三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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何を言っているのかわからないけれど…観て良かった映画作品
今日は三連休の中日で夜遅くの上映時間。
そんなに本作を観に来る人はいないはず。
昨今のなんちゃらウィルスのリスクも少ないはず…だったけど、、、、
淡い期待を崩されてしまった感じの席の埋まり方でした。。
なんだ、この作品は注目されてるのか?それとも話題作なのか?
ちょっと驚きましたです、
私は私で三島由紀夫氏にとっても興味があったんです。
太宰治氏や芥川龍之介氏や夏目漱石氏以上に、この方の本は読んだことはないけれど、経歴(割腹自殺・自衛隊入隊・癖のある人物像)等で何故か早く観たい!と思わせる何かがありました。
全体を通して、とても素晴らしいドキュメンタリー映画作品でした。
何を言っているのかわからない(私がおバカなので、笑)中にも、ストーリーに引き込まれてしまうほど、本作の魅力に取り憑かれていってしまいました!
心の中で、何度も"へぇ〜"って言ってました!
三島由紀夫氏の後輩で、元東大全共闘の橋爪大三郎先生のお話はとても素敵で、久しぶりに聞き惚れてしまうくらいの内容でした。
こういう風な映画も教養の一つとして知っておいたほうがよい大切な作品なんだ!
と、思いました。
オススメです!是非御覧ください!
※推してる役者さん、女優さんの観たい映画作品は、昨今のなんちゃらウィルスに戸惑っている間に一度目?の上映が終わってしまいました。
二度目の再上映がもうすぐですので、必ず劇場で観て感想を述べたいと思います☺︎
劇場の幹部の方々も配慮をしてくださっているのでとっても感謝しています!
ありがとうございます♡
芥さん、キャラが濃い
久しぶりの素晴らしいドキュメンタリー映画を観ました。
単なる右翼VS左翼の水掛け論的な掛け合いではない、秀才VS秀才のリアルな頭脳戦に舌を巻きました。
特に三島の論理的でありながらウィットに富んだ話ぶりに、第三者であるこちらもニヤリとしてしまいました。
憂う気持ちは同じだった
三島由紀夫も学生運動も
そんなに知ってるわけではありませんでしたが
面白そうだったので鑑賞
感想としては
NHKスペシャルとかで出来ないかな
と言う内容にも感じましたが集中して
スクリーンで見るというのも一考でした
60年安保は可決を阻止できなかったものの
内閣退陣までは追い込めた安保運動は
学生運動にまで発展し60年代末には
反戦運動が大学への要求運動を織り込み
激しい全共闘運動が始まり全国の学校が
暴力革命に荒れた時代
保守派文化人の代表格だった作家三島由紀夫が
東大駒場教室で討論会を行った様子を中心にした
ドキュメンタリー
右翼対左翼という一色触発の様相もありながら
1000人の学生を前に堂々と立ち回る三島由紀夫は
討論というよりか互いの意見を酌み交わしながら
遂には互いの主張にある共通点を確認するに至ります
「アメリカの言いなりになる日本の将来を憂う」という…
自分は80年代生まれで当事者でなく深くは言えませんが
昔大学のゼミの教授が
「学生が思想というものを意識して行動に起こした時代で
その反動で今の大学は学生に考えさせるのをやめた」と
言ってたのを覚えてます
戦後教育から急激に成長し続ける日本に対して
このままでいいのかという不安や憤りも含まれていた
のかもしれません
ただそう言うなら左派だけでなく右派の
三島由紀夫も同じように考えていたわけで
楯の会の発足や自衛隊への体験入隊などを行って
いたわけです
ですから全共闘も三島も互いに共通の日本を憂う観点から
同じように行動に移していたわけで
互いに互いを批判する余地はさほど無かったことが
討論の中で少しずつ判ってきてしまった部分が
印象的でした
討論会は天皇観などにも及びますが
そこへくると三島が学習院時代に天皇陛下から直接
メダルを貰った話などに及び主観論になっちゃっている
あたり三島のチャーミングさを感じました
日本人が宗教観や災害時でも比較的混乱せずに
落ち着いていられるのは
天皇陛下の存在が大きいと思います
そこに日本人としての象徴がある限り
ぶれることのない日本人的感覚皆が
持ててるんじゃないかと思います
そこはどんな権力を持つ政治家でも
侵せない部分だと思います
文化大革命に影響された暴力運動も
起こっては見たものの結局広く国民の支持を
得るには至らず沈静化してしまったのにも
関わっているのかも知れません
三島は暴力に訴える事は否定しない
キ○ガイの騒ぎなら病院に行けば良い
でも君たちはそうではないはずだ
という共感を以て理性的に接する三島の姿勢は
今の時代にも通用する
いや必要なものなのかも知れません
途中解説している当時の全共闘の人達の
回想録も面白かった
なんかアベ批判に終始して笑われてるTwitter芸人や
ナマクラ坊主も混じってましたが討論会の内容が
ちんぷんかんぷんなためなんとか理解を得るのに
助かりました
まあそういう熱い時代があり今は冷めている
のかもしれませんし
また煽ろうと画策している怪しい連中もいますが
ネットで広く見渡せる時代
自分の手の内で収まる自分のあり方を
つかんでいく材料になる作品だったと思います
令和にも語り継ぐべき
熱と敬意と言葉
自分が在学時はセクト対立、三里塚闘争、反米・・惰性な空気だったなあ、とこの映画の真剣勝負をみながら、当時を振り返りました。
三島由起夫、不世出の人間と、全共闘、是非は別として、こういう時代を忘れてはいけないと思う。
ナレーションは、もっとプロを使ってほしかった。それだけが残念無念。
初めての映像
この頃僕は幼少期で、それでも全共闘とか三島とか覚えているのはやはりテレビ放送というのがいかに影響を与えたかという証拠。
三島というと自衛隊で自決というセンセーショナルな事件が取りざたされるが、それに至る三島の行動、言動は、未だに研究されている。
三島はその当時色々な大学で学生相手の討論会を開き、その学生と正面に向き合っていた。この駒場での全共闘1000人を前に、一つも臆することのない姿勢は清々しく、まずあいさつ代わりのスピーチを始めた三島に、1000人はアジることなく黙って聞いている。僕の感想だが、三島が圧倒的に大人で、丁寧に話し、嫌いなものをはっきりとさせていき、ユーモアがあることで戦闘モードの学生も沈静化したのだと思う。
司会を務めた木村という学生も、思わず三島先生とうっかり呼んでしまうほど、実際学生の心はこの最初のスピーチで掴まれてしまっていたような気がする。
もちろん途中全共闘一の論客と称えられていた芥氏が赤ん坊を連れて三島さんは敗退してしまった!とするどい一撃を浴びせるが、三島は最後まで声を荒げることなく主張をする。
このフィルムの面白さは、当時のフィルムに載せて、現在の彼らの考え、当時の思いをインタビューしたことだ。現在の芥氏は大人の不敵さで、「天皇の文化的側面ってなんだい?」とインタビュアーに聞き返す。むしろそちらの方の緊張感もあった。
三島は最後には共闘することはないが、皆さんの熱情が今ここにあることは信じられるという。この両極端の思想の両者には敬意がある。三島が発した言葉が、言霊となり駒場の900番教室に今でも残っているに違いない。
50年後の現代に、SNSで一方的に浴びせることはもう議論でもなんでもなく、シンプルに言葉を交換することで何かを生み出す。この映像はそれを我々に見事に示してくれたのだと思う。
三島由紀夫にm(__)m
なんで死を決意したのだろ
今の時代に必要な人だったのかな~
私たち戦後を知らない50代ちょうどあの赤ちゃんの今の私達どうなるこの日本
三島由紀夫に脱帽m(__)m
出来ればもっと学びたい人間力
熱を感じたかったな~
観てよかったです!
右とか左とか、あの時代に生きていた人達の言葉は
いい意味でも悪い意味でも生きた言葉だ
三島由紀夫も、この990番教室に言の葉がただよってると論戦を行った学生に言っていた
学生に対して、決して威圧的でなく論じる
人間三島由紀夫は本当に魅力的ですね
稀代のパフォーマーによる見栄の張り合いとしての討論会。
本作を鑑賞すると、三島由紀夫と全共闘の学生達の討論会が、東京大学の講堂を舞台にした二人(二群)の演者によるパフォーマンス対決という色彩が強いことが理解できます。
そのことを最も強く印象づけているのは、映画のポスターや本編のインサートカットで使用されている写真です。それらはどれも構図や表情が完璧で、まるで入念にリハーサルを経たかのようです。
それも当然のことで、実は三島は、この討論会を宣伝材料として利用することを事前に計画しており、昵懇の記者を同行させて、記録撮影をさせていました。
三島はカメラがどの位置にあり、どのような振る舞いをすれば「写真映え」するのか、討論しつつ十分に計算していたのです。報道記者として状況を客観的に記録していたはずなのに、いつの間にか三島に「撮らされていた」という記者自身の証言が非常に印象的です。
対する全共闘の側も、三島に負けず劣らずパフォーマンスを仕込んでいます。映像に映し出された、子供を抱きかかえて議論を挑む男性学生の姿は一種異様な印象を残しますが、これは大学内での知識人同士の討論という、知識を巡る権力闘争となり得る状況を敢えて破壊するための仕込みでした。こうした手練れの役者同士の演技合戦と観念的な議論が交錯して議論は展開ていきます。
全編にわたってとりわけ強い印象を残したのは、今も舞台の世界に生きる全共闘の元闘士の鋭い眼光ですが、彼は現在、一体何と闘っているのでしょうか?
残念なアウトプット
この作品を映画にする意味がよくわからなかった。せっかくの映像が台無しで、制作のクオリティにも疑問。むしろ全映像を2時間まるまる流してもよかった気がする。
映像を所有していたTBSがドキュメンタリーにする能力も誘引もないのであれば、NHKに作って欲しかった。より良質のドキュメンタリー作品となったと思う。
解放区
このドキュメンタリー映像を観ていると、右翼対左翼、革新対保守というテロップが流れたのに、全共闘と三島由紀夫が対立関係だったとは決して思えない。
芥正彦と三島由紀夫の議論に、観念的と言って割り込む学生がいたが、確かに……と思う反面、もっと、この場面を長回しで見せて欲しいと思ったりする。
そこには「言葉」の意味が支配する議論があった。
毎月の最後の金曜日の深夜の〇まで〇テレビとか、元知事とか元議員とか自称国際政治学者なんかの政治討論より、よっぽど頭の回転数が上がるし、こっちの方がクソが付くほど面白い。
胸が高鳴る。
この時代は、確信など無いのに、未来が手の届くところにあったようなイメージだ。
そういうことを考えると、あの教室には「解放区」が確かにあった。
小説や舞台よりも体感的な解放区だ。
彼らが云う暴力は、僕らが忌み嫌う暴力ではない。
何か変革を求めて迸(ほとばし)るエネルギーが器に収まりきらなくて溢れたようなものだろうか。
そこには、何か因習を破壊しようとするエネルギーはあるが、人を傷付けたりすることが目的のものとは違うのは明らかだ。
三島由紀夫は、全共闘に天皇をどうして欲しかったのだろうか。
そこは分からずじまいだった。
ただ、昨年の愛知トリエンナーレの昭和天皇の写真をフェイクの炎で燃やす映像に、親の教育が云々とか、道徳上どうだとか、情でしか話をしないコメンテーターや落語家を思い出して、今、僕達の周りには「解放区」はないのだと改めて考えてしまう。
Twitterに溢れる短いだけで、行間を読むのもままならないバカ丸出しの文章のやり取りや、匿名に隠れた誹謗中傷やウソ・フェイク(ただ、僕のフォローしてるアカウントはそんなことはないですよ)。
言葉の意味を間違って使ってても平気な恥知らず。
解放区どころか言葉に重さもなくなっている。
言葉が意味を持って交わされて初めて、「解放区」に繋がるのではないか。
意味を知って言葉を使うのは人間だけだ。
現代へ生きる自分たちへ
全共闘の話は何度か聞いたが、正直、学生たちの暴走のような感じでしか思ってなかった。
連合赤軍、あさま山荘、みどり号ハイジャックと物騒で殺伐とした、今では考えられない、混沌とした時代、そういう認識でした。
この映画の初めの印象は、一触即発の暴動寸前の激論があるのか?と期待していましたが、それは開始早々いい意味で裏切られました。
三島由紀夫という人物が、自らを侮り、皮肉っていた学生たちに理解を示すコメントから始まりました。そこで一気に、三島由紀夫という人物に引き付けられたのを感じました。
現代は何かとネットの匿名性に乗っかり、相手を言い負かすこと、揚げ足を取ることで優越感に浸りがちな自己中心的な議論を多く見かけますが、ここで交わされる所謂「右翼」と「左翼」という立場で相いれないのではなく、もっと根源的な、なぜ今そのような活動をしているのか?元を言えば、なぜ戦うのか?戦いとは何か?観念とは?既存権力とは?などなど、哲学や文学など、まるで大学の(まぁ学生も三島も東大生なので当たり前ですが)ハイレベルの講義を受けているような高度な応酬が交わされます。マイケル・サンデル教授の白熱授業みたいです。正直、自分には頭が追付かなくて途中で眠くなりました。
しかし、最後は右翼も左翼もなく、共に国を憂うという点で折り合えた、そんな感じで議論は終わりを迎えます。実際、東大全共闘の主催者の木村氏は明らかに三島に魅了されていたと感じました。(本人は立場上、作中では認めないが)
そして映画は討論会後の三島へとスポットを当てる。
自分もTVなどで何度か見たことがあるので知っているが、彼はこの討論会の1年半後、市谷駐屯地の自衛隊員へ決起を促し、自殺するのだ。
この後は自分の個人的な感想であるが、結局東大全共闘のメンバーは生き残り、三島だけが死ぬことなるが、彼だけが最初から最後まで本気だったのだ。
映像の中で彼は「失敗したら自殺する」と述べているが、真剣に国を憂い、本気で若い人たちと向き合い、何かを伝えようとしていた。それがこのドキュメンタリーの根幹であるのだと思う。
彼自身、盾の会という右翼団体をつくり、右翼思想の学生と同じ釜の飯を食い、厳しい軍事訓練を行っていたし、多くの学生たちとデスカッションを繰り返していたという。
ノーベル文学賞候補を川端康成らと争っていた時代の寵児、多くのメディアで持て囃され、文壇で押しも押されぬ確固たる地位を築いていた三島由紀夫、そのまま平凡に暮らしても歴史になお残しただろう彼は、それらに全く眼中になく潔く自害するのである。
映画の中で彼は「あらゆる既成概念や権力と戦う、(中略)その熱量において君らを理解する」と述べている。つまり彼は誰よりも純粋に大真面目に革命を興そうと思っていたのだ。
そしてその背景には、20代で学徒出陣が適わず、おめおめと生き延びた負い目と、敗戦によるGHQ支配と押し付けられた憲法、資本主義へと、物欲主義、享楽主義へをひた走る社会。それらすべてへのアンチテーゼを彼は体現したかったのかもしれない。
そしてこれは、この映画から50年を経た現代の自分たちへと問いかけるものでもある。
これほど国を真剣に憂い、生きた人たちがいたということ、そしてそれに恥じない生き方を自分がしているのか?ということ。
改めてこの映画は、若い人にこそ見て欲しい、そう思える。
結局、現状不満打破もがき
作品に関しては、NHKスペシャルの域を出ずかな。面白かったけど。
蓋を開けてみれば、属国化したアメリカさんの言う通り権力に、我慢ならんという幻想で共通という。
観念か行動かの二元論とか、そういう短絡化した世界で現状不満打破をもがく精神性は未熟。出口を自ら人工的に作り出して飲み込むより、そりゃ他無いよね。
大正的知識人なるものが、知見、専門、身分化した権威など、虚構で力を行使は認めんとする気持ちは分かるけど、オレは行動で責任持ってるというのも、やはりイマイチで、知識や言語記号に依存してるのは、大差ないですよ。
丁々発止の議論は面白かったけど、結局はああやって「スタイル」に飲み込まれた者同士の自分探し。それは三島も楽しかったと思いますよ。
一方は革命で逆転、一方は行動という名の暴力を自他に向ける形しか見つけられなかった。
皮肉にも立場とかプライドがなければ共闘すら可能かもと思わせる、対話、議論、理解が、ここにあった。
そこをきちんと切り取ったという意味で、この作品は十分な価値があると思う。しかしまぁ、おじいさん方はそのまんまというか、変わらない事で。イデオロギーも保守革新?も右左も現存して、大きな枠組みは今も変わらず。そりゃ日本も成熟せず、精神文化も発達しないよね。
学生は、まず何かに染まらないように!不安だけどね。スタイルより自己思考の反証を身につけないと、流行りに流されて何も残らないよ。
ナレーションの東出が下手すぎ
驚くほど滑舌が悪く下手くそなナレーションにムカムカしました。不倫発覚しなくても東出は芸能界にいらなかった。
映画は面白かったです。
おもしろかった(雰囲気)です
芥正彦と三島由紀夫の会話は正直何を話してるのかまったくわからなかった。でも、瀬戸内寂聴が「三島由紀夫は天才」発言を確保するための要員だったようにしか見えないのはわかりやすく面白かったです。
最後、元全共闘の人が「敗北についてどう思うか?」みたいなことをインタビュアーに聞かれたとき、完全に真顔になったのがちょっと怖かった。
知的闘争だな
本来テレビ向けの企画だったはず。三島はいつまでも若いが、全共闘も楯の会会員もすっかりおじいさんやな。ただ頭脳は衰えず、眼光の鋭さは失われていない。今のネットスマホの東大生でも下の部類の奴は、この映画の議論理解できんやつ多いやろな。間違いなく東大生は学園紛争の時代より劣化しているからな。三島の天皇、国家への思いが伝わってきた。もうほぼ翌年の構想はあったのだろう。
三島由紀夫の優しさ
三島由紀夫と東大の学生。
一人の小説家と日本最高学府の学生たちの対決という題。
圧倒的な三島由紀夫のカリスマ性には、対決という中身にはならなかった。子ども相談で回答する大人のように見えたのは言い過ぎか。自然観念めいた複雑そうなことを、学生が三島由紀夫に問いかけるが、それはこの場で行う議論ではないと思っていたら、別の学生からヤジが飛んだ。この会は三島をぶん殴る会なのではないのかと。血気盛んな展開になると、思いきやそれ以上は過激にはならない。いや、三島のオーラでいなされてしまったようだ。三島由紀夫の優しさを感じた。作品の中の瀬戸内寂聴の言葉でもある。
三島由紀夫にとっては、母校での凱旋公演会であったかもしれない。終わった後の感想が、「ゆかいな体験をした」と。
イメージが変わります。
三島由紀夫に興味があり、そして全共闘にも興味があり、その両者の議論というものに殺伐としたものを観る前は思っていましたが、とても深い議論に魅了されました。特に三島の丁寧な応対にやさしさも感じました。
もし今生きておられれば、意見もそうですがはなしを聴きだい、したい、そう思える映画でした。
言葉で人を変える、私も一端をかじることが出来るように生きていきたいと思いました。
今年の日本映画は『37セカンズ』とこの一本だけでも歴史に残ると思う
【三島由紀夫の昭和天皇への思いについての考察】4/1追記
最近読んだ『9条入門』(加藤典洋)。
大雑把に言えば、護憲派、改憲派がずーっと議論してきた憲法9条は、実は象徴天皇についての1条とセットで成り立つという仮説を300ページ強をかけて根拠をあげながら推察していくスリリングな論考です。
帰国後の大統領を目指すマッカーサーには占領統治を手際良く終結させたいという思惑があり、早期の日本国民の統制のためには天皇を戦犯として裁くわけにはいかない(もし、天皇を絞首刑にしたら、各地で反乱が起き、占領政策が進まなくなる)。そして、天皇を裁かないことに納得出来ない他の連合国への交換条件的な意味合いで、世界に類を見ない自衛権まで放棄する内容の9条が必要だった。
(他にも色々な要素が複雑に絡み、もっともっと深く楽しめます。くれぐれも、なんだ、もう分かったから読まなくてもいいや、などと思わないでください。著者に申し訳が立ちません)
マッカーサーやGHQに利用されることと引き換えに処刑されることのなかった昭和天皇。東條英機ら7人の戦犯の処刑の報に涙した時の天皇の思い。理念だけでは国を守れないことを冷徹に見定めて、マッカーサーの呪いを解いた日米安保条約の前の決断……。
当時の昭和天皇の本心は誰もわかりませんが、もしかしたら、三島由紀夫さんはこの本で語られる文脈とは違う形で直観的に見抜いていたのではないか。
映画では学習院高等科卒業時の昭和天皇の姿勢に打たれたと語られていましたが、そんなことも影響していたのではないか、と思えるほど説得力のある論考でした。興味のある方は是非ご一読されることをお勧めします。
(以上、2020年4月1日)
ひとりの命がけの覚悟を持った人の振る舞いから何かを感じて欲しい。
これは、あくまでも個人的な願望です。
でも、なるべく多くの、できれば若者に、この映画を見て何かを感じて欲しい。
心からそう思いました。
戦後史や政治思想や哲学的な解釈など色々と複雑で難解な論点がこのシンポジウムに含まれていることは、内容はさっぱり理解できない私でも分かりました。
でも、この映画で最も感動したのが、三島由紀夫さんのどこまでも誠実な人間性です。
・自分の考えを分かりやすく伝えようとする姿勢
・相手の発言を最後までしっかりと聞き、理解しようとする姿勢(相手の考え方に対しての先入観があると自分に都合よく解釈してしまうことは日常的にありますが、三島由紀夫さんは相手の立場で理解するようにしていました)
・自分が抱える、理屈では語れない部分のバックボーンを晒してそれが議論の上では弱点になることがあると分かっていながらも潔く認める姿勢
そして、それらのすべては相手へのリスペクトがあるからこそだし、『言霊』という表現には、自分が何を発言しようがその場限りの発言なので責任なんてない、という不誠実さがもしあるのなら、それは将来的には自分自身を損ねることになるんだよ、という意味での若者への愛情を込めた警句なのだと、私は受け止めました。
(忘れないうちに追記)
序盤の方で、三島由紀夫さんがモーリヤックの小説からの引用の後、『諸君も体制の目の中に不安を見たいだろう。私も見たい』というようなことを言ってましたが、今は国民の大多数、特に若者の方が目の中に不安がたくさんあります。
長期安定政権の有用性自体は否定しませんが、為政者に絶えず不安を与える程度の国民の意思が無いと、モリカケ問題やその他の諸問題がみな、何もなかったことで収束しているのも事実だと思います。
三島由紀夫さんはもっと観念的な不安のことを指してるのだと思いますが。
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