望みのレビュー・感想・評価
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「願い」ではなく、「望み」
望みというと、普通、ポジティブなものだが、今回はどちらに転んでも、ネガティブな結果が待っている、その状況でどちらを願うのか、という、一風変わった構造である。
また、神頼みな「願い」ではなく、「望み」をタイトルとしており、それぞれの登場人物が望みをもとに行動する。
登場人物がみな、その複雑な感情をうまく表現しており、感情移入させられた。
一方で、周囲からの嫌がらせなど、単調かつ、お決まりな感じがしてしまい、テンポに欠けていた。
テーマ、構造は興味深かった。
本年度観た邦画ではベスト級の作品!
先日観た清原果耶さんが桃井かおりさんと共演していた作品で彼女がメッチャ良かったので本作を観賞。
彼女も良かったけど、堤真一さんや石田ゆり子さん等のベテラン俳優さん全ての演技に圧倒!
本作にはベストキャスティング賞を差し上げたい(笑)
石川家の息子が殺人事件に巻き込まれるストーリー。
息子は加害者なのか被害者なのか?
行方不明の息子を案じる展開。
ちょっとそれが伸ばし過ぎなんだけどグイグイ展開に引き込まれてしまった感じ。
母親役の石田ゆり子さん。
息子が被害者ではなく加害者であって欲しいという思いがヒシヒシと伝わって来る。
相変わらずマスコミはクズなんだけど、雑誌記者役の松田翔太さんが良いキャラでポイント高め。
ストーリーが進むにつれ、堤真一さんや石田ゆり子さんが周囲の雑音に疲弊して行く感じも印象的。
本年度の日本アカデミー賞。
行けるかもしれません(笑)
出だしと最後が注文住宅のCMっポイのは否めませんでした( ´∀`)
望みと絶望のルーレット。
と言うか。どちらに止まっても、絶望と希望がセットで当たります。イヤやな、それ…
もうね。堤幸彦劇場ですもん。高高度からのドローンで始まって、最後もドローンでサヨウナラ。これだけで堤幸彦だって分かるからw
ってのはさて置き。
望みはある。あるところには、ある。
どんな形でも良いから生きていて欲しい。これは母の希望。どんな結果になっていようとも、人殺しなんてしないでいてくれと言う父と妹の希望。
結果として、正義感の強い優しい子であり続けた事が、残された家族の生きる希望になった。
と言う話。
マスゴミはゴミ。正義感を振りかざす一般人もゴミ。雑誌記者はゲス。かと思いきや。記者のホンネが意外にも面白かった。
画のデフォルメVFXには好き嫌いがあるかねぇ。夕暮れの室内とか作り過ぎ、ちゃうかと思うけど。「映画音響の世界」を観た翌日だったので、結構集中して「音」をチェックしてしまいましたが。緻密ですねー、ものすごく緻密に作り込んでる!この世界、日本人向きなんかも知れないと、ちょっと感動してしまいましたw
過剰演出も、語り過ぎも排除で、生きる希望を淡々とした演出で見せてくれる堤幸彦劇場。安定の品質でした。っとくらぁ。
役者さんも揃って好演。清原果耶は相変わらず天使だけど普通でしたが、石田ゆり子さんには、最近、何か降りて来てる感があるw
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10/12 ちょっぴり追記
「生命のあるかぎり、希望はあるものだ。」
(スペインの小説家セルバンテス)
「人は希望なしには一日も活き得ない。」
(宗教学者 姉崎正治の言葉)
「生より尊いものがあろうか!なにもないのだ、なにも!」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より)
母親の立場は、「ある種の宗教」的。母性に隠蔽されたテーマ性も感じます。
ちょっとドストエフスキーで攻めるw
「神と悪魔が闘っている。その戦場こそが人間の心なのだ。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
妹ちゃんが父親にだけ漏らした本音。
「人生はすばらしい。醜悪だったのは我々の方なのだ。」
(ドストエフスキー『作家の日記』)
息子は悪いことはしていないと確信した時の父親の気持ち。
「私たちはどうやって滅ぶか。愛なきため。」
(ゲーテ)
「地獄とは、愛のない生活のことである。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
「愛」を「望み」に置き換えてみると、この映画の主題になるんじゃないでしょうか。
ちなみに。
「人類を愛することは簡単である。しかし隣人を愛することは容易ではない。」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
わかります。だから、人類愛や地球愛を掲げながら、隣人を攻撃し、分断と対立をあおる人が後を絶たないんですねw
同じ家なのに違う家
本当はミッドナイトスワンを見る予定だったのだが、なんと驚き満席。ということで、急遽変更。
堤真一主演ということもあり、中々の期待で鑑賞。
結論から言いますと、めっちゃ面白かったです。
ネタバレというか、内容にガッツリ触れながら感想を書きたい...。しかし、ネタバレせずにレビューを貫いてますのでやめときます。ネタバレバージョンも書きたいな
一級建築士の石川一登(堤真一)は、妻の貴代美(石田ゆり子)、息子の規士(岡田健史)、娘の雅(清原果耶)と共に高級邸宅で平和に暮らしていた。
とにかく、テンポがいい。
重くのしかかるが、ドロドロし過ぎずいいバランス。目が離せない展開で全くもって飽きませんでした
言うまでもない気がするが、演者が素晴らしい。
最近は、毎日キャバクラに行く警察のトップや娘から嫌われすぎている製薬会社の社長など、変わった役ばかりしていた堤真一だが、今回は珍しく一般人。だけど、流石ベテラン俳優。彼の涙を見ると自然と自分も涙を流してしまいます。
51歳にはとても見えない若さと安心感を備えている石田ゆり子も相変わらずいいし、映画への起用が止まらない期待の新生清原果耶もこれだけ色んな映画に出るわけが分かる。そして、新人岡田健史も登場シーンが少ないながらにして観客の心を掴む演技で圧巻。とても新人には見えません
事件前と事件後で大きく変わる照明とバックで流れる音楽、辛く寂しい様子を表す映像とが非常にいい。家ではなく映画館で見るべき良質な作品だった。
重厚感があり、事件の真相や家族の心情をタラタラと写している訳ではなく、ゆっくりじっくりとたった1週間ほどの物語を細く丁寧に描いている。
ただ、周りの人物には少し気になる点が。
会社の部下やお母さんなどが出てきているが、そんだけ?もっとかける言葉ないの?と思った。自分の周りに石田家のように事件に関わっているかもしれない人がいたら、自分もああなっちゃうのかな。
記者に関しては意味不明でしたけどね
あと、伏線回収がもっとあって欲しかったな。
最後に概要を全て口頭で説明するだけじゃ、物足りない。自分で考察する部分があったらより良かった
被害者か加害者かも分からないのに、真実を暴こうとする身勝手なマスコミとSNS。お金のため、ストレス発散のため、傷付く人のことも考えずに憶測を並べる。挙句の果てには、まるで私たちは正義ですよと言わんばかりの上から目線の発言。悲しいことだが、これが我々が生きている現実なのだ。
困った時に相談する相手はこの世に存在するのだろうか。どうすれば、殺人に巻き込まれたり自殺に追い込まれたりしない世の中が出来上がるのだろうか。
もし、自分の息子がこのような事件に関わっていると聞いたら。もし、周りにそんな人がいたら。どんなことを望むだろうか。鑑賞してから3時間が経った今でも、ずっと考えている。
強くたくましい大人になるのは難しいな...
とってもいい映画でした。
しかし、公開3日目の12時ってのに観客は私合わせて6人。昨日も小説の神様は2人、ベムに至っては私1人でしたよ。浅田家!とテネットに吸われすぎ!
タイトルの意味
原作未読。すごい重い話でした。世間の怖さ、マスコミ、SNSの怖さなど枚挙にいとまがないですが、これが被害者、加害者家族に十分起こりうることが、ゾッとしました。今のコロナでも同じことが…
家族の心情というか願いが迫真でした。石田さん熱演。オチはなんだろう?期待したよりヒネリがなかった。
犯人でも無く、被害者でも無い、そんな結末を望んだのだが!❓‼️
犯人ではない確信はありました。
犯人なら、逮捕されてから家族のドラマが始まるので。
だから、松田翔太記者も違う結末に興味を失う、石田ゆり子の独白が全てでしょうか。
堤真一と清原かやの演技が空回りしていて、それに違和感を感じて、これほどの名優なのに!
犯罪のネタ明かしにも違和感を感じて。
なんだろう、ドロドロとした人間関係ではなく、まるで通り魔に襲われたような、そんな喪失感がありました。
月並みな展開と月並みな結末、空回りの演技。
それでも堤真一と石田ゆり子、そして清原かやの涙を大画面で見る、そんな価値はあると言える。
切なさを感じるとともに今の少年事件の報道の在り方を考えさせる良作
※ 10/11 20時16分 誤字脱字を修正
今年37本目。
tohoシネママイレージサービス使えました。使い方を教えてくださってありがとうございます。
※ ネタバレなしにしているので、表現をぼかしている部分(「推定有罪/無罪」の表現など)があります。
さて、こちらの作品。少年事件を扱った作品です。
ギリギリまで加害者か被害者か、あるいは第三者かわからず…最後までギリギリわからず、最後になるとわかりますが(ネタバレのため回避)、ヒントもいくつかあり、ヒントを手掛かりに自分なりに推測して観るのも良いなと思いました(そういう趣旨の映画ではないと思いますが)。
それよりも、この映画自体は仮想の物語と思いますが(実際の事件に着眼点を得ていない)、少年事件のあり方、とくに、マスコミの好き勝手報道や推定有罪/無罪の原則が事実上無実化していること、(および、そこから、推定有罪/無罪が働くのに、勝手に決めつけ、悲しみにくれる家族に追い打ちをかける人たち)など、少年事件の加害者の問題はさておき、それとは別に、少年事件に特に顕著の、報道の暴走や根拠のない情報のSNS(ツイッター、ラインなど)の拡散など、少年事件に限らず、「マスコミが勝手に特権階級を作り出して好き放題」「一般人の情報リテラシーが低下している」点も、伝えいたいことの一つなのでは…と強く感じました。
ああも、マスコミも一般の情報リテラシーも無茶苦茶になったのはここ10年くらい前からではないか…と思うのですが、身内(家族)に犯罪の疑義をかけられている人がいたら、「度を越して」生活(=生活の糧、家庭の崩壊etc)を破壊しにくる「困った人たち」に、「私なら」どう対応するのか…それも強く感じました。そういう意味で、非常に考えさせる部分があるな…と思い、良作と思います。
※ なので、「好き勝手に無責任に情報発信をする困った人たち」にはぜひ見てほしいなと思う一方、そういう人は「こういう」「都合の悪い」映画は見ないのでしょうね。
採点は下記の0.3で、4.5まで切り下げています(七捨八入による)。
0.3… 上記に書いたように「加害者か被害者か、はたまた第三者か(=無関係者か)」はギリギリまでわからず、最後の最後になってわかるのですが、いわゆる「3日前」等として(いわゆる「●日前」としてスリップするようなものですね。最近よくありますよね)、「ネタバレにならない範囲で」、主人公(この場合は、今回のトラブルを起こした、あの人ですね)の時を追う(ネタバレにならない範囲で)等すれば、わかりやすかったと思います。
(換言すれば、「少年事件を取り扱うが故に」、最後には真相が明らかになりますが、警察もマスコミも中途半端な説明しかしないため(これは、架空の設定の映画でも実世界でも、少年法が適用されているのでしょう)、取り方によっては「んんん?」ということになりそう。
犯罪被害者はかわいそうだと、誰もが自然に思います。しかしほんとうにかわいそうなのは……、
犯罪とか、交通事故の被害者の家族を擁護したいと思うのは人間の自然な気持ちの現れで、だから日本には、犯罪や事故の被害者を守る団体は、山ほど存在しているのですが、ほんとうに必要とされているのは、「加害者」の「家族を守る」団体ではないのかと、私は昔から考えていました。
家族は、犯罪を犯したわけではない。
事故を起こしたわけではない。
なのに加害者家族はどれほど孤立し、どれほど周囲から責められるか。
この映画は、自分の息子が「殺人犯として生きている」ほうが嬉しいか、それとも「無実で犯罪の犠牲者」であるほうが嬉しいのかという、究極の選択を観る側に突きつけ、人間として、親として、兄弟として、そのことをどう思うのか、どう感じるのかという点を詰めに詰めてくる作品です。
この大きなテーマを堤真一・石田ゆり子という名優が熱演しており、観るものの気持ちをグイグイ動かして来ます。
ただしストーリーから言うと、本件に関与した4人の人間のすべてに、かならず家族がいるはずだという観点が抜け落ちているのが、まったくもって残念な点でした。
最初から「悪い奴」と決めつけられている少年にだって、家族はいるのでしょうに。
あ、アイツは悪い奴だから、という突き放し方は、ちょっとナイんじゃないですか、と思わざるをえませんでした。
大きなヒューマニズムにもとづく観点が主人公たちに欠落していたため、最後の終わり方も薄っぺらいものに感じられ、これだけが残念なポイントでした。
それにしても、犯罪や交通事故の「加害者の家族」を援護しようとする団体って、日本にはどれほど存在するのでしょうかねぇ。
善良な小市民の善意による後援が期待できない、こういう団体こそ、政府によって後援すべき団体であると思うのですけどね。
家族写真
4人家族が仲良く微笑んで写っている様子が時系列に投影される。子供たちがどんどん逞しく大きくなっていくのが感じられる光景が積み重ねられていくが、あるショットを最後に3人家族に変わる。どの顔も笑顔ではあるが、そのショットから抜け落ちたひとつのピースがなぜかぽっかり心に穴を開けたように寂しく感じました。
いるべき人がいない寂しさは笑顔の裏側にひっそり纏わりついて離れない。
できうることなら、何も起こらなかったら良かったのに・・・・
それこそが望みであろう。
究極の選択
どちらに転んでも残酷で悲しい、究極の二者択一という視点から、先日鑑賞したばかりの「星の子」を思い出しました。
この作品のように小説でしか表現できない、文章だからこそ伝わる“心理描写”を演じきった役者陣はさぞかししんどかったと思います。
雫井修介の原作も良かったですが、この作品は映画としてきっちりエンターテイメントしていると感じました。
複雑な感情
加害者か被害者か、無事かどうかもわからないまま葛藤し続けるその重みがずーんとくる作品。なにもわからない中でまるで加害者家族かのように周囲の環境は変わっていく、その中でもなんとか必死に生きていく家族。
あの子がそんなことするわけがないという思いと、加害者でもいいからとにかく無事に帰ってきて欲しいという思い、どちらに転んでも辛い事実にはかわりないけど、あなたならどっちを思いますか。。加害者でもかえってきて欲しい気持ちは痛いほどわかるし、被害者とわかって、息子が自分の知っている優しい息子であることに救われる気持ちもよくわかる。。
石田ゆり子素敵でした。特に覚悟を決めた以降の顔つきはとても美しくカッコよく、加害者だと思い込んでとにかく生きていることを望む洗脳をされたかのような絶妙な表情でした。ほんと50代とは思えないなぁ、綺麗。
堤真一もさすがですね。。コメディもできるけど、こういうのも素敵。後半一気に芝居に感情がのって、たたみかけるように引き込まれました。そして声がよすぎる。
清原果耶は今回も輝いてました。中学生らしい明るさと少しの子供さと、でもみんなが共感する妹像を絶妙に演じていたと思います。お兄ちゃんからもらったおまもりがせつない。。
脇を固める竜雷太さんとかを含め、素敵な演技でとてもよかった。謝るシーン、心に響きました。
加害者かもわからない未成年にマスコミや周囲はあそこまでやる?っていうのがちょっと違和感(最近はありえるのかな、、)なのと、松田翔太がもうちょいうまく使えたらよかったなーとなんとなく感じるのと、なにより横に座ってたおじいさん?が独り言多くていらいらしたのが残念ポイントでした。。映画館マナーは守ってくれ、、頼む。。
望みの意味は理解できたが?
ベストセラー小説ならどこが省略されたのかな堤の一家のみの焦点で感じんの事件の細部はラストのオチで簡略に紹介されただけでそもそも無免許の高校生に車を貸す奴がいるのか?息子はなぜ別の場所にどのように放置されてたのか 他の少年たちや周囲の背景や意見も取り込んだらもっと深みがあったと❗
(´・Д・)」ん〜ん究極の2択なんだろうが。
自分が犯罪者の家族になったら?
という事をすぐに考えるだろうし加害者として生きている事をのぞむのか?被害者として死んでいる事を望むのか?どちらを考えるか自分自身に置き換えるのでしょう。
この2択?無理があるよな気が?ん〜ん。。。
私だったら生きていてほしいが罪を償う意味で死んでほしい、死刑になってほしいと思います、、、、、。なんとなくだけど2択に持ち込まれてしまいハラハラしましたがそれ程単純でないのに後から気づくと冷めてしまいます。
【偽らざる気持ち、家族とは】
実は、よく咀嚼しないとレビューを書くのが大変な作品だった(因みに原作は読んだことはありません)。
理由は、少年犯罪という僕のちょっと苦手なテーマであること、
更に、まあ、ありがち…という感じのメディア、一般の人や母親の反応の演出にも実はイライラしてしまったからだ。
一度は、こういう感情に埋没しそうになって、レビューもやめそうになった。
以下ネタバレあり
↓
気になるセリフがあった。
雅の
「お母さんには言えないけど、お兄ちゃんが犯人じゃない方が良い」
つまり、犯人であるより、もう一方の死んでる方であることを望むというのだ。
父も息子は犯人ではないと、葛藤を抱えながらも思い込もうとしているが、実は、その気持ちがよぎったことは確かだ。
人様の命を殺めているより、死んでくれている方がマシ。
家族であるから、責任を感じて、そう思うのだろうか。
世間体、これからの生活、こうしたものをひっくるめて、身内から犯人が出てしまうことは家族をどん底に突き落とすから、そう思うのか。
恐らく全てだろう。
ただ、何かが欠如しているように思う。
犯罪者の家族が、別の暴力に晒されてしまうのは、想像に難くない。
ネットの世界では尚更だ。
世間にこれを防ぐ有効な出立ては見当たらない。
僕の友人の住む、とある田舎では、コロナ患者が出たことで、家族の住む家が投石にあったり、落書きされたりした家があったそうだ。
人々の暴力は恐ろしい、
そして、規士の死。
180度変わる世の中の規士家族への対応。
規士の死が炙り出したのは、これだけだったのだろうか。
家族の再出発。
しかし、母親の反応はどうだったのか。
息子がたとえ犯人であろうと、生きていて欲しい。
死を決して望みなどしない。
それこそが母としての「望み」なのだ。
お腹を痛めた母親としては至極当たり前のことのように思える。
しかし、雑誌記者との会話
「お母さんのインタビューは必要なくなりました。なぜなら、規士さんが犯人であれば良いと思っていたから…」
雑誌記者は告白する。
母親は、
「私もあの時は確かにそう思っていたけれど、その後のことを考えたら…」
この作品は、この最後の会話のために仕組まれていたのではないだろうか。
雑誌記者が望んでいたのは、世間の望んでいることとイコールだ。
つまり、僕達の生きる世界は、よりセンセーショナルである方を望むのだ。
母親の気持ちの変化はどうだろうか。
実は、生きていることを望みながらも、心の奥に隠していたのか。
世間体のことを考えて、斟酌した結果なのだろうか。
いずれにしても、やるせなさというか、無力感が残る。
なぜなら、規士が仮に犯人である可能性があった場合でも、そんなことをする理由があったのか、では、理由は何なのかを問う姿が欠如していたからだ。
よりセンセーショナルな方を望む僕達の世界。
それに翻弄されて、自分の「望み」が何か分からなくなってしまう家族。
もし、犯人がどうか分からなくても、なぜ、そのような事をしてしまったのか、理由を聞いたり、考えたり、理解しなくて良いか。
家族であればこそ、それを拠り所にするのが本来の姿ではないのか。
あなただったら、どうか。
規士の死は、実は、いろんなものを曖昧なままに僕達に突きつけているのだ。
この家族は何も明らかになっていない段階で、たとえ僅かでも規士の死を望んでしまった後ろめたさを心に抱えながら、それを隠して、これからも生きていくのだ。
※ この作品は、なんか特定の人の演技が突出していたせいか、チグハグ感は絶対あったと、素人ながら思う。
だから、ちょいマイナス。
これは切ない、演出が好き
予告通り、ポスター通り、
加害者なのか被害者なのかそれとも、、、
というストーリーです。
加害者であって欲しい
被害者であって欲しい
どちらも地獄で、どちらも理解でいるので、なんとも切ない。
どちらでも、救いがあって救いがない。
そして、少年犯罪の被害者家族と加害者家族の話でもあり、ネットやウワサにどれだけ流されるかという、人間のおぞましさを嫌になるほど見せつけられる。
「まだ望みがある、、、」といつセリフが切ない。
映像も音楽もテンポもとても見やすく、テレビドラマとは違った重厚さのようなものもあって、監督さんって誰なんだろう、、、エンドロールで納得した。
やっぱり、映画って監督さんのものなのだと思った。
堤真一と石田ゆり子はもちろんですが、清原果耶も良かったです。
途中までは泣けるほどではなかったのですが、真相が分かったあとに、泣けました。
余談ですが、三浦貴大が理学療法士、、、「栞」という映画も切なかったな、、と、思い出しました。
ヒューマンサスペンスというべき怖さ
自分の息子が殺人事件の加害者か?被害者か?
どちらにしてもバッドエンドという状況に追い込まれた家族の物語。関わる警察、マスコミ、家族の知人友人の行動がリアル故にホラーとは違う怖さを感じた。
人間は弱い
日本のどこかで毎日のように発生している事件の裏側では、関係者家族や近隣住民にはこのようなことが起こっているんだろうな。人間は怖いし弱い。こういうものを観ていると悪いことはできないな…と改めて思います。
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