パブリック 図書館の奇跡のレビュー・感想・評価
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The Public
publicの意味を再考するいい映画だったと思う。
日本では、「公共」や「公立」といった翻訳だけが一人歩きし、場合によっては誤解さえ生じかねない言葉になっている。
副題が「図書館の奇跡」となっているが、こんな陳腐な日本語を追加してしまうのも、やはりpublicの意味が十分に浸透していないからなのだろうか。
図書館員スチュアートも立てこもるホームレスも、ラムステッドもpublicのひとりだし、それはディヴィスでも同じことだ。ただ、その多くの者が、独りよがりの独善的なpublicを振りかざす時、その専横的なpublicから締め出される者たちがいることを忘れてはならない。
誰もが「裸」であるということこそがpublicの場を存在根拠なのかもしれない。でなければ、その場所が誰にとってもcommonたり得るものにならない。
それを考えれば、図書館はpublicそのものであり、具現化されたものをそこにみてとることができる。・・・・って大半の司書は誰でもそう思ってると思うけど。。
この映画に何ら新しい視点などのない。
それは、顕在化されてはいない凡庸なるpublicだけがあるに過ぎない。
しかし、それを誰も理解しようとしない。
流石に誤解する設定は・・・
厳寒のミネソタで、退館を拒否したホームレスに寄り添う図書館館員を描く物語。
ホームレス問題を扱った社会派ドラマですね。ホームレスに同情し共感する図書館館員が籠城に付き合うことになりますが、誤解から主犯者とされて苦悩します。
ただ、流石に無理があります。100名を超えるホームレスの籠城に対して、何をどうすれば誤解するこうなるのでしょうか?主役のバックボーンや、郡検事の野心等も描かれていますが、常識的に誤解しようがないだろう・・・と思います。
シリアステイストの社会派ドラマですから、「常識ではあり得ない」を感じてしまうと、物語に入っていけなくなります。
この内容なら、同情した職員が「籠城を主導した」にしてしまった方が、その後の展開に説得力が生まれたように思います。
着想が良かっただけに、残念に感じた映画でした。
一人の図書館職員が巻き込まれた悲劇
日本とアメリカでは公務員という立場が全く違うという印象に驚きました。
いろいろな利用者の対応を適宜求められる訳だが、
その対応で訴訟されてしまったりして、日本の様に公務員は安定職に全く見えない。
今回の事件も寒波の中の対応だったが、
彼の優しさが仇となって、容疑者になってしまいます。
なんだか見ていて気の毒だなと思った😢
劇場で見てもよかったかなあ。
地元名画座で上映していたのに、行かなかった私に喝!。
邦題から想像すると「図書館利用者の間の、微笑ましい話」?。
まあ、外れてはいないんだけど。
原題は「public」。公共の、という意味の方が強い内容。
図書館って赤ちゃんからご高齢の人まで。利用者は様々。
よほど大騒ぎや、他の利用者に迷惑にならなければ、welcome状態。
舞台のオハイオ州シンシナティ、それも夜はマイナスになる寒さ。
そんな夜に帰るところがない人たちが、「一晩図書館に泊めてよお」。
から起こる騒動です。
警察の交渉人、騒動に乗じて目立とうとする市長候補・キャスター。
主人公の図書館員の過去まで報道される始末。
見ている方の気持ちは、もう一緒に図書館の中にいましたね。
最初は「早く帰ればいいのに」って思ったのに。
ずっと「勝手にお泊まり会」しているわけにも行かない。
機動隊が突入する寸前に、主人公達はどうするか。
ここ、そうきたか!って日本だったらこの方法はしないという。
7割の人は「はあ?なんでえ?」で、3割の私は「あはは、やってくれたね」。
図書館の「市民映画観賞会」では、決して上映できないわ(ネタバレ省略)
主演エミリオ・エステヴェスが監督脚本制作。
「飛べないアヒル」(1992)シリーズ3作が大好きでした。
あっという間の2時間でした〜。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「公共図書館は、この国の民主主義の最後の砦」。
怒りの葡萄がずっしりと実っていく。収穫を待ちながら
映画「パブリック 図書館の奇跡」
(エミリオ・エステベス監督)から。
公立図書館の館長を経験したことのある私は、
課題も含め、その役割がとても気になっていたので、
とても身近に感じられた作品の一つとなった。(汗)
毎年、真夏になると、浮浪者と思われるような人が、
酷暑から逃れるために、公立図書館へ来館するケース、
追い出すわけにもいかず、懸案問題になっていたのを思い出す。
特に、何日も入浴していない体臭は、文字では表せないくらい。
だから今回の「記録的な大寒波の影響により、
市の緊急シェルターが不足し彼らの行き場がなくなった」時、
公立図書館はどう決着するのかな・・と注目していたが、
予想外の終わり方で、首を捻った。(笑)
特に「政治的イメージアップを狙う検察官」が、
5分間を外のコンクリートで寝そべった時、
そのあまりの寒さに、彼らの主張に気付き、
公立図書館を臨時シェルターとして開放する展開だと
勝手に憶測したら、全く違う結論で戸惑った。
あの発言、あの設定は、何も意味がなかったの?と、
思うこともしばしば。
一言のメモを残すとしたら、
「人々の魂の中に、怒りの葡萄がずっしりと実っていく。
収穫を待ちながら」(スタインベック著)かな。
タイトルは「奇跡」だったのになぁ。う~ん・・
Make Some Noise
社会的なテーマの高さと現実に寄り添った問いかけを投げかけてくる。法を片手に掲げて弱者を潰しにかかるクリスチャン・スレイター。吊し上げたり罰を与えたりはしない。悪者になるしかないと覚悟し、最後は苦悩の表情を浮かべる。絶妙な着地。レポーターの下衆ぶりに中指立てたくなるが、結構それは自分自身でもある。
ラストの展開。問題の重さに対して軽やかに過ぎる締め方であるが、後味が爽やかなのは好感できる。他方、不要なラブシーンなど、難点も散見される。占拠に加担する主人公の心境と動機は無罪とは言い難いところ。同じ罪ならもっと義心の方がすっきりするが、この辺りもこの作品のバランスなのかもしれぬ。
公共と差別と、善悪だか正義と
台風15号のときだったか、日本で路上生活者の人が避難所に入ることを拒まれた問題が起きましたよね。
図書館、公共の場。
市民の誰もが利用する権利を有する場所。
本来なら体臭があるからなんて理由で、利用を拒まれてはならない場所。
しかしホームレスの体臭は、他の利用者が理性だけで我慢するにはあまりにもキツいのもまた事実。
最近ネットなどでは、納税してる人だけしか権利はなくて良いとか、権利だけ主張するな義務を果たせとかいった意見をよく見かけるようになった。
利用する権利は誰にでもあるけれど、他人に迷惑をかけないように利用すると定められているわけで、臭いから迷惑だと主張すること、どちらも間違っているとも言えず…だが命が掛かっているなら話は別だ。
命より大事にすべきことはないはずだから。
というど真ん中の真理を静かに訴えてくる作品。
差別してる人、差別とは思わず差別してる人。
それぞれの善悪、正義の主張。
私自身、図書館でホームレスの人と遭遇したとき、正直言って、臭いから迷惑、出て行って欲しいと思ったことがある。その人がなぜ、その状態であるのかなど考えもせずに。
コロナ禍で今後、失業者は増え、きっと路上生活者も増えていく。義務を果たしてないのに権利を…等とネットでのたまっていた本人が、いつ「そっち側」にいくか、もはや誰にも分からない世の中だと思う。
そのとき何を?
映画のレビューとしては、全く何が言いたいか分からなくなってしまったが笑
要するに、とっても面白い映画でした。
ホームレスが善良に見えない
・日常、好意的な対応をしてた司書の善意を利用し、無茶で甘えた厚かましい要求をしているようにしか見えない。
・ホームレスが善人なら、まず司書を初っぱなから解放すべきだろ。
・ホームレスは司書の解雇を知らない以上、嘘でも加害者を演じ司書は人質であるという体をして、後々の迷惑が掛からないよう手を打つべきだろ。
・当局が司書こそ犯人でホームレスが人質と誤解してるなら、それはホームレスサイドが積極的に否定すべきだろ。
(っていうか、あの状況でこんな誤解するか??)
なんか、テーマ最優先で「いい話風」にまとめようとしたら、冷静に見ると非常に胸糞悪い話になった、って感じです。
嘘で塗り固めた米国の姿を偽計した罪は重い‼️
米国のホームレスは他国と違い、人種差別の賜物で、警官が黒人を理由なく殺戮している事は周知のとおり。
こんなことをすれば全員殺戮されずとも五体満足ではいられまい。
とんだアメリカン・ドリームだ、悪夢だけど、まじか‼️
どこが奇跡だ、立て籠れば、暖房はおろか、水や電気は止まるだろうて。
いろんな矛盾は取り立てて言うのも口が腐るが、こんな映画を奇跡だ、コメディだ、と言われて、感心する日本人がいるめでたさに、恐れ入るなり‼️
【#HomelessLivesMatter】
レビュータイトルを、#BlackLivesMatterにかけて、#HomelessLivesMatter としてしまったが、この作品のメインテーマは、実は、そこではなくて、英語の映画タイトルそのもの、「公共」とはなんぞや、ということだ。
大学の講義のケーススタディになっても良さそうな感じだ。
ホームレスの緊急シェルターは、ボランティアを主力としても、市が公的に運営しているものだ。
そうしたヘルプがあって、前にホームレスだったスチュアートは、現在、図書館で職を得ている。
寒波で市の緊急シェルターに人が溢れ、受け入れることが出来ない人が多く出てしまった。
凍死するかもしれない。
さて、図書館は、緊急の緊急シェルターとして利用可能だろうか。
図書館はパブリックなものだ。
でも、主な利用者は、一定以上の所得を得た人が多いし、もしかしたら、皆さんも経験したことがあるかもしれないが、少し風体の良くない人がいると、職員に抗議したり、出て行くように促す人がいたり。
危害を加えたわけでもないのに。
公共のものなのに。
東京都港区の青山に児童会館を作る計画が明らかになったときに、周囲の住民が、そんなものを近所に作られたら、近隣地域の付加価値が下がると言って抗議した人が沢山いたことを思い出す。
このニュースに触れたとき、感情的に、なんて心の貧しい人達だろうと思った人は多いと思うが、いや、公共という観点から考えるべきではないか、それが社会的な合理性ではないかと考えた人は、どれくらいいただろうか。
この作品の面白いのは、図書館をホームレスが占拠するという事態になったこと、すったもんだはあったものの、スチュアートやホームレスは実は穏健で、一部の政治問題化させたい者や、メディアが騒ぎ立ててるだけで、実は、問題の本質を見誤っていること、そして、その顛末を通して、観る人に、待てよ、これはどうあるべきか冷静に考えなくてはならない、公共は差別の上に立っているものではないはずだ、等々、考える機会を与えていることだと思う。
日本は、近年、豪雨災害も多く、学校の体育館など公共施設に避難するケースはものすごく多い。
そこに差別はない(はず)。
政治家に転身をはかろうとしている検察官や、騒ぎ立てるメディアを他所に、スチュアートとホームレス、そしてボランティアの団結は、胸をスッとさせるが、それはそれ。
僕は、考えるべき、常に考え続けるべき題材なのだと思った。
普通に面白かったけど
あとあと考えさせられる映画だたさなと感じました。
公共とはなんなのか。個人の集合だから色々難しいなと。
まぁ何より館長が格好いいのと、人は過去を乗り越えられるってところは深く考えなくてもいい映画だと思いました。
なんかなつかしい男
エミリオエステベスというとブレックファーストクラブのいんしょうがずっとある。
レポマンの若い彼も、うっすら記憶はある。カルトとして紹介されていたのをVHSで見たのだが、どんな映画だったかよくおぼえていない。ただSaturday Night Live!Monday Night Football!と叫ぶところを覚えている。
何年か経ってThe Way(2010)で、なつかしいエミリオエステベスを見た。
星の旅人たちと邦題されていて、夭逝した息子の巡礼の旅を、父親がひきつぐという話。監督を兼任しており、映画内ではエステベスは亡くなった息子であり、じっさいの父親のマーティンシーンが父親を演じていた。
ハリウッドでは、俳優が監督になるのはよくあることで、そのこと自体に驚きはない。
ただし、あちら(ハリウッド)の人が監督へ転身or兼業するばあい、付け焼き刃でなく、まともな監督になる。
要するにあちらでは、俳優をやっていた人が、いい映画を撮る確率が、ものすごく高い。
個人的には、そのことに、いちいち驚く。
イーストウッドのように、すでに監督業で周知されたひとも大勢いるし、人知れず企画をあたためている俳優もいる。
俳優がいい監督になり得るならば(ハリウッドにおいては)俳優業に監督を育てる実効プロセスがある──のかもしれない。
日本では俳優から監督へ転身して成功した例を知らない。とりあえず思いつく人がいない。
わが国にもおそらく映画監督養成学校があるのだろうしNDJCなるプロジェクトも聞いたことがあるが、まともな映画監督がぜんぜん生まれないってのは、どんな様相なんだろう?
そのことに「12年も英語学んで一言も話せないってなぜですか?」的なギモンを呈する人っていないんだろうか?
知らない人間の歯ぎしりだが、日本で映画に携わっている人々って映画をなんだと思っているんだろうか?
ブレックファーストクラブのアンドリューには、現実のエステベスとかさなるところがあった。
彼は典型的な体育会系で、まじめな競技人(レスリング)だが、親の期待や勝ちへのこだわりに、心底疲弊していた。
終始ふまじめなジョンベンダー(ジャドネルソン)とソリが合わないのは道理だったが、その位相が、ハリウッド一やんちゃな弟(チャーリーシーン)をもったエステベスと重なった。
ジョンヒューズが、かれに悩みを吐露させたときから、わたしはエミリオエステベスの味方だった。
「(おやじを口まねして)アンドリュー、おまえはナンバーワンじゃなきゃならん。うちの家族に負け犬はいらん。勝て!勝て!勝て!」と泣きながら言ったエミリオエステベスが忘れられない。のである。
ハリウッドセレブの子として生まれ、騒動ばかりおこす──とはいえ人気者の弟の、つねに影にいたエステベスは、それゆえ、目立たずにまじめに生きる人々にとって最高のバディだったのではないだろうか。
むろんハリウッドスターである彼の内面は、あずかり知らぬことだが、The Way(2010)には、なにかを克服したひとの良識/良心があった。と思う。
つまり、久々にエミリオエステベスの監督業を見て、そこにエミリオエステベスの来歴が紹介されていたわけでもないのに「苦労したんだね」という感じがした──のである。
映画を見て、良いか悪いかジャッジするまえ、まず何がわかるか──といえば(つくったひとの)頭の良し悪しと、人生の経験値──である。
逐一、日本映画に絡んで申し訳ないが、これらのことから、映画をつくるにさいして、何が必要かといえば、それやめて働け──ってことじゃないだろうか。
しばしば学校教師にたいして、同様の見識が叫ばれる。
人を教育するのなら教育学部でまなぶよりも、人生経験を積むべきだ=働くべきだ──の世論は昔から定石である。これは多くの学校教師が、いっさいの社会経験がないまま、つとめている事実にもとづいている。
この見解が、わたしたちが目にする未成熟な日本映画に、スッポリ当て嵌まってしまう──ことはないだろうか?いますぐ映画をつくるのをやめて働くべきだ、と思ったことはありませんか?
創作動機も重要である。
ポールダノのワイルドライフを見たとき、改めて思ったのは、俳優になって、映画にたずさわっているのは、彼/彼女には、なにかつくりたいものがあるから──の構造である。
ジョエルエドガートンもBoy Erasedをつくった。
レッドフォードは普通の人々を、コスナーはDances with Wolvesを、ショーンペンはIndian Runnerをつくった。
すなわち、ハリウッドのばあい、つくりたい映画があって、技量をまなび資金をあつめ人材を築くために、とりあえず俳優業から入った俳優が多い──のではないだろうか。
だからこそ、監督へ転身した際、高いクオリティの映画を撮る基礎構造を持っている──わけであり、先に俳優で有名になってしまったが、むしろ、彼/彼女は、それをつくるために有名になった──はずなのだ。グレタガーウィグだって典型例である。
また、しばしば映画の謳いに構想ウン十年というのがあるが、商業映画でなければ、長い創作動機があるのはとうぜんで、子供の時からあったとしても、不思議はない。韓国映画のはちどりには着想から30年を超える月日があったが、構想ウン十年と喧伝されていただろうか?
クリエイター=映画監督ならば、つくりたいものがある──はずだ。そしてそれは、昨日かんがえたとか、さっき思いついたとか、の軽佻なアイデアでないものが、望ましいと思う。そんな長い構想を、鬼才なる日本映画に感じることができるだろうか?
牽強付会にdis日本映画してみたが、この映画とは関係がない。
だれであろうと、図書館を利用したいなら、そこが酔っ払い/浮浪者/ホームレス/ドラッグアディクトのたまり場となっていて、いいはずがない。
このばあい、善意と秩序が、うまく噛み合わない。
外は寒く、夜間入館できなければ、文字通り凍死する。が、そのばあい政府/自治体が開放するのは、しかるべきシェルターであって図書館ではない。
図書館が、かれらの溜まり場と化していたことが、事件の素地をつくっていたが、それがこの話の面白さでもある。
映画には、エステベスが愛するシンシナティの街とその図書館、社会から脱落した人々と、かれらに同情や共感をよせる親切心が描かれている。
また敵対者を、たんなる咬ませにしない。かれらだって、かれらなりに疲弊している。ボールドウィン演じる刑事も、クリスチャンスレイター演じる市長立候補中の検事も、哀感があった。
クリスチャンスレーターがエステベスからこの映画の台本をもらって読んだのは10年前だった──という2017年の海外の記事があった。このThe Publicも長い構想のすえに完成した映画──なのだ。
映画はなにも解決していないが、エステベスが言いたかったのは、優しさやホスピタリティのようなシンプルなメッセージだったと思う。
もし、新型コロナウィルスや、ジョージフロイドの死とその後の暴動、の後だったらエステベスはこの映画を撮らなかっただろう。いい映画だけど、いま(2021)見ると著しく時宜を失う映画でもある。
それは価値をスポイルはしないけれど、すでに映画内が平和に思えてしまう。千人に一人が亡くなっているアメリカ/アメリカ人だったら尚更そうだろう。
単純明快だが深い。人としての在るべき姿とは。
【賛否両論チェック】
賛:図書館へと身を寄せ合う人々の物語が、どこか温かく描かれていくのが印象深い。命や差別の問題等、思いのほか考えさせられる部分も多い。
否:特にひねりのきいたストーリーでもなく、とにかく淡々と進んでいく感が否めない。全裸のシーンもあり。
大寒波から生き延びるために、やむなく図書館へのろう城を決めたホームレス達と、ひょんなことから巻き込まれてしまった職員のスチュワート。彼らを取り巻く検察官やメディアの思惑が交錯していく外の喧騒をよそに、図書館へと寄り集まる人々の人間模様が、温かく描かれていくのが印象的です。
「図書館が権力の枠組みを超えて、“人々の命を守る場所”へと変わるなんて、どこか『図書館戦争』なんかと通じるものがありそうだなぁ・・・」
なんて、勝手に思ってしまいました(笑)。
ただ、そんなヒューマンドラマの割には、ストーリーがものすごく淡々と進んでいく感も否めません。ラストもかなり呆気なくて、全裸のシーンもあったりします(笑)。
それでも観終わった後には、命や偏見・差別、そしてそんな世界での自身の在り方について等々、思いのほか深く考えさせられるような、そんな作品といえそうです。
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