「言葉の力」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
言葉の力
1969年、東大安田講堂事件と同年、革命への期待と騒乱に満ちた「政治の季節」、三島由紀夫は東大全共闘に招かれ公開討論会をおこなった。
その記録映像が、なんとTBSに残されていた。
本作は、討論会のようすと、当時、その場にいた人を中心に証言を集めて編集したドキュメンタリー映画である。
この映画は、こんなナレーションで幕を閉じる。
「あの日、この900番教室に満ちていたのは、三島由紀夫と千人の東大全共闘の『熱と敬意と言葉』だった」
意外にも討論は、言葉の応酬は激しいものの、全体に落ち着いていて、ときに笑いもあった。この雰囲気を作った三島の包容力とユーモアに、ちょっと驚いた。
三島は決して学生を見下すことはなく、真摯に耳を傾け、そして言葉を紡いだ。
三島は最後、東大生たちにこう言って会場を去る。
「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び回ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます」
「そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい」
この日、三島に討論を挑んだ学生、「東大全共闘きっての論客」と言われる芥氏は、この討論を振り返って、こう語る。
「言葉が力があった時代の最後だと思う」
梨木香歩の近著「ほんとうのリーダーのみつけかた」にこんな一文があったのを思い出した。
「今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言葉の力を繰り返し、繰り返し、削いできたことだと思っています。それが知らないうちに、国全体の『大地の力のようなもの』まで削いできた。母語の力が急速に失われてきた。この『大地の力のようなもの』こそ、ほんとうのその国固有の『底力』だと思うのです」
三島と全共闘、単純には「ザ・右翼」と「ザ・左翼」という構図に見えるが、実際には通じる部分が多い。
前述の芥氏は、双方にとっての共通の、そして本当の敵は、「あいまいで猥褻な日本国だ」と言い切った。立場は違えど、どちらも日本を社会を、よりよくしたいと願っていたのだ。
三島の事実上の遺書と言われる小文「果たし得ていない約束」にある、彼の予言めいた言葉。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」
三島と全共闘の、この討論会が開かれたのは50年以上も前のこと。
しかし、いま、僕たちが生きるこの国、この社会のことを考えさせられた。