ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれからのレビュー・感想・評価
全36件中、21~36件目を表示
心の文字を書け!
「ラストレター」「mellow」「パラサイト 半地下の家族」など、2020年に僕が見た映画には『手紙』が良く出てくる。メールやLINE全盛で、直筆の価値がより高まってる現状が伝わるなかで、最もその価値に向き合わせてくれる映画が本作かもしれない。
アメリカの映画で中国の女優が主演という意欲作。
登場人物それぞれが、国籍、貧困、家業、ヒスパニック、実力、容姿、決められた相手、LGBTなど、背景を抱えていて、そのどれもを否定的な目線で描くことなく、優しく手際よく捉えていく。
そして最後はその登場人物がバットエンドのように見えて、生き方として前進しているハッピーエンドのように見せて終わる。取って付けたようではなく、ちゃんと筋も通っているから素晴らしい。
アスターがとにかくかわいい。パワースポットのような秘境に行くシーンが最高。
哲学者の言葉が多く出てきて、情報量がかなり多い作品だけど、最後に言いたいことは「愛を自分の言葉で語ることの尊さ」かなと受け取った。
例えば、告白をするときに、自作の歌を作って歌う人がいる。歌手ならまだしも一般人がそれをすると"気持ち悪い"という反応をする人も一定数いるけど、想いを己の言葉とメロディに託すというのは物凄く誠実なことだったんだと気付かせてくれる。言霊を生み出すのは、かなりの労力と想いが必要になるからだ。
最後に白黒映画と上手く結び付くシーンに号泣。一度否定した状況や言葉も、当人のおかれた状況によってこうも変わるんだと。やっぱりハッピーエンドだったと思う。
素晴らしい映画でした。
恥ずかしながら
途中、ポールに「お前はアスターが好きなのか?」とわざわざ指摘が入るまで、気づかなかった…。なんで温泉シーンでシカゴの「愛ある別れ」が流れるのかななんて考えてた。
20年代の三角関係ものて感じで、青春ロマンスにLGBTが絡んでいるだけで、そこの目新しさで引っ張るような見せ方はしていない。たまたまレズだった女の子の物語で、「あなんかこの多様な感じ、次の世代観てこんな感じかな」と新しいステージに立ち会った感覚。ごく自然にレズのキャラクターがあり、ではどこが面白いかというと、みんな凸凹なんでして、という人間模様でしょうか。たくさん笑ったし、切なくなったし、大いに引き込まれました。
若ければ自分の片割れにもであえる
ハーフオブイット(自分の片割れ)を探すティーン・エイジャーの旅。
劇中に何度も出てくる「日の名残り」はこの作品鑑賞の為に先日予習したが、予習しておいて本当に良かった。日の名残りでは、鳥かごである屋敷に囚われた執事(アンソニー・ホプキンス)は結局ハーフオブイットである女性執事に惹かれつつも結局鳥かごからは出られなかった。それと若さもあってこの作品でのキャラクターは対照的。
天才的な感性を持つが陰キャなエリー。スポーツセンスあり、背も高いが謎にシャイで口下手なポール、超美人で誰もが憧れる陽キャと思いきや本好きで彼氏に意見を言えないアスター。それぞれ何かしら良いものを持っているが何かが欠けていて、足りない何かを人生通じて探していく。
若いって良いなーと思う良い映画でした。
アスターを演じたAlexxis Lemireには注目です。
【心優しき”チャイニーズ・ガール”が書いた”数々”の手紙が齎したモノ】
プラトンの「饗宴」の言葉から始まるオープニング。
そして、”古代、人間には4本の手足と2つの顔があった・・”という言葉と共に描かれる”アニメーション”を見て、
ー”この作品、面白いぞ・・”と期待高まる。ー
・エリー・チュウさんは5歳の時、中国徐州からアメリカの田舎町に父と二人で来た女学生。
周囲から”代筆”を頼まれて、家の収入に当てている。
(お父さんはイロイロあって、無職・・)
頑張っているのだが、周囲からは”少し軽く”見られている。”チュウチュウポッポー”
・ポール・マンスキー君は文才がないが、気も体格も良い男子学生。
・アスター・フロレスさんは美人で、聡明で、本が好きな女学生。
ー今作はこの三人が、繰り広げる素敵な”ラブ・ストーリー”である。ー
■印象的な場面は数多いが、
・エリーのお父さんは、英語が苦手で、毎日映画を観る日々。
ー序盤はエリーと2人で映画を観る所からポールが真ん中に入り、3人で観るシーンの流れ・・。ー
・ポールとアスターの”噛み合わない”デートを心配して、エリーが携帯メールで店の外からサポートするシーンの面白き事!。
・エリーが学芸会で、美しい声でアコースティック・ギターを弾きながら歌う姿。そして、拍手喝采の中、級友たちに受け容れられていく姿。
・エリーとアスターが温泉に入るシーン。
ーこのシーンは、特に良いなあ。ー
・エリーの無口な父が、エリーとポールに語る言葉・・。
ーそして、教会での皆の前での”3人の告解”シーン。-
<とてもセンスの良い、”ガール・ミーツ・ガール&ボーイ”ムービーである。
”新たな世界”に旅立つエリーとその姿に懸命にエールを送るポールの姿も素晴らしい作品である。
鑑賞中、鑑賞後、じんわりと幸せな気持ちになれます・・。>
「恋愛映画」ではない。「愛についての映画」だ。観た後「愛とは何か?」について考えよ。
「愛」とは何か?
「愛」という言葉はただの記号に過ぎない。「愛」は定義不可能。「愛」の正体は、よくわからないけど心の中で内発的に沸き起こる感情。それが「愛」なんだろうな。
偉大な哲学者の「愛」をいくら勉強したところで、永遠に「愛」を知ることはできない。なぜなら、机上の「愛」には体験が伴っていないからだ。各々の体験を経た上で各々の「愛」の形が得られる。個々は様々に異なる。故に、様々な体験がある。だから、「愛」にも様々な形がある。
無論、人参ぶら下げてコントロールできるような、外発的な人間の振る舞いは「愛」ではない。助け合ったり、欲しい物を互いに交換することで「愛」は醸成されない。この映画の主人公エリーとポールの間の関係は、互いに助け合うことで良い感じになっていくように見えるんだけど、それは「愛」ではないんだよね。互いの利益を最大化することは「愛」ではない。
しかし・・・長く時間を共にすることで、互い生活を体験する。そこに共感がある。この「共感」も「愛」らしき感情なんだよな。これは外発的な人間の振る舞いによるものだ。
愛って何なんだ。わからん。
人間の成長プロセスがリアルに描かれていたなぁ。これも面白かった。
エリーは頭が良いんだ。知識は豊富。器用になんでもこなす。偉大な哲学者や思想の残した「愛」についての詩も知っている。しかし彼女には体験がない。そんな彼女が「愛」を体験していくんだよね。映画のラストで、彼女は「愛」が厄介なものだと身に染みて分かったことと思う。そして、彼女は詩を残す(温泉のシーンね♨️)。
知識を得て、それによって体験を得て、そこからまた新たな知識を得る。
知識などたいした意味はねー。これは道具に過ぎない。知識という道具を使って体験を得る。その体験から創作される知識には意味がある。机上の知識だけでグダグダ公爵垂れてる奴は死ねばいい(自分に言ってるつもりなので悪しからず)。いくら本を読んでも何も新しいことを知ることはできねーんだ。なぜなら、知識など後付けに過ぎねぇからだ。体験の後に、知識があるんだよ。机上の空論ゴミ野郎は無視無視。
面倒臭いこと色々抜きにして、なんと言ってもこの映画、笑えるんです。めっちゃ面白い。コメディの撮り方が絶妙。画面の隅々まで愛に溢れてる笑。
他の人のこの映画の感想を見ると・・・「LGBTは良い」「キリスト教は怖い」「人種問題は良くない」・・・てさ・・・どうでも良くね?
というのも、確かにこの映画のモチーフに「LGBT」「キリスト教」「人種」はあると思う。でも、それはメインテーマではないような気がしたんだよね。
「愛」という「記号(机上だけの知識)」だけ理解しても、体験を経ていなければ、それは理解したことにはならないんだぜ!。正にこの映画の主張がそれだと思うんだよな。
「LGBT、宗教、人種問題」。多分、ほとんどの人間が、体験を経ずに、記号だけでグダグダ書いてるんだろうな。そんな知識何の意味もない。
感想に「LGBT映画としてダメ」「人種問題を扱った映画としては甘い」とか書くのやめて欲しいな。この映画に関しては、その辺は、どうでも良いんだよ。
良くも悪くもあっさり。
映画で描くには、一つ一つのテーマが深くできるからこそ内容としては浅かったかなと思います。
魅せ方は好きですが、LGBTを扱うならもっと繊細に描くべきですし、音楽を混ぜるならそちらの描写が足りません。除け者が認められるには、除け者らしくないですし、将来への不安、田舎の特性を描くには舞台設定に説明がなさすぎますし、恋愛を描くなら伝わるような工夫が必要かと思います。
だからこそ、1時間45分で足りないところを小説なら補える。傑作の予感がします。代筆のアイデアや、関係性の作り方はとても面白いですからね!
アイデアも素晴らしいですが、私が思う良いところは良くも悪くもあっさりしてるところです。まず、見ていて心地がいいですね。視覚的にも美しい描写が多いので、それだけでも楽しめます。青春映画として、私はもう一度みてもいいなと思う内容でした。
ネット検索したらロマンティックコメディとありましたが、それは流石にないでしょう…
この監督の作品は今後も注目したいです
多感な青春期の最後に来る特別な「通過点」を繊細に切り取った佳作
ラブレターの代筆をするうちに自分自身が相手に恋をしてしまうという設定から言うと、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』 を思い出す。確かにこの映画の舞台は現代のアメリカだし、設定にはLGBTQの要素もあるし、アジア系のヒロインで人種的マイノリティにまつわる言及もあったりと、近代的な佇まいを持ちつつも、しかし一方で根底にあるストーリーはそれこそ『シラノ』の如くクラシカルであり、とても普遍的なものだったなと感じた。文学や芸術を通じて惹かれ合っていくなんて、大人同士でもロマンティックでハイクラスなことを自然とやっている高校生たち。素敵ね。
いわゆる陽キャのテンションについて行ききれないどこか冷めた主人公エリーたちに共感する一方、その分作品は少し地味めなタッチに落ち着いたかもしれない。アメリカの一般的なティーン映画のような突き抜けた明るさやバカバカしさみたいなものとも違えば、YA小説が描くハイスクールとも違い、あまり華やかではない地味な高校生活であり地味な映画かもしれない。でもこの映画には「本来なら主人公にはなれない高校生」が主人公として生々しく生息している感覚があった。あからさまな虐めがあるわけじゃないけれど、自転車に乗れば「チューチュー・ポッポー」とヤジを飛ばされる程度に冴えない(けれど明晰な)ハイスクールも、美人だという自覚もあって誰もが憧れるボーイフレンドもいるけれどチアリーダータイプの人気者グループには属していられないアスターのハイスクールも、いずれも「すぐそこにある」普通のハイスクールの風景に見えたし、画一的ではないリアルな高校生活の描写に思えた。そしてポールの純朴さと素直さが三人の関係性をより深くて良いものにしていたなと思う。(何気にお父さんの存在も大事だったね)
高校生活や思春期って「自分とは?世界とは?」ということを考えるそんな時期だし、同時に自分自身に気づく時期でもある。この映画はまさしく自分自身に気づくまでの物語だったと思う。かと言ってその「自分自身」は恋愛感情やLGBTQのことだけを意味するわけではなく、自分の中に蠢いている情熱とか、密かに抱いている夢とか、あるいは自分に対する諦めとか、見ないようにしてきた悲しみとか、そういうものもすべてひっくるめた「自分自身」に気づくことなんだと思う。この映画はそういう意味で登場人物それぞれが「自分自身」に気づいて行く様子を、派手さはないけれどすごく繊細に描いていたなと思い好感が持てたし、結末の落としどころも好きだった。
この映画はあくまでも自分への気づきの物語であって、片割れを探す映画ではない(そういえばエリーが冒頭で似たようなことを言っていたっけ?)。だからエリーとアスターが恋人になるかならないかはもはや問題ですらない。誰と誰が結ばれるとかそういうこととは別の場所に結論は待っている。そしてその結論というのはこの映画が終わった後のもっと先で待ち構えているものなのだと思う。だからこそ、だ。衝動的なキスの後「数年後にまた会おう」という別れの仕方も、バカげた映画のワンシーンみたいに列車を追いかける別れの仕方も、どちらもそれぞれに未来へと橋を架けるような結末で、彼女たちのこの先に、未来とそこへつながる道があると感じられるとてもいい幕切れだったと思った。
そして頭の中に"half of it"というタイトルが思い出される。そうか、ここからの人生こそが彼女たちの本当の人生なんだ、とすべてがストンと腑に落ちた。誰もが経験するであろう人生における「通過点」としての一期間を、大切に描いた素敵なカミング・オブ・エイジだったなと思った。
地味だがどんな青春映画よりも胸にささる傑作
これはわたしの青春時代だからだ。
今作を観て改めて、共感性がどれだけわたしと映画にとって大切かを感じた。
ストーリーのはじまりはすごくロマンチックでドキドキするものだった。
身分を隠して、好きな人と文通をする。
だがこれはエイミーにとっては、もうひとつの意味を持つ。
彼女はポールの姿を代理に、恋愛を楽しんでいるのだった。
結局、触れることは叶わないのだけど、そのときのエイミーにとっては、
最高のシチュエーションだっただろう。
今作はいかにもありがちなラブコメではない。
よくあるのは、手紙の代筆をすきな人に頼まれたとかね。
それ以上に切ないシチュエーションをこの映画では見事に描いている。
また、ポールが全然嫌なやつじゃないのもミソだよね。
本当に憎めないいいやつで、だからこそ、より物語がカオスになるのだけれど。
彼が最初は美人だからってだけで相手を選んでいたのが、
内面に変わっていくのも見どころだよね。
彼もしっかり成長している。
あとエイミーのお父さんの存在もよかったー
「私みたいになるな。」って、父親としてどうかと思ってたけど、
今思うと、こんな勇気ある父が欲しかったなあ。
アスターを見ていると学生時代のある人を思い出してしまって、
余計にエイミーに感情移入してしまったよ…
正直、ほんと出だしからうるうるきていたのだけど、
この映画コメディ要素もしっかり笑えるから、
絶望的な気持ちにはならないのよね。
最初はエイミーを抱きしめたくて仕方なかったけれど、
もうラストにはそんなこと思う必要が一切なかったね。
それほどに強くなってた。
彼女自身の”大胆な愛“のおかげだね。
複雑だが、ピュアな三人が愛おしくて、
ああ、本当に出会い方さえ違ければなあ、と思った。
でもああいう形で全力でぶつかってっていう日々を送りたかったなあ。
(ウォールフラワーや17歳の肖像を思い出したりしました。)
若いうちに本作に出会えていればと心底思った。
こういう映画が作られることに本当に感謝している。
こんなにもゲイがあっさりと描かれて、チャイニーズが
当たり前のように主演して、恋をして、
そんな映画が作られるようになったのか。
今の若者の背中を押す一作。
苦しんでいる人にこそ見てほしい。
(学生時代のわたしにも見せたい一本。)
アリス・ウー監督、絶妙なバランス!
予告編観てスルーしてしまってましたが、評判いいのでチェックしたらマッチ度98%でした。これ結構当てになるんです。
映画、文学、哲学、絵画、人種問題、LGBT、宗教...様々なエッセンスをまぶしてゴチャゴチャになりそうなのにコミカルな味付けまで施して、絶妙な仕上がり。それぞれのキャラの内面までしっかり描いてるのもお見事!
映画と三角関係は相性いいのです。自分も若い頃3人で遊ぶの好きだったな~、トリュフォーの影響か?(笑)
あとシャロン・ヴァン・エッテンのSVENTEENとか使ってるのも嬉しい🎶
監督・脚本アリス・ウー、確かな腕前なので是非御賞味あれ❗
観て良かったよ!サンキュー!
ガキンチョの恋愛もんかと
なかなか引き込まれた。
イライラもあったけど
見入ってしまった。
田舎町の高校生
エリーは、地味な中国人
ポールは、馬鹿面のアメフトの補欠
そんなポールは、町1番の美人アスターに
恋をし恋文の代筆をエリーに頼んで
話はややこしく!
エンディングのbreak tie rulesが楽しい曲だ!
言葉を大切にする映画
ここまで言葉を大切にした映画にはめったに出会えない。
エリーとアスターの手紙のやりとり、音楽がない言葉と言葉の間の静けさ。ひたすら言葉を、そしてそれに乗った登場人物たちの切実な気持ちを大切にしたからこそ作られた傑作だと思う。寂しさと、歓びを感じた。アリス・ウー監督の作品は今後も絶対見ると思う。
面白いのは、そう!ここから
ツイッターで話題になってて観てみた。
ハードルは少し上がってたと思う。
導入部、男にラブレターの代筆を頼まれて、
断るのだけど、お金が必要でやる事にする。
と言うのがとても自然で、期待させた。
ここから良いラブレターで、
全く可能性がない彼の事を好きになって、
好きになったのに代筆がバレて傷つけて、
彼女は彼を、彼は主人公を、主人公は彼女を好きになって、
面白くなるぞ!
と思ってたらドラマチックな題材の割に淡々と、
もっと盛り上がるはずのところが盛り上がらず、
ギターのシーンも、もっと盛り上がる演出があったはず、
これでは自分が客だったら寝てるか、
同情の拍手だったなと思った。
ただ、主人公の彼女を最初は地味な子だと思ってたけど、
どんどん可愛く見えて来て、
男の子の方が、顔とキャラが合っててとても可愛いかった。
馬鹿で鈍臭い感じがピッタリだった。
ラストの幕の閉じ方は綺麗で、
彼女と主人公のケジメのつけ方、
電車を追いかけてくる馬鹿、のフリから
ラストの男の子が追いかけて来るシーンはとても良かった。
絶対あれをやるはずだし、
そういう狙ってないけど可愛いところが彼の良いところだと
思った。
題名通り、まさに面白いのはここからだよな。
と思いました。
全36件中、21~36件目を表示