悪の偶像 : 映画評論・批評
2020年6月30日更新
2020年6月26日よりシネマート新宿ほかにてロードショー
繊細なサスペンス、血生臭い殺気に息をのむ、人間たちの罪と罰の物語
異様な映画を観てしまった──。他国の追随を許さない快作、異色作がひしめく韓国のノワールものを評するときには、しばしばこのような書き出しを使いたい誘惑に駆られるのだが、「悪の偶像」は掛け値なしに異様なクライム・スリラーであり、実におどろおどろしいヒューマン・ドラマでもある。
ある夜、知的障害者の若い男性プナンが車でひかれる事件が起こる。加害者の父であるエリート市議会議員ミョンフェは、政治家としてのイメージダウンを最小限に留めようと、ある揉み消し工作に手を染めてしまう。しかしプナンの新妻リョナが事故現場に居合わせながらも、なぜか姿を眩ましたことが判明。リョナの行方を探るプナンの父ジュンシクを巻き込み、事態は思わぬ方向へ歪み出す。
要するに、ひき逃げ事件をきっかけに、住む世界がまったく異なる“加害者の父”と“被害者の父”の人生が交錯していく話なのだが、序盤の状況設定からして複雑で、観る者はかなりの集中力を要求される。とはいえ心配は無用だ。都合のいいように事を丸く収めようとして、悪循環の泥沼にはまっていくミョンフェ役のハン・ソッキュ。今は亡き息子とその嫁を思いやるあまり迷走していく不器用な金物屋の店主、ジュンシク役のソル・ギョング。人間の弱さ、愚かさを迫真の演技で絞り出す二大実力派俳優の共演から目が離せない。
ところが、この人間という生き物の根源的な本質に触れた罪と罰のドラマは、中盤以降いっそう複雑にねじれ、なぜそこまでというほど異様な展開へなだれ込んでいく。そのキーパーソンは“消えた目撃者”リョナだ。前半の1時間は姿を見せない彼女は、中国出身の不法移民というわけありの女性で、常人離れした獰猛な生存本能に従って行動する。このまれに見る怪女は、どれほど血生臭い殺気をみなぎらせ、2人の主人公の運命を容赦なく狂わせていくのか。そこに本作最大のサプライズがある。
そして、自らのオリジナル脚本を映画化したイ・スジン監督の手腕も見逃せない。登場人物の激情と理不尽な暴力がほとばしるストーリーを、全編生々しい現実感をこめて描出。さらに防犯カメラやドライブレコーダーの録画映像の巧みな使い方、幾度となく不穏な予兆をかき立てるサスペンス描写の繊細さ、時折挿入される不可解なショットの意外性にも胸がざわめく。題名にもなっている“偶像”というテーマについてあれこれ考察する以前に、最後まで着地点が見えないクライム/ヒューマン映画の異形ぶりに驚嘆せずにいられない。
(高橋諭治)