「The PublicでEmilio Estevesがみせた米国の「良心」」パブリック 図書館の奇跡 h.h.atsuさんの映画レビュー(感想・評価)
The PublicでEmilio Estevesがみせた米国の「良心」
本作を純粋なエンタテインメント作品やハートウォーミングな作品として観てしまうと、少々物足りなさを感じてしまうかもしれない。観る人それぞれが「The Public(=公共)とは何か」を考えることで、この作品が持つ優れた道徳的価値を感じることができると思う。
一般的に「公共性」とは3つの意味を持つ。
1.国や地方自治体などの公的なもの(official)
2.私的(private)に対する共通のもの(common)
3.内外に対して開かれたもの(open)
公共性に関して問題になるのは、時としてこの複数の意味がぶつかり合う場合である。
この作品においても、市の公共図書館は市民の共通空間であり、特定の人のものではなく共通の利益が侵害されてはいけないという意見。
反面、(大寒波で行き場を失った)ホームレスに対して、一個人として生存権を保障されており、彼らに対しても公共空間は開かれるべきだ、という言い分。
法のプロフェッショナルである検事や警察と、図書館に立てこもるホームレスと主人公はお互いの「正義」で対峙するが、皮肉にもお互いの大義名分は「民主主義」である(お互いの解釈は異なっているはず)。
「公共性とは何か」
「(公共)図書館の存在意義は何か」
「ホームレスは公共の場から排除されるべき存在なのか」
映画を観た後に考えさせられることが沢山出てくる。
米国のみならず日本でもリバタリアニズム(自由至上主義)の空気がひろがり、弱者が自分よりも弱い弱者を叩く風潮が強まっている。トランプ大統領が声を荒げる、米国の未来を絶望する人も多いと思う。しかし、「日本よ。米国はまだ捨てたもんじゃないよ」と米国の良心をみせてもらった気がする。
NOBUさん
同感です。Publicは公共施設という意味であるとともに、私たちの共有するひらかれた場所でもありますので、私たち市民ひとりひとりができることからはじめていきましょう!こういう議論ができるきっかけを作ってくれたEmilio Estevez監督に感謝したいです(^^)
度々すいません。
現代アメリカを統べる男性は、大嫌いですが、今作のような映画を観ると、”日本、大丈夫かなー”という思いと、けれど”公共機関で日々真面目に働いている方々”の姿を思い返すと、イロイロな問題提起を提示してきた作品だと思いました。
取り合えず私に出来る事は、公共機関で”偉そうな態度で”職員の方々に接している人々に”柔らかく温かい笑顔で、”厳重注意”をする事を継続することだろう!”と今、再び決断しました。(家人からは、刺されるから止めてくれ!と言われて自重していましたが・・。尚、自警警察ではありません・・。)
では、又。
今晩は
私は今作を、”弱者を守るのは、国を含めた公共機関だろう。日本では、それが機能していないではないか!”という視点で、途中から観ました。 が、”リバタリアニズム”の視点からの考察が少し欠けていました。(図書館で働いていると思われる方のレビューには参りました・・)
”「日本よ。米国はまだ捨てたもんじゃないよ」と米国の良心をみせてもらった気がする。” このコメントには同感です。勉強になりました。
では、又。