水を抱く女のレビュー・感想・評価
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美しくも儚い奇想譚
美しくも儚い白昼夢に包まれているかのような味わいだ。ぺツォール監督の語り口が他のどの映画監督とも異なる感性に満ちているのは『東ベルリンから来た女』をはじめ数々の作品からお馴染みだが、いにしえより語り継がれる「ウンディーネ伝説」に材をとったと思しき本作も、ぺツォールが紡ぐと一味も二味も違う現代的な奇想譚へと生まれ変わる。まずもってベルリンという大都会で暮らすヒロインの日常は、その序盤、果たしてこれからどうやって水と結びついていくのか露ほども想像が及ばないものだ。そこに出会いが訪れる。ハッとするほどの鮮烈な描写と共に。さらには、ベルリンと郊外とをつなぐ列車での距離移動と、水深く潜っていく垂直移動。都市発展についての解説が浮き彫りにする時の移動。これら3つの絶えざる流れが不可思議に渦を巻くところにこそ、現代のウンディーネは降臨するのだろう。小品ながらその余韻がずっと胸のどこかに留まり続けている。
現代のベルリンが精霊物語の舞台になった理由
水の精霊ウンディーネには湖や泉に住んでいて、本来性別はないが主に女性の姿を借りて現世に現れ、男性と恋に落ちて結婚もするけれど、恐ろしい代償を伴う。1、夫に罵倒されると水に帰ってしまう。2、夫が不倫した場合は夫を殺さなければならない。3、水に帰ったら魂を失う、等々。現代のベルリンを伝説の舞台に選んだ本作は、所々で精霊にまつわる決まり事を踏襲しているが、ファンタジー色はほぼ皆無。「東ベルリンから来た女」でもそうだったように、監督のクリスティアン・ペッフォルトは、抗えない運命に引きずられる男女の関係を、ドイツの暗く湿った風景の中で描いていく。キーになるのは、この悲しい恋の物語と、東西統合と共に発展を遂げた代わりに、古典的で美しいカルチャーを捨て去ったベルリンとを対比させつつ描写している点。ヒロインの職業を都市開発を研究する歴史家に設定しているのは象徴的だ。古き良きジャーマン文化と現代に現れた精霊を繋げることで、本作は凡庸なリアル・ファンタジーに陥ることなく、観終わっても忘れ難い一部ホラーな異色ラブロマンスとして観客の脳裏に刻まれることになった。
映像がきれい
鑑賞後に知ったのですが、神話がベースにあるストーリーなんですね。どうりで神秘的に感じたわけだ。私が執着心が薄い方なんであまりピンとこなかったです。ウンディーヌはロマンチストな男性から見た女性像ですね。女性監督だったらもっとあっさり女性を描くと思うなあ。映像が綺麗でした。
ちょっと変わったスリラー
パウラベーア扮するベルリンの歴史学者ウンディーネヴィブーはカフェでヤコブマッツェンツ扮するヨハネスに別れを告げられた。水槽が割れる事故をきっかけにフランツロゴフスキ扮する潜水夫のクリストフと知り合った。
極めて淡々と展開していったね。ヨハネスが舞い戻って来てもブレなかったね。なんかみじめだな。でもクリストフも恐いね。と思ったらこれはスリラーか。ちょっと変わった内容だったな。
タイトルは原題がいい
別れを拒絶した女性の苛立ちを埋めるように突如現れた男性。ファンタジーな要素がいいアクセントになっていて、そのひとつに原題の主人公の女性の名前があるので、タイトルはそのままの方が繫るかなと思う。確かに、水を抱くもポイントの一つでしたけどね。
私にとってクリストフの方が「水の精」に感じた。
クリスティアン・ペッツォルトが監督・脚本を手がけた作品。「未来を乗り換えた男」(フランツ・ロゴフスキ・パウラ・ベーア)と「東ベルリンから来た女」が大変気に入った(レビューを書いた)から、「水を抱く女」もみたいと思い観賞した。それに、「希望の灯り」のフランツ・ロゴフスキの物静かで、何かを秘めている役柄が敵役で結構好きだ。「ヴィクトリア」(2015)のように全作品がこうではないが、ゆっくり静かに物語が運ばれるのが好きだ。
ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネ(パウラ・ベーア)とクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)の愛の物語だが、何か変だな、執拗だなという印象が拭えなかった。別れ話を間接的な言い方で持ちだしたボーイフレンドの前で、殺すと言ったし。それに、そう簡単に彼女の力でプールの中にいる前のボーイフレンドを殺せるわけがないだろうとか、、、ファンタジーの混じっだスリラーとして見ていたが、観賞後題名を検索したら、「水の精・ウンディーネ」とわかり、納得がいった。
私は歴史家ウンディーネのベルリンの歴史の説明が気に入った。それを、クリストフが聴きたがっている。彼女がピンチヒッターでする歴史ツアーのスクリプトを暗記したのを復唱するのを熱心に聞いている姿が一番好きだ。愛している人の全てに興味があり、知ることにより、より理解し合えると思っているようだ。
私にとってクリストフの方が「水の精」に感じた。
ベルリンはスラブが起源で、この意味は沼地(marsh/dry place in the marsh)、そして、ベルリンの1・10が犬の頭に見える。そして、都市開発コンセプトベルリン(2030?)には、都市開発に関連して模型を見ながらウンディーネが状況を詳しく説明する。“Greater Berlin Act” of 1920がベルリンをヨーロッパで最大の工業都市にしたらしい。こういう説明の理解力が私には足りなく、中途半端に見終わってしまった。
よく物を落とす・・・水の精霊だから陸では握力がない?
水の精霊ウンディーネ 魂はないが人間の男性と結婚すると魂を得る。しかしそれには大きな禁忌がつきまとう。
・ウンディーネは水のそばで夫に罵倒されると水に帰ってしまう
・夫が不倫した場合は、ウンディーネは夫を殺さなければならない
・水に帰ったウンディーネは魂を失う・・・(wikiより)
この予備知識だけでOK。この水の精霊ウンディーネの話を頭に叩き込んでおけば映画も観やすくなってきます。まずは恋人ヨハネスから切り出す別れ話。そして潜水夫クリストフと運命的な出会い。「別れるならあなたを殺さなければならない」といった怖い台詞もあったけど、新恋人と順調に愛を育むと元カレを忘れてしまったかのように・・・
ちょっとだけホラーっぽい演出もあったりして、伝説が上手く表現されていたように思う。潜水夫クリストフがダム湖で脳死状態になったという意外性。その意識不明状態のときに電話で罵倒されたのも伝説通りなのかもしれない。さすがに2年後のエピソードは、悲恋がクリストフには当てはまらないため蛇足だと感じた。クリストフが奇跡的に数ヶ月後に目を覚まして、ウンディーネを探し彷徨する・・・そこで終わってもいいんじゃない?
ベルリンの歴史を説明するシーンも好き。クリストフが惚れるのも無理は無い。結局のところ、愛を求めるように水に対する欲求も強いのだろうか、ベルリンの歴史も水槽もダム湖も、常に水を求めていた印象が残る。まぁ、タイトル通りですかね。予備知識がない人のために精霊の話を冒頭に入れておいたほうが親切かもしれない。
バッハ アダージョ bwv974
ウンディーネの話そのもので、なんのひねりも無いですが、バッハのこの音楽が映像に透明感を与えていると私は感じました。
あまり知識が無かったので、最初、
この映画の為に作られた音楽と思ってしまいました。
どこのどいつやドイツ人や‼️❓
邦題が秀逸で意味深です、釣られました。
セリフが意味深です、考えすぎました。
ドイツ語が新鮮です、慣れるとフランス語と区別出来ない、トホホ。
ヒロインはタイプじゃ無くて、しかし、元カノに少し似てる、性格も。
なんだかほろ苦い展開でした、少し。
最後はドイツ人らしい結末でした、失望しました、どうでも良いような終わり方。
男性です。 しょせん一緒には生きられない存在として、男性性と女性性を語る古来からの哲学のお話
「渚」という言葉が好きです。
「陸の生き物と海の生き物が出会う場所を指すのだ」とラジオで聞いて、うん、なるほどと思った。
「渚というこの美しい形容は日本独自のものだ」とも、ラジオの識者は語っていました。
ウンディーネ(オンディーヌ)は嫉妬する女の化身。男の相手がたとえ女性であろうとなかろうと、仕事や趣味や信念など、“私よりも優先され大切にされている何かが存在すること”を、オンディーヌは認めたくない。
~ 七夕は年に一度の逢瀬ゆえ
牽牛織女に悦びのあり ~
もうすぐ7月7日ですね、
織姫と彦星は銀河の水辺でデートをします。
牽牛くんが生業の牛の群れをほったらかしにして自分に会いに来てくれるのでなければ、愛は終わりです。
織姫嬢は、彼氏が何カラットのプレゼントをくれたかという有形の贈り物だけでなく、「私のためにどれだけのものを捨ててくれたか」という証拠をも求める。
重い女。
ならば、オンディーヌって男(の人生)を生かしたいのだろうか?殺したいのだろうか?
強く抱き絞め過ぎると、腕中に抱いていたものは水と化し、相手を死なせてしまうんだけれどなぁ。
昨今、ジェンダーは実に多様になった。
陸で肺呼吸をする者。水中で えら呼吸する者。渚で“両生類”として男的な生き方と女的生き方のはざまを自由に往き来できる者。新しい人種たちが、ようやく公然と性自認のオリジナリティを発現できる世の中になってきているから、
そういう世相に鑑みれば水際を境に争う男女という本作品のテーマも、波打ち際の境界線が徐々にぼやけて廃れてしまう前の、滑り込みの制作に相成ったかもしれない。
この映画は、男性監督が女性を撮っている。そのことによって、男女の差異とそれぞれが生きる世界の隔絶性は、より明確に言葉化が成ったといえるだろう。
女性監督が(女子会の 有る有る系おしゃべり形式ではなく)男性観客に向かって「男という性」と「女自らの性」を納得させうるストーリーで完成させたなら、是非とも観たいと思う。
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【まいど、きりんの自分語り】
四季を問わず、屋外での仕事の多い僕。
マイナス10℃でガタガタ震えていると同僚から「きりんくん、別れた奥さんが君の藁人形をザブーッ、ザブーッと氷水に沈めているのさw」と言われ、
灼熱の猛暑日には「君の藁人形を奥さんが火に炙っているんだね」と笑われる。
そうかもしれないとも思う(笑)
別れて5年後に、ずいぶん幸せな再婚を掴んだ彼女からお手紙が来た。
酷く分厚い封書が届いたのだが一通は開封しもう一通は未開封のままうっちゃってある。開けたほうは実に気が滅入る内容で、元亭主を氷水の中に引きずり込もうという楽しくない意図を感じたものだから。
彼女は水瓶座である。
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【 渚 】
僕にとっては結局結論として、男と女は住むべき場所が違う。二者は共棲することあたわずの関係だと思う。
・男は空気と日光を、
・女は水中溶存酸素と湖底遺跡へのサインを求める。
何か同じ世界で生きられるような“錯覚”が、女にはパートナーを永久にその手中から失わせる結末を招き、男は男で渚から深みに転落し、溺死を自らに招来するのではないだろうか。
だから“渚理論”は、それぞれが生きて、お互いを求めるための出逢いの場であると同時に、踵を返しての男の陸(おか)と女の水(うみ)にそれぞれ別れて帰っていくためのサヨナラの喫水線になるべきだと。
つまり渚の逢瀬は一時的なものと割りきるべきなんだと思う。
【もっと男女は友だち関係でいるべき】
自分が生きるために相手を殺すとか、
相手を生かす方法が自分が死ぬことだとか、こんなのはやめてもらいたいんです。
「水に還ったウンディーネの姿」を、彼女の意志と見るか男性側からの願望=女はこうあるべきだという わきまえの強要=と見るか、これは議論の別れるところかも。女への処刑と見えなくもないから。
真理契機をもって語られる神話「オルフェウスとエウリディーチェ」も、アンデルセンの童話「人魚姫」も、その結末は「男女は同じ世界には生きられない」という悲劇の運命を語る。
(神話も童話も作者が男であることは忘れずに念頭に置きつつも)、
棲息域を超えて一緒に生きることの難儀さを、我々人類に説諭するギリシャ神話もこの映画も、誰しもが思いあたる寓話となっている。
それにしてもイタリア映画と違い、ドイツ作品は曇り空だなぁ。時代遅れとのそしりを受けてでも、じっくりと過去と歴史を咀嚼する国民性なのだと見た。ベルリンの壁が崩壊して緩衝地帯の「渚」を消失させたドイツ人の、統一の混乱も、少し想った。
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【追記】
①求愛と種付けの季節だけ同衾する=つがいを作らない!=ヒトに極めて近い種属オランウータンについては、ご興味のあるかたは
『孤独を愛する ふしぎな動物―「オランウータン」のすべてを研究者に聞いた』
で検索してください。
森の哲学者と言われています。哲学なき者はオランウータンに学べ(笑)
②あと現代の「人魚姫」伝説として韓流ドラマ「青い海の伝説」もオススメです。
男の側も命がけで海に潜って恋人シムチョンを救いますから、男勝手で女の側だけに入嫁や変容を求める因習物とはちょっと違う。
男もすなる日記といふものを女もしてみむとしてするものなり
フリードリヒ・フーケの悲恋小説「ウンディーネ」をモチーフに、新たなドラマを描いた本作。
鑑賞中、70年代に漫画の歴史を塗り替えた秀逸な少女漫画家達。彼女らがまだ代表作を放つ以前の、初期作品群のイメージが浮かんだ。
山岸涼子、萩尾望都、木原敏江、青池保子などの幻想文学にも造詣の深い作家達も、デビュー初期は神話や妖精など幻想世界のモチーフを、当時の少女漫画の常識であった恋愛ロマンスと結び付ける事を強いられたから、短編作品達は「少し古い時代の欧州」「神話・妖精・幻想」「悲恋」の要素を含むものが散見された。
本作について、監督は
「フーケの『ウンディーネ』を始め、ロマン主義時代に作られた『神話をベースにした男女の物語』に登場する女性は『男性目線』で描かれている。だからウンディーネの神話に象徴されるような『男達が作った女性像』に『抗えるヒロイン』を作りたかった」と述べている。
なるほど。「『女性目線』にて幻想的なロマンス作品」を、という事だから、24年組少女漫画家達のデビュー初期作品がオーバーラップしたわけか。
ウンディーネ(水の精)でもメロウ(海の精)でも、水に棲む女性型妖精(妖魔)は、男をかどわかし水中に引きずり込んで魂を虜にするものが多い。
本作にて、ヒロインがヨハネスをプールに沈めるシーンは、まさしく彼(か)の水妖のイメージそのもので快哉を贈りたかった。
(人間ウンディーネじゃなくて、妖精・精霊・妖魔の方のウンディーネね。行動の良し悪しは置いといて、本物のウンディーネが男を水に引きずり込む想像上のイメージドンピシャでした。)
しかしながら、やはり男性監督。
インタビュー記事に目を通せば
「かつて湖沼地帯であったベルリンの正史は、水を抜かれて大都市に変貌した200年の間に失われただろう。それを取り戻せる場所として、劇中の博物館を設定した。」
「歴史は過去を破壊し、忘れ、前進し、進歩するもの。ヒロイン・ウンディーネも自己を解放し、進歩する事を願う人物」
「フンボルト・フォーラムは、外見だけベルリン王宮のファサードを装い、中は新しい建築。西側資本主義のレトロ趣味、懐古主義に過ぎない。」
「フンボルト・フォーラムとウンディーネは対極の存在。ウンディーネの中には古いものと新しいものが同じ瞬間に有機的に存在しており、都市というものもまた、そういうものだと信じている。」
いやぁ、女性目線の幻想神話ロマンスにしては、随分と理屈っぽい。しかも、イデオロギーを絡めた都市社会学や都市システム工学なんざ、大抵の女性は語りませんわなぁ(笑)
『土佐日記』よろしく女性目線で描こうとしても、やはり男性監督は男性作品になりますね。
結局、監督は、例えばアンデルセンの人魚姫にも代表されるような「愛を失えば水の泡になって消えてしまう」といった「呪われた悲壮美から、女性を解き放つ」事を目的に、本作を制作したようなのだが・・・。
解き放たれているかなぁぁぁ???
そういう意味なら、ディズニー・リトルマーメイドのアリエルの方が、よーっぽど解放されてて、自由で、革新的で前進しているぞ?
(あーゆーのは退廃的資本主義の表れでダメなのかな?)
「呪われた悲壮美」に捉われているのは監督の方ではないかなぁ?
では、結局、終始付き纏った疑問「ウンディーネの正体」は、本当の水の精・ウンディーネではなく「普通の女性」だったという事なのかなぁ?
幻想美は良く描けていたと思うが、監督の狙いが「悲壮美からの解放」であったのならば、成功したようには見えないというのが正直な感想だ。
(映画ストーリーよりも、住宅都市開発省のガイド内容の方が興味深く、非常に面白かった。もっと聞きたいw
そう言えばベルリンは、統合後ドイツの門として、着けばすぐ列車で離れるし、帰りにちょっとカフェで朝食を取る程度できちんと散策した事がないなぁ。帝政ドイツ時代の話は好きなクセに、未だに頭の中で「旧東側」という意識が払拭出来ない。反省である。)
オマケ話
1. 活字では幾度となく目にしているが、きちんと自然なシチュエーションにて、ich liebe dichと言うのは初めて聞いた気がする(笑)
2.主演のパウラ・ベーアは撮影時25歳だそうだ。う〜む、大人っぽい!
80年代初頭くらいまでは、日本女優も25歳は結構大人っぽかった記憶があるが、最近はねぇ。それとも男性諸氏はいつまでも幼い方が若々しくて良いのかな?
3.救命救急の指導にステイン・アライブが効果的というのは2008年に米イリノイ大学が発見したもの。多くの人は心臓マッサージリズムが遅すぎるが、ステイン・アライブは推奨速度に合致する。ドイツでは救命救急講習会にて本当に指導されているそーな。
本作の使用では1秒につき2000ドルかかったプロデューサー泣かせのシーン。監督がこの曲が好きで、どうしても使いたかったとか。
ビージーズもスタローンもトラボルタもビックリであろうw
ギリシャ神話から?難しい!
ベルリンの都市開発を研究する学芸員のウンディーネは、博物館でガイドとして働いている。恋人のヨハネスが浮気し、落ち込んでる時に彼女の前に、潜水作業員のクリストフが現れる。2人は惹かれ合い、愛し合っていく。
そんな時、クリストフが潜水作業中に12分間酸素が行かなくなり脳死状態になる、ショックを受けたウンディーネは元カレのヨハネスをプールで溺死させ、その後入水自殺を図る。
すると、クリストフが脳死から復活し・・・みたいななんとも不思議で難解な話。
ウンディーネとはギリシャ神話の水の精霊らしく、これから来てるらしいのだが、難しかった。
個人的に感じた事だが、主人公の女性が美しくなく華やかさもなく、その恋人役の男性2人もイケメンでもなくあまりパッとせず、キャスト選定が悪いと思った。
パウラ・ベーアの眼力!
「水の精・ウンディーネ」の神話をモチーフにしたダークファンタジー。
〝愛する男が裏切ったとき、その男は命を奪われ、ウンディーネは水に還らなければならない〟というウンディーネ伝説そのままに、別れを告げる恋人へ「あなたを殺さなければならない。分かっているはずよ」と引き留めるウンディーネ。
最近同じモチーフで公開された「マーメイド イン パリ」にあったポップさはなく、全編にわたって物哀しい物語だった。
別れを告げられ悲しみと怒りを宿す眼、クリストフを愛する悪戯っぽい少女のような眼、元恋人の命を奪おうと水中から浮き上がった時の覚悟を決めた強い眼。
主演のパウラ・ベーアの様々な表情での眼力が神秘的で素晴らしかった。
水の精ウンディーネの悲劇
現実と非現実が行き来するミステリアスな展開。
こういうの嫌いじゃない。
『捨てたら殺す』と言う業の深い女。
男もそれを納得しているような異様な空気。
出だしからぐっと引き込まれる。
ベルリンの都市開発を研究するウンディーネ。
博物館でガイドとして働く彼女は凛々しかった。
男に執着する女とは別人に思えた。
潜水作業員クリストフとの出会い、そして二人のふれあいが愛おしかった。
果たして水に入った彼女は“水の精ウンディーネ”だったのだろうか。クリストフを解放し幸せを祈るようなラストが切なかった。
ウンディーネは『ある画家の数奇な運命』のパウラ・ベーア、そしてクリストフは『希望の灯り』のフランツ・ロゴフスキ。二人の個性が際立つ秀作だった。
ウンディーネはさそり座の女?
ホラー×ラブストーリーであるが、決してロマンティックな物語ではない。
愛する夫(恋人)に裏切られた場合は殺すという、なんとも恐ろしい妖精ウンディーネ。
水の精霊ということだが、裏切りの愛を許さないところなど、西洋占星術でいう"蠍座”にも通じるものがある(蠍座も水の星座で、私も蠍座だからよく分かる)。
バッハの音楽が奇妙な世界観を中和させてくれている。
所々突っ込みどころはあるけれど、中盤以降物語が楽しくなってきて時間的にもちょうど良かった。
【”哀しき、伯林、水夢譚・・・” ”Stay Alive in the Water Forever・・・”】
ー 主人公のベルリン、都市開発を研究するフリーランスの博物館ガイドの名は、”ウンディーネ”
劇中、水中の橋脚に記された”ウンディーネ”の名を見て、
”あ、この作品、ダーク・ファンタジー系だ・・”
と気付く・・。ー
◆ウンディーネ(オンディーネ)
地・水・風・火の四大精霊のうち、”水”の精霊。
映画でも描かれている通り、愛する男が不倫した場合は、容赦なく殺すが、精霊であるので様々な物語では、哀しき美しい女性として描かれることが多い。(個人的記憶です・・)
■感想
・ストーリーとしては、粗い部分もあるが、”水”の精霊の怖さ、哀しさ、愛らしさをパウラ・ベーアが、頑張って演じている。
・但し、個人的な感想だが、キャストとしては、
”肌が白く、髪が長く、謎めいた雰囲気を持つ女優さん”
が、良かったのではないかなあ、と思った。
今だと、誰かなあ・・。
ドイツ映画なのでニーナ・ホスか、ダイアン・クルーガーが良いかなあ・・。
ダイアン姉さんだと、怖すぎるか・・。
<それにしても、クリストフ君(フランツ・ロゴフスキ:「希望の灯り」の過去を隠し、生きる男を演じた姿が、印象的である。)、浮気者ヨハネスみたいに水中に沈められなくて、良かったね。
ヤッパリ女性を愛する恋の深さで、男の生死は決まるのかなあ・・。
怖い、怖い・・。身に覚えのある男にとっては、怖い話なんだろうなあ・・。>
俳優はよかったし、映像も美しかった。が、話はあまり面白くはない。え...
俳優はよかったし、映像も美しかった。が、話はあまり面白くはない。えんえん長い解説シーンは結構よかった。彼が解説シーンが好きなのはなぜだろう。賞を取ったのが理解でこない。
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