おらおらでひとりいぐものレビュー・感想・評価
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1964年は集団就職最期だぜ!
沢山の人参を刻んでいた、田中裕子さん演じる老人が、一人夕食をしている所から映画は始まる。
・御膳の上には漬物の様なものと焼売とインスタント味噌汁と白いご飯。
・翌日の朝食はトーストと目玉焼き。
・翌日の夕食は焼き魚とインスタント味噌汁
・そして、昼間からSuperドラえもんを飲んで、日本酒のお燗を2合も飲んで煎餅とプロセスチーズ。
・翌朝作る弁当は大根のたくわんソーセージ鮭お煮しめに昆布の佃煮に目玉焼き。
さて、沢山の人参はなんの為に。メニューが75歳の老人の献立ではない。
2020年当時75歳と言う事は、団塊の世代のどストライクで、岩手から1964以前に東京へ出てきたと言う事は、所謂、集団就職の最後である。因みに集団就職は1952年頃から1964年まで続く。つまり、この原作者も映画の演出家もその実態は知らない。また、演出家は埼玉県出身で、大学も西武池袋線のとある駅。つまり、池袋と狭山の世界に限定されている。と思う。従って、地方出身者の老人の孤独ではない。そもそも、TOKIO、ダサイタマ、チバラギは田舎モンの集まり。それでも、孤独はある。がしかし、生きていくのに哀愁なんかは伴わない。団塊の世代を含めた老人は、狡猾で孤独なんて何のその。
「PLAN75なんてふざけろ!」
「オレオレ野郎かかってきな!」
「まだ、二十年は生きてやる!」
って思っている。
アノマロカリスって、1990年代に入ってから。1964年位は三葉虫とアンモナイト位。僕らの時代の科学的物差しは国立科学博物館だった。
かなり良かった。
実写化は難しいタイプの作品だと思う。たぶん漫画や活字の方が世界観が作りやすいだろう。
若いうちはあまりピンと来ないかもしれない。子育てがひと段落して、身体の節々が痛く疲れやすくなり、高齢の親が頻繁に通院し始める頃になって、やっと老いの始まりに立たされたことに気づく。それまではただ夢中なのだ。田中裕子すらまだまだ。ばっちゃの醸し出す雰囲気には全く勝てない。
1回目はウトウトしてしまい、それでも妙に消化不良というか気になって仕方なく、2回目鑑賞。この時は色々気付きが多く面白かった。クライマックスは言わずもがなハイキング〜墓参りのシーンかと思われるが、素晴らしかった。「墓参り」という行為の意味がようやく実感できたような気がする。山歩きして乾いた自分の喉を潤した水を、墓の花瓶に注ぐ。死んだ人と、命をつなぐ水を分かち合う。山で自ら摘んだ花を供える。こんな素敵な墓参りは初めて見た。画的にもこのまま終わってもいいくらいだが、ちゃんとこの後、現実的なシーンが続くのが良い。雪かきで腰を傷め、マンモス→通院→奇跡のような命だ。「おら、ちゃんと生きたか?」には熱い静かな涙が込み上げる。よく出来ているなぁと思う。
ここまで来ると、冒頭でも出て来た、屋根裏を走る鼠?の足音も違って聞こえる。いったん神棚を写してからカメラが移動するため、まるで目に見えない小さな神様が家に住み着いていて、家の中を走っているように見えるのだ。最初は単なる独居老人の独り言か、認知症か、みたいな印象だったのに、段々あちらの世界とこちらの世界が繋がっているような気がしてくるから不思議だ。日常が神秘的になっていく。老いるってある意味そういう事だ。あっちの世界に近くなっていくのだ。
故郷が岩手という土地であることも忘れてはいけない。というより、タイトルからも分かる通り、むしろ岩手あってこその作品と言える。岩手といえば、宮沢賢治や柳田国男の遠野物語など思い浮かぶ人も多いと思うが、山の神、里の神、河童や天狗などの土着信仰が、あの山深い寒い東北の地で脈々と受け継がれてきた背景がある。岩手弁でセリフが語られる時、この作品がもつ独特の不思議さ、可笑しみ、何億年もの気の遠くなるような遥かな時間がしっかりと裏打ちされて、説得力を持つ。そしてエンディングは、豊かでコミカルな、温かみのある楽しい雰囲気を大切にしつつ、また次の命へバトンを繋げていく。
故郷の言葉というのは、血のようなもの。
全身を循環する、拍動する。その人そのものだ。私はヒダカモモコではないし、違う生き方や感じ方、考えもあるけれど、私は私の「おらはおらでひとりいぐも」で生きて死んでいこうと思う。
永訣の朝を再読したい衝動にかられ、原作も是非読みたいと強く思わせる力がありました。
追記:山が素晴らしかった。語彙力が足りなくて上手く言えないけど。主人公の故郷への想いをしっかり表現できている山だった。
田中裕子が何かかわいい
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夫に先立たれた田中裕子の周りに、自分自身の分身(おっさん)3人が出現。
医者に相談しようとしたが、マトモに取り合ってくれなさそうなので断念。
その後も死んだ婆さんや死んだ夫、若い頃の自分などが現れる。
そして悟る、夫の死は自分の時間を持つための、夫からのプレゼントだと。
そう考えることで寂しさと向き合うことができるのだった。
そして断り続けて来た、図書館司書からの習い事の誘いをついに了承した。
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昔なら相当退屈したであろう、徘徊型の映画。
でも今は一人の人が孤独と向き合うことに関心を持てるようになってる。
脳内にいる他人のイメージが、自分の味方として現れる・・・。
周囲から見たら変かも知れないが、自分の中ではかなり心強いことだろう。
どんな形でも寂しさを受け入れ、孤独と向き合えることは幸せなのだ。
田中裕子さんの偉大さとグサグサやられる件
大概のことは繰り返して起こる
ばっちゃと私で70年を経て同じことになってる
という言葉,今,まさに重みがある。
大事なのは愛より自立だ。いい加減愛にひざまづくのはやめねばならない。
本当におっしゃる通りです!!愛クソくらえ!!
演劇的な奥行きと空間の仕掛け。ストーリーの中の凡庸な人々とナラティブとして繰り出される仕掛け絵本のようなユニークなキャラクター。
手を繋ぐ,手を差し伸べる,背中を押す、顔を触る、シーンはとても丁寧だ。
穏やかな,あったかい、みたいな映画じゃない。
世代は違えど、女性として昭和からこっちを生きていればこそのグサグサくる感じ、とてもわかる、親がこうだったかも、自分もそうだったかも。
自由を求めてかえって自分を不自由にしてしまう。
世代を繋ぐということはそれをまた繰り返し次の世代に渡してしまう可能性があること,そのジレンマ。
田中裕子さんの存在感が圧倒的で、いろんな面白い仕掛けもあり、楽しめるのだが、ザ田中裕子の前では仕掛けもくすむ。
そして赤松さんの題字も素晴らしく,最後はハナレグミの音楽がグサグサきまくり,まだまだグサグサを日高桃子より続けないといけない、生きていかねばならない私のこれからにエールとして送られた。
未来
だいぶ前に小説読んでいます。
あの脳内の声を映像化するとこうなるのかといった感じ。
長生きをすればいずれ自分も経験するかもしれない孤独。自分の老後はどうなるんだろう、と考えさせられます。
最後は希望が見える終わり方でよかった。
現実的ファンタジー
日高桃子の幼少期からの振り返りと妄想が実写版となって現実と妄想のはざまを行き来する、ある意味ファンタジー的要素の作品。
何が妄想の中なのか、幼少期からの相関図なのかが分かれば難しい内容ではないので、てれ~と見れて、ほっこりさせてもらえる。
原作は未読で、すっごく感情が高まるようなシーンはないが、映像化するには難しかったのではないか、と推察される。
おらだばおめだ
一人暮らしの老女。
車を買い換えたり、好きな事をしたり、3人の孫がちょくちょく訪ねて来たり…一見、悠々自適。
でも、何処かヘン。
老女は空虚。3人の孫は何処からともなく突然現れ、しかも口を開かず話す。テ、テレパシー…!?
3人の“孫”は心の声の擬人化。
老女はその声と脳内会話。
開幕は宇宙誕生~地球誕生~生命誕生~人間誕生、そしてこのシーンに繋がる。
ベストセラー小説が基とは言え、のっけからいつもながらの沖田修一ワールド全開!
75歳の桃子さん。
3人の“心の声”とのやり取りはコミカル。
賑やかに歌を歌ったり。♪おらだばおめだ おらだばおめだ おらだばおめだ
車のセールスが来て、車の買い換え。“遠くの子供より近くのホンダ”とは名フレーズ!
病院のTVで、若い桃子と結婚する前の夫のラブストーリーの“上映会”。な~に恥ずかしがってんだ~?(このシーン、笑った)
ジャンルは人間ドラマだが、ユーモア、心の声と話す時々ファンタジー、皮肉的な歌謡シーン、現在と過去が交錯。マンモスや原始人医師も登場…!?
風変わりな演出、作風で飽きさせないが、実は作品の芯は、非常にシリアスで哀しみも漂う。
序盤、食事を取っている時に目の前に広がる光景。
幸せそうな若い夫婦と、幼い2人の子供。
それは、かつての自分。
子供たちは独立し、夫・周造とこれから夫婦水入らず穏やかに暮らそうとしていた矢先…、夫が死去。
あまりの突然の事で最近やたらと心の声が聞こえたり、昔の事を思い出す。いよいよ痴呆の症状…?
言い忘れたが、心の声は故郷の東北弁。
岩手出身。
東京オリンピックに沸く1964年に縁談から逃げ、上京。
定食屋でバイト。丸出しの東北弁が恥ずかしく、慣れない標準語に悪戦苦闘。
そんな時出会ったのが…、
“おら!”と恥ずかしげもなく大声で話す青年(若き周造)。
惹かれる桃子。
付き合うようになって、やがて結婚して、2人の子宝にも恵まれて、この幸せがずっと続くと思っていた。
3人の心の声は、“寂しさ”。
心の声はもう一人いる。枕元に現れる“どうせ”。
“寂しさ”とはそれを紛らわすかのようにやり取りするが、“どうせ”は本音のように聞こえる。
どうせ、起きたっていい事ない。
夫はいない。
子供たちはたまにしか訪ねて来ない。ほとんど疎遠状態。訪ねて来たと思ったら、お金貸して。まあ、孫は可愛いけど。
病院と図書館と家の往復。
一体今、何の為に生きているのか…?
老人の独り暮らしは元より、生きる意味を模索は全ての世代の胸にグサッと突き刺さる。時々非常にリアル。
これが15年ぶりの主演映画になるという田中裕子。
自分の祖母を見ているような温かさ、ユーモア、哀愁…。
さすが絶妙の名演。
現在と過去で、二人一役。過去は、蒼井優。『フラガール』以来となる東北女の子を魅力的に演じる。
周造役の東出昌大。彼の好青年ぶり、助演ぶりもすこぶる光った。
それから言うまでもなく、3人の心の声、濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎が名トリオを見せる。
にしても、田中裕子、蒼井優、子供時代の女の子、濱田、青木、クドカン、“どうせ”の六角精児…皆、桃子さん。言うなれば、7人一役!
何気ない日常の美しい映像、美味しそうな目玉焼きなども印象的。
それから、自分も東北人間(福島)だから東北弁が心地よい。
生きる意味を模索する桃子さん。
近々開催されるマンモス展。地球や生命誕生に関するノートを作り、その意味を探る。
終盤、かつて夫と訪れた山登り。
様々な過去と“出会う”。
幼い頃の息子。
幼い頃の自分。故郷と、家族。
若い頃の自分と、夫。
山登りは人生に似ていると聞いた事がある。
このシーンの山登りは、桃子さんが歩んできたこれまで。そして、問いかけ。
その先に…
“おらおらでひとりいぐも”。
意味は、“私は私で一人生きていく”。
でも、決して寂しい“独り”ではない。
まぶってくれる。毎日を賑やかに!
喜びも悲しみも…なんてタイトルの名作邦画があるが、やはり本作にはこの言葉こそ!
喜びも悲しみも自分自身。
♪おらだばおめだ おらだばおめだ おらだばおめだ
ユーモアと悲哀の極上ブレンド、人生や人間を温かく謳い上げる。
沖田監督の手腕はもはや名匠の域に入ってきた。
結局自分の最大の味方は自分なのかな
子供も独立して夫も死んで1人になって孤独で自分が生きてきた道、選んできた道は正解だったのかその答えを見つけようとする映画です。個人的に好きなシーンは原始人先生にあなたは奇跡の命ですってゆわれるとこと3人の寂しさから生まれた妄想の中の登場人物が桃子さんの背中を押しながら歩くところです。なんだか自分の中の色んな自分たちが自分のこと肯定してくれているような気がしてすごくグッときたし、どれほど孤独に感じても自分だけはきっと自分の味方なんだろうなって思いました。寂しさ1、2、3が桃子さんとお揃いの服きてるのかわいかったな笑あと、やっぱり人間って妄想好きなんですかね笑いくつになっても笑笑
方言が頭から離れなくなりました。
最初、生物の誕生の過程、マンモスなどから始まったので、別の短編映画が付いてるのかな?て思ってしまうくらいに冒頭の始まりにびっくりしたが、話が始まると、自分もいずれそうなるのかな?とか、現代が抱える老後の生活をリアルに見ているような感覚になりました。
そして、劇中通して使われている山形弁が、ラストにいくにつれ、慣れてきて頭から離れなくなり、最後は心地よい気持ちにもなりました。
そして、本編の中で一番記憶に刻まれて、笑ったセリフは、岡山天音くんの「遠くの息子より、近くのHONDAです」のキャッチフレーズのようなセリフ。あれは、かなりパワーワードでした(笑)
40代以上なら共感する?
長年連れ添った旦那が亡くなった後、一人暮らしをする老女の日々を描いてますが、
一人妄想の中で3人の妖怪?と話したり、昔を思い出してはあの時こうすればと後悔しつつも、今現在は割と自分に満足してたりと、
観客側からは自分の老後を肯定するような感じで、けれどファンタジー?痴呆?的な要素をかなり違和感がある形で挿入されており、若い人にはやや受け入れ難い作品かなと。
けど、東出くんが出て来てとても素敵だったし、作中には思わずクスッと笑える所もあるから、リアルお一人様でも楽しめました。
孤独の意識が変わりました。
自分はこの世界で実らせたのかと私も主人公と同じように考えていたので、原始人先生の「おめは今の今まで繋いできて凄い」の台詞に全てが詰まっているように感じました。
何をするとかしないとかではなく、もう産まれて生命のバトンを受け取っただけでも実は凄いんだと思えました。
今まで繋いで来たバトンには、実際目に見えなくとも寂しさ三人組のように側に沢山何かが寄り添っていて、孤独ではないんだよと孤独と考えなくて良いんだよ、と自分なりに解釈しました。だからおらはおめだって事かしら?など自分なりに好きなように解釈したい映画だと思いました。 地球規模クラスで考えると1人でこの地球に生きてる訳でなく大きなチームで、もう孤独と考えるのはナンセンスなのかもしれません。
あとは墓参りの歩くシーンの、過去の節目に出会う事で、今までの愛に生きた自分を解き放ち自由になっていくように見えました。
寂しさ三人組をいつも探すのも楽しかったです。
田中さんの老いた体のリアルな動きとコミカルな部分の振り幅が楽しかったです。
愛より自立だったり自由だったり
殆ど一人芝居…ってわけではないけど、田中裕子あっての満足できる映画だ思う。
「愛より自立」夫に先立たれ、生まれて初めての一人暮らしになった事で「自立」を手に入れたオラは、心の中に沢山の仲間たちを作りノビノビ生きてる。
母もそんな事言ってたなぁ
女は強し…
寂しい時も有るけど、1人で生きる…
三年前に単行本を買って読んだんだけど、方言が読み難くて内容にもあまり共感せずブックオフ行きした小説。
張りのない生活は朝起きるのさえ億劫になる…前半は夫に先立たれ意欲のない日々が描かれているが、目玉焼きの黄身が2つあった辺りから「愛より自由」に目覚めていく姿が頼もしい。
田中裕子、観てよかった
長い歴史の中で命は受け継がれ、自身の存在価値を噛みしめる。
そしてずっとお誘いを断ってた頑なな気持ちも吹っ切れて、タマには卓球なんぞをして友達と遊ぶ日々も愉しいですね。
まさに未来の私だと思う…いや、もう片足突っ込んでるから映画館に足を運んだんです。
子供を育て充実した日々が懐かしいです…
あの頃は「もう一人のオラ」なんて出現するはずもない。
Near The HONDA!!!!????
近くのホンダ!!!!???
ですよ。(笑)(笑)
遠くの息子よりもちかくのホンダですよ!!!!!?????(笑)
枝切、警察官、頑張りすぎて、落ちるかと思いきや、落ちなかった。(笑)(笑)
転落防止ハーネスをきちんと装着しましょう。(笑)(笑)(笑)
指導ジョークですので、悪しからず。(笑)(笑)
まあなんかまったりしていて。
所沢。(笑)(笑)
狭山が丘(笑)(笑)
サヤマネーゼですな???!!!(笑)(笑)
I am Ich Et I will Go alone!!!!!???
うーーーん。
20倍速でみればいいかな??って思ってしまいました。(笑)
20倍速でみると、7分足らず。
旦那に先立たれて、車買って病院行かないでしょう??みたいな。
病院にかかるお金を全て渡してしまった方がいいんじゃない??とかつっこみ満載で。
エキストラのやちゃってるな~~~的な、苦笑が皮肉っぽくて。(笑)
アウトドアも一人で行かないでしょ??みたいな。
まあ、ずーーーと平坦で、最後まで平坦。(笑)
特に不幸もなく、進展もない。(笑)(笑)
なぜか最後には卓球??に参加するみたいな。(笑)(笑)
まあ、最後に希望がありながら、その後の方が物語としては面白いような。(笑)
個人的にはアクション映画好きなので。
ドンパチやって、CGやVFXでハチャメチャ、時々、非現実。そしてギャグとコメディーで。(笑)(笑)
低予算で。
うーーーん。ブラックフライデーを意識した、これを見てから、ゲーム機でも購入するのか。
スマホでも新しくするのかどうなのか??(笑)(笑)
家がでかい。(笑)(笑)
マンション経営とかに手を出して、失敗して、無一文になって、再起して、金持ちになって。
使いまくって、またもと通りみたいな、映画にしてほしいと個人的には思ってしまいました。(笑)
薄い、ちょっと明るさが最後にあって。
年末、掃除も終わって、やる事がない時に、ぼーーーとつけておくような映画なのかどうなのか。
(笑)
まあ、今後このような映画が撮られることはないような気がしなくもなく。(笑)
ある意味貴重なのかどうなのか。(笑)
個人的には、帳尻あわせ映画というか、みそぎ映画ですな。(笑)(笑)
年末の申告仕事で帳尻あわせでも合わない人にはおすすめなのかどうなのか??(笑)
まあ使い方ですか???!!!(笑)
見るのしんどかった。
レビュー見て皆さんの評価が思ったより良くてびっくりしました。正直私は見るのしんどかったです。まず最初から恐竜が出てきたのも意味が分からなかったし、寂しさの3人もいきなり出てきてどういうこと?って思いました。物語も淡々と進んで途中は眠気との戦いになりました。極めつけは最後あたりにリアルの大きさのマンモスが出てきたときはマジで引きました。ただこの映画見て思ったことは自分の親も主人公と同じ感情持ってるのかなとか自分も年取るとこんな感じになるのかなってことですね。
日々の日常であるから永い
淡々と繰り返す日々が描かれているので
映画鑑賞中は長いなと感じられたが
桃子さんの日常映画なのでとても長くとても静かで間違ってはいない
ローテーションのような日々の中にも少しだけの違いがあって卵の黄身が2つあるぐらいの些細なことにラッキーと思ってしまう
それぐらい日常をうまく描かれていた。
立場になってみないと見えないものがある
お婆ちゃんやスカートの話その時の何気ないことがこうだったのかもしれないと後悔の念が自分にもあって桃子さんの人生に自分の人生を重ねて振り返る映画だった。
娘や孫が帰って即、ビールを飲むシーンは
自分の見えないところでお婆ちゃんもそうだったのかもしれないと自分が勝手にそうだと持っていたお婆ちゃん像を溶かす印象的なシーンでした。
映画として良し悪しではなく
人生として振り向きたくなる時に観ておいて良かったと思える映画です
歳を取るのは自分の中に沢山の自分ができることで寂しいことでははない、というメッセージはちゃんと伝えている。但しこの映像化方法で良かったかはやや疑問。それを補って余りあるのは田中裕子の圧倒的な巧演。
(原作既読)①原作は冒頭から怒涛のように東北弁が溢れてくるので、関西人の私には前半は取っ付きにくく後半になってやっと良さがわかってきた。皮肉なことに、この映画化を観て原作が優れた小説であることを再認識。②「おしん」では老年期を乙羽信子、若い時を田中裕子が演じていたのが、ここでは田中裕子が老年期を演じているのが感慨深い。その若き日々を演じた蒼井優が田中裕子の様な名女優になるかはまだわからないけれど。③原作は75歳の桃子さんが自分の中の沢山の自分と会話・問答しながら自分の人生を振り返りその意味を模索していく話なので、映像化する場合は桃子さんの中の自分たちを擬人化して外に出すだろうとは予想できた。④ただ、この映画の場合、それを3人の男優に演じさせるのが良かったかどうか少し疑問。楽しいシーンもあるが、どうしても違和感がある。桃子さんは女性なので女優の方が良かったのではないか。また、外にでた自分を「寂しさ」と決めつけるのは、還暦を間近にした私にはやや抵抗がある。⑤この映画を観ていると、肉体面では生物学的に衰えていくのは仕方がないとはいえ、精神的には、若い・年取るとの違いは自分の中にどれだけ問答できる自分がいるかどうかによるだけなのではないと思った。若いときはまだ自分の中の自分が少なく向き合う時間も短いのでどうしても思考はこれからの事(将来)に向かう。自分と向き合うことに囚われて抜け出せなくなる人も時々いるけど。また、時間軸が近すぎて自分の中の自分がまだ相談相手になれなくて苦しんだり焦ったりするわけだけれども。翻って、歳を取ってくると沢山の自分が本音を遠慮なく指摘したり叱ったり慰めたり馬鹿にしたり嘲ったり相談相手になったり愚痴の聞き役になったりしてくれるので余裕がでてくる。だから、桃子さんが最愛の夫との死別の悲しみを乗り越えられたし、自由になりたくて心のどこかで夫の死を望んでいた自分にも向き合えたのである。なんやかんやで動じにくく桃子さんほどではないにしろ大なり小なり怖いものなしとなる。色んな自分(過去の色んな段階の自分)と会話するのに時間がとられるので将来(あんまり長くないけど)のことを考える時間が少なくなるうらみはあるけど。孤独と自由とは裏表(ユーミンの歌にもあったけど)ということも歳を取れば肌感覚としてわかってくるし。若いということと歳を取ったということの違いは所詮この程度のものなのではなかろうか。⑥映画は容れ物としてここまで描けているか?だけれども、その枠を越えて田中裕子の演技が雄弁にそれを語っていてる(或る意味映画からはみ出している)。特に、原作でもハイライトである亡夫の墓参りを兼ねたウォーキングのエピソードが白眉。幻となって現れた東出昌大扮する夫と手を繋いで歩く時の田中裕子演じる桃子さんの表情と独白とが素晴らしい。⑦色々とくさしましたが、歳を経て観るたびに感想が変わってくる映画である(大概の良い映画はそうですが)ことは間違いないでしょう。
【”独りになって寂しくても、キチンと生きているかい?” 老いの孤独感をコメディ要素を絶妙に絡ませて描いた作品。】
■劇中、3年前に夫、周三(東出昌大)を亡くした、老いた桃子さん(田中裕子)は放心したような表情で呟く。
”新しい女として生きるはずが、・・・”
-いやいや、そんなことはないよ、桃子さん。夫の最後を看取り、二人の子を育て上げたではないですか・・。娘さんは”時折お金をせびるも”可愛いお孫さんを連れてくるではないですか・・、たまにだけれど・・。
(愛した一人息子は大学入学後、連絡が途絶えてしまい・・。そして、そのために、桃子さんは250万円を騙し取られてしまったのであるが・・。)ー
◆印象的なシーンもしくはキャラクター
1.桃子さんの周りに現れる、”寂しさ1.2.3”(濱田岳、青木官九郎、青木崇高)の面白さ。ババ臭い色の貫頭衣みたいな服の上に、桃子さんと同じ色の毛糸のカーディガンを羽織っている。
口癖は”おらだば、おめだ・・”
桃子さんの寂しさを癒すがごとき現れる”桃子さんにしか見えないらしい”変なトリオ。絶妙にオカシイ。桃子さんの脳内の感情を可視化した沖田監督、上手いなあ。
寂しさ達は腰を痛めた桃子さんの病院の待合室にも表れるが、1と2は”無駄に”むち打ちになっていたり、眼帯をしていたりする・・。可笑しい。
2.桃子さんが、朝起きる時に布団の上に覆いかぶさっている”どうせ”(六角精児)もオモシロイ。口癖は”どうせ、今日も何も起こらないから寝ていなよ・・”である。
3.桃子さんが通う町医者(山中崇)の、さんざん、待合室で患者を待たせておいてからの”暫く様子を見てみましょう・・”で診察終了の”3秒診察”のシーン。
-沖田監督の、シニカルさが小さく炸裂している・・-
4.桃子さんの妄想シーン。予約席に置かれた周三の遺影。
”周三の死は、オラへの計らい・・”と言う言葉。
けれど、未練たっぷりに周三への想いを歌いあげる桃子さん。(田中裕子さん、歌、上手いなあ・・)
-良いシーンである。ついでに言えば、東出昌大さんの遺影の写真が ”あ、この人、絶対におじいさんになったら、こうなるなあ・・” と思ってしまった程、絶妙に良い。
東出さんへの”お仕置きかな?”-
5.若き桃子さん(蒼井優)が、1964年に、見合いから逃げ出して岩手から東京に出てくるシーン。そして、三番目の勤め先の食堂で出会った岩手出身の周三に惚れていくシーン。
-こういう方々が多かったのだろうなあ、高度成長期には・・。この方々のお陰で今の日本があるのである。-
6.秋が深まる郊外の林の中、50年の時空を超えて、若き桃子さんと現在の桃子さんが想いを語るシーンと、幼き桃子さんと現在の桃子さんのシーン。桃子さんの足に残るケロイド状の火傷の理由が分かる。
-50年以上だもんなあ・・。イロイロあったよなあ・・。-
7.桃子さんの絶滅した古代生物への執着シーンの数々。
-成程なあ・・。類人猿に戻った町医者の”生きて、死んで、生きて、死んで・・”。冒頭のシーンをこう繋げたのか・・。-
<人はいつか一人になり、死を迎える・・・。
けれど、その時まではキチンと生きようと、今更ながらに思った作品である。
映像作家、沖田修一の手腕が随所で光る作品でもある。
「ハナレグミ」が歌う、沖田監督作詞の”賑やかな日々”も良い。>
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■蛇足
・劇中、老年の桃子さんに車を売るディーラー(岡山天音)の決め台詞
”遠くの子供より、近くのホ〇ダ!”
ディーラーの数だったら、〇ヨ〇の方が多いぞ!
しかも、桃子さん、ダ〇〇ツの車からホ〇ダに乗り換えではないか!
今度、懇意にしている〇ヨ〇のディーラーさんに使って見たら? と言って見よう・・。 (すいません・・。)
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