コリーニ事件のレビュー・感想・評価
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面白い
アマプラで適当に選んでみたけど面白かった。 主人公は何故トルコ人にしたのか? コリーニを親のように慕う立ち位置のキャラに 何故したんだろう? と言う小さな引っかかりが、 事件の真相が分かった時あぁなるほどなと思えて スッキリしました。 コリーニ事件の判決を出そうとする中で、 もう一つの事件の解決にも繋がると言うクライマックス はゾクッと来ました。 トラボルタに似てるこの目力強い老人は誰なんだろ? と思っていたら、名優フランコ・ネロ! 名前は知ってたけど、この人かと、 おじいちゃんになっても雰囲気があるのだなと 見入ってしまいました。 しかし、復讐は誰も救わない。 そして親には会える時に会っておけ。 これがこの映画化から教わった教訓です。
戦争は悲劇しか生まない
動き出すまでがちょっと長く感じたが、ピザ屋のお姉ちゃんあたりから(笑)は一気に引き込まれた。
よその子を育てるくらい「良い人」が何を?
仕事で悪どいことやってた?
コリーニは元従業員とか?
いろいろ想像してたが、戦争の陰がここにも…そういうことだったのか、と。
法によって裁かれず逃れたナチスとその家族。
子孫まで広がれば相当な数だろうな。
自分の祖先が当時どんなことをしたか、考えたくもないだろう。
命令に従っただけだと思いたい気持ちもわかるが、そういう時代だったからという言い訳は許しがたい。
21世紀の独裁者が戦争を始めたが、派手な爆撃の映像はテレビでも観られるが、表には出ない場所で何が行われているか、現状わからない。
わからないが、奪還した地域の惨状を見れば一目瞭然である。
民間人殺害、暴行、略奪。明らかに戦争犯罪が行われている。
命令に従っただけなのか、自らそうしたのか。
逃れることなく裁かれることを願う。
どちらにとっても悲劇しか生まないのが戦争だと、独裁者はなぜわからないのだろうか。
哀しみしか産まない不毛さ
人間は一面的な生き物じゃなく、多くにおいて善良な人であっても驚くほど残虐な一面も持っている。そして戦争はそんな人を虐殺者にしてしまう。また死者は復讐を望まないと分かっているのに止められない被告人の中にも苦しい残虐性があって、それを分かっているからこそ黙秘を貫こうとした哀しみが辛い映画だった。戦争は本当に無くなってほしい。
”戦犯”という言葉の重さ
とても見ごたえのある法廷もの。 コリーニさんのトラウマを描写するくだりが特に鮮烈で、 どんなに悔い改めようと決して許されない罪ってあるよなと。 例の悪法はきっと”国に有益な人材を守ろう”っていう意図なんだと思うし、 たしかに非難されるべきなんだけど、理屈としては理解できてしまうのが怖いところ。 今も世界のどこかで繰り返されている惨劇。 やはりきっちり裁いていくことが、負の連鎖を断ち切るために必要なんだと思う。 スポーツなどで気軽に使われる”戦犯”という言葉の重さを、 しっかり心に留めていこうと思わせてくれた。
法廷ものを超えた法廷もの。
いわゆる法廷もの。そして、ある意味戦争もの。
戦争という言葉を書けば、もうネタバレになってしまいますね。
法廷ものは、いろんなパターンがありますが、
これは、犯罪者の刑を軽くするために奔走する
弁護士が主人公。犯罪者がなぜ人を殺したのかを
掘り下げていくというストーリーです。
こういう展開は、冤罪を匂わすミステリータッチのものと
比べると、地味になりがちだと思うのですが、
飽きることなく、特に後半はグイグイと引き込まれていました。
恩人の仇が被告人、原告側には恩師、
という人間関係もおもしろい。驚きの殺人動機、ラスト近くの衝撃。
法廷ものを越えた、社会派ムービーの傑作だと思いました。
暴力は誰の心身にも宿っているのだろう。
ドイツと言う国はやはり大人なのだろう。これ程時が流れ去ってもあの戦争について語り伝える力を持ち続けている。時の流れが全て忘れさせてくれるなど論外なのだ。それほどに過酷な時代を乗り越えようとしている。暴力を人間の中に存在することを否定せずにこの映画は作られた気がする。 死者は復讐を望みはしない。と心で分かっていても身体は言うことを聞かない。殺さずにはいられない。それほどまでに人は人を憎んだりできる生き物なのだ。法廷で権威に溺れ、しがみついた人間の正体を暴いたとしても、被告人の心は晴れないだろう・・・・再生する気力は殺人を犯した瞬間に失せてしまっていただろうに・・・・どんな戦争にだって勝者などいないのだ。 人を殺す。その理由を世間が知ったところでどうなるわけでもないのだ。 哀しみと言う感情は、人それぞれに異なるからだ。 しかし、いつか消え去る時が来るはずなのだ。
戦争が落とす影…
コリーニが殺人を犯したことは許されないが。。ドレーアー法、確かに戦時下において絶対命令服従の下、処刑をした兵士の罪はと言われたら、線引は難しいかもしれない。しかし、平気で人を処刑し、その後、悠々自適に暮らしてる当時の高官が全く罪に問われないのは悪法だ。自分の育ての親を殺した殺人犯を弁護し、その孫ともかつては恋人同士という複雑さも絡み合い、見応えあった。コリーニは子供の頃から父の死の復讐だけを生きがいに姉とともに生きてきた、何とも悲しい。結局、戦争は負の連鎖しか生まない。弁護士を演じたエリヤス・エンバレクがとても精悍だった。
故殺、謀殺
難しいお話。新米トルコ系弁護士がドイツにおいて、恩義ある父親代わりとも言える男が殺され、被告人の弁護を務める事となる。 あんなに優しい人が戦争とはいえ残虐な行為を行うのだなぁ、お互いに悲しいなぁ。誰もが徳にならない戦争。 コリーニの最後はそうなるだろうと、そして何十年経っても憎しみを抱き続けないといけない苦しみ、報復せずにいられなかった思いを考えると悲し過ぎる。何のために生きてきたのかと。
殺人事件の容疑者の弁護をすることになったライアン。被害者はお世話...
殺人事件の容疑者の弁護をすることになったライアン。被害者はお世話になった恩人。何も話そうとしない容疑者の弁護をどうするのか。ライアンは容疑者コリーニの子供の頃のある出来事を突き止める。それはかつての恩人の過去を晒すことになる。
その出来事があまりにも重ーい内容で、一気に面白さが増す。1968年、ドイツ連邦議会で可決されたドレーアー法。この法律により無数の戦争犯罪者が刑罰を免れた。被害者もその1人。多くの罪のない村民を射殺したのに無罪となり、その時にコリーニの父親も犠牲になっていた。
その無念を公にしてくれたことでコリーニは満足だったのか、判決の前日に極中で自殺してしまう。どんな判決が下される予定だったのか、知りたかったな。
奥深し!
一言「奥が深いわあ!」 弁護士になって3ヶ月の新人・カスパーの国選担当案件。 それは自分の恩人を殺害した被疑者・コリーニの弁護。 その恩人は、勲章ももらっている大企業の社長。 現場で逮捕されているので、カスパーのできることといえば、減刑くらい。 がしかし。何を聞いてもコリーニは、一言も口を聞かない。 唯一「弁護士さんに、迷惑はかけたくないんだ」って。 原告の「被告訴訟代理人」には、カスパーの恩師もいて。 敗訴は違いない。 でも、どうしてコリーニは何も喋らないのだろう?。 それがわかるのが後半以降。 そうコリー二には「墓場まで持って行きたい辛い事件」があった。 子供の頃第2次世界大戦=ナチス。ここが話の鍵。 ここからコリーニの印象も、寡黙な老人からガラッと変化。 オセロの石を、証拠を積むことでパタパタとひっくり返す様が。 みてて力が入りました。 事件そのものが実話ではないようですが エンドロールでは、戦犯の処遇の事実をしっかり伝えてました。 見応えのある、そして新しいアプローチの1作でした。 ⭐️今日のマーカーワード⭐️ 「法廷と海は決して侮れませんよ」
法廷ミステリーに収まらない秀作
実業家を惨殺した老人を弁護することになった国選弁護人の奮闘を描く物語。 想像以上の秀作でした。 黙秘を続ける犯人、「謎の動機」がサスペンスの面白さを掻き立てます。そして、意外性のある壮大な動機には驚きを隠せませんでした。 法廷シーンは勿論、動機に絡む回想シーンも緊迫感があり迫力十分。 ストーリー展開のテンポも良く、物語に引き込まれた2時間でした。 少し残念だったのは、「恩人が被害者」の設定が余り効果的でなかったこと。もう一つ踏み込めば、「恩人の仇」を薄給の国選弁護人がなぜ必死に弁護しようとしたのか・・・ここの描写が甘かったように思います。 凶器の判明が一つの転機なのでしょうが、メリハリが不十分のように感じました。例えば、弁護人を引き受けたことへの煩悶、後悔、辞退する具体的な行動、犯人に怒りをぶつけるシーン、無気力な弁護・・・等々、そんなシーンの後に凶器が判明し、子供の頃の記憶が蘇り・・・なら転調が明らかで物語も映えるように思えました。 評価は4.5。4にしようかとも思ったのですが、自国の黒歴史をしっかりと描いたその姿勢に0.5点だけプラスです。
大企業の社長がホテルのスイートで殺害された。 被告人は無抵抗の被害...
大企業の社長がホテルのスイートで殺害された。 被告人は無抵抗の被害者に銃弾を3発撃ち込み、死体の頭を何度も踏みつけて頭蓋骨を破損させるという残忍極まりない鬼畜・・・・。 終身刑は間違いない状況だが、そこには深い動機があった。 新人弁護士の奮闘、恩人殺しの被告人を弁護する葛藤、憎んでいた父親との再会など単なる法廷ものを超えたドラマがある。
「強くなる練習だよ」←最低のセリフ
原作未読だったがこれは読まなければとすぐさま読了した。劇場で観ておくべきだった。 最初は主人公ライネンの物語なのかと思った。恩人を殺した犯人を弁護しなければならない葛藤がメインなのかなと。うんにゃ、そんな生やさしいものではなかった。 クライマックスで現代の裁判シーンと回想の殺害シーンと回想の○○シーンを切り替えつつダブらせる編集はとても効果的で、凄惨な場面だが画面に釘付けになってしまった。 映画版はライネンとコリーニの人物設定や起こる出来事等かなり改変されているのだが、観客の感情により訴えかけるような感じになっていて、悪くいうとウケ狙いもチラつく(ラストシーンはさすがにやり過ぎ)が、独自に仕込んだ伏線や人物で感情移入しやすくなっている。 演者では特にコリーニ役のフランコ・ネロは好演だった。強面の見かけであれは…ズルい。原作は全体的にもっとフラットだが(エモさ控え目)、映画ではあっさり流していた部分が詳しく描写されていたりと、また違った印象だった。 中盤のコリーニのセリフ「永遠にいるわけじゃない」に不意打ちくらってしまい、苦笑いである。
ドイツで隠された真実と言えば
ドイツで過去の暗部といえば、ナチスドイツだから、殺された実業家が元ナチだということは想像がつく。この物語が白日の元に晒そうとしているのは、戦争犯罪だけではない。戦後、ドイツが復興していく過程で、戦争犯罪の時効を短縮する法律がこっそり成立していたのである。この法律のおかげで、主人公の恩人も訴追を逃れていたのである。
難しい問題だよね。敗戦国の非道行為は、犯罪で、戦勝国の同様な行為は合法になってしまっている現実があるから、ドイツ政府が元ナチの人間を事実上の恩赦してしまうことも苦しいながらも理解できる。
例えば、満州の日本人にレイプ、強奪、殺人など暴虐の限りを尽くしたソ連軍の犯罪が問われたなんて聞いたことない。こういった矛盾は永遠に解決することはない。
一方で、何の罪もない父親を殺されたコリーニの側にたてば、当然、銃殺を命令した将校を刑務所送りにできないのであれば、個人的に報復することは仕方のないことだと思う。自分の中でもブレブレでどう感情を処理してよいかわからない。
想像とは全く異なるラストには驚いたが、物語として結論づけることを作者がためらったのだと思う。
重苦しい話ながらも、ピザ屋のロックなお姉さんのかっこよさが印象に残った。
重厚なミステリーに堪能させられた…
すごくおもしろかった。派手さはないが、一つずつ謎が明らかになってゆく過程が興味深かった。カスパーは、最初は全くどう取りかかればいいのかさえわからない状況から、あるものをきっかけにして、その謎への扉をこじ開けてゆく。そこには、被害者が自分の恩人だったことも絡んでくる。そして、謎を解き明かしたと思ったら、また壁にぶち当たる。先が読めない展開。どういう結果になるのだろうと思った。最後はドイツらしい帰結だと思った。アメリカ映画とは違う。でも、私は最後まで観て、ファブリツィオの気持ちが少しわかってきたような気がする。彼は最初は絶望していたのだ。でも、カスパーのがんばりに最後は納得し、思いを遂げた気持ちになったのではないだろうか。背景にすごく大きな問題を孕んでおり、重い内容ではあるが、ミステリーとしてもうまくまとまっていたと思う。
イタリア戦線
既視感もある話で、ナチの罪に行き着くのであるが、枢軸側のイタリアの話なので、時系列が多少混乱。イタリア戦線を学ぶ契機にもなる。 戦争犯罪については洋の東西関わらず、個人が問われている訳ではないところ。問われない罪をどのように自己消化するかという点の方が気になるが、この映画ではハンスジマーは口を開かない。もう少し工夫が欲しかった所。
これを正義と呼ぶことに、心が抗っている。
「死者は報復を望んでいない」
戦争犯罪を個人に問う事の是非については、法の支配に基づく社会で、正当な裁判が可能である環境下でのみ、それをすべきである。って思います。
◆フリードリヒ・エンゲル
法廷ドラマは、おそらく、2002年のフリードリヒ・エンゲルのケースを参考にしていると思われます。93歳のフリードリヒ・エンゲル被告は、イタリア・ジェノバでナチス親衛隊地区責任者を務めていた1944年、同市内でドイツ兵5人が殺害された事件の報復として、刑務所に収容中のイタリア人捕虜59人の殺害を命じたとして有罪判決を受け、懲役7年の実刑判決を受けました。
◆悪用されたドレーアー法
1968年当時のドイツは保革連立政権でした。法務大臣は革新政党SPDのグスタフ・ハイネマン。ハイネマンの狙いは、反体制の学生運動で逮捕された学生たちの救済であったとされています。1969年の政権交代のドタバタの中、連邦議会で、その中身が十分に吟味される事なく成立したのが「秩序違反法施行法」であり、それはナチス政権下で検事を務めた法律家、エドゥアルト・ ドレーアーが中心的な役割を果たして制定されたものです。以降、「上からの命令に従って」ナチ犯罪に加担した軍人・法律家(奇しくもドレーアーを含む)などが行った犯罪についての時効は、15年に短縮されたものとして「法」に拠り処理されることになります。
◆1人に対して150人。1人に対して50人。
1941年、フランスはナントでドイツ軍司令官カール・ホッツが、フランス共産党員2名により殺害される事件が起きます。激怒したヒトラーは、150名のフランス人人質・政治犯の処刑を命じます。パリのドイツ軍司令部オットー・フォン・シュテュルプナーゲル歩兵大将は内心でこれを拒絶したものと思われます。彼は「人質50人を銃殺刑に処する」、また、「指定期日までに犯人が逮捕されなかった場合にはさらに50人の人質を銃殺刑に処する」との通達を出します。1941年10月22日、三か所で合計48人の人質が銃殺されましたが、うち最年少であった17歳のギィ・モケが、処刑指名から処刑までのわずか1時間の間に書き残した手紙は有名で、映画「シャトーブリアンからの手紙」のひな形となっています。
1944年3月のイタリア。ローマ市内でナチス親衛隊を標的とした爆破事件が発生し、33名の親衛隊員が命を落とします。激怒したヒトラーは、「犠牲者一人に付き50人の人質を処刑せよ」との厳命を下します。イタリア占領軍司令官ケッセルリンクもまた、シュテュルプナーゲルと同じ行動をとりました。ベルリンに処刑者の数を10倍にするよう申し入れます。政治犯、反ナチファシスト、ユダヤ人を中心に処刑者リストを作成し、335人をローマ市南部のアルデアティーネの洞窟に集め処刑します。
この銃殺部隊の隊長であったエーリヒ・プリーブケは、ドイツ敗戦後に裁判で有罪を判決を受け終身刑になりますが脱走しアルゼンチンへ逃亡。1994年にアルゼンチン政府によって逮捕されイタリアへ身柄が引き渡されます。1998年に再び終身刑を受けますが、高齢を理由に収監されることなく、2013年に100歳で息を引き取ります。
映画では「10倍」の人々を処刑しました。現実のナチス、ヒトラーの報復指示は、150倍、50倍と言う、想像を絶するおぞましいものであり、地域の責任者ですら服従を拒むものであったと言う事実があります。
◇復讐の味は苦い
これは1945年11月、ジョージ・オーウェルが書き残した著聞のタイトル。
ユダヤ人ホロコーストの復讐を行ったサロモン・モレルはポーランドで叙勲された秘密警察の大佐。彼は、ドイツ民族主義者・政治犯を収容するズゴダ強制収容所の所長であった時代に、意図して飢餓を引き起こし、伝染病の蔓延を放置し、女子供を含む1500人の収容者を「復讐殺害」したとして告発されました。告発を受けたモレルはイスラエルで市民権を得、2007年にテルアビブで死去。イスラエル政府は、ポーランド(国法により戦争犯罪に対する時効が存在しない)からの度重なる身柄引き渡し要求を完全に無視しました。
「ナカム」(ヘブライ語で"復讐者"の意味)と名乗る50名ほどのユダヤの若者のグループは、大戦後、600万人のドイツ人を、ナチスのホロコーストの復讐ために殺害する計画を立てていました。計画は仲間割れにより実行されず頓挫しますが、「ドイツへの復讐を考えなかったものはいなかった」との証言が残されています。
ポツダム協定では、「ドイツ人住民の秩序ある移送」が合意されました。その内容は以下。 「アメリカ、イギリス、ソヴィエト連邦の政府は、諸般の情勢に鑑み、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーに残留するドイツ人住民やその社会集団のドイツへの移送が行われねばならないことを認識する。これら政府は、全ての移送措置が秩序ある人道的な方法で行われるべきことに合意する。」 実際に、戦後開始された「ドイツ人追放」に」より、強制移送中に命を落としたドイツ民族は105万人とも210万人とも言われています。単発的な戦闘行為による死者やユダヤ人によって処刑されたドイツ兵は、その数に含まれていないとされています。
◆法が正義ならば
その法を、自らの都合の良いものにしてしまえば良い、と言う根源的な不正義。エドゥアルト・ ドレーアーは、不正義をたくらんだのか。それとも。充分過ぎるほどに復讐を受けた同胞への更なる復讐を止めようとしたのか。
「お前に何が判る」
理解はしますが、支持なんか出来ないです。
だから判りたかぁ無いです。
判ることはただ一つ。
「どこにも正義は無かった」
それだけです。
ナチスを題材にした作品として見た場合、親代わりであった恩人の過去の人道への罪に向き合う事の意味、ってのが見どころだったと思いますが、そこが意外にもアッサリと「弁護への使命感」で片づけられてるのが物足りなかったです。
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