「目指したは捜査劇であって、法廷劇ではない…」死霊館 悪魔のせいなら、無罪。 バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
目指したは捜査劇であって、法廷劇ではない…
「死霊館」ユニバースもいつまで続くのやら…と思っていたら、ここで新たな風を吹き込むかのように、いつものテイストとは少し違ったものとなっていて、今回扱うのは「アルネ・ジョンソン裁判」ということで『エミリー・ローズ』のような法廷劇になるのかと思いきや、目指したのは法廷劇ではない。
監督いわく目指したのは、デヴィッド・フィンチャーの『セブン』だったらしく、そこに『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』のような警察との連携による捜査劇要素が加わり、全体的にウォーレン夫妻の活躍シーンがいつもようり多いし、いつも以上にふたりの「絆」を中心に描いている。
「絆」を描くのは別にいいとしても、「悪魔の存在を問う裁判」を題材にしているのであれば、法廷劇にするべきだったと思うし、前作などに登場した心理学者グレゴリー氏やキャプラン博士のように、悪魔の存在を科学的、医学的に否定、対立する存在を今回こそ置くできだったのではないだろうか
法廷のほとんどの人間が悪魔の存在を信じていないアウェーな空間で、どう立証するか、どう信じない相手に信じさせるかということを描こうとしておらず、ほとんど法廷のシーンがない。
本来であれば、悪魔の存在を体感したグラッツェル家の人々も、もっと積極的に弁護側に入ってもらいたいところだし、直接的でなくても撮影していた映像を証拠として提出することもできたはずだ。
どうも被告人が孤立しているところを見ても、裁判を扱った映画としては、不自然な点が多く残ってしまう。
「悪魔のせいだ」とか「神のお告げがあった」というような発言をする裁判というのは、実際に何度かあるし、日本でもそういった事例はあるものの、ほとんどは精神疾患だったり、責任能力がないことをアピールするパフォーマンスである場合が多かったりする。
今作で描かれている事件は実際にもウォーレン夫妻が関わった事件であるし、ベースは実話かもしれないが、映画の全体的な構造自体はフィクションである。逆にウォーレン夫妻が関与したことで、事件が複雑化した可能性すらあるのだ。
描いているのは、実話だったとしても、ウォーレン夫妻のパートがほとんどフィクションなだけに、もうフィクションでしかない。
『セブン』を目指したとはいっても、大部分はいつものウォーレン夫妻のリズムを保った作品であるだけに、予定調和な「死霊館」シリーズを「相棒」や「水戸黄門」を観るような感覚で観ている人にとっては、お馴染みの安定感は楽しめるのではないだろうか。
そろそろウォーレン一家の娘あたりがロレインと同じ能力に覚醒するような気がする..