17歳の瞳に映る世界のレビュー・感想・評価
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Never Rarely Sometimes Always
原題の『Never Rarely Sometimes Always』が見終わったあとに沁みてくる。
スカイラー役のタリア・ライダーは、スピルバーグのウエスト・サイド・ストーリーにも出演が決まっているとのことでこちらも楽しみだ。
新味あり。支持。
男側の性行為堕胎強要の有無を判然とさせず、
半分前後は女側の責任と受任し、
自ら判断し決行する恐怖と苦痛。
女性の権利獲得の恐怖と苦痛をこそ語る新味。
ひ弱なバス軟派男は性渇望の支配下でもこの顛末。
男側だけを責める気にさせぬバランス感。
その上品さを支持。
あまり問いたださないで
病院の診察に、カウンセラーが
質問した内容に絶句した
涙でそうだった。
これ以上聞かないって
涙がこぼれかけた女の子
いとこの女の子も、好きでもないおとこと金のためにキスしたりめちゃくちゃだった。
モテすぎだろ。
流産するために、ニューヨークまで、
わずかなおかねで、
何日もまつ
くるしさが耐え難い現実。
バスで、ニューヨークいくことさえ、
遠いのに
頑張った!
女の子。
【彼女の大きな瞳に映ったのは、愚かしき故郷の男達(含む父親)と、都会の厳しさと、不安に苛まれながら中絶手術をする決意をした彼女を支える従妹と優しき女性医師達だった・・。】
ー 高校生のオータム(シドニー・フラニガン:素敵な女優さん見つけた!)は妊娠するが、親の同意がないと中絶できないペンシルベニア州から、長距離バスを乗り継いで、従妹のスカイラー(タリア・ライダー:素敵な女優さん見つけた‼その弐)承諾なしに堕胎できるニューヨークへ・・。ー
■感想
・カメラは、オータムの大きな瞳を、頻繁にクローズアップする。そこには、怒り、悲しみ、不安を見事に表現した“瞳”が映し出されている。
ー フライヤーによると、今作でのシドニー・フラニガンが絶賛されているそうだ。それはそうだろう・・、と鑑賞して納得である。ー
・本作では、オータムの故郷の男達は、徹底的に愚かしく描かれている。長距離バスで出会った若き有色人種の若者はどうだっただろう・・。
ー 彼の最後の行動に、同性としてホッとする・・。
<オータムも、スカイラーも学業と併せ、バイトをしている。だが、その金で浮かれて遊んでいる様は描かれない。きっと、生きていくためだろう。
二人にそんな生き方をさせる周囲の大人(特に、オータムの父親)と社会に責任はないのか!という想いと、大都会で力を合わせて難事をやり遂げたオータムとスカイラーの絆が、沁みた作品。
が、何よりも魅力的だったのは、シドニー・フラニガンの大きな瞳出会った作品でもある。>
原題と女性として生きることの苦しさ
原題の「Never Rarely Sometimes Always」の意味が分かるシーンの演技の神々しさと意味合いの深さに号泣。性暴力のシーンは映さないのにここまで苦しい思いをさせてくれるのか。
妊娠の原因にフォーカスしていくタイプの映画なのかなと思ったが…これはいい裏切り。
若者の危うさも描かれているし、女性としての生きづらさを浮き彫りにしている。でも、女性側も男性側をある意味利用してしまうシーンは若いからと片付けていいのか分からないくらい苦しい。
とにかく苦しい。でも観て良かったし見直したい映画。
青春映画
若者が、どっかに行って帰ってくる間に少し成長するっていう、よくあるパターンですが、旅の目的が重すぎる。映画「朝が来る」を思い出し、望まない妊娠をした女性はどこの国でもしいたげられるのだということを思い知らされた。出てくる男は全てクズだった。
よかった
詳細が語られないので想像するしかないのだけど、前日に『プロミシング・ヤングウーマン』を見たせいか主人公は性被害で妊娠してしまったように思える。僕は養子縁組や里親の活動をしているのでなるべく中絶はしないで欲しいと言う考えなので、最後まで産む選択をして欲しいと願っていた。大都会に行ってもお金がなく居場所もない感じは、学生の時に高速バスで電車の始発の前に時間を持て余した時を思い出す。その上中絶の手術もあるし、とってもつらい。
いい映画なんだけどおしい!
17歳の女性をリアルに描いた映画。少女と女性の間をうまく切り撮って、大げさな演出を省いて仕上げた作品。だからか?物足りない、そこは映画なんだからもう少し感情移入させようとするべきでは。ベルリン銀熊賞なので観に行ったが、冠がなければスルーの映画。見所は、中盤で質問の長回しがとても良かった。
全体的な会話もあまり無く、質問や注意事項など事務的な会話は多いのだが従兄弟どうしや家族の会話などほぼ無いに等しい。その演出はリアルで良かった。
タイトルなし
レビューのよさに期待してましたが、クーラーの気持ちよさにうとうと、寝ては起きてを繰り返してしまいました。
ストーリーは中絶を終え帰路につくまでの話で、テレビのドキュメンタリーでもありそうな内容。
眠さで演者さんの細かな表情や、心情の機微までを読む余裕もなかったというところですが、そもそもひきこまれる内容なら眠たくならないという..
女子は辛いよ。
オータムみごとに愛想ないねー。
これだけ無愛想だと「無愛想選手権ペンシルベニア代表」になれるかも。
そんな彼女でも妊娠してしまうんだよね。相手は誰だ?ってことは問題にされない。ここ大事。
sexは二人でして、興奮や快感も二人で(or男性だけ)感じていたのに、妊娠は女性にだけ降りかかる現実的なアクシデント。
原題が「全くない、稀に、時々、いつも」っていう質問の選択肢になってるけど、ねぇ女子、sexの合意をきちんと確認できていて、間違いない避妊ができていて、安心して幸せなsexがちゃんとできてる?
邦題の「17歳の瞳に写る世界」って原題と比べると弱い感じがするけど、映画の中で度々アップで映る澄んだ瞳は本当に綺麗。
でも17歳で十分美しくない男どもの景色を沢山写してきた瞳なんだね。
スーパーのゲス店長やキモいナンパ男。
あー、ますます男を見る目が冷たくなっちゃう。
AMERICA2021
いや、2020だっけ?
これは良かったです。多数の賞のAWARDも納得の逸品でした。
2016年のフランス映画「あさがくる」を思い出した。ドキュメンタリーを見ているかのような感覚。無演出・無演技的なタッチで描かれるのは、州境を超え、中絶のためにニューヨークを訪れた17歳の女の子の数日間。
NYで訪れた二つ目の病院での問診が辛い。早すぎる初体験。目的が理解できないセックス。おそらくレイプ。望まない妊娠。誰にも頼ろうとしない17歳は、「処置」の場面だけでは付き添いを望む。
観る人によって、受け取るメッセージが異なるであろう、ストーリー性に乏しい乾いた脚本。良い男性(ヒト)を一人も描かない虚無主義。
セクハラの腹いせにレジの金をポケットに押し込んだ「普通の女の子」は、NYでセックスの一部と金を交換する。必要なのは救いであることを忘れ責める人々の集団の恐怖。下司は優しい言葉で誘いを掛けるが少女たちの悩みには興味が無い。
暗く湿った都会から、手に手を取って逃げ出す17歳。
NEVER:決して目にしたくない事は、
Rarely:「めったに起きない事」と高をくくっている間に、
Sometimes:少しづつオオキクなって行き、
Always:最後は常となる
過去を咎めている様でもあり。
今を憂いている様でもあり。
未来を予言している様でもあり。
結構文学的で好き。
良かった。とっても。
原題の意味が深すぎる
Never rarely sometims always
この原題が、すべてを語っているように感じる。
普段は何気なく答えているアンケートなどの、選択肢。
この選択肢が、どれほどの重みを持っているのか。
何も明かにせず、事実を追及するわけでもない。
それでも朧気に見えてくる、彼女たちの現実。日常に潜んでいる危険。
守る大人もなく、子どもだけで解決しようとして、さらに深みにはまる。
そして、何も変わらない日常に戻っていく怖さ。
日本でも起こり得る、いや、すでに起きているに違いない。
#62 女性蔑視社会がうまく表現されている
Never Rarely Sometimes Always というタイトルが冒頭に出たときは、何の意味かわからなかった。
終始静的で事件っぽいことはスーパーでお金を数えるところでしか起きないけど、彼女たちの背景に何があったのか問診時にタイトルと同じ4つの選択肢が出たときに全て明らかになる。
冒頭の学校のステージでの嫌がらせに始まり、居間で家族でTVを観ている時父親のセクハラ発言、スーパーでの露骨なセクハラ、極め付けはバスで出会ったこの映画のなかったらでは比較的好青年と、女性は常に男性からの性的圧力を受けながら生きている。
いとこのようにそれを逆手に取ってうまく世間を渡り歩くことも出来るが、unconfortableなことには変わりはない。
表向きは高校生の女の子が無責任な行動の末妊娠して中絶する話に見えるが、その背景には根深い問題があるのだ。
少女の苦しみ
こう言う問題は少女だけが苦しむのですよね。親にも友達にも言えず、一人で苦しむ。今回は従姉妹が味方になってくれたし、彼女の行動力があった事で何とかはなったけど。色んな意味で非常に危険な事ですね。
この映画に出てくる男性はことごとく…(本文参照)
今年85本目(合計149本目)。
toho系でしかやっておらず、最近ご無沙汰していましたが行ってきました。
さて、この映画は元のタイトルが "Never Rarely Sometimes Always" で、「頻度を示す副詞」が4つ並んでいます。それが日本では「17歳の瞳に映る世界」というタイトルになっていますが、元のタイトルは映画内で重要な意味を持っており(下記参照)、あながちこちらの日本のタイトルでも間違っていないかな…と思います。
日本もアメリカも、どこも「望まない妊娠」というのは、やはり存在します。そしてそのとき問題になってくるのが中絶です。本人に帰責性がない場合(事件に巻き込まれた等)は比較的寛容なほうですが、アメリカでは州によって、妊娠後の週が一定数過ぎるとダメという規定があるようで、その「中絶ができる州」まで女性2人(17歳)が旅立つ…というストーリーです。
映画内では明示的な描写はありませんが、主人公は男性から「望まない妊娠」を強要されたものと解せます。すると、彼女から見た目線は「どの男性も汚らわしい」存在になってしまいます。映画内でしつこくメールアドレスを交換しようと迫ってくる青年(もっとも、この人はよこしまな考えを持っている。詳細省略)はもちろん、ただ単に手荷物検査をするだけの男性なども、必要以上に「彼女目線では汚らわしい」存在なので、どうしても「汚らわしい」存在として描かれています(そして、映画内で、彼女に手を差し伸べる男性はまったく出てこない)。
妊娠や中絶をめぐる議論は、日本もそうですが、一般的には暴力など本人に帰責性がない場合は認められることも多いし、それは海外でもそうです。ただ、宗教信仰が日本よりも盛んなアメリカ・ヨーロッパでは、宗派ごとの違いから「宗教が妊娠を許容・禁止」している場合もあり、さらに複雑にします(当然、こういう場合、信仰の自由なんていうものは何ら考慮されない)。
くしくも日本は近々、民法が改正されて男女とも18歳から名実ともに「成人」になります。17歳は(現行でも改正後でも)「未成年」ですが、実際には「成人に準じた扱いを受ける」人たちです。彼ら・彼女らの決定権をどこまで親が許容するのか、また、もっと大きい、中絶の在り方(濫用的に使われるのはまずいが、望まない妊娠を許容することも、またできない)という倫理的な面を問うており、映画自体は架空のお話ですが、日本でもアメリカでもどこでも起きてもおかしくない話であり、明確に問題提起することなく、「自分だったらどうするのだろう?」(男性は妊娠しませんが…)という問題提起がありうることは明白で、その点でも考えさせるところが多いです。
なお、映画内でゲームセンターに行って、ニワトリと○×ゲーム(3×3のもの。先手後手が最善を尽くせば、引き分けになる)をするシーンがありますが、あれに宗教的な意味合いがあるのか、あるいはアメリカの何らかの文化的な事項の示唆なのかは、鑑賞後色々調べてみたのですが、不明でした(もしかすると、何もないのかも)。
採点は、下記が少し気になりましたが、大きな傷ではないので、5.0に切り上げています。
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(減点0.1) 明確に翻訳されていない部分(訳漏れ)がそこそこあります。病院(性質上、日本でいう産婦人科)の前で抗議する人たちが叫んでいる内容(おそらく、趣旨的に中絶反対、賛成という趣旨?)にはじまり、中国語の看板まで出る(国際都市なので…)のですが、翻訳がなく(漢字を追いかける限り、「お手洗いの後はよく手を洗いましょう」というようには読めるが…)、ちょっと不親切かな…とは思いました(ただ、理解を決定的に妨げるほどとは言えない)。
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(※参考) Never Rarely Sometimes Always とは何か?
・ 病院などで、体調管理の観点の問診票で、「次の質問に回答ください」というときに、例えば「あなたはよくタバコを吸いますか?」というような質問があります(日本でもありますよね)。そのとき、ここでは「まったく吸わない、まれに吸う、時々吸う、いつも吸う」から選ぶわけです。元のオリジナルのタイトルは、そこから来ています(彼女たちが病院に行くことは、ネタバレでもない)。
このとき、5択、つまり「普通」のような選択肢を作ると、そこが多くなってしまうことが経験則的によく知られています。そのため、無難に選ばれやすい「普通」を排して、このように4択(または、6択)のようにすることが、しばしばあります。
淡々と描き出される現実に自分の無力を思い知る
原題と邦題は全く異なります。原題は作中もっとも大切な場面のセリフです。注目して鑑賞することオススメします。邦題は作品そのものを表す良タイトルです。
本作は親に内緒で中絶手術を受けるためのショートトリップ・ムービー。少ないセリフで紡ぎ、描写で語っていきますから観る側に想像の自由度をかなり与えてます。
このくそったれな世界、17歳の女性の受難の数々は、辛いです。淡々と、ホントつらいです。けど、これが現実なんでしょうね。
映画「sns」でもそーでしたが、フツーと思われる一般人が獣となり弱者に群がってくるこの世界は、実態は証明しにくくい暴力に溢れているんでしょうね。本作はそんな世界をどうこうしようといわず、犯人探しすらせず、17歳の女性の受難を通して淡々と映し出します。
そして、きっと変わらないであろうこの世を、立場が弱い者がどう生き抜かなければならないか?も。
この弱者にとってのくそったれな世界は今に始まったわけではないわけだから、多くの多くの悲しんだ女性達の想いの積み重ねが少女に差し伸べられた手を生み出したのだろうな、、って考えるとやるせないです。連携して協力して立ち向かわねばならない強さは、悲しみの強さだから。
僕は何かできるのか?何かを変えられるのか?と思うと無力であると痛感します。女性にまとわりつく生き物がいる限り。性欲を持ち、理性と道徳心が薄い人間が存在し続ける限り、変わらないのでしょう。哀しいけど。自分、家族、友人、知人の手を握ることが精一杯です。くやしいけど。
ラスト、彼女達の瞳には何が映っていたのだろうか?
何を見ていたのだろうか?僕には変わらぬ現実への辛さしか見えませんでした。
ホント、男ってくそったれな生き物です。
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