽとぽ