「睡魔と戦えば美味しい味に到達出来ます」ファースト・カウ クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
睡魔と戦えば美味しい味に到達出来ます
2019年の作品が何故今日本公開? しかも地味を絵にかいたようなスローテンポ&暗い画面の連続で、睡魔の恰好の餌食のような作品なのに。あちらでは新進気鋭のA24の配給だそうで、ならばきっと得るものがあるだろうと、配給会社の名前だけで鑑賞を決めた。凄いもんですね、A24って、ここまで私の信用を勝ち得るのですから。「A24の知られざる映画たち」の特集では、アメリカの“インディーズ映画の至宝”と称される本作監督のケリー・ライカートの新作「ショーイング・アップ」のみで、その前作となる本作は対象外。ですが、映画の後半になって突然登場のインディアン女性に見覚えが! そう「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」2023年での圧巻演技で各女優賞総なめの勢いのリリー・グラッドストーンではないですか! 独特の落ち着き払った低音に即座に気付いた次第。彼女の存在が日本公開の後押しになったのかどうか?なにしろほんのワンシーンでの登場ですから。念のため、ケリー・ライカート監督は1.5mちょっとの小柄な女性なんですね。
19世紀の西部開拓時代のオレゴン州が舞台で、ビーバーの毛皮(ソフト・ゴールドと呼ぶとか)密漁に男どもがインディアン達を迫害する状況はマーティン・スコセッシ作品と全く同じ。パリの流行までも気に掛ける商売っ気には感心すらしてしまう。彼らが英国から持ち込んだ乳牛が本作のタイトル・ロールってわけ。天涯孤独の白人と中国移民の男の2人の思い付きで映画は動き出す。この牛の乳を夜間に搾り取って盗み、それを使ったドーナツで金を稼ぎ、いずれ華やかなサンフランシスコに出て自分達の店を開く夢を描く。彼等にとって八方塞がりの現況からの唯一の脱出策でもあった。
ビーバーを盗む悪徳商人の放ったらかしの牛から乳を盗んで美味しいドーナツで金儲け。開拓期の無秩序の最中、先に手を付けた方が勝ちのカオスに生き残りを賭けたエネルギーすら感じてしまう。最大のポイントは、汚らしい環境の粗末な調理器具によって出来上がった、丸々と膨らんだ大きめのレモンサイズの揚げパン、すなわちドーナツです。黒い板に載せられた8個のそれは、良質なミルクをたっぷり含み、はちみつを掛けられツヤツヤと輝く。ビーバーがソフト・ゴールドなら、これはフライド・ゴールドでしょう。どちらも男どもの夢が凝縮されているところがミソです。
何故こんなに旨い? 中国の秘伝の調味料を使ってますと、とぼけるも乳盗みが露見した時一気に命を狙われるサバイバルの世界に一変するる。その契機となる仲買人役にやっと見慣れたハリウッド役者トビー・ジョーンズが登場すると、ちょっと安心するのですが。多勢に無勢で当然に2人の行く先は南に位置する花のサンフランシスコではなく、冷たいオレゴンの土の中と言う結末で冒頭の現代シーンでの白骨に繋がる。ここで浮かび上がるのが2人の人種を超えた友情ってわけ。映画の冒頭のテロップ「The bird a nest, the spider a web, man friendship.鳥は巣、蜘蛛は網、人は友情」に結ばれる。
極めて寓意に満ちた作品ですが、スタンダートのほぼ正方形の狭いサイズで、昼なお暗い描写はかなり辛い。もっとドラマチックに、もっとスリリングに描き得たのに。彼らを包み込む大自然だってもっと美しくもっと残酷に描写出来たのに。予算なのか技量なのか、いずれにしても勿体ない。
映画館からの帰途、ミスター・ドーナッツに寄ったのは言うまでもありません。私は昔からオールド・ファッション派、これにハチミツかければ映画の味でしょう。