はちどり(2018)のレビュー・感想・評価
全135件中、81~100件目を表示
私はおかしい子じゃない
まず、私はこんな家庭には生まれたくないな、、、というのが率直な感想。
親が子を思う愛情を履き違えてる感もありながら、そうでない部分もあり。あれっ!愛情あったの!!?と思う部分と交差しながら。
ウニがほっとできる所は、塾の先生と。
入院中や、病院の先生といるときもほっとできてるように思えた。
ウニの心の葛藤がとても表現されていた。
ウニが家で、もどかしさからか、やるせなさからなのか、
足をダンダンと音を立てながら、感情をぶつけるシーン。
『おいおい、下の住人から苦情くるでしょー』と
からの『ピンポーン』チャイムがなった。
ほらね、苦情きたでしょうよー。
と思いきや、まさかの
『小包でーす』
マジか(笑)
忘れていた感覚。
もう遠い昔になるけれど私にも14歳のときがあった。 共働きの両親と団地に住み、うまくいかない友人関係に悩み、大声で泣き叫んだこともあった。 今思えば大したことのない日常だったけどその時は何かに苦しんで仮病を使って学校を休んだこともあった。 ウニと同じ程度のワルさもした。 親に反発したこともあったが当時の親の年齢をとうに超えて、親だって普通の人間であり完全ではないことはとっくに理解した。よく夫婦喧嘩していたけど最期は深く愛しあっていた素晴らしい両親だった。 そんなことを思い出させてくれた作品。 兄の涙はああだったのかな、先生はこういうことだったのかな、とこちらに委ねられているので今も余韻に浸りながらあれこれ考えている。 大声で泣き叫ぶことなど今は全くないし、これからもないだろうな。
少女の成長
1994年の韓国を舞台にした、ある一家の物語である。主人公は純真無垢でありながら、繊細な心を持つ中学生。 まず、観て感じた事は当時の韓国の家父長制度を如実に表してる所である。何故か子供たちは父親に敬語を使う。父の存在は絶対的である。次に兄が妹に否応なく暴力を振るう。当時の韓国は男尊女卑が当たり前の時代だったことがうかがえる。 作中、家族や友人との対人関係に悩んでいた主人公の心を開いたのは、付き合ってた彼氏や親友、後輩ではなく、顔見知りの人の数を質問すると同時にその中で心まで知っている人は何人かと問い直した女子大生。その命題が主人公の心に突き刺さったんだと思う。 ラストシーンの1人孤独に見えながらも微笑む主人公に、やっと自分の居場所を見つけた安堵感を感じずにはいられなかった。
テーマと結びついた美しい映像が非常に印象的。
これが長編映画の初監督作とは信じられないくらいに、テーマと映像が見事に一体化した作品! 表題の「はちどり」はもちろん、主人公ウニ(パク・ジフ)を指しています。自分が何者なのか良く分からないままに、様々な圧力や不条理に絡め取られないようにもがく姿がハチドリと重ね合わされています。しかしウニは、自分が何者であるかを自覚する以前に、自分のことを語る術も持たず…、会話は言い淀みの中で宙に浮き、直接感じたはずの怒りや悲しみの言葉も呑み込むだけ。家族すらも、その存在を見落としがちになります。 本作で特に印象に残るのは、映像の美しさ。やや逆光気味に人物を照らす柔らかな光は、ウニたちの姿を包み込み、肌の瑞々しさを一層際立たせています。この画面は、恐らく単に人物を美しく撮ることを意図して構成したものではなく、ウニ自身が認識している存在感の薄さを、「透明感」という形で表現しているのではないかと推測。同じ自宅の、父や母のいる居間の照明が、真上に置かれ、かつほとんど回り込まないために陰影が強調されていることでその確信はより強まりました。現実世界を明瞭でコントラストの強い映像で表現したのではないかと。本作ではウニの姿を後ろから捉えた映像が度々登場しますが、いずれも極端に被写界深度を浅く(ピントの合っていない部分が多い)しています。この映像の意図もまた、ウニが世界から浮き上がっている状況を映像的に表現したものではないかと。 言葉に頼らず内面を語る物語なので、確かに少し意図が理解しにくい描写もあるのですが(ウニが母親に声を掛ける場面など)、それ以上の映像の雄弁さに圧倒されました!テーマ的に『82年生まれ、キム・ジヨン 』と共通した部分が多く、『キム・ジヨン』の前日譚として観ることもできそうです。
韓国の岩井俊二、デビュー
また凄い監督が現れた。ストーリーは単純、10代少女の日常。何も事件が起きないし、空を飛ぶわけでもない🤓大人は分かってくれない状態だが、家族は皆、不器用なだけなんだけど子供にはまだそれが分からない😬お父さんがいい味、出してたな。病院でのシーン、泣けた。やっぱ、子供の事を一番、心配してるのは親だよな。監督の次回作が楽しみ。あっ、主役の子は超美少女です。
韓国という国が好きになれなくて─
個人的に韓国という国が好きになれなくて、様々なニュースや文化芸能に至るまで避けていたけれど、この作品の予告などを目にしてなぜか不思議なノスタルジーを感じてしまって、衝動的に観賞することに。 映像の質はそれほど良くないと感じたけれど、そんな些末なことなど関係がないほどに、丁寧な描写と機知に富んだ内容で、素直に共感できる作品だった。 自分の周りとなんら変わらない、違うのは言葉のみ、あとは全部同じ、なのになぜ嫌う・・・ 作品中の時代、今ほどまでに隣国に苦手意識を持っていただろうか?韓国の知り合いもいたし、なんかものすごく仲が良かった気がするのは幻想だったのか、あるいは今のこの状況が何かに操作された結果なのか─。 今更ながら、映像の影響力というのはバカにならないと思ってしまう。 すばらしい音楽とすばらしい演技で、非常に心を揺さぶられ、なんの垣根無しに感動できた。監督の真摯で素直な意志を感じ取ることができる、見事な作品だった。と同時に自分にとっては隣国への意識を正常へと軌道修正してくれるような作品でもあった。
キム・ウニ14歳(君は私だよ)
あんりゃーー、こぉりゃ良いわーーー。
欧州的、東欧的。例えばポーランドとか旧東ドイツとか。
フランスじゃないし、絶対に英国でもないし。
ここんとこ、毎週韓国映画を見てる気がしますけど、これがダントツに良かった。
ハチドリは、色んなものの象徴として扱われる存在ですが、それは地域・時代により全く異なるという珍しい存在です。
戦神。メッセンジャー。儚いもの。
映画タイトルに込められた意味は「儚きもの」かなぁ。
この世界は、しょせん「儚いもの達の仮の住まい」に過ぎない。何が正しい生き方か、間違った生き方なのかに答えなどない、移ろう儚い世界。だから、どう生きるかは、あなたが決める事。そうして生きて行く日々が、愛おしく、素晴らしい。的な。
初めてのボーイフレンド。してみたかっただけのキス。親友との不良遊び。裏切り。別れ。家庭不和。垣間見る両親と言う名の大人の世界。女子高あるある。ちょっとした病気。残るかもしれない傷跡。大人たちが騒いでいるけど良くわからないニュース。年上の女性への憧れ。大きな事故。二つの死。背伸びと成長。
14歳の少女の120日余りの日々を通して描かれたものは、そんなものたちで、誰もが経験して来たこと。大人たちがここまで来るときに経験して来たこと。14歳の少女が特別な行動を起こさないところがリアルでした。
君は俺だよ。私だよ。私達だよ。
って言う映画でした。
主演ののパク・ジフは2003年生まれの16歳。先生役のキム・セビョクは、ホン・サンス監督作でお馴染みのベテラン女優。監督・脚本のキム・ボラはコロンビア大学院で映画を学んだエリート。
14歳の少女を軸に描かれた静かなリアリズムは、あまりにも韓国離れしています。喜怒哀楽の4要素のデフォルメを排除した、本当に欧州的な世界観が新鮮。だけど。長いってw
とにかく、長い。これが難点ですかねぇ。飽きるよねぇ。要らんエピソード、幾つかあるよねぇ。って思いました。
いずれにしても、キム・ボラ監督とパク・ジフには、今後も注目ですです。
良かった。とっても。
------------------
7/30 追記
ラスト。社会見学だか何だかわからないけど、集合場所に集まった同級生たちを見つめるウニの場面。ルイ・アームストロングの "What a woderful world" の世界だよねぇ。
で、グレタ・カーウィグの "Ladybird" の中で、進学が決まり、街を離れることになったシアーシャ・ローナンが、街の景色を心に刻み込むためにサクラメントの市街をクルマで走り回る、あの場面を連想してしまいました。
同じだよなぁ。
女性監督が奇しくも。
この時代に、What a woderful world" の世界をテーマに選ぶんだ。
Positiveで良いですよね。とにかく、Positiveなテーマが良かった。
傑作
今年No.1クラスの傑作。 ほぼ何も起こらないといって良いくらいのミニマルな物語ながら、子供とも大人ともつかない14歳の少女の感情の動きを丁寧に描写する抒情詩ともいって良い映画。それを台詞やナレーションでなく、ちょっとした表情や動き、場合によっては日常的な景色に雄弁に語らせる。 彼ほど美しい映像ばかりではないが、感情を映像として切り取る技術は岩井俊二を想わせるし、ちょっとした日常の一場面の積み重ねで感情を伝えるあたりは、村上春樹の初期短編をも想起させる。 ウニや母だけでなく、兄や家父長制の頂点にいる父すらも抱えている生き辛さが、日常的な生活のシーンから伝わってくる。これが初長編作品とは思えない、ある意味円熟した演出もスゴい。 ウニを演じた主演のパク・ジフちゃんの透明感はあの年代特有のものかもしれないが、芝居も素晴らしい。今後が楽しみ。
14才の孤独
学校でも家庭も居心地が悪くて、親友や彼氏も気持ちが移ろっていき、頼りにならない。ようやく出会えた理解者も、いつ会えなくなるかはわからない。14才にとっては限られた人間関係が世界の全てだから…。その孤独感はなかなかつらいものがあった。
終始、静かで穏やかだけど、確実にウニの世界を見る目が変わっていく。その姿は綺麗だった。
普遍的な世界が、気になった。少女の心の動きに覚える衝動
ベネトン。彼女の家は決して裕福ではないが、生活に困らない中流家庭だ。パラサイトで話題をかっさらった韓国映画に新たな風を吹かせる一本だった。 ウニは、家が自営業のため、なかなか親に見てもらえない。反発するようにデートやクラブ、万引きをするが、それでも愛情を感じられない。父は大学のことばかり、母は仕事で手一杯。兄には殴られ、姉は彼氏と過ごすばかりで、末っ子にかけられる期待だけは大きい。そんなウニに転機が訪れる。漢文塾に新たな講師として来たウンジが来て、そこから世界が気になり始めるが…。 思春期特有の感情とまだ誰にもなっていない自分に対しての未熟さの中で、差し込んだ光。普遍的な世界の中で生まれるからこそ輝いて見える。繊細に紡いだ彼女の一瞬は感動モノ。しかしながら、私には少し中盤ダレて見えてしまった。実際の事故と人間の運命と生き方を見つめたくなるような素敵な作品だった。
何気ない日常
ウニは、中2です。
末っ子。韓国は、お父さんは、絶対だ!
お兄さんとお姉ちゃんがいます。
思春期で、ボーイフレンドやタバコ吸ったり
カラオケ行ったりします。
1994年の話だよ。お兄さんは、いつもウニを殴ります。そんなウニは、塾の新しい女性先生に出会います。
殴られたら黙ってたらダメって言うんだ。
そして2つの事件に遭遇します。一つは、北のボスがなくなり、手抜き工事で橋が落ちます。
悲しい出来事があります。何気ない日常を
淡々と描いているいい作品でした。
2020年ベストムービー!⭐️✨
仲違いした主人公とその友達のために、塾の先生が歌を歌ってあげる場面や、一緒に烏龍茶を飲むシーンは、なかなか美しくも心落ち着く情景で、感動的でした。
*世代や時代を超えた、それぞれが抱える"理不尽"さに対する怒りが、スクリーンを通して伝わって来ました。
今年最も観るべき作品の一つだと思いました。
名作です。
*学童期に団地住まいをしていたので、色々と共感出来るシーンが多かった。
あの狭い空間での兄弟喧嘩や、心に溜まった鬱憤が放出されていかない密閉された感じ、そして、音楽に合わせて踊り出したくなるとか(笑)…監督の細かい演出ひとつひとつが気が利いている。
*姉が事故に巻き込まれたのでは!!!と自宅に思わず電話するウニの不安感…心ここに在らずな思春期の、心許ない心情の最大の不安感を見事に演出していたと思いました。
*2時間越しの長い映画ですが、また観たいと思わされる作品でした。また観たい…(笑)
また、素晴らしい女性監督が登場
映画監督の性別で評価するのは本意ではないけれど、この映画は、女性ならではの力が発揮されている。 丁寧な心のひだを描く、生活描写と静かな映像。男たちの理不尽な言葉と暴力も淡々と描かれる。劇的な展開はほとんどないが、ドラマのクライマックスは最後の災害を通して見るものの心のなかに染みだしてくる。 ウニを演じる少女は、目のきれいな魅力的な俳優だが、演出は少女主演映画にありがちの「可愛こちゃん」スタイルはまったくとらない。ふてくされたり、あっけにとられて無表情になったり、鬱屈して怒ったり、思春期の複雑な心理がよく出ている。 家庭では窮屈な思いをしながら、塾の女性教師とは、自由な意識交換の機会を得る。また手術のため入院した病院では、同室のおせっかいなおばちゃんたちに可愛がられ、素直に笑顔が生まれる。このあたりのウニの表情が美しい。 韓国の1994年の状況は、少女の素朴な目を通じた描写でありながら(だからこそ)リアリティを持って迫ってくる。単に26年前を描いているのではなく、自らを育てた時代を踏まえて現代を見つめる問題意識。 フェニミズムの新しい潮流は、このような人が背負っていく。 若いのに非凡な力量を持った監督だが、自伝的デビュー長編だからこその細部へのこだわりも感じられた。生活描写や空間映像の撮り方に、小津安二郎を感じたけれど、本人の舞台挨拶では、エドワード・ヤンの名前が出ていたので、なるほどと納得。 こういう形で代々、受け継がれて、より深まっていくのですね。
1994年の韓国・ソウル、中2の少女ウニがいた
団地での両親と兄姉との生活、親友や男子との甘辛い関係などウニの日常を実に瑞々しくとらえた。 ソウル大学を休学中だという塾の女性講師・ヨンジとの交流が素敵だった。我々の心にも響く哲学的な語らいがあった。激動の時代を生きてきたヨンジの傷が見え隠れする。韓国が歩んできた自由化への茨の道を思った。 北朝鮮の金日成の死亡報道を遠くに聞くも、漢江にかかるソンス大橋の崩落事故はウニたちにも大きな傷を残した。 思えば真っ当な無常感とその中で成長するウニの姿があった。静かな感動があった。『動』の「パラサイト」、『静』の「はちどり」といった感じで甲乙つけ難しだ。
ことごとく、予想が外れるんだ…
今までなんとなく使っていたけど 「空気感」ってこういうことなんだなあと、改めて思った。 ウニと家族たち ウニと親友 ウニと塾の先生 ウニと病院の先生 ウニと彼氏 ウニと年下の女の子 全てのバランスが良くて、ついつい「映画」ということを忘れてしまう。 いつの間にか自分がウニになってしまう。 一つ一つのシーンの中で、自分が予想していたことが全て外れてしまう。 うまく裏切られてしまう。 最高の裏切られ方で、気持ちがいい。 こちらからは、以上です。
少女時代の刹那を切り取った喪失と希望
わからんかったっていう人、もったいないな。
顔だけ知ってる400人のうち心まで知ってる人が人生で何人現れるだろう。漢文は深い。
根幹にあるテーマは少女時代の刹那を切り取った喪失と希望の物語だと思う。
はちどりというタイトルからして絶望の世界に希望を運ぶ愛の鳥。脆さはかなさの象徴の鳥。
この映画には希望を見出したいと思います。
彼氏も後輩もいい時だけ寄ってくる自分都合の親しみでしか無かった。
本当に心がわかる人なんて人生でそうなん人も出会えないんだ。
そんな中でウニはヨンジという心のわかるすばらしい先生に出会えて幸せだと思う。
タバコを吸う大学を休学しているある意味アウトローなかっこいい漢文塾の先生。ましてや木村佳乃と手塚理美を足して2で割ったような美形で優しい女の先生は少女なら憧れると思う。
担任がクソ担任なだけに余計にね。
コロナ時代、会えない人去って行く人もいるけれど、そんな時こそ本当に自分にとって大切な人がリトマス試験紙のようにあぶりだされました。
時代背景はポケベル時代の韓国の1994年だけど日本ではオウムのサリン事件、阪神・淡路大震災も近いあたり。大切なものを見極める時代ってことは今に通ずるものがあって沁みました。
暴力を振るう兄もエリートを期待されすぎたしんどさからの未熟な行動だし、橋の事件で泣き崩れる弱さもある家族の一員である。
クソ親父も手術前には泣いてくれるし母親も夫婦関係を空気のような存在のクローゼットに例える寂しさの中、いつも焼きたてのチヂミとか仕事で忙しいのに手作りのご飯を出してくれる優しい存在。
姉の優しさもひしひし感じる。父親の目をかいくぐって先生を失った橋まで行くシーンが良かった。
家族は最後の砦なんだなと思う。
先生に貸した本がスタンダールの赤と黒だったところも個人的にはツボでした。
浮気クソ親父も含め不良第1号の姉も母もウザイところはあっても家族というのは同じ巣の鳥なんだ。
音楽が絶望的にダサいけど90年代だからやむなし。
そんなことを含めてもそれを超絶する響きがある良作でした。
曇天の見える小さな窓
どれだけ多くの人と出会うかが人生の財産であると常々思っている。広く浅く人付き合いをせよという意味ではない。自分がどうあるべきか、どんな人間でありたいかを教えてくれるのは良い人、悪い人も含めた他者との出会いがあってこそであり、多くの人との出会いが自分自身を形成していくからだ。 偉そうなことを書いたが、私がそんな価値観を持ったのは30歳を過ぎてからだ。14歳の子どもにそれを理解せよと言っても、難しいだろう。14歳にはその年代の世界がある。友人関係、進学へのプレッシャー、反抗期に伴うストレス。とてもじゃないが、自分の見ている以外の世界を見る余裕などない。いや、他の世界の存在すら知らないのかもしれない。ましてや本作の舞台は1994年の韓国。学力至上、男尊女卑が今よりも顕著だった時代に生きる主人公・ウニの目に映る世界はどこか理不尽で、学校でも、家庭でも自分の立ち位置が分からないものだった。 そんなある日ウニは一人の塾の教師・ヨンジと出会う。だが、その出会いが劇的に彼女の人生を変えるような予定調和な話ではない。例えるなら、この教師は真っ暗な閉ざされた部屋の天井に突然できた小さな窓のような存在だ。窓からは見えるのは曇天で、この後で雨が降るのか、日差しが降り注ぐのかは分からない。ウニはその窓を見つめるが、天気と同様に人生の変化は能動的に起こるものとは限らない。自分が動かなくても、自分とは無関係と思っていても、社会情勢や出来事が間接的に、もしくは時間をおいて自分の人生を変えていくこともある。 自分が望むと望まざるとに関わらず、他人や社会は絶えず変化していく。周囲の変化をどう受け止め、自分をどのように維持、或いは変化させていくのか。そして、その難しさを家族も同様に抱えているという不器用な事実までも描く妙。物語の後半、ウニがある重大な出来事の現場を訪れるシーンは、それまで天井の窓を見つめ続けていたウニが自らの意思で梯子に登り、窓から外の世界を覗き込んだようにも思える。そこから続く家族との食事、そして柔らかな日差しの中でのラストシーンの美しさ。もしウニが実在する人物であるとしたら、40歳になった彼女に聞いてみたい。あれからあなたはどんな人と出会い、そして、どのように輝いたのですか?と。
兄は生徒会長に、妹ウニは“不良”に選ばれた。
94年の韓国。民主化されてから間もない頃だ。儒教による家父長制も根強く残り、兄からは暴力を受けていたウニ。教育には力を入れていて、特に英語教育熱が日本とは段違いなほどなのに、英語は全くダメなウニ。同級生からはタバコも吸うしカラオケにも行く“不良”のレッテルを貼られていた。 結構マイペースな性格なのか、冒頭では団地の階を間違えるという異様な始まり方。そんなウニでも同じ漢文塾に通う親友との仲もいいし、ボーイフレンドだっている。ある日、その塾の先生が突然辞めて、キム・ヨンジ先生が赴任するのですが、「知り合いの中で心まで知る人は?」という漢文を教えてもらい、自分の周囲を改めて見直すウニであった。 ウニ自身の大きな変化となったのは耳下腺炎と、万引きしたときの親友の裏切り。ついでに電話をかけた父親にも裏切られたというショッキングな事件。そして、ボーイフレンドにも裏切られた気分になった。 94年は4年後のソウルオリンピックのために経済発展した年でもあり、ソンス大橋崩落や、翌年の百貨店崩壊など大きな事件もあった頃。ヨンジ先生と歩いた道端には工事のために「死ぬまで立ち退かない」という看板もあったが、その近代化における見捨てられた土地をも描いていた。歴史的に北朝鮮との緊張も高まった年なだけに無邪気さも相当なものだった。 少女の成長、特に心の変化は見ていて清々しいものがあり、世間知らずの14歳の目から見た風景は一種のノスタルジーをも感じ取れる。ハチドリが見えない世界の中で羽ばたくように。だから、意味の分からない謎の部分も一つの風景なんだろうし、記憶の中の1ページに過ぎない。 残念なことに、音楽がひどすぎて、全体的な評価は下がってしまいます。先生が辞めた謎や、伯父さんの死因なんてのも描写が少なすぎたこと。餅屋の家族ぐるみでの忙しさが描かれたのは良かったけど、後半には全く登場しなかったこと。餅屋なのにチヂミがメイン。そして、兄ちゃんの将来もきになるところだし、何といってもみんな昼寝ばっかりやん・・・ってとこ。
芸術的。よくわからない映画
綺麗な音楽、可愛い女優、素敵な映像、雰囲気の良い映画でした。 が、私が通俗的過ぎて、なんのことやら、理解に苦しむ箇所多数。。 いちいち説明したりしないところも、芸術的だし、意味がわからないところはすべて「揺れ動く思春期特有の心の何か」で片付きますが、理屈がつかないと消化不良。 ネットでネタバレや解説を調べたけど、特に解説見つからず。 見終わって、あのシーン何の意味あったのかな? そもそもこの映画、何が言いたかったのかな?という感想 主役の子はとても美少女で、少しキムタクの娘のkoki似。 先生役の女優さんも、黒木華的な、演技のうまい名女優だった。 この2人を愛でる映画としては大成功。 あとは韓国料理を食べるシーン多数で、観てると食べたくなりました。 そもそもの韓国のカルチャーなのかなんなのか、家父長制度が強いのはわかるが、ボーイフレンドときっかけもなく別れたりくっついたり、後輩の女の子と当たり前のように同性同士で恋愛したり、なんのことやら。 ただ、これまた理由もなく、心変わりした後輩女子の言い訳が秀逸。 主人公「私を好きって言ったくせに」 後輩「前の学期の話です、先輩」 わざとだな。わざと学期とか、中学生らしい言葉を使った監督のあざとさに、まんまと笑った。 これも韓国カルチャーなのか、女の子が全員同じオカッパ頭なのと、やたら登場人物みんなキムさんなので、紛らわしかった、、、
全135件中、81~100件目を表示