望みのレビュー・感想・評価
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息子が犯人であっても生きていて欲しいと望む母性
今回は堤監督が奇をてらわずオーソドックスに撮ったので良い作品となりました。奥寺佐智子の脚本も秀逸だったと思います。
主役の堤真一がコロナ禍再放送していた左江内のイメージから一変シリアスな芝居も流石でした。この作品では息子が例え犯人であっても生きていて欲しいと願う母を演じる石田ゆり子がまた素晴らしかったです。息子の所在を訊きまわる、生きていると信じてスーパーに買い出しに行く。息子の情報を得るため週刊誌記者に接触する。このように暴走する母性を見事に表現してくれます。
何気に良かったのが淡々とシリアスに警察官を演じた加藤雅也と早織のコンビ。地味に二重丸です。
最後二択しかないなか家族間で望む結果の相違と軋轢。また少年犯罪に巻き込まれた家族それぞれの苦悩、心労。シンプルに思えて深い良質なサスペンスです。
最後のエピソードは不要
映画のポイントが溜まって期限が近かったので、知識なく無理やり見た映画ですが、面白かった。映画館を出た後も、しみじみ良い映画だったなぁと思いながら帰りました。今更だけど、主演の二人、うまいなぁ。おかげで映画なのを忘れて映画を見てた。竜雷太の工務店親父にも本気で怒り爆発したくらい。
これを見るまで、日本アカデミー賞の受賞は別の作品だと思っていたけれど、こっちも取らせたい、悩むわぁ。って、私には何の投票券もないけど。
ただ、最後のリハビリ?介護?施設の場面から後、要る?息子が良い子だったエピソードを再度かぶせて来なきゃならん?しかも、他の人を助けたいと進路を独りだけでもう決めていたなんて不自然。非常に稀な高校生になってしまっている。どこにでも居る、そのへんの普通の息子だったけど夫婦にはかけがえがなかったでエエやん。観客の感じた辛さに追い討ちをかけるため、出来過ぎ高校生にしたあざとさで、星マイナス一つ。
再現ドラマという感じ
映画としてはうーん…という感じだった
ただ、このような思いをしている家族がこの世の中にいくつも存在していると思うと複雑な気持ちになる。
母なる証明を見たばかりでエンターテイメント性の物足りなさを感じた。
ただ悲しい。という感想
母親が紙袋にタッパーを詰めてもってきたシーン、娘が母へ大声を出すシーンは好きでした。
最後の記者、オイ!どっちにしろ取材しろよ!と思った。
物語は"かける"
堤監督の作品はあまりハマっておらず、「十二人の死にたいこどもたち」は昨年のワーストクラスでした。
今作は傑作です。まず役者陣の演技がピカイチに冴えています。場面はあまり転換することはありませんが、一言一言発するたびにその世界観に引き込まれていきます。冒頭で説明される家の構造が、家族同士の「望み」に説得力を増しています。
日本社会の闇をふんだんに取り込んでいて、遠慮のないマスコミ、容赦のないSNS上の誹謗中傷、正義感による外部への攻撃。おそらく現実でも似たようなことが起こっていると思い、他人感情ながら胸が痛くなりました。情報を出していないのにマスコミが駆けつけるみたいな事例で警察の無能さを自然に出している点も評価できます。(日本映画は警察を露骨に無能に描きがちなので…)
クライマックスに向かっていく展開も非常に好みです。だんだん事件の核心に迫っていき、息子が犯人じゃないと気づいた瞬間に1人目の被害者の遺族の元へ向かうシーンが切なかったです。もちろんぶん殴られるけれど、両者とも悪くないのに、つい遺族側を悪者と思い込んでしまう自分がいて心許なかったです。
息子が被害者だったと判明した時には家族同様絶望でした。邦画はせめても救いのあるエンドへと向かってくれるので、私的には報われる形はなんともありがたいです。決して救われるような展開ではありませんが、一瞬の希望よりも、未来への希望が強く描かれたので良かったです。記者の人が加害者側であって欲しかったという場面もマスコミの「望み」であることが痛々しいほど伝わってきました。
これからも続いていく人生に少しでも「望み」があると願って。ぜひ劇場でこの作品をご覧ください!
落ち着けとしか言えない映画
※公開翌日に書きましたが非公開になってるのに
気が付いてませんでした
今週の目玉作…なのかな〜という感じで観賞
堤幸彦作品はハッキリ苦手です
いつも映画見た気分にならないドラマみたいな演出の
映画ばかりな印象です
テレビ屋的というのかな
今作の感想は
昭和のドラマスペシャルみたいなシナリオ
流れが掴みづらい時間軸
何もヒネリのないサスペンス要素
共感できない家族の心理
今更こういうのを見せられるのかという感じでした
堤真一は好きなんですけどね
建築設計者の旦那一登とホームワークの出版業の妻貴代美
高校生の長男規士(ただし)と中学生の次女雅の石川家
一見幸せそうに見えましたが最近ケガでサッカーが
出来なくなった規士の様子が変でしたがそのまま失踪
当然夫婦は心配しますがテレビで高校生の殺人事件が発生
数人の高校生が現場から逃走と言った報道がなされ
規士の関与が明るみになるとマスコミの取材報道や
世間に殺人犯扱いされ一家の周囲は一変
息子は犯罪にどう関わったのか?加害者か被害者か?
家族はどうであってほしかったのか?がテーマになります
なんかこの一連の流れがツッコミどころ満載でした
まず画面にいちいち日付が出るんですが
事件発生の1/5から全容が判るまで1/9と数日にも
かかわらずマスコミの過熱取材から近所からの糾弾行為
被害者の葬儀まであまりに急展開に進んでいってリアリティが
ありません
また一登は規士をたとえ被害者として生きていなくても
加害者であって欲しくない
貴代美は加害者であってもいいから生きていて欲しい
というそれぞれの望みの違いで対立しますが
なんでその二つしか選択肢がないのかわかりません
被害者でも生きている可能性はあるし
加害者でも死んでいるかもしれないし
確かに貴代美は記者から情報を得たりしましたが
全部仮定の話で作り上げられる「望み」でしかありません
なぜそんなグラッグラな軸でストーリーを進めなければ
いけないのかが最後まで理解できませんでした
だって裏返せば
旦那は仕事上の面子もある息子は被害者であって欲しい
妻は息子は生きていて欲しいから殺人犯でもいい
次女は自身の受験のために兄は被害者であって欲しい
というとんでもない望みが出てきてしまいます
まあ身内の殺人事件関与なぞ経験はありませんが
事件発生から2,3日の段階で考える事って
普通の感覚からすればただ無事で生きていて欲しい
無関係であって欲しいというだけじゃないですかね
ヘンに日付とか出すからこの辺の経時的変化が
おかしくなっちゃってます
でもって事件の描写もなんかうまくない
銃社会でもないのに2人のヤンキー2人殺害する
とは想像がつきづらい
規士が結局死んでしまうなら犠牲者は1人のほうが
考えやすかったはず
あと冒頭から出てくる石川家の自宅ですが
ハッキリ言ってコントのセットにしか見えません
パラサイトの金持ち家の家に比べてあまりにショボすぎます
青梅くらいならもっと大きい住宅でもいいだろと思います…
あと全体的に韓国映画のマネがしたいのかな〜って感じの
カメラワークや演出が多い
流行をやりたいんでしょうが没個性的です
やはり「映画を観た」感覚になれない作品でした
男の子をもつお母さんに見て欲しい映画
3歳の息子がいる母親ですが感情移入しすぎて大号泣でした。しかも一番最初に泣くスイッチが入ったのが祖母役の市毛良枝さんの登場シーン。なんでしょう、あの包容力。母親になっても子供は子供で、辛い時に実母の顔をみると張り詰めていた糸がプツンと切れたかのように泣いてしまったりするんですよね。
もし息子が同じ立場になってしまったら私は信じれるか信じれないか、すべてを失う覚悟は持てるか。
また人間の怖さもかなり描かれてます。
まず我が子を共に育てる主人に絶対見てもらいたい作品であり、周りの男の子を持つお母さんたちにも見てもらいたい、胸に残る映画となりました。
考えさせられる
少年事件が頻繁に取沙汰される現代において考えさせられる映画だった。我が子だったら何を願っただろうか?
私は生きていて欲しいと願うであろうと思う。取り返しのつかない過ちであったとしても身勝手だと世間から罵倒されようと、自分の子供に被害者であって欲しいとは望めない。自分の子供の人生は、加害者、被害者のどちらにもなってもらいたくない。
残酷すぎる内容
母親も父親も妹も。帰ってこない息子のことが心配で一杯一杯すぎて目の前のことしか考えられないからこそそれぞれの人間の残酷さが強く表現されていた。
兄が加害者だったら自分の人生はどうなるのかと兄の心配より自分の心配をしてしまった妹。当たり前の感情であるがその残酷な自分中心的な感情を生み出してしまい一番ショックだったのは妹自身だろう。そこに追い討ちをかけるように母親の「お兄ちゃんが死んだ方がいいっていうの?」といったニュアンスの母親のセリフ。そんなこと言いたいわけないだろう。妹自身も苦しくて堪らないというのに。妹の心の叫びがひしひしと伝わってきて苦しかった。
息子が生きていてほしいと願うばかりに息子を疑ってしまう母親。これもまた残酷だ。息子を親が信じないで誰が信じるというのだろう。今回は息子が被害者だとはっきりしたが、もしこのまま彼が身元が発見されなければ、母親はずっと息子を加害者だと思い続けたのだろうか。最後まで己を通した息子の勇気は報われなかったのだろうか、ゾッとする。
数日前までただしくんの父親を人殺しを見るかのように憎み、罵り、恨んでいたもう1人の被害者の祖父がただしくんの葬式の時、父親に泣きながら謝っていたシーンが一番残酷だった。人は立場によってこんなにも態度を変えるのだ。まだ憶測だったというのに。
今回の映画はどっちに転んでも地獄だった。しかし何より一番地獄だったのはただしくんが被害者だった時一瞬でも安堵してしまったことだろう。息子が殺されているのに。
こんな地獄を生み出したのは紛れもなく世論だ。マスコミだ。マスコミの存在意義はなんだろう。真実を社会に伝える使命を掲げるがそれが新たな被害者を生む。加害者を攻撃していいのは被害者だけである。第三者が加害者を攻撃していい理由なんかない。世論が大きくならなければ息子が加害者ではないかと疑わなくて済んだのに。正義ってなんだろう。
長い間家を開けてごめんね、1人で旅行に行ってたよなーんていいながら平気な顔して帰ってきて欲しかったなあ、ただしくん。
当事者だったら、はたしてどちらを望むのでしょうか。
とても見応えのある映画でした。
サスペンスの要素もありますが、この映画はサスペンスそのものよりもそれに巻き込まれた家族の心情を描いたヒューマンドラマです。
果たしてこの映画のように自分の子供が殺人犯なのか、もしくは殺されて亡くなってしまったのか、どちらかひとつの可能性だとしたら親としてどちらを望むのでしょうか。その当事者になってみなければわかりませんが、どちらにしろ親や家族の苦しみは計り知れなく観ていて涙が溢れました。
苦悩の家族を演じた堤真一さん、石田ゆり子さん、清原果耶さんのそれぞれの演技も素晴らしく、ここ最近観た映画では一番泣けたかもしれません。
そしてもうひとつこの映画で描いていたのは、まだ殺人犯と決まっていないのにその家族に対する執拗なマスコミの取材やSNSによる勝手な推測の決めつけによる誹謗中傷、それによる世間からの風評被害。これは現実にもよく目にすることで大きな問題だと思いますがなんとかならないのでしょうか。
興味本意のマスコミ報道や憶測によるSNS 等による誹謗中傷はほんとうにやめてもらいたい。
自分が親だとしたら、究極の選択。 被害者か加害者か。 息子を失う苦...
自分が親だとしたら、究極の選択。
被害者か加害者か。
息子を失う苦しみなど想像もつきませんが、加害者となるよりは家族は救われたんでしょうね。
考えさせられるいい映画でしたが、リハビリのエピソードは取って付けたような出来過ぎ感があって、蛇足でした。
俳優陣の演技がすごい。ラストはちょっともやもや
堤真一、石田ゆり子、清原果耶さすが
圧倒された
4人の家族愛というより、それぞれの葛藤や苦悩が伝わってきた
何より、要領が良くいい子な妹が進学のことで感情を剥き出しにするところが良かった
母親が息子に甘いのは冒頭で感じたので、妹としては誰にも言えないけどずっと感じていたもやもやだったんだろうな
あと竜雷太はああいう役の迫力がすごい
頑固だけどいい人という役だからこそ、土下座のシーンは切なかった
家に来ていた警察がやけに無表情で冷たく暗いのは、堤真一と石田ゆり子から見た印象なのかな
マスコミの描き方にはちょっと疑問
とりあえず悪者にしたいというのは伝わった
被害者家族と加害者家族への世間の扱いの違いを描いたんだと思うけど
監督か原作者がマスコミ嫌いなのかな
悪者にしたい割には松田翔太がインタビューしなかったのが謎
実際のマスコミだったら被害者家族インタビューなんて飛びつきそうなものなのに
松田翔太が存在感ありすぎて何かあると期待してしまったのでちょっと拍子抜け
最後事件からそんなに経ってないのにみんな明るく前向きになってるのはちょっと違和感
あと松田翔太の『加害者だったらどんどん取材できた』みたいなセリフはいかがなものか
まるで加害者家族を責めることを正当化してるみたい
それまでのマスコミやいたずらしてた人達とやってること一緒では?
結局『やっぱり加害者じゃなくてよかったね』という結論なのかな
あんなに息子に生きていて欲しいと切望していた母親ですらあっさり前を向いているのはちょっと一貫性がないように感じた
石田の演技が秀逸!
この映画は基本的にサスペンスですので、胸キュンはしません。それでも、石田や清原ファンは十分楽しめます。人生は家族を失うことによって、学びがあります。物凄く不幸に見えても、体験する為に生まれてきたことを思えば、乗り越えるしかないのです。石田は息子によって救われたと言います。堤は何もしなければ人生は変わらないという言葉を、息子が真摯に受け入れていたことに安堵します。そういう意味では堤は良き父だったと思います。あと、息子が事件に絡んでいるということでの、マスコミの執拗な取材、犯人が分からないが故の風評被害の劣悪さが、良くわかる展開です。また、石田と堤が泣くシーンは辛かった。さらに堤に謝罪する社長のシーンはもろ泣けます。程よいサスペンスです。
息子を持つ母親として
加害者になっても生きてほしい。
育てたままの息子でいた。変わっていなかったけど…被害者になって亡くなってしまった。
私だったら…。
どんな形でも生きていてほしい。
母の狂気
息子を溺愛する一方、娘には比較的冷淡な母。
我が家でもありがちな状況に、
興味深く終始苛立ちながら観た。
私も同様な状況になったら、
心の奥では被害者を望むだろう。
この映画もそういう結末だろうなと思い、
予想通りのハッピーエンド?
途中までは結構おどろおどろしかっただけに、
終盤はずいぶんあっさりと日常に戻って拍子抜け。
狂気を帯びた母を石田ゆり子が好演していた。
こういう浅はかな感じがよく合っている。
マスコミの対応は余りに大げさで常軌を逸している。
現実には未成年事件でこれはあり得ないが、
体質はよく表している。
堤真一がマスコミの残したゴミを拾うシーンは印象的。
竜雷太は土下座したが、
マスコミは当然素知らぬふりだろう。
衆愚も然りで、観終えて心地よさはない。
ストーリーがいい
究極の選択、親としての複雑な心境。
いくら考えても答えが出ない問題。永遠に自問自答を繰り返すことしかできない。
自分に置き換えて考えてしまう映画でした。映画と似た家族構成の方は、入り込める映画だと思う。
映画の中で妹への影響がもう少しあれば、更に考えさせられる映画になったかもと思った。
ネタバレなってるかも知れないのでネタバレにしました。
(原作既読)主要キャスト(特に堤真一と清原果耶)の好演で泣かせてもらった。但し映画としては、演出にうま味がないので、原作を映像化しただけで映画独自の魅力で成立しているような作品には仕上がっていない。
①自分の書評のところでも書いたが、原作はリアリティを追及するりも幾分読者の心に実験を仕掛けるような小説である。それをそのまま映像化しているだけなので深みがない。②堤真一の演技が圧巻である。自分の息子が加害者(今回の場合は殺人者)か被害者(今回の場合は死んでいる)か、究極の選択の前で、あくまでも息子の中の善を信じようとする父親を熱演して、その熱演がこの映画を支えていると言っても過言ではない。③一方、母親の方だが、自分の血肉を分けた存在だけに息子が生きていることを望むのは無条件に納得だが、その母性の業みたいなものが感じられない。原作も同じで私が実験的な小説と思うところもそれ故である。作者が男であるからかも知れない。この母親がもっと生の母性を感じさせれば原作とはまた違った味わいの映画になったかもしれない。しかし母親像が原作をなぞっているだけなのと、石田ゆり子の演技もそれ以上のものを出せていない。④その物足りなさを補っているのが清原果耶の存在である。もしかしたらこの映画でもっともリアリティ溢れる演技をしているかもしれない。母と娘とが対峙するシーンではその演技で石田ゆり子を凌駕している。いま最も期待できる若手女優と言って良いだろう。
望みと絶望のルーレット。
と言うか。どちらに止まっても、絶望と希望がセットで当たります。イヤやな、それ…
もうね。堤幸彦劇場ですもん。高高度からのドローンで始まって、最後もドローンでサヨウナラ。これだけで堤幸彦だって分かるからw
ってのはさて置き。
望みはある。あるところには、ある。
どんな形でも良いから生きていて欲しい。これは母の希望。どんな結果になっていようとも、人殺しなんてしないでいてくれと言う父と妹の希望。
結果として、正義感の強い優しい子であり続けた事が、残された家族の生きる希望になった。
と言う話。
マスゴミはゴミ。正義感を振りかざす一般人もゴミ。雑誌記者はゲス。かと思いきや。記者のホンネが意外にも面白かった。
画のデフォルメVFXには好き嫌いがあるかねぇ。夕暮れの室内とか作り過ぎ、ちゃうかと思うけど。「映画音響の世界」を観た翌日だったので、結構集中して「音」をチェックしてしまいましたが。緻密ですねー、ものすごく緻密に作り込んでる!この世界、日本人向きなんかも知れないと、ちょっと感動してしまいましたw
過剰演出も、語り過ぎも排除で、生きる希望を淡々とした演出で見せてくれる堤幸彦劇場。安定の品質でした。っとくらぁ。
役者さんも揃って好演。清原果耶は相変わらず天使だけど普通でしたが、石田ゆり子さんには、最近、何か降りて来てる感があるw
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10/12 ちょっぴり追記
「生命のあるかぎり、希望はあるものだ。」
(スペインの小説家セルバンテス)
「人は希望なしには一日も活き得ない。」
(宗教学者 姉崎正治の言葉)
「生より尊いものがあろうか!なにもないのだ、なにも!」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より)
母親の立場は、「ある種の宗教」的。母性に隠蔽されたテーマ性も感じます。
ちょっとドストエフスキーで攻めるw
「神と悪魔が闘っている。その戦場こそが人間の心なのだ。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
妹ちゃんが父親にだけ漏らした本音。
「人生はすばらしい。醜悪だったのは我々の方なのだ。」
(ドストエフスキー『作家の日記』)
息子は悪いことはしていないと確信した時の父親の気持ち。
「私たちはどうやって滅ぶか。愛なきため。」
(ゲーテ)
「地獄とは、愛のない生活のことである。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
「愛」を「望み」に置き換えてみると、この映画の主題になるんじゃないでしょうか。
ちなみに。
「人類を愛することは簡単である。しかし隣人を愛することは容易ではない。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
わかります。だから、人類愛や地球愛を掲げながら、隣人を攻撃し、分断と対立をあおる人が後を絶たないんですねw
犯人でも無く、被害者でも無い、そんな結末を望んだのだが!❓‼️
犯人ではない確信はありました。
犯人なら、逮捕されてから家族のドラマが始まるので。
だから、松田翔太記者も違う結末に興味を失う、石田ゆり子の独白が全てでしょうか。
堤真一と清原かやの演技が空回りしていて、それに違和感を感じて、これほどの名優なのに!
犯罪のネタ明かしにも違和感を感じて。
なんだろう、ドロドロとした人間関係ではなく、まるで通り魔に襲われたような、そんな喪失感がありました。
月並みな展開と月並みな結末、空回りの演技。
それでも堤真一と石田ゆり子、そして清原かやの涙を大画面で見る、そんな価値はあると言える。
複雑な感情
加害者か被害者か、無事かどうかもわからないまま葛藤し続けるその重みがずーんとくる作品。なにもわからない中でまるで加害者家族かのように周囲の環境は変わっていく、その中でもなんとか必死に生きていく家族。
あの子がそんなことするわけがないという思いと、加害者でもいいからとにかく無事に帰ってきて欲しいという思い、どちらに転んでも辛い事実にはかわりないけど、あなたならどっちを思いますか。。加害者でもかえってきて欲しい気持ちは痛いほどわかるし、被害者とわかって、息子が自分の知っている優しい息子であることに救われる気持ちもよくわかる。。
石田ゆり子素敵でした。特に覚悟を決めた以降の顔つきはとても美しくカッコよく、加害者だと思い込んでとにかく生きていることを望む洗脳をされたかのような絶妙な表情でした。ほんと50代とは思えないなぁ、綺麗。
堤真一もさすがですね。。コメディもできるけど、こういうのも素敵。後半一気に芝居に感情がのって、たたみかけるように引き込まれました。そして声がよすぎる。
清原果耶は今回も輝いてました。中学生らしい明るさと少しの子供さと、でもみんなが共感する妹像を絶妙に演じていたと思います。お兄ちゃんからもらったおまもりがせつない。。
脇を固める竜雷太さんとかを含め、素敵な演技でとてもよかった。謝るシーン、心に響きました。
加害者かもわからない未成年にマスコミや周囲はあそこまでやる?っていうのがちょっと違和感(最近はありえるのかな、、)なのと、松田翔太がもうちょいうまく使えたらよかったなーとなんとなく感じるのと、なにより横に座ってたおじいさん?が独り言多くていらいらしたのが残念ポイントでした。。映画館マナーは守ってくれ、、頼む。。
いいお父さんだなぁ
なんて低予算な映画なんだとおもうし、その映画で泣きそうになる自分もある。
堤真一さんは実にいい父親だ。私だったら、どうしてそうなったんだと、嫁にきれてしまうし、差し入れを考えて嫁が料理しだしたら、マクドでいいやろといってしまう。とにかく、家族のことでは堤さんのような冷静な父親でいられない、だめな私を再認識してしまう。
もし息子が犯人だった場合、堤さんのようないい父親はどうするんだろうと思ってしまう.仕事、落書き、風評、もとの生活にはもどれないことにどう対処するんだろう。
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