マルモイ ことばあつめのレビュー・感想・評価
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日本語のセリフは気になるがキッチリ感動してしまった
朝鮮半島が日本の植民地だった時代、朝鮮語の辞書を編纂しようとした人たちの物語。
言葉と名前を使えなくするという日本の政策は知っていたが、イメージはできていなかった。本作がどれだけ事実に近いのかはわからないが(そして多分に韓国よりの視点だと思うが)、当時の雰囲気を感じ取ることができた。それだけで価値がある気がしてくる。
でも、気になってしまうのが日本語のセリフ。もう冒頭からそう。日本人俳優を2〜3人入れておくだけでも印象は違うんだけど、日本語の発音の違和感がどうしても拭えない。あー、もったいないな。同じ植民地時代を描いた「密偵」はそこらへんちゃんとしてたのになんて少し冷めた感じで観ていたのに気づいたらボロボロ泣いていた。
何かを成し遂げようとするチームものとして、徐々に信頼関係を築くバディものとして、無関心で不真面目だった男が変わっていくしていく成長ものとして本作を堪能した。この展開はダメだ。個人的に一番弱いやつ。日本語の拙さで0.5くらい減点のはずなのに、満点の5点になってしまった。
健全な?ナショナリズム
日本への同化政策が徹底されていた1940年代前半の朝鮮で、民族の心である朝鮮語を命懸けで守ろうとした人々を描いた映画です。ユーモアを交えながらも、そのまっすぐなナショナリズムの表出は愚直で美しいものでした。
日本に置き換えると、戦争や植民地支配に抵抗した平和主義者や共産主義者が主人公になりそうですが、そうした人々をナショナリズムと結びつける事は難しいような気がします。かと言って特攻隊員などの戦死者を賛美する映画は、当時の無責任なパワハラ戦争指導者と同質の残酷なナルシズムの発露にしかならないでしょう。この映画のように、純真なナショナリズムを描く事は、日本では難しいのかも知れません。
正直、僕自身はストレートなナショナリズムの表出に乗れない部分もありましたが、上映中、涙ぐんでいる方が何人かいらしたようです。やはり健全なナショナリズムは人の心を打つのでしょうか。
文句なし!
言葉に焦点を当ててるのが面白い
日本統治下の話。この時代を描いた映画はわりとよくありますが、この映画は言葉集めに焦点を当てているのが特徴的だと思います。
劇中に出てくる、同じ「殴る」でも言葉が二つあって、その言葉がなければどっちも「殴る」に収斂され、その行為の差異は無視されてしまいます。言葉があるから「殴る」でも別々の行為として認識できるわけで、言葉がなければ無いのと同じです。言葉を禁止するというのはその言語で生活している文化全体をなきものにする恐ろしいものだと思います。
そういう言葉の面から統治下の映画を作るというのは新しいと感じました。
また、こういう特定の言語の使用を禁じるのは、沖縄の方言札の例もあるように国家間の話だけではなく、地方に対してだって抑圧はありますが、劇中で方言の収集にも力を入れていて、単純に朝鮮と日本の対立構造にするだけではなく、地方の違いも尊重するという、言葉の問題に大変真摯に向き合ってる作品だと思いました。
戦時下…。
複雑な気持ちになった
・言葉をはく奪したのが日本人っていう事実が観ていて複雑な気持ちになった。言葉やら名前やらを支配していくっていうのが凄いなと思った。
・映画館で深夜の辞書づくりのシーンで一つの動作にも各地で微妙に違っててそれを統合していく様子が面白かったのと楽しそうだった。
・キム・パンスが終始明るい人物でとても良かった。リュが仲間の詩人を助けたパンスを誤解して謝罪しに家に来た際、もう許さないよ!って怒ってるのかと思ったら、ニヤニヤして思い知ったかと楽しんでいるようなシーンが面白かった。
・各地のなまりを集めようとするシーンで街に各地の人間が集まっていてそこから作るとこが面白かった。その一人にゆだねられるっていうのが精度に難がありそうだったけど。
・ラストにリュが完成した辞書を持ってパンスの子供を訪ねた際に、パンスの思いの所で泣けた。
反日歴史歪曲映画
映画公開当時に、史実を歪曲していることを指摘する投稿が多数あったが、悉く削除されていたので、再投稿しておく。
映画としては面白いが、こんな反日映画ばかり作って韓国人は信じるから、反日感情が高まる。
そもそも、ハングルの文法と表記法が整ったのは日本統治下。
李氏朝鮮時代から上流階級の両班は漢字を用いてハングルは卑賎な文字として使わず、民衆は文盲だった。1882年に壬午政変(壬午軍乱)後に日本へ謝罪に派遣された朴泳孝(副使は金玉均と金晩植)に、福澤諭吉は「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には、朝鮮語(ハングル)による新聞の発行が不可欠」と説き、福澤諭吉は私費でハングル活字を作らせて、弟子の井上角五郎と朝鮮開化派の協力によって、『漢城旬報』を経て、朝鮮初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された。
朝鮮語研究会ができたのは日韓併合後の1921年で、朝鮮総督府の下でハングルの諺文綴字法の作成には日本人も関わった。
しかし、民族主義的な活動が日本官憲の取り締まりの対象とされ、1942年に朝鮮語学会事件と呼ばれる大規模な弾圧にまで発展した。
「マルモイ」は朝鮮語学会事件がモデルになっているが、朝鮮語辞書を作らせまいと弾圧したのではなく、朝鮮語学会が民族主義と共産主義が結びついた独立運動の隠れ蓑になっていたから。
朝鮮語学会の丁泰鎭が反体制活動をしていると嫌疑がかかり逮捕され、尋問の結果「朝鮮語学会は独立運動を目的にしている」と自白した。拷問して自白させたという主張があるが、この事件捜査の警察は朝鮮人が熱心に行っていた。(韓国研究院発行の「韓」昭和五十二年九月号) これにより朝鮮語学会のメンバー33名は治安維持法違反で検挙された。
実際に判決では、朝鮮語学会の幹部で主犯格の李克魯(リ・グンノ)被告は、高麗共産党や民族宗教団体大倧教との関連性や、ベルギーの世界弱小民族大会に朝鮮代表で出席して朝鮮独立要求の議案を提出したことが判明している。(韓国研究院発行の「韓」昭和五十二年九月号)。
「第84回帝国議会説明資料朝鮮総督府法務局所管1帝国議会関係雑件」(レファレンスコードB02031404800)に、上海の大韓民国臨時政府と連絡をとり指令を受けていた李克魯と崔鉉培らが参加している朝鮮語学会は独立運動の仮装組織であり検挙されたことが書かれている。
また、戦後にハングル学会(朝鮮語学会の後身)のソン・ギジ学術部長は「民族運動団体だった」とインタビューに答えている(李善英「植民地朝鮮における言語政策とナショナリズム」P162)。
1945年の判決で朝鮮語学会の5名が有罪になり、幹部の李克魯は懲役6年の判決を受けハムフン刑務所で服役し、日本が敗戦して1945年に釈放されたが、
共産主義だった李克魯は、1946年に朝鮮人民共和国の議長を務め、1948年4月には「北朝鮮と韓国の政党と社会組織の年次総会」のために平壌に行き、北朝鮮で活躍し続けた。1948年9月に国家統一民主戦線中央委員会委員長、全米科学アカデミーの候補者、1953年の最高人民会議常任委員会副委員長、1962年国立科学文学研究所の委員長、1966年国民戦線中央委員会委員長、国民平和統一委員会の議長、1977年に国民平和統一統一委員会の博士課程を務めた。(韓国Wikipediaの李克魯を翻訳)
韓国映画「マルモイ」は、後に北朝鮮の要職に就いた李克魯を抗日のヒーローに描いている。
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(朝鮮語体系化の歴史)
①1912年、朝鮮総督府が近代において初めて朝鮮語の正書法である「普通学校用諺文綴字法」を作成。1920年、総督府が『朝鮮語辞典』を出版。
②周時経門下の朝鮮語学者らが1921年に朝鮮語研究会を創設。1928年に辞典編纂会が創設され、それを朝鮮語学会が引き継ぎ、朝鮮語辞典を発売。(出典:ハングル学会編『最新ハングル大辞典』の巻頭辞)
③1930年、朝鮮語研究会メンバーは総督府に協力し、共に「諺文綴字法」を作成。
④1931年、朝鮮語研究会は「朝鮮語学会」に改称し、1933年に「朝鮮語綴字法統一案」を作成。1940年に一部改訂し、「外来語表記法統一案」も作成。
このような流れで朝鮮語は体系化されていった。戦後、韓国は「朝鮮語綴字法統一案」をそのまま使用した。
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