「極限設定で母親の存在に迫る」MOTHER マザー みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
極限設定で母親の存在に迫る
これほど心に響く作品だとは想像していなかった。本作は、屈折してはいるが断ち切ることができない母親と息子の絆を赤裸々に描いた衝撃作である。否、絆という綺麗な表現ではなく、業という生々しい表現の方が本作のイメージには相応しいだろう。暗い、重い、救いがない、後味が悪いなど、の評価が多い作品だが、宣伝パンフレットに映し出されていた母子の姿を見た時、母親の異常さは理解できたが、気になったのは、息子の表情である。正常、異常という範疇ではなく、内に秘めたる何かを持っていると感じたので、百聞は一見に如かずということで鑑賞した。
シングルマザーの秋子(長澤まさみ)は金にも男にもだらしなく、自堕落な生活をしていた。息子の周平(奥平大兼)は秋子に頼るしか術がなく、秋子の理不尽な要求に戸惑い、矛盾を感じながらも、秋子の要求に応えていく。そんな母子はどんどん追い詰められていく。親兄弟から見放され、社会的に孤立していく。やがて、周平が17歳になった時、母子は破滅寸前状態にあり、常軌を逸した秋子の提案に周平は・・・。
秋子役の長澤まさみの成り切り度が完璧である。演技というよりは秋子が憑依しているかのようだ。従来の役柄のイメージをかなぐり捨てて、従来とは真逆の汚れ役に挑む意気込みと覚悟を感じる。役者としての新境地を開いた感がある。
息子・周平役の奥平大兼は、寡黙で表情の演技を求められる難役を生真面目な演技で好演している。眼の表情に息子の母親への秘めた想いが宿っている。
周平は寡黙であり、自分の想いを主張することは稀であったが、ラストシーンでの周平の台詞は、力強い自己主張である。救いの言葉である。本作のメッセージである。周平が秋子を慕う理由はただ一つ。秋子が母親だからである。周平にとって秋子は唯一無二の母親という存在だからである。本作は、極限の母親・秋子を登場させることによって、子供にとって母親の存在とは何かを鋭く問題提起している。
みかずきさん、コメントありがとうございました。
この作品、好きではないてすが、仰るように俳優業はいろんな役をやり切れてこそと思いますので長澤まさみさんが汚れ役(?)もこなしていかれたらと思っています。
この母が子供を手放さないのは、利用できるからという結論です。息子は幼い頃から聡い子で母の要求を幼いなりに叶えて来たのでしょう。母は長年の積み重ねで息が合い自身の理解者で甘えもしていたのでしょう。だから手放せない。残念ながら愛情は無いですね。みかずきさんも書いてられますね。息子は真面目なので世話して貰ってないのに世話になった、と刷り込まれているから断れないしがらみもあったかと。言葉としては「母だから」と言ってますが。もちろん、産んでくれた、という母にしかできない事から息子自身は自分から切り離せないというのもあるかと。
やっぱりハッピーエンド物が好きです。
コメントありがとうございました。
どう書こうか、書くのが難しかったので直ぐには書かずにおりました。慌てて書きました。この作品を観たら、コンフィデンスマンJPで口(目)直しをしないとと思っております。
みかずきさん
こちらこそたくさんの共感、ありがとうございます。
レビューを探して頂いたのですね。お時間とらせてすみません。
私は変に義理堅い性格で、共感を押して頂いたら、お返しをしなくては気が済まないんです。
どうかお気遣いなさらないでくださいませ。
また、観た映画でお会いしましょう♪
今晩は。
返信が遅くなり申し訳ありません。(ちょっと、言い訳。中国の上海ロックダウンやら、海上運輸の混乱及び輸送費の青天井の高騰やら、南アフリカの豪雨やら、毎日毎日イロイロとありまして・・。)
で、今作。もう、2年近くが経つのですね。早いなあ。観ていてキツイ映画でしたが、長澤まさみさんの女優根性や、阿部サダヲさんの「彼女がその名を知らない鳥たち」の佐野にも通じる怪演や、先日久しぶりに観た奥平大兼さんの演技が支えた作品でした。それと共に、”母性とは何か”について考えさせられた作品でもありました。では。