護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
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生活保護を貰うべき人が貰えない現実、曖昧な制度と行政の問題点。 重...
生活保護を貰うべき人が貰えない現実、曖昧な制度と行政の問題点。
重い内容ではあるけれど、わかりやすく、伝わりやすい内容だったと思う。
特に清原果耶の演技が良かった。
そしてラスト、本当に自分の家族かはわからないけど、きっと自分の家族だと思い救われる阿部寛の心情はぐっと来ました。
2時間に及ぶプロローグ
国の政策やらは、一度始めたらなかなかやめられない
会社や法人でも、矛盾や根拠の無い事、「なんか違うよなー」と感じる事でも、なかなかやめられないし、変えられないし、変えてくれない
声を上げても聞いて貰えず、国に対しても声を上げようが
何も変わらない
で、結局諦める………
富裕層でも、貧困でも無い私たちは
どうにか稼いでる収入の中で、山ほど税金を払い
年金を払い、失業中に健康保険に加入していないと
口座凍結までされかねない制度の中で(本当の話です(笑))
いずれは迎える年金生活の保証すら危うい現実
我々の税金を湯水のように使っていても、貰える立場になると
「貰えるものは貰っておこう」と思うのがほぼ一般的だ
生活保護なるものは、何十年も前からおかしいものだ
日本全国で、その基準が統一されている訳でも無く
地域性もあり、その地域性の中には差別も存在した
生活保護を貰いながら、外車に乗っていたり
パチンコ屋通いをする輩が存在する一方
僅かなはみ出しを責められたりもするのだ
犯人逮捕迄の経過は、何だか消化不良で
2時間の以上の時間の経過を感じさせない面白さはあるものの
映画として中途半端な感覚を否めなかった
生活保護という制度に斬り込むには浅く
何より、映画という限られた時間の中で
掘り下げる事は不可能だし
ミステリーと言うには、アッサリしていた
が、ラストでその感覚は払拭された
15分程のシーンの為に、2時間のプロローグが
用意されたような感覚だった
清原果耶は、ほんといい女優さんだね
倍賞千恵子さんなら、良かったなぁ
震災被害と生活保護を扱った重厚なサスペンス。 不正受給と共に本当に...
震災被害と生活保護を扱った重厚なサスペンス。
不正受給と共に本当に保護が必要な人に行き渡らない矛盾。
本作の主演は実質、清原果耶だ。
今まで女子高生役の彼女しか観たことがなかったが、役所の生活保護担当として熱演し、新境地を開拓したと言ってもいい。
深い社会問題の提起としても、推理ものとしても一級品
何気にみました。
予備知識もなく、単に時間があったのでみました。
震災で残された者の苦しみを見た気がします。
ここに本当に悪い人はいなく、震災に対してのスタンスの違い、家族を思う気持ちの掛け違いが不幸な事件を起こしてしまう…
いろいろ、考えさせられる作品でした。
阿部寛が出てると東野圭吾かと思っちゃうよ
生活保護については様々な問題点があると認識してはいる。
日本国民に厳しく在日外国人に甘いとも聞く。
公務員の仕事と言うのは前例あってのもの と聞く。
実際は知らないが、生活保護を受給するという事が簡単に出来て良いはずはないというのはわかる。
給与がほぼ横ばいの日本にあって
僅かな時給で労働する人が
生活保護家庭より年収が少ないのはおかしいと言うのもわかる。
自家用車を持ってはいけない。
分譲マンションを所有するのも変。
死者が出た数年前から改正されたが、昔はエアコンがダメだった。
病気で働けない。
この基準は、はっきりしているようで曖昧でもある。
東日本大震災。
これによって不当に金銭を受け取った人々がある程度いるというのもよく聞く。
津波の力で引き裂かれた家族の
生死もわからぬまま 中途半端な諦めを強いられる人。
そういうあれこれを
まとまってるなあ という感じで見た。
見て直後の感想が 日に日に薄れて
三日たった今 少し薄っぺらに感じている今日ではある。
悪とは何か。
原作未読。
素晴らしい映画でした。
幸いにも私は震災被害をそれほど受けなかったため、
震災を目の当たりにした方々の心の傷は計り知れません。
震災がトラウマになったからといって法を犯してよいのか。
セーフティネットという法を守るため、目の前の
困っている人を助けなくてよいのか。
生活保護を受給しながらする贅沢の線引きはどこにあるのか。
生活保護受給者を非難する社会が悪なのか。
そもそも生活保護を受けるような人は怠惰なのか。
今現在、まだパンデミックは終わっていない。
何兆円もつぎ込んでなぜ終息しないのか。
その税金で利を得ている人は悪ではないのか。
世界も国もマスコミもなぜ事実を隠そうとするのか。
人々はなぜマイノリティを攻撃しようとするのか。
護ろうとしなかった人が悪いのか。
護られなかった人の自己責任なのか。
声を上げれば解決するものなのか。
その小さな声は、もっと大きな声にかき消されないのか。
それでも、小さな声を上げ、手を伸ばし、
護られなかった人を減らしたい。
ぼくにできるのはそれしかない。
自民党の政治運営の失敗
自己責任論者によって生活保護を受けることが恥ずかしいと刷り込み、貧富の格差を拡げてこの社会を作り、描いたのがこの作品だ。
自助、共助、公助という言葉をスローガンに国のやるべき事を地方自治や個人に丸投げ。
そんな様も描かれている。
死んでいい人なんて居ないんだ
天災と人災。
前者はどうしようもなく避けられない。
人災は何かしらの手立てて避けられる。
この国では最後の砦があまりに足りてない事実を知る。
幹ちゃんのやり方は完全に間違い。どんな人でも「死んでいい人なんて居ない」。
最後の砦を頼ってほしい。
フィクションからノンフィクションへ
とても良かった。
物語上のフィクション部分である連続殺人事件から
同じような事が多々あったであろう被災者の
生活保護受給のノンフィクションへ
目を向けさせる手法が上手いなと思いました。
手足を縛られ餓死させると言う酷さが、
この問題がいかに酷いものであるか示して、
それでも死んで良い人なんていないと言うメッセージと
ラストに動機の全てが繋がる感じが、
重い映画ではあるけど、気持ち良かった。
佐藤健のヤンチャな感じが残る風貌と、
過去の過ちを引き摺り生きるのがしんどそうな感じや
阿部寛の目がグリっとなった、
家族を失った喪失感と目の前の事件に没頭していないと
生から振り落とされそうな雰囲気も
共に素晴らしかったし、
周りのキャストも過去が透けて見えて各々良かった。
フィクションとしてもラストで始まりと繋がって
とても良かったし、
ノンフィクションとしては幹子の犯行前のSNSの手記が原作者、監督の言いたかった事なのかなと
思います。
生活保護について、事件の真相を考えながら学ぶことが出来る作品。
話しのテンポも良く、物語は分かりやすい。
時系列の移動が多かったが、特に問題無し。この作品で日本アカデミー賞、助演女優賞を取っただけある清原果耶さんの演技は素晴らしい。
震災により福祉センターの仕事量の圧迫や生活保護受給者の現実について、普段あまり馴染みの無いことで考えもしなかったが、こういった社会問題を考えさせられる貴重な2時間でした。
感情の追い込み、最後のところは泣いて
欲しかったですね、佐藤健さん
最後の最後の場面、そこがおしかった。。
阿部寛さんも最後の海でのシーン
あそこはさすがに、慟哭では?それにより観客も感情が同調し、感極まるかと、さらりとしすぎてたかな~
清原果耶さんは抜群に上手かった
生きる
生きている人は、仕事がある
過去を忘れたり、過去を踏まえたり
色々な生き方があると思う
生きている人には、この世では明日がある
生きていかなければいけない
私は、過去を踏まえて生きていきたい
その時々で、どうしたらいいのか考えてしまう
楽しい時には、その人の分まで楽しんだらいいじゃないかとも思う時もあれば
もっともっと控えて暮らさなければいけないるじゃないかとも思う
心は常に揺れている
悲しみに囚われると息もできなくなる
何年か過ぎれば埋まる悲しみは有り難い
なんとか当たり前っぽい生活ができるから
恨みつらみは力にはなるけどその未来は明るくはない
他を理解できなくても自分が苦悩したように他もそれぞれ苦しみもがいているのかもしれないということに気づくことが出来ればいいのにとも思う
余裕があるものの勝手な言い分なのだろうけど
人生の大半を後悔で生きています
浅はかな優しさで傷つけてしまった罪は拭いきれない
それを踏まえて生きていきます
素晴らしいというより凄い映画
Amazonプライムで観ましたが、1度観ただけでは判りづらい映画でした。
星5にしたいところですが映像が暗いのと時代が行ったり来たりして判りづらかったので4.5にしました。内容については東日本大震災で被災された人たちと生活保護を絡めて切り込んだ作品として、秀作であり素晴らしいというより凄い映画だと思います。
私自身、震災の翌年福島の原発事故で被災された方々と電話で補償相談員の仕事をしたことがあります。相談員とはいえ話していて胸が詰まされるほどでしたから、生活保護の相談員の方々もさぞ精神的にも辛かったのではないかと思います。まだ地上波では公開されていないようですが是非とも多くの人々の観て戴きたい作品だと思います。
社会はドラマ
豪華な俳優陣の共演で重厚なドラマに仕上がっている。
殺人が無ければドラマとしてもっとリアリティが出ていた。まあ、無かったら映画にならないのか。。
何故このタイミングだったのか。
何年経っても殺意を昇華できなかったのか。
佐藤健が愛想なさすぎる。
今見ても311の話は心が痛む。
ラスト、私だったら、あのセリフは言えないかな。悲しみが深まりそう。その瞬間、親が一緒にいてあげられたら絶対に護ろうとするのに。
自転車に乗る2人の笑顔はこの映画の中で数少ない場面。但し、それが続かないことを予感させる。
カンちゃんは、その後養子(里親?)に迎えられ、立派に就職もし、不幸な人を1人でも減らせるように頑張ってある。引き取られてから大事に育てられたと思うけれど、仲が良さそうな描写は無し。育ての親は切ないな。
人間のすることはすべて間違っていると考えた方がいい。
すべて間違っているが、せめて赦される間違いを選ぼうとする努力はあっていい。
自然が引き起こすことに対して、それは理不尽だと叫ぶのは筋違いというものだ。自然は中立なのだから・・・・。人の幸せを人と人との繋がりの中だけで捕えようとすれば悲劇が起こる。幸不幸は表裏一体。人間関係は幸せにもするが不幸になる原因にもなりえる。
自然災害後に起こった殺人事件を描いたこの映画を観て、改めてそう感じた。人の心は脆い、まるで綿菓子のようだ。しかし、弱いばかりでもない。きっちり死を見つめたものは如何に生きれば良いかを身体が覚えてしまう。それは、哀しみという感情には間違いなく終わりがあるからだ。
そして、人との関係ばかりが幸せもたらすのではないことを実感し、自然の中にも幸せを探してみなくてはならない。
憎しみと恨みの「恐ろしさ」。
連続「餓死」殺人事件、切なすぎる真実そして「護られなかった者たちへ」のタイトル。
佐藤健が人を寄せ付けず、乱暴で何か暗い過去がありそうな雰囲気を終始醸し出している。当然、観客は佐藤健を追っていく。
始まりは震災のあと避難所で寄せ合う女の子とおばあちゃんと佐藤健。そして現在進行系の殺人事件の捜査に果敢に望む阿部寛。時間が行ったり来たりしているので、最初はよく飲み込めないところもあった。
震災で多くの人が家族、愛する人を失い悲しみ、また避難所での生活を余儀なくされている。震災で生活が一変したのだ。一方で、収入、親戚を失った人たちの最低限の生活を保証するための生活保護制度の存在。不正に利用する人たちも現に存在する中、どこまで真に必要な人を救えているのかという地方自治体職員の葛藤。
殺人事件の背景に迫る過程でさまざまな現実や関係性が明らかにされていく。サスペンスドラマの要素もあって、ハラハラ・ドキドキするところも多く、最後まで犯人と殺人に至る理由は明かされない。佐藤健、清原果耶、阿部寛という私の好きな俳優陣であったが、この映画では終始笑顔がほとんどなく、厳しい顔つき目つきの映画であった。
なぜ殺人をしたのか。行政の対応はどうだったのか。についてはそこまでエスカレートする話ではないのではと、冷静に見てしまった。こんなことが起きていたら、行政は破綻してしまう。そうではなく犯人が憎しみと恨みを持ち続け、何人も殺人に移せることの「恐ろしさ」に、後味が悪かった。そうせざるを得なかったほど、彼らの絆は固かったのだろう。ただ、死んだおばあちゃんは、そんな事は望んでないはずである。
最も感動したのはラストで利根の激白に、思わず筈篠が涙したシーンでした。ふたりにはお互いが知り得なかったある繋がりがあったこと
インディペンデントのピンク映画からメジャーの恋愛モノまで幅広く手がけてきた瀬々敬久監督、「64 ロクヨン」 「友罪」など社会派ミステリーの系譜にも連なってきます。中山七里の小説を原作にした猟奇連続殺人事件の物語ですが、東日本大震災を起点として今に続く悲劇を描き出そうとします。
震災によってすべてを奪われた人たちが、どのような状況で生きていかなければならなかったのか。貧困や孤独といった重いテーマが横たわる一方、人とのつながりが救いになるという希望も持たせてくれる作品でした。
いい人だと思われていた被害者に別の顔があったように、正義や善は決して一面的ではないこと、そして誰もが孤独や貧困に直面する可能性をはらんでいることに気付かされます。
瀨々監督の作品のいいところは、たとえ犯罪者でもステレオタイプに断罪せず、罪を犯す状況に誰もが思わず感情移入したくなるほどの犯罪者が犯罪に陥るざるを得なかった状況を深く掘り下げる点です。罪は罪として報いは受けなければいけないけれど、罪を犯すまでの抱え込んでしまった運命について理解を示す視点は大切ではないでしょうか。
東日本大震災から10年後、仙台市内のアパートで、両手を拘束されたうえ四肢や口をガムテープで塞がれ、餓死した状態の遺体が発見されます。被害者の名は三雲忠勝(永山瑛太)。福祉保健事務所の人間だということがわかり、金銭に手がつけられていなかったことから怨恨の線で捜査が始められましたが、身辺を洗っても、職場でも家庭でも三雲のことを悪く言う者は誰もいなかったのです。
しかしそれから4日後、今度は城之内猛留(緒形直人)が公園近くの森の中にある農機具小屋の中で遺体で発見されます。遺体の状態は記者クラブにも流していない共通項が多く、十中八九同一人物によるものだと判断されました。
城之内にも公私ともに悪い噂すら見つからなかったため、犯人は善人や人格者に照準を定めていると考えた捜査本部は、前科者や精神科に通院歴がある者からあたるよう指示しますが、宮城県捜査一課所属の笘篠誠一郎(阿部寛)は2人に必ず何か共通点があるはずだと考えるのです。そして三雲と城之内が塩釜福祉事務所で2年間、同じ時期に職員として働いていたことをつきとめます。
笘篠と相棒の蓮田智彦(林遣都)は、被害者の部下幹子(清原果耶)から福祉事務所の仕事の1つであるケースワーカー業務に同行して生活保護受給者たちと接触し、行政側が真っ当な対応をしていても逆恨みされていることがあることを知ります。そして2人は捜査対象を三雲と城之内が勤務している期間に生活保護申請を却下された者や、受給していながらケースワーカーの報告で打ち切られた者にしぼり、塩釜福祉保健事務所からその対象者のリストが入ったUSBと資料をなんとか手に入れるのでした。
そして2年間で700件近くあった該当者の中で、不服申し立てを含み申請が複数回に及ぶ者や事務所関係者とトラブルがあったものに絞ったところ、やがて容疑者が浮上したのです。
リストの中で、遠島けい(倍賞美津子)という人物の場合は本人ではなく知人男性が乗り込んできて、三雲と城之内に怪我をさせた挙句に建物に火を放ったと知った笘篠と蓮田は、その知人男性・利根勝久(佐藤健)こそが犯人ではないかとにらむのでした。
筈篠は、事件直前に刑務所から出た利根を追うことになります。施設で育った利根は、震災の避難所で出会った少女カンちゃん(石井心咲)、一人暮らしのけいと家族同然の暮らしをしていましたが、けいが生活保護を受けられなかったことに怒って事務所に放火してしまったのです。
映画の柱の一つは、災厄がもたらす孤独と格差、それを乗り越えようとする人間愛です。身寄りのない3人が肩を寄せ合って再生しようとし、震災で妻と息子を亡くした筈篠も、利根の過去を知るうちに自分の傷と向き合っていくのでした。
一方で、生活保護行政の影にも目を向けます。行政側の非情で官僚的な対応を描きつつ、財政難の事情や不正受給者の存在も示してゆくのです。悪意や怠慢に単純化するのではなく、むしろ制度を守ろうとして誰も幸せにならない不条理を浮かび上がらせたのでした。
本作をミステリーとしてとらえるのは、少々難があるでしょう。肝となるはずの動機や犯人捜しだが、こちらの意外性やドンデン返しのカタルシスは、残念ながらもう一つなのです。皆さんもご覧になれば、利根があっさり逮捕され、犯行を自白してしまうことに筈篠が疑念をもち、裏取り捜査に乗り出す時点で、事件の真相をほぼ予感できることでしょう。でせも本作は誰が犯人かということではありませんでした。
一見ミステリーぽく見せつつも瀬々監督は、今も残る震災の傷痕と、震災が明らかにした弱者救済制度の不備にスポットが当たるようにこの娯楽作に盛り込んだのです。生活困窮者が餓死してしまうという死因の強烈さを挿入することで、生活保護のシステムがなぜこれほど面倒なのか。餓死するとわかっていても突き放してしまう行政の非情さとそうせざるを得なくさせている不正受給の問題にも触れていて、行政の福祉担当者の切迫した苦悩は、鋭い問い掛けとなり、我々に深く突き刺ささってくることでしょう。
しかしながらわたしが最も感動したのはラストで利根の激白に、思わず筈篠が涙したシーンでした。ふたりにはお互いが知り得なかったある繋がりがあったのです。
利根はあくまで自分はいいヤツなんかじゃないと激白するのです。あの震災の時、海に乗り込まれる少年を見ても水が怖くて、足が止まってしまって助けられなかったような意気地なしなんだというのです。だからその少年と同じ黄色いヤッケを着ていたカンちゃんを見たとき、この子だけは護ってあげたいと思ったのだとも。
全編を通じて、寡黙で怖い表情を浮かべるだけだった利根のこの台詞に遭遇した時、なんて優しい奴なんだろうかと思いました。タイトルの『護られなかった者たちへ』の中にはきっと少年を助けられなかった利根の悔恨も確実に入っていると思います。
ところで本作は、佐藤健の熱演が物語に深みを与えて本当に素晴らしかったです。
予告編で話題となった利根が泥水に顔を突っ込みながら声を限りに叫ぶシーンや、初めて人の優しさに触れて心を動かす場面など、その名演シーンは語り尽くせません
時を経て、震災がドラマに昇華されるようになったことがうかがえる骨太の一作です。(2021年10月1日公開)
全344件中、61~80件目を表示