「我」哀愁しんでれら U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
我
決して後味のいい作品ではなく、タイトルから連想するようなファンタジーでもない。
ただ…今の時代、生まれるべくして生まれた作品なのだろうなと思う。
脚本が巧妙なのは「弱点」を的確に突いてくるところだ。その人物とその変遷にあまり矛盾を感じない。最後の暴挙は飛躍しすぎかとも思うが。元から脚本でもあるかのように澱みなく滑らかに破滅へと進む。
いや、脚本はあるんだけどさ。何て言うか紆余曲折というか葛藤みたいな箇所が抜け落ちてるって事だ。
このレビューのタイトルを「不信」にしようかとも思ったのだけど…結果論的に排他的な進化を遂げた自我というものが印象に残ったので「我」となった。
今の教育がどおいうスタンスかは分からないのだけれど、ちゃんと叱る事は必要だと思える。
躾ないと、子供は暴走するのだ。
冷静に考えても、子供なんて本能で動く。獣と大差ないのだろう。理性というものが芽生えた後「人」として歩き出すのだろうと思う。
そこを履き違えてはいけない。
個を尊重する事は確かに大切ではあるけれど、その前段階として尊重されるべき個である資格を、どうにかして身につけさせてあげるべきなのだと思う。
劇中の子役が置かれている環境は分かりやすい程のステレオタイプではあったけれど、彼女のような待遇を受けてる子供達は珍しくはないと思うのだ。
いわゆる肯定を前提に我慢などの抑制を蔑ろにされてきた子供達だ。極端な方向性ではあるものの、その方向に育つ可能性は否定できず予備軍はたくさんいると思う。
その土壌は「親としての自信の無さ」なのだと思う。
皆、不安だとは思う。
子育てという仕事は、何が正解かも分からないまま責任だけを背負わされる。
マニュアル至上主義の世代には、禁忌とも思える。
そこに登場するのが世論だ。
こうするといいですよ。
これはダメですよ。
皆、気付いちゃいないだろうが藁をも掴む勢いで、それに飛びつくのだろう。
ところがどっこい、子育てなんてものはそんな画一的なものであるわけがない。
当然上手くいかないのだけれど、その藁を放棄する勇気もない。そして田中氏が語るような父親像が出来上がる。
「子供の為なら何だってする。命さえいらない。それが親たるものの覚悟だ。」
…馬鹿言っちゃいけない。
親である覚悟はそこじゃない。
「何としても、この子を真っ当に育てあげなければ」だ。命を賭けるとするならその一点のみだ。子供を守る為に命を賭けるのはオマケみたいなもんだと思う。
暴君を暴君のまま野放しにしてはいけないのだ。
勘違いした守るという行為は、野放しにする行為と大差がない。
かと言って、親としての自信などすぐさま出来るものでもなく、そもそも自覚できるようなものでもない。
ただただ「親」なのだ。
おばぁちゃんが言ってた。
「親になるのと、親である事は違う」
禅問答のようだけど、歴然とした差がそこにはある。
後付けで、親たる者になれるようなモノでもないし、むしろ成ろうと思って成るような立場でもないのだと思う。
でも、そこには明確な基準だけがある。
それもまた「一般論」という魔窟だ。
それが出来てなければ否定だけを確認できるシステムがあるのだ。自身への不信だけを煽るシステムだけがある。
その結果が後半の土屋さんなのだと思う。
見事な思考停止っぷりだった。
自分のキャパを超えた時、声高に叫ぶ連中に迎合するのは楽なのだ。「右向け右」その号令に従ってるうちは異端というレッテルを貼られなくて済む。
不確かな「普通」というカテゴリーから逸脱しないって安心感が自身の正当性を立証してくれるのだ。
そんな内容の物語で、ほぼほぼシンデレラに由来するものは無いように思う。
土屋さんと子役のCOCOさんは秀逸だった。
本当に後味は悪いのだけど、色々と考えさせられる作品で、ご時世だなあと、予備軍がひしめく後世を憂う。
「全部諦めれば楽になる」とかは暴論ではあるけれど否定しきれない台詞だと思う。
例えば「未来に期待するのではなく、今を積み重ねる」とかなら、同じ意味合いだとしても暴論には聞こえないようにも思う。
ナポレオンボナパルトの格言を引用したりもするけれど、ナポレオンの偉業は語られてはいても、その事がその人格にまで及ぶ事ではなかろうに。
皆、滑稽な程、何かに縋りたいのだろうな。
とはいえ、正解が分からないまま選択だけを迫られる恐怖は、体感として理解できる。
だからこその後味の悪さなのだろうなぁ。
「じゃあ、どうすれば良かったの?」
その答えは、神のみぞ知るのであろう…。
■追記
皆様のレビューを読んで「シンデレラのその後を描きたかった」との意図が監督にあったと知った。
そして、とある疑問が浮かぶ。
「なんでそんなモノを描きたかったのだろう?」と。
いわゆるハッピーエンドを全否定なのである。
ふとしたボタンの掛け違いや、たった1つの不安で人生は容易に歪んでいく。
ともすれば、裕福である事は幸福に直結しないとか。
ネガティブなメッセージばかりを読み取ってしまう。
そんな事を薄っすら考えると、だからこそ頑張ろう等という応援的な作風ではなく、そんな虚像を植え付けられ、ソレを欲する者達への嘲りにも感じる。
希望は本質的に更なる不幸を産むための餌なのだとか、おおよそ負の感情から発信されたかのようだ。
どなたかのレビューに「こんな作品作るもんじゃない」とあったけど、微妙に腑に落ちた。