「映画としてはまったく面白くない」DAU. ナターシャ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
映画としてはまったく面白くない
なんとも不可解な作品である。シーンはロシア語が主体だが、英語やフランス語も話される。ロシア人が話す外国語はいずれもカタコトに近い。主人公のナターシャが働くのは、ある施設の中にあるレストランである。ホール担当の同僚は若いオーリャだ。客はほとんどが顔見知りで、誰もが名前でナターシャやオーリャと呼ぶ。映画の大半をこのレストランのシーンが占める。
ナターシャとオーリャは年の離れた姉妹のようで、喧嘩もすれば仲よくもする。このふたりの精神性がよく分からない。両方とも強気なのだけは分かるが、そもそも弱気なロシア女性がいるとは思えない。愛について語ったかと思えば次の瞬間は互いになじり合う。
客はどうやら研究施設で働く人々であり、科学者と軍人とその家族たちだ。つまりレストランはほぼ社員食堂である。酒を出したりするからウェイトレスが必要なのだろう。明治時代の女給のようで、給仕以外のサービスもある。しかし本番までやってのけてしまう必然性は感じられなかった。必然性のない男女の絡みは単なるポルノだ。
時代は第二次大戦中のあたりか。ナターシャの熟れてしぼみはじめた身体と若いオーリャの張りのある身体がカメラにさらされる。一方はKGBの職員によって、一方は研究者たちによって責められる。どこにスパイがいたのだろうか。観客とした何もわからないままだ。
KGBによるナターシャの取り調べのシーンはそれなりの迫力。全体主義者はこのようにして個人の心を折り、服従させていくのかという迫真の演技だったと思う。しかし日大アメフト部の部室でも同じようなことが行なわれていたはずだ。全体主義はソ連だけではない。
作品としてはどう考えても面白くはない。DAUプロジェクトの作品のひとつらしいから、実験的な作品としての位置づけなのだろうが、エンタテインメントの部分が一切なかった。おかげでほぼ満席だったにもかかわらず、終映後の観客は誰ひとりとして言葉を発しないまま劇場を出て行った。同プロジェクトの第二弾があるとすれば、それを観たらもう少しは本作品も理解できるのかもしれないが、本作品があまりにも面白くなかっただけに、観るかどうかは微妙である。