「秋子の立ち居振る舞い」MOTHER マザー talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
秋子の立ち居振る舞い
<映画のことば>
あたしがあいつをどう育てても、親の勝手じゃあないですか。
あれは、あたしが産んだ子なの。
あたしの分身。
ものの本によると「今日では、親権の権利性は、親として子に対して有する養育の義務を遂行するのに必要な限りで認められ、他人から不必要に干渉されない法的地位として構成されている。2011年の改正により、「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」とし、「子の利益のために」がそう入され、その趣旨が示された。」とあります(二宮周平「家族法」 新世社 2020年)
本作で、秋子の立ち居振る舞いが、どんなことで周平や冬華の「利益のために」なっていたのか、評論子は、全く理解することができませんでした。否、周平や冬華を自分の「召使い」や(文字通り)「子分」として意のままに支配しようとする姿ばかりが目についたのは、果たして評論子だけだったでしょうか。
(むしろ、外形面で支配性を発揮しようとしていることは、実は、内面では周平・冬華に依存していて、本作のDVDパッケージの写真は、そのことを暗示している?)
親の子への接し方について、一部の人の間では「親業」という言葉も使われています。
改めて、そのことに思いが至った一本になりました。評論子には。
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