国葬のレビュー・感想・評価
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人間の表情ほど面白いものはないと痛感させる
11月14日に公開された本作は、コロナ禍にもかかわらずヒットスタートを切っている。ロシアを代表するドキュメンタリー作家、セルゲイ・ロズニツァによる"群衆"がテーマの3作の中の1本であるこの『国葬』が、なぜ人々を惹きつけるのか?この疑問に筆者自身の感想を以て答えたい。かつてソビエト連邦をその粛清政治によって統治したスターリンの葬儀を、無音のまま、延々の映し出す映画は、最初は少し見るのが辛い。だが、スターリンの遺体に別れを告げるため、モスクワ各地から(時には巨大な花輪を抱えて)集まってくる市民の表情を見ているうちに、人間の顔ほど面白いものはないことに気づくのだ。それも、並の数ではない。彼らはまるで蠢く昆虫にように一定の法則に則って列をなし、やがて、棺に近づくと、一目だけでもスターリンの死顔を見るために首を捻り、女性たちはハンカチで涙を拭う。それら、演出されたものではない民衆の顔、そして顔が、見る者の心をつかんで離さないのである。こんな映像体験は唯一無比。今は消滅した社会主義国家と、一部存続している独裁国家を形成する民衆心理を読み解く手がかりにもなるはずだ。
観て良かったドキュメント
配信で視聴。
ソ連(現在のロシア)のレーニンの国葬の様子。
情報が当時厳しかったソ連でここまで国葬の様子が映像で
のこっているとは驚いた。
ソ連や今のロシアの賛否は度外視して、ドキュメントとしては見事な作品。
観て良かった。
長いが、示唆に溢れている。
友人から教えられ、本日観ました。ソ連のプロパガンダで撮影されたフィルムを使って製作されたドキュメンタリーで、スターリンの葬儀の模様を記録したものです。監督のセルゲイ・ロズニツァはウクライナ人です。今、ロシア国民が置かれた情報統制の状況も似たようなものと考えると、歴史はまた繰り返すのかもしれない。国民に広く開かれた情報というのが、いかに大切かと言うことを改めて痛感させられます。
ちなみに、今日行った映画館は早稲田松竹という名画座で、実に37年ぶり位に来ました。高校生の時以来ですね。2本観て同じ料金と言うのも、もはやここだけかもしれません。朝10時半から夕方3時半まで見て、1300円でした。観客は、座席の3分の2ぐらい埋まっている状態で、とても盛況でした。がんばれ早稲田松竹。
独裁者の死
1953年3月5日にソ連の独裁者スターリンが死亡し、国葬が行われたが、その様子を捉えた大量のフィルムが発見されたため、その映像を使ったドキュメンタリー。
多くは白黒だが、カラー撮影されたものも有り、史上最大級の国葬の様子は、スターリンが29年間の独裁で数々の政敵や反対思想の人達を粛清してきた成果とも言える。
映っている民衆が本当に悲しんで泣いているようにも見えるが、カメラに写されている事を意識して悲しんでいるふりをしているのかもしれない。
ロシア語がわからないから、字幕を追う必要があり、睡魔との戦いが辛いが、史実を知るためにも一見の価値がある作品だと思う。
好みが別れそうな作品だが
ドキュメンタリー映画は個人的に大きく2つに分類されると考える。
1つはひたすら事実を積み重ね解釈は観る人に委ねるような作風、
もう1つは作者の意図をナレーションで折り込み、作者の主張をアピールするような作風。
後者で記憶に新しいのが「主戦場」だった。それはそれで面白いとは思うが、本作は前者に当たる。
解説やナレーションはなく儀式を延々と流し続けており、ともすれば退屈だの、単なる記録フィルムの垂れ流しだの批判を受けるのかもしれません。
しかしながら、小生、このような何も足さない出来るだけあるがままのドキュメンタリーも面白いと思います。
生来、映画は活動写真ですから、動く写真ですから、そういう意味では実によく撮れた作品だと思いました。
カラーとモノクロームの映像がちゃんぽんになったり違和感は少しありますが、国葬という所謂神聖な儀式に望む群衆の表情はなんとも言えず良かったですね。
スターリンの葬式会場はこちら
群衆ドキュメンタリー映画第三弾
スターリンの葬式に参加したような気にれる映画。
前作「粛清裁判」と同じように映像資料をつなぎ合わせ歴史の1ページを紐解いてくれる。
ただ、ひたすらに葬式の進行を追っていくので退屈に感じてしまうかも知れない。
実際、自分は前半で飽きてきた。しかし葬式の参列者とはそうゆうものだろう。
スターリンの事は詳しく知らないものの映画や歴史の授業で大体の人物像はもっていた。この葬儀を見て改めて途轍もない人物なのだなと思った。
英雄と称えられ独裁者と恐れられた男、ソビエト連邦が熱狂した深紅の指導者。群衆の目にはなにが映っていたのだろうか。
本気で悲しんでいる者もいればカメラを気にして悲しみの表情を作る者など様々な思考を想像しつつ、葬儀の様子や党代表の演説を聞き当時の追体験ができたことは貴重だと思う。
卒業式などで校長や来賓の演説を聞いたときのことを久しぶりに思い出した。内容はちがうけれど知らない大人が長々喋ってるシーンはこんな感じだったな~とかしょうもない事や、なんでワンシーン中にカラー映像からでモノクロに切り替わるんだろう?とか余計な事を考えつつ映画は進み、霊廟に遺体を安置して映画終了。最終的には字幕で壮大なオチを告げてるおまけつき。
スターリンの最期を知らなかったので勉強になった。いくら偉大であろうとも、いくら偉業を成し遂げたとしても、血まみれの者にはそれなりの最期が待っているのだなと。
最後に出る字幕は監督が言いたいことだと思うのだが、事実を知らない者からすれば驚きを事実を知っている者からすれば当然の結果を述べているだけなので受け取り方は違うと思うが自分は前者なので素直に驚けたので良かった。
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最後にセルゲイ・ロズニツァ監督の群衆三作見て思ったこと
申し訳ないが誰がやっても同じような作品が作れるのではないかということ。
伝えたいことは映像からひしひしと伝わってくるのだが、いかんせん映像資料のつぎはぎなので特別個性を出せるわけでもなく、これ自分でも作れるのではと思ってしまった。
編集作業が途方もなく大変だったとは思うが、これを自分の作品でございと息巻くのは難しいのではないだろうか。
ピータージャクソンの「彼らは生きていた」も材料ありきの作品だったが題材が独特だったし復元という意味でも素晴らしかったの対して、ロズニツァは歴史的出来事を編集しただけの印象がぬぐえない。
今後は 「アウステルリッツ」の様な独自性(画的に退屈だったけど)のある作品を期待したい。
謎の上から目線になってしまったが歴史の追体験をさせてくれたことには感謝です見てよかった。
構図や演出の決まったプロパガンダ映像を、より劇映画的に編集することによる皮肉!!
日本では、ことごとく未公開扱いにされていた、ロシアのドキュメンタリー作家セルゲイ・ロズニツァの「群衆」にちなんだドキュメンタリーを劇場公開するという企画が、遅れて名古屋でも公開されたが、流石に3作品を一気に観るのには体力がもたないということで、とりあえず観たのが、現時点では最新作である『国葬』だ。
プロパガンダ的記録映像の中にある、計算しつくされた構図や演出から劇映画的要素をあえて寄せ集め、俯瞰的に、いかに茶番であったかをみせるドキュメンタリーだと解釈して良いのだろうか。
北朝鮮の将軍様を死を悲しむ国民のフェイク映像、国外に向けたプロパガンダを連想させるようだ。
映画的構図と群衆たちの葬儀参列映像を垂れ流しにする中での、ひとりひとりの悲しみの表情が、バックボーンを想像させてしまうという構造は、演出的には見事と言うべきかもしれないクオリティであると同時に、国民なのかエキストラなのかは不明だが、一般人たち?が実に多種多彩な表情をみせている。
セリフがあるわけでもないのに、スターリンの死亡記事の載った新聞を買うために、子どもから老人までもが列をなす様子から、国民の動揺や不安感を演出してみせているのは、下手な劇映画よりも映画的である。
この大量のアーカイブフィルムは、『偉大なる別れ』というプロパガンダ映画の素材であったため、200人以上ものカメラマンが撮った素材がかなり豊富であり、また様々な視点、角度からの映像が存在していて、つなぎ合わせるていることで、モノクロとカラー映像が入り混じりはするのだが、逆にそれがアート的効果となっている、
意図的な構図のプロパガンダかもしれないが、皮肉にも当時の時代背景を切り取った、美しいポートレート的側面も見所である。
普通だったら、「こんなところまで撮影しているのはおかしい」というような、労働者たちの表情の切り取り方は、アートでしかない。
ナレーションが入るような、解説ドキュメンタリーではないため、なかなか忍耐力のいる作品ではあるが、スターリンの葬儀参列を疑似体験できるという、なかなかない様なおもしろい体験ができる。
余談ではあるが、スターリンの死とその周りの権力争いを風刺漫画的に描いた2018年の映画『スターリンの葬送狂騒曲』を思い浮かべて観ると、別の意味でおもしろい部分がたくさいあったりもする。
本来ドキュメンタリーというのは、記録映像のことであり、ただ労働者が工場から出てくるところを撮り続けていることで、一見ホームビデオ的ではありながら、登場の労働者がおかれていた環境を切り取っている、リュミエールの『工場の出口』のようなもののことを示しているだけに、記録映像を編集してプロパガンダであることが、わかりやすく現れている部分をあえて再構築していくことで、一周回ってプロパガンダという特徴を利用し、風刺作品にしてみせているという荒業をやってのけている。
当時のプロパガンダを再構築して、観やすい様に編集しているだけであれば、ベネチア国際映画祭で評価されることはないだろう。
ドキュメンタリーというのは、一定の偏った層の観る映画であって、一般的にあまり定着しないという中で、長年の間、日本では日の目を浴びていなかったドキュメンタリー作家が発掘されていくというのは、嬉しい限りではある。
それは劇映画が公開延期になる中で、すでに海外では公開れていながら、日本では未公開の山のようにあるドキュメンタリーが空きを繋ぐという役割も果たしているのだが、自粛期間中にネットフリックスのドキュメンタリー作品が多く視聴されたということにも影響されているのかもしれない。
記録映画としてもひどすぎる
一口で言えば、近来まれに見る駄作。
貴重な映像をろくな構成もなくダラダラ延々と繋いだものだ。
途中までは感想もあったが、後半はひたすら耐えていた。
私が作ってももっと良い物ができると思ってしまう。
まともな映画館が上映しないのは見識だと思う。
時間の浪費である。評価は本当はマイナス。
たしかに人々の表情はよかった。
上も下も「これからどうなるのかという不安感」が
よく感じ取れた。
アーカイブというものを超超越した芸術
大分前の出来事をなぜ今更・・・どうせ映像も何もかもが古臭くて、プロパガンダ的なんだろうなー・・・と正直なめてました。
しかし、冒頭のクリアなカラー映像と美しいモノクロ映像を目にした瞬間、かっけーと一瞬で引き込まれてしまった感じです。
内容は半ば想像通り、歴史的出来事が淡々と綴られていて、共産党から発信される声や音をベースに、まさにザ・国葬が壮大に語られています。
ヤバイ!寝る、と思ったのですが、広大なソビエト連邦という土地の要素を見ているだけでもかなり価値あるように思えました。しかも全ての映像がキレイで、さすが旧ソの頂点を捉えようとする芸術魂…などと訳わからんことを思ったり─。
後半の追悼集会のお偉い方の長い挨拶はきつかったです。でも、それも含めこの作品の魅力でした。まるで亡き者を忘れたかのような“演説”、巨大な集合体が崩壊してしまった今聞くとなんか笑ってしまいそうな虚勢、無駄で無意味な言葉の羅列が意味するものは、やはり、明るい未来ではなかった・・・
単なる記録などではなく、残されたものを丁寧に磨き上げ、ある時代の重要な出来事を再構成あるいは再現した、質の高い芸術作品でした。
葬列、葬列、また葬列で、意識が朦朧としてきた
大量に発見された、スターリンの葬儀のフッテージを再構成した作品と聞いて、なんか発見があるのかな、面白いかも、くらいの気持ちで見に行ったのですが、もう、とにかく、葬列、葬列、また葬列で、スターリンの亡骸を一目見ようと押し寄せた群衆のショットが延々と映し出され(約2時間のうち8割はコレ)、意識が朦朧としてくる、なかなか厳しい映画体験でした。
大量の人々を洗脳し、大量の人々を死に追いやった、その「量」を、分かりやすく説明するとか、要約するとかでなく、そのまま「量」として見せる、というのが、この監督の手法なんだろうなぁ。
って書くと面白そうでしょ。でもめちゃくちゃ退屈ですよ。得難い体験ではありますが。
ドキュメンタリー作品としては最低
滑らかな白黒映像は今作った再現映像で、ざらついたカラー映像が歴史的フッテージなのかと思いきや、両方とも本物の映像資料らしい。
カラー映像の赤いリボンや花の色が、(国旗の色とは異なるが)妙に“ソ連”という感じがして(笑)良かった。
さんざん「レクイエム」(モーツァルト)を聞かされるので、「交響曲第5番」(チャイコフスキー)が流れた時は、新鮮だった。
なんと言っても、「全体主義」というものの凄まじさが映し出されているのが興味深い。
全国の大量の人民を動員して、涙を流す演技もさせる(強制せずとも周囲の雰囲気で、そうする気分に追い込んでしまう)。
スターリン礼賛のアナウンスは、北朝鮮ばりに力がこもっていた。
とはいえ、死に至るまでの詳すぎる病状の推移のレポートを聞くと、スターリンはあくまで共産主義の同志である“人間”として扱われており、“神格化”とはまた違う状況であることが分かる。(北朝鮮では、こうはいくまい。)
ただし、映像の貴重さはともかく、ドキュメンタリー作品としては、最低の部類だと思う。
時系列はあるものの、撮影場所の説明しかない、同じような映像が延々と続く。
この作品の映像については、あまりコメントする意味がないのかもしれない。
しかし、ロズニツァという監督は、自身の“流儀”として、意図的に格好つけてコメンタリーの類いを省いていると考えるべきだろう。
そのことは、意味もなく白黒映像にして、何の解説も入れずに同じ映像を延々と流し続ける、同時上映の「アウステルリッツ」を観て確信したことである。
死してなお「皇帝」の座に君臨する「鉄の人」
20世紀を代表する独裁者で大量虐殺者の葬儀を貴重な映像資料でまとめたドキュメンタリー。NHKの「映像の世紀」も優れたドキュメンタリー作品だが、カメラの目線の先にソビエト連邦の指導者よりも旧構成共和国の市民に向けられているのがこの作品の特徴。
「国父」の死に対し涙を流すものいるが、大半の市民は能面のように無表情なのが強烈に印象的。相互監視システムと恐怖政治から解放される喜びはそこにはなく、誰が後継者になっても同じことが繰り返されるだけでは、との恐怖とあきらめの表情にもみえる。これが20世紀最大級の虐殺と飢餓をうんだ独裁者の政治の成れの果てなのかとあらためて愕然とする。
スターリンについて、死去後たびたび批判と名誉回復を繰り返されてきた。現在のロシアでも「大ロシア主義」を目指すアイコンとしてスターリンの再評価が高まっていると聞く。
本作品がスターリン賞賛のプロパガンダに悪用されないことを願いたい。
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