「比較するなら「ギララの逆襲」。冒頭でご都合主義とわかったので、自分は楽しめた。」大怪獣のあとしまつ GreyWagtailさんの映画レビュー(感想・評価)
比較するなら「ギララの逆襲」。冒頭でご都合主義とわかったので、自分は楽しめた。
舞台挨拶中継つきの回で見に行ったが、見終わった後に特に不快感はなかった。
が、帰宅後以降に見たレビューでは散々にこき下ろされている。そんなに青筋立てて批判しなければならないような映画なのか? そうは思えないので、自分の感想を書く。(書いた結果、いろいろ残念なところも目につくが、少なくとも「見に行って損をした」とは思っていない)
まず、何を期待して行ったか。三木聡監督についての事前知識はなかったので、まあ「特撮映画」の一環としてである。しかも、毛色が違うというので、アクションとかそういうのには期待していない。ただ、後始末についてなんかいろいろもめるんだろうな、というところの期待である。
冒頭、やや肩透かし感のある緊急速報。そしてヒロインと主役の登場。ここまではふつうに見ていた。
転機は、二つ目のシーンである。西田敏行と濱田岳のやりとりの中で「デウス・エクス・マキナ」がキーワードとして浮上した瞬間、自分はこの映画を「B級」として見る心構えができた。「機械仕掛けの神」すなわち「ご都合主義に終わらせる」という言葉をあえて冒頭に出してきた意味。当然、この映画はそうなんだと、そして真面目なフリして演じているのもすべてご都合主義に結びつけるんだという堂々たる予告である。
この映画のすべての伏線は、壮大なデウス・エクス・マキナを持ち出すための下準備であった。となれば、最終シーンのデウス・エクス・マキナがそれまでのシーンからかけ離れたご都合主義的であればあるほどこの映画は成功といえるのであり、意味が通じてしまえばまったく意味がなくなるわけである。
その意味では、散々な不評を呼んだこと自体がデウス・エクス・マキナとしてのあとしまつには大成功といえるのではないだろうか。数々の肩透かしはすべてデウス・エクス・マキナによるモヤモヤ感を体感させるという意味で、デウス・エクス・マキナ映画の典型例としてよいかもしれない。もし本作を酷評するなら「デウス・エクス・マキナ」になっていない、という観点で批判するべきである。
にもかかわらず、事後のインタビューで、中居Pが「伝えたかった三角関係の部分が伝わっておらず」と言い、須藤Pが「「神風が吹かないと解決しない」という、ごく単純な政治風刺なのですが、これがほとんど通じておらず」と発言したのは最悪である。そもそも、二人のプロデューサーの分析が「三角関係」なのか「神風」なのかもブレているし、それが「伝わっていない」という言葉で観客のせいにするのは許されることではない。
せめて「伝えきれなかったのは、我々の力不足だった」という言い方にすべきだった。
それにしても、なんで三角関係を盛り込もうとするかな、盛り込むにしてもなぜすでに結婚させてしまったかな(不倫への嫌悪感は近年非常に強いのに)、とは思う。
役者はみな実力派である。制作陣が狙った「三角関係」の主役たち、山田涼介も、土屋太鳳も、そして怪しい役をさせたら超一流の濱田岳も当然、全力の演技であったと思う。土屋太鳳はシリアスとコメディーの両方をつなぐ役割でもあったが、その間に立って全力を尽くしたと思う。それにしても、濱田岳はドラマ「ガールガンレディー」でもそうだったが、怪しい役が本当に上手い。その濱田岳を完全な悪役でもなく、中途半端な役柄にしたのはシナリオの不備だ。
コメディーパートは、シモネタに頼ったもののスベった印象だ。政治風刺にしても、もっとからかう方法はあったと思う。ここは減点。(シモネタだったとしても、それがウケるレベルまで昇華されれば別に悪いとは言わない。が、今回は失敗)
オダギリジョーも無駄にかっこいい。この「無駄に」のところはデウス・エクス・マキナに持っていくために重要な要素である。ダム爆破の準備シーンもそういう意味ではよかった。
特撮シーンについては煮え切らなかった。少なくともダム爆破のシーンはしっかりと見たかった。
また、あとしまつの方法については、もう少し専門的な観点からの分析があれば、それを楽しむこともできただろう。法律、環境、化学、生物学、物理学、SDGsなど、ここは凝りに凝った上で、政治家たちがそれを理解できずに利権で動いたりすれば、かなり納得度の高いストーリーとなったただろう。
さて、以上の観点でいうと、見終わった直後に思い出したのは、シン・ゴジラでもなく、(見ていない)デビルマンでもなく、『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』であった。B級の、特撮怪獣映画で、政治風刺も挟みつつ、コメディータッチということで、まさに「大怪獣のあとしまつ」は「ギララの逆襲」の系譜における正統な後継者なのである。
ただ、自分の中ではギララの逆襲よりあとしまつの方が評価は低い。たとえばギララの逆襲では首相ほかの政治家をザ・ニュースペーパーが演じていた。つまり、見るからに政治風刺のお笑いだという人選である。西田敏行はコメディーもいけるが、名優でもある。つまり、「バカ映画なんだから気楽に見てよ」というメッセージが薄れてしまったといえる。
タケ魔神召喚のためのネチコマ踊りを真面目に踊る加藤夏希は偉かった。一方、土屋太鳳はしっかりとした演技すぎて、彼女がコミカルな動きをすることはなかった(さいごまで格好良かった)。
ギララの逆襲の「北の大将軍」はわかりやすかったし、G8すべてをバカにした上でのことだったので成立していたが、あとしまつの「隣国」はわかりにくく、単にその隣国をバカにしたような場面だけで終わってしまった。
そういう意味で、ギララの逆襲が楽しめる人ならそれなりに楽しめる映画だが、惜しいところが多々あった、という印象である。そして、自分はその惜しいところも含めてB級だなーと思いながら楽しんでいた。