佐々木、イン、マイマインのレビュー・感想・評価
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奇跡みたいな時間が続々と目の前を通り過ぎていく映画。
現代のパートも過去のパートも、決定的な瞬間や事件はほとんど描かれない。どこかからどこかへと向かう途中の時間をすくい上げて、その時間にある豊かさやかけがえのなさ、宙ぶらりんのリアルさなんかをみごとにシーンに昇華させている。終盤はちょっとまとめに入ってしまった気はしたし(ラストはまとめないぞというまとめだとも言える)、映画内で描かれる演劇がダサめなのが気になったりもしたのだが、それにしても、素晴らしい演技と撮影によって緻密に生み出された現実の揺らぎみたいなものが随所で立ち上ってくるので、終始スクリーンから目が離せなかった。贅沢な体験でした。
あと鈴木卓爾。佐々木の父親をあのビジュアルとあの声のトーンで演じたセンスと佇まいに心から震えた。いい演技だらけの映画だけど、とりあえず2020年の助演賞は鈴木卓爾一択でいいんじゃないかと思ったりしました。
バカバカしい学生時代思い出します!
何だかバカバカしい学生時代を思い出します。女子の少ない工業高校に居そう、、、かと思うとナンパに抵抗があり連絡先も聞かない。これが佐々木君の男らしさなのかなー。何年か前の河合優実さん拝見致しました。前に公開している間に行けませんでした。
最初から結末が分かる。 人称がコロコロ変わり、時間が行ったり来たり...
最初から結末が分かる。
人称がコロコロ変わり、時間が行ったり来たりして、登場人物が沢山出過ぎ。
つまり、散文的過ぎる予定調和な話。
友情とか家族とか描くのは勝手だが、全ての登場人物に生活感が無い。個人のアイデンティティが相互に絡んで、家族とか友情とかが生まれると思うけどね。
『佐々木って昔からあーだったの』って演出が未熟だから、それはたったの5分前。しみじみとした時間経過すらない。
話がそのうちこんがらがって、相関関係が出鱈目になって、ストーリーの根幹を作るはずの主旨が欠如している。
つまり、日本人の好きな『徒然なるままに』の散文である。
『最後は予想通り』
これなら、ぬいぐるみで話していた方がマシだ。
友人の死(僕には友人がいない)、喧嘩(二回いきなり殴りた)カラオケ(昔は仕事で連れていかれた)、パチンコ、バッティングセンター、ナンパ等など一度も経験がないので、その良さが分からん。
癌でぽっくり死ねない!
他人の不幸や作られた不幸で、自分の幸福を感受する大日本帝國の未来は明るい。
でも、こんな目的のない奴は役者なんて目指さないで貰いたい。ただでさえ、ろくな演出家がいなくて、ろくな映画が作られないんだから。
それで、スリッパでバスなんだと思ったけど。
結局、最後はそう言う事になるんでしょう。最初のバスの場面と最後のバスの場面だけで繋げば、この映画は5分で終わる。
やっと終わった。
疲れた。
爽快感のある熱量
高校の同級生4人組。その中一人、佐々木という
面白く、滑稽な人物像を現在と過去
回想させながら進んでいくストーリー。
佐々木の家庭環境は複雑で母親も居ない。
父親はたまに帰宅するだけ。
強がって生きているし、その寂しさの現実を
忘れる為に面白くしていたようにみえる。
佐々木と悠二の時折見せる表情。
儚くて尊くて寂しいだよね。
佐々木の『できるからやるんじゃないだろ、できないからやるんだろ』は素敵な言葉。
あの4人組が線路沿いを自転車で快走する
シーンは青春。
カラオケでナンパする佐々木も可愛い。
本当に最後を上手に纏めた。
あの佐々木が飛び出し、苗村がクラクションを
鳴らす姿も良かった。素敵な女優さんだと思い
後で調べたら河合優美さん。色々な役をこなして
売れてきて嬉しい限り。
爽快感のある熱量と佐々木コール。
内山拓也監督の才能を感じる映画でした。
友人と久々に再会した時の、お互いの近況を探り合う嫌な感じが見事に表現されている
学生時代の友人と久々に再会した時の、お互いの近況を探り合う嫌な感じが見事に表現されている。私も昔は役者を目指してたのでユウジにめっちゃ感情移入できた。ユウジと住んでる駅まで一緒でビックリ!
「最近何してるの?」久々に会った時の一言が辛いんだよねー。しかもそれが大した仕事もしてなくて独り身だったときは言いにくい...。(今の私がまさにそれ)
全編静かで特に大事件起きるわけでもないのに、台詞、表情、間、すべてがリアルで突き刺さる。面白いとかつまらないとかではなく、不思議な余韻が残る映画だった。
来年新年会で友人たちと集まったときも、「最近何してるの?」って探り合いがはじまるんだろうなぁ。自信を持って今の近況を報告できる友人は何人くらい居るだろうか。
止まない佐々木コール
佐々木が苗村をナンパしたカラオケボックス、良いロケーションだったなぁ。オール明けの何故か儚い感じが良く出ていた。 ラストの藤原季節演じる悠二が走るシーン。熱量が上がっていく様が印象的でした。
out of my mind
誰かが記憶や死者を辿るとき、その対象は少なからず一方的・恣意的に消費される被虐者である。面と向き合った相手の心さえ見通せない我々に、記憶や死者のそれが見えるはずもないが、記憶や死者をなかったことにはできないから、我々は自分の思考を頼りにそれらを思い浮かべる。俺にはお前がわかるんだ、と自己暗示をかけ、「内面を持った」記憶や死者を好き勝手に召喚する。 別にそうすること自体は悪くない。それが「思い出す」という行為の本質なのだから。ただ、思い描いた他者像が自己世界の拡張に過ぎないということを意識的であれ無意識的であれ忘却し、主客の位相を混線させるような作品には疑問がある。 本作ははじめこそ石井を語り手(あるいは思い手?)とした一人称の体裁をとっていたものの、物語が進むにつれてカメラは徐々に石井を離れ、思い出される客体であるはずの佐々木にも焦点を当てていく。私にはこれがものすごく暴力的なことに思えた。 石井の個人的世界の中では「佐々木は可哀想な奴だった」という憐憫にも似た認識が醸成されていたが、先述の通りこれはどこまでも恣意的な他者認識だ。佐々木が本当に何を思っているのかは佐々木にしかわからないし、わかるべきではない。にもかかわらずカメラは石井のいないところに留まり続け、そこで苦悩し涙をこらえる可哀想な佐々木を捉える。このように佐々木「だけ」を映すことによって、石井の主観(=想像)は客観(=事実)へと巧妙にすり替えられていく。絶対にわかるはずのない、わかるべきでない佐々木の本心が暴かれていく。石井の回想によって一方的・恣意的に呼び出された佐々木は、次いでカメラの客観化作用によって「事実」へと固定される。佐々木は二重の暴力に翻弄されているといえるだろう。特に佐々木が山梨のカラオケボックスで苗村をナンパするシーンなんかは佐々木を「事実」にする以上の意義がまったく見当たらなかった。 果たしてこれほど執拗に、「佐々木 "in my mind"」というタイトルさえもかなぐり捨ててまで佐々木を「事実」にする必要が本当にあったのか?私としては、佐々木の葬式前夜に昔通っていたバッティングセンターを訪れた石井たちが、ホームラン数ランキングの掲示板に「佐々木」の名前を見つけるあのシーンだけで万事は事足りていたんじゃないかと思う。 テネシー・ウィリアムズ『ロング・グッドバイ』の脚本とオーヴァーラップしながら一気呵成に畳みかけるラストシーンは、勢い任せとはいえかなりの出来だったように思う。霊柩車から全裸の佐々木が飛び出し佐々木コールが湧くラストカットも全然嫌いじゃない。むしろ好きだ。ただ、先述のような狡猾さないし思慮の浅さを鑑みると、これら一連のシークエンスも単にそれっぽいことをやっただけのように思えてしまうから残念だ。 石井とユキのやり取りに関しても疑問が残る。私には二人が「人生には数々の別れがある」という本作と『ロング・グッドバイ』に通底するテーゼに例証を加えるためだけに別れさせられたように感じてしまった。なぜ二人には回復への道筋が残されていなかったのか?そこが描かれていなければいけないと思う。無論そんなものを描いている暇はなく、それならば初めからユキに焦点を当てるべきではない。苗村同様に単なる背景オブジェクトとして布置しておくくらいがベストだったんじゃないか。
ほんのりと切なく、タバコ臭く、元気をもらえる作品
なあなあで大人になってしまったんだろうなあという主人公の今と、決して華やかではないが仲のいい4人組で過ごした青春時代の回想が交差しながら、作品は終点へと向かっていく。大人の主人公も、回想の中の佐々木も触れたら爆発してしまいそうな、どこか危うい雰囲気を漂わせていた(佐々木は大人になってもだが)。
佐々木が死んで、元カノとのお別れを決意し、まるで爆発したかのようにロンググッドバイのセリフを叫びながら走り出す主人公。そして最後に爆発したかのごとく飛び出す佐々木。それに拍車をかけるようになされる佐々木コール、車のクラクション。最後のシーンが現実なのかフィクションなのか定かではないが、いずれにせよ彼らの心の中にはいつだってどこかに佐々木が、今にも服を脱ぎだしそうな、そんな躍動感のある「いきた」状態で存在していることの表れなのではないかと感じた。
明るく元気でお調子者で、でもどこか心の内に秘めた思いを抱えている佐々木。私が中高生の時にいたお調子者は、本当にただのバカだったのか、それとも…、などと当時を想起しながら、男子特有の青春に淡い憧れを抱いた作品であった。いつか私も自分自身へのさよならへとたどり着けるよう、えらいスピードで進んでいく世界についていけるよう、頑張って生きようと思う。
それにしても主人公がめちゃめちゃ喫煙者。画面越しにタバコのにおいが服に染みついた気がする。
あや取りのような脚本と編集、ラストの爆発力であや取りの形が出来上がるなかなか見事な映画。内容よりもそこに感心した。個人的には佐々木が中島みゆきの『化粧』が好きだった事がポイント高し。
①『ロング・グッドバイ』をミュージカル化すると聞こえたから、てっきりレイモンド・チャンドラーの『Long Good-bye』だと思い、“あれをミュージカル化?ってどうすんだろ?”と思っていたら全く違う芝居だった。 だが、「人生は“さよなら”の連続で、最後の“さよなら”は自分へのグッバイ」という視点は面白い。 ②悠二の現在、悠二・佐々木・多田・木村の四人組の高校時代の回想、多田・木村の現在、佐々木の現在まで、これらをモザイクの様に組み合わせ、最後のシーンで四人組の高校時代のしこりに落とし前を付ける構成がなかなか宜しい。
ヒリヒリ
という表現が一番ぴったりかな。 題名だけ聞いた時には、例の名前だけ出てきて、画面には登場しないパターンかなと思っていた。 しかし、「佐々木」の存在感はハンパなく、見終えて時間がたった今でも、思い出すとヒリヒリした気持ちになってしまう。 好き嫌いに別れる作品と思っていたが、一緒に見た人が珍しく高評価で、私の気持ちと一致したことも心に残った。 名作。いや、傑作。あ、何か違うな。 でも、このヒリヒリとした胸が締め付けられるような気持ちをいろんな人に味わってほしい作品。
ただ無為に過ぎる時間!!
色々な青春があって良いと思いますが、知識や教養への信奉が無くただ無為に過ぎていく青春は自分にとってはしんどいです。ストーリーは起承転結や何かしらの問題解決が無いと、観る人に何を伝えたいのか良く分かりません。グダグダしていたら最後に佐々木が死んで、やっと始まった感じでした。
back to the 青春、それから
男子高校生の青春を佐々木を中心に描きながら、悠二(主人公)の回想という形で物語は進んでいく。
共学の方ならわかると思うのだが、こういう男子(佐々木)いたなぁと思わすシーンが多く、思わずニヤけてしまうシーンが多かった。その一方で青春の瑞々しさと現在の悠二の対比は、大人になれば誰にでも感じる不自由さ、不甲斐なさをよりいっそう際立たせていたと思う。最後の佐々木の死と裕二の劇中のセリフがリンクしてベタだが「生きる」という決意は胸がアツくなった。
しかし、これはあくまで佐々木が過去になっている人向けの映画なんだとも感じた。いいヤツだったが家庭の事情で高卒でフリーターで地元に残る。
視聴者それぞれの「佐々木」が映画のようになっているイメージをもつことでいい映画とされているのではないかと思った。
P.S.佐々木のモデルはまさに佐々木を演じた細川岳さんの実際の友達をモデルにしているとのことです。
青春の妖精
色々あって見逃していた作品を三連休の最後に観る。 暗く、何を言っているのか分かりづらく、転換も悪い。自己陶酔感がすごい。邦画を嫌う人間が喜ぶほどに、日本映画の嫌われがちな要素を掻き集めたような作品。 だけどこの作品が嫌いかと言われたら嫌いじゃない。でも好きかと問われても困ってしまう。そんなある意味で唯一無二な映像を観た気がする。 佐々木の魅力はわからない人も多いだろう。 あんな奴が学生時代に居たら甚だ迷惑だ。一番苦手なタイプだ。ああやって人の心情にズケズケと土足で立ち入り、心を掻き乱して去っていく。こう言うタイプは友だちにするべきではない。 何故なら自分を肯定できなくなるからだ。どこかで「こう言う風に生きてみたい」と思ってしまう。「あいつみたいに生きられたら」と憧れてしまう。本当に憎たらしい。皆、社会に屈して真面目に生きていこうと努力しているのに、佐々木と言ったらそんなことはお構いなしに生きる。踊る。 実在しそうで、そんなのまやかしで。でも本当に見たんだよ!なんて、きっと目を輝かせて話をするんだろう。佐々木は青春時代の妖精のようだ。ああ言う風に生きてみたいと思っても、彼は妖(あやかし)の類いだから真面目に考えるなんてやめた方がイイ。そうに決まっている。
学生時代のヒエラルキーでどこに属していたか
この脚本は「桐島、部活やめるってよ」系譜な、学校の主人公じゃない自分達が、話の主人公という設定でした。
学生時代、ヒエラルキーのどこに属していたかによって受け取り側の評価は分かれると思いますし、さらに、ノリが全然違う学生時代だったとなると、全く合わない可能性がありそうです。
登場人物の人達は、とても深堀されていて良かったです。会話が嘘くさくなかったです。なんでってということもありましたが、人生ってそうですよね。
私の友達に、まさに佐々木キャラがいます。
彼の人生も今まさにそんな感じです。見ていて本当に辛さを感じました。最後は自殺の方が話の展開的には良かったんじゃないかなと思いましたね。
かなり心が辛くなりますけど。
それにしても丁寧に作られているな、という印象を受けました。オススメです。
難しい…映画なのか…??
多分大衆向けではなくて、ちょっと捻くれた小難しい映画なんじゃないかと思う。 努めて前向きに、集中して理解しようと試みたがよくわからなかった。。 …理解できないオレが悪いのかな。。 クライマックスのノイズ掛かったサウンドはスーパークールだった。 あの音楽で+★1 笑えるかな〜とも期待していたが笑えるところも無し。 ほんとに主観ですが、佐々木はかまってチャンの寂しがり屋でみんなそんなところあるだろ?? って問いかけられてるのかな?と薄っすら思いました。
ぐたらない日常という宝物
どうしようもなく過ぎ去っていく時間。 止められないその一時。 取り返せない時間。 失ってしまったその時間。 今思い返せばどうしようもなく、くだらなかった日常こそが宝物だったんだ。 そんなことを思い起こさせてくれる一作。
佐々木の裸踊りは、俺たちの青春だった!
教室で丸裸になり踊る佐々木。 「俺は馬鹿だけど、お前ら全部捨てれるかよー!!」 「お前ら、気取ってんじゃネーぞ!!」 「それにしても、スカッとしやがる!!」 「お前らに真似できるかー?やれるもんなら、やってみな!!」 佐々木は何を考えて、教室でストリップをしてたのか? 馬鹿で、運動神経ゼロで、ビンボーで母ちゃんは家出、父ちゃんは失踪・・・ そんな佐々木は俺らの間では、ヤッパ、ヒーローだった。 女子のいる男女共学校で素っ裸になる佐々木を、俺(石井悠ニ=藤原季節)は、 ある意味で尊敬してたし、好きだった。 (俺には真似できねー) 2020年。監督:内山拓也。 佐々木を演じた細川岳が内山に高校時代で1番の思い出をと聞かれて、答えたのが、 佐々木(仮名)のエピソードだった。 なので脚本は内山拓也と細川岳が担当した。 馬鹿一代記、みたいな佐々木の一生。 「俺は今、必死こいて生きてんだぞー!!」 売れない劇団員の石井は、喝を入れられてたんだ。 「お前、舞台の上で、丸裸になれ!!心も身体もだ!!」 そんな佐々木の声が聞こえる。 佐々木は石井にとっても仲間にとっても忘れ得ぬ青春のメモリアル・グラフィティー。 ちょっととんがってるが愛すべき映画だった。
素直な自分の気持ちを伝えたいと思える映画
親の愛を受けずに育った佐々木。学校で友達に明るく見せる佐々木。それを思う友達。佐々木コール。 人生に正解はないが、失敗はあるのかもしれない。それは少なからず親の影響があるのかもしれない。あるのだと思う。 恵まれない環境からどうやって這い上がることができるか。今の社会の縮図であるようにも思う。 友達4人のうち一人は、当時過ぎだった人と結婚して赤ちゃんも授かっていた。その赤ちゃんを抱いた時涙が溢れる。その感情の深さは当人にしか分からないのだろう。ただ、とてもとても心に刺さることは分かる。 人の人生を左右するものは一体何なんだろうか。 正直に生きるということなのだろうか。
久々に
この点数つけてしまいました。 どこがどう面白い(色んな意味で)のか全く理解できなかった。 私の好みの問題かもしれませんが、 人に考えを投げかけて、謎に難しい脚本が苦手です(キッパリ いや、簡単なようで訳わからない。 佐々木には親近感を感じて、こんな人いたなぁーという感じはあったけど、、、 ただストーリーには多々多々違和感が。 皆さんの評価の高いレビューを読む気分にもならなかったです、、、申し訳ございません
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