「1972年ミュンヘン五輪と、1974年W杯西ドイツ大会の合間に起きた事件」ストックホルム・ケース bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
1972年ミュンヘン五輪と、1974年W杯西ドイツ大会の合間に起きた事件
イーサン・ホーク、最高でしたw
「ストックホルム症候群」と言う「言葉」の起源となった、「ノルマルム広場強盗事件」をひな形にしたフィクション。
そもそも。
「ストックホルム症候群」の定義とは「被害者が生存戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くこと」を言い、「被害者が犯人に共感すること」でも無ければ、「協力関係を築くこと」でも、「心を通じ合わせる事」でもありません。元々の意味は「計算づくでの生存戦略」だった訳で。
ところがですよ。
1970年代に起きた数々の人質事件の中には、このクレジット銀行の立てこもり事件と同様に、「明らかに犯人Grに共感していたのではないか」と思わずにはいられないケースが散見されます。ノルマルム広場強盗事件では、人質達は立てこもり中、「政府より犯人を信用している」と発言するのですが、後日「あれ。本心だったから。犯人に脅されてたってわけじゃないから」とぶちまけてしまい、アレアレ。いつの間にか「ストックホルム症候群」とは、「人質事件において犯人と人質の間に心理的交流があり共感関係が成立してしまう事」をイメージさせる言葉になって行きます。
物取り目的で押し入った家で、心臓発作を起こした被害者の救命をしていて捕まったラースは、憎めない男として描かれます。手に持っていたのはVz85?サプレッサーが付いてたけど。拳銃はBHP?入手経路は旧東ドイツと言う設定でしょうか。当時の世界風潮の中で、このラースなら、犯人Grに協力してしまう人質たちの気持ちも分かります。
事件解決への指示を出していた首相は「犯罪者の不当な要求には屈しない」と、今ではよく聞くセリフを発しますが、それには伏線があります。1972年、ミュンヘンオリンピックの開催中に発生した「黒い9月」によるイスラエル選手団の殺害事件です。この人質殺害事件の翌年の事ゆえ、犯人Grの要求に簡単に屈するところを見せれば、スウェーデンが反体制テロリストのターゲットになりかねないと言う危機感。
当時、ドイツには対テロリストの専門部隊が存在しませんでした。今や、GSG-9は世界に名だたる強力な組織ですが、その創設のきっかけとなったのがミュンヘンオリンピック事件。この時、作戦にあたったのは貧相な火力でテロリストにはかないっこない普通の警察官たち。彼らの一部は、生命の危機を冒してまでも任務に就くことを拒絶し「職場放棄」したため、状況は悪化し、最終的には人質全員が死亡します。
今なら「特殊部隊がいるじゃん」となるんでしょうが、スウェーデンのこの事件でも、出動しているのは一般の警察官です。狙撃のプロなんていません。せいぜい、射撃のスコアが優秀、って言う程度。つまりは、犯人Gr制圧の能力が不十分であるため、制圧戦術は「会話」と「だまし撃ち」にならざるを得ません。今なら、遠方からパーンと二人が同時に狙撃されてお終いですけどね。
ラースと首相のどっちを信用するか。ラースと署長のどちらを信用するか。
警察も首相も信用できないよ。ってなるのも無理からぬことでしょうね。ミュンヘン事件の翌年だし。しかもラースは、どっか憎めない。
銀行立てこもりの報に警察・政府には緊張が走るも、犯人の要求は、政治犯の解放でも、テロリストの解放でも無く、強盗犯の解放。しかも要求がみみっちい。高飛びする気配も無い感じ。調べてみたら、ただの強盗犯と判明。そこからは、70年代Pop Culture的展開で、署長に対抗して、ラースとビアンカのタッグ誕生。
ビアンカが犯人Grに協力的、警察に対しては非協力的であると署長がかぎ取ってからは、もうコメディ。まぁ、スタートからコメディ的ではあるんですが。防弾チョッキを使ったフェイク(多分フィクション)、ドリルで天井に穴を空けて催涙ガスを流し込む攻防(事実)、首相に電話するビアンカ(事実)などなど。
全部面白かった。とっても。
ちなみに、ラースとして描かれたジャンエリック・オルソンは、服役後タイに渡りタイ人女性と結婚。15年タイで生活した後、スウェーデン
に戻ったとの事です。