行き止まりの世界に生まれてのレビュー・感想・評価
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スケボーはコントロール
ロストベルトの街で、貧困と暴力が日常の家庭でそだった3人のスケーターたちのドキュメンタリー。理不尽な理由で暴力を振るわれた3人の少年たちは、居場所をストリートに求め、スケートボードに明け暮れる。監督自身も登場人物の一人でスケーターだ。彼は、スケートボードを通して、自分の痛みに対してのコントロール感覚を取り戻していったと語っている。登場人物の一人は、「スケボーはコントロールだ、細部までコントロールできないとイカれた世界でマトモじゃいられない」と言う。自分がコントロールを間違えば転んで痛みを得る、コントロールに成功すれば痛みはない。親からの暴力は自分でコントロールできない理不尽なものだ。だから、彼らはストリートで自分たちの試行錯誤によって得た痛みを通して人生をコントロールすることを学んだ。
彼らの置かれた状況は厳しい。それでも、自分で人生をコントロールする意思を捨てずに、希望を掴んでいく。アメリカの今を切り取る最上級の青春映画だ。
この12年、スケボーを滑走させ大人になりゆく少年たちの姿を見つめた秀作ドキュメンタリー
賞レースでも話題になったドキュメンタリー。その冒頭、まるでスケートボード映画が始まったように思えた私だが、描写を重ねるごとに、これがスケボーカルチャーを視座に、少年たちの成長や社会の変移に焦点をあてたクロニクルであることに納得がいった。そもそもスケボーは低所得者層の多い地域でも若者の間で広く根付き、彼らが絆を深めるきっかけとなりうる文化。個々のグループにはハンディカムで自分たちの技を記録する撮影担当もいたりして、こうやって残された映像記録が本作を構成する重要な素材となっている。あの頃、各々のメンバーは一体どんな家庭の悩みや問題を抱えていたのか。そして今、どんな思いを抱えて歳を重ねているのか。産業の錆び付いた故郷へ思いを馳せながら、かつてスケボーを走らせハンディカムを手にしていた映画監督がエモーショナルに紡ぎだす自分たちの記録。彼らに寄り添いながらこの10年の月日を共に噛みしめる自分がいた。
監督が体を張ったドキュメンタリー
舞台となるイリノイ州ロックフォードは、かなりやさぐれた街です。その街で、スケボーが大好きで、スケボーで繋がる近隣の貧しい青年たちの、青春と友情と家族とDVを赤裸々に記録したドキュメンタリー。2019年のオスカー候補になっています。白人、黒人、アジア人(本作の監督)と、人種の異なる3つの貧困家庭の青年が主人公で、当初、監督の友人たち(白人1名と黒人1名)がおもな被写体となって展開します。ところがある瞬間、監督が自らと自らの家族にカメラを向け、「自分ごと」として語り始める。この瞬間から、作品に深みが増大します。3人の関係はフラットになり、見る者の共感も強くなっていくのです。やはりドキュメンタリー監督は、体張んないといい映画撮れないよねってことでしょうか。
月並みだけれど、どうかみんな幸せでいてほしいと願わずにはいられない
前情報ほぼ無しで視聴。
オープニングは軽やかで臨場感があるスケボーの疾走。
広い空と広い道、青春映画のような映像。クレジットも表示される。
場面が切り替わって少年たちのたわいもない楽しそうな場面、
それぞれの名前が紹介される。
「え?今の男の子、監督と同じ名前じゃない?」あわてて巻き戻す。やっぱり同じ。
「この子が撮ってるの!?」まずそこでびっくり。
物語はそれぞれの少年の背景と共に現在の状況を映していく。日本で言えば「ヤンキー」に類するのだろうか。貧困にあえぐ街で低賃金重労働ではたらいたり、恵まれない家庭の中で暮らしたりしている。未成年なのに酒も飲むしマリファナもやる。
けれども友だちどうしているときはとても楽しそうだ。あどけなさすら感じさせる笑顔。
純粋に、そこに居場所を感じている。
しかし、いつかは大人にならなければならないと自覚し動き出す。
その様子を監督は記録していく。
高卒認定試験を受けたり、結婚し親になったり、初めてのアルバイトをしたり。
が、なかなかうまくいかない。
彼らのもがきを彼らの抱えている苦しみを、監督は丁寧に映し出す。
少年期(といっても10代後半だが)~青年期にかけてのものというのもあり、彼らの苦悩の原因の根底には家庭・親があることがわかる。過剰に厳しかったり冷たかったり荒れていたり、暴力が常習化していたり。
特に暴力を振るわれたことを語る時、彼らはとても苦しそうだ。しかし、そんな中でもそこに親の愛情を見出そうとする者もいる。それが良いのか悪いのか、難しい。
終盤は立派な青年になった監督による実の母親へのインタビュー。
彼が、友人たちを撮りながらたどり着いたのがそこだったということだろう。
監督も友人たちに負けない家庭環境であった。彼は押し込めていた様々な感情を、
おそらく、それらを爆発させたい気持ちを抑えて、決意をもって彼女に真意を尋ねていく。
彼女の表情はもちろん、自信の表情もしっかりカメラに捉えさせる。
エンディングでは直近の彼らの状況が知らされる。少なくとも、この時点ではそれぞれが希望をもって進んでいるように思えるし、そうであってほしいと心から願わずにはいられない、そんなエンディングだ。
監督は、撮り始めた時は、まさかこんな大作になろうとは思っていなかったであろう。
しかし、監督自身が苦悩と背中合わせの青春を送る中で、友人たちを見つめ感じ、そしてその「感じたもの」がなんであるのかを問い続けた。その真摯で聡明な若き監督に拍手を送りたいし、彼が今後どのような作品を撮っていくのかも楽しみだ。
また、この映画を観て少し思ったのは、少年たちの中で一番今後が心配な子は、
もっとも母親=母性に飢えた幼少期を過ごしているということ。必ずしもそれだけではないだろうけれど、幼い子にとって母性、無償の愛と肯定と保護を受けるということがいかに大切かであるか、ということについて考えさせられた。
スケートボーダー
本物の笑顔、涙
行き止まりはないと信じたい
3人の少年が親や継父に殴られて育ち、スケボーでその気持ちを癒やす。人気者で憧れの存在だったザックは飲んでは妻を殴る大人になった。ビン監督の母は再婚した夫がそんな酷いことをしているのは知らなかった、仕方がなかった、私が強くなれなかったから、と自分を責める。キアーは父が自分を殴ったのは、自分を愛してくれていたからだと信じようとするが、ビンが継父に殴られて納得でこなくったというのを聞き、父への想いとの狭間で揺れる。
苦しい毎日に風と疾走感をくれる、そんなスケボーで結ばれた3人それぞれの日々を見つめながら、「それはおかしいんじゃないか」というビン監督の思いは撮影を通して映し出され、まわりに伝わったのだ。それぞれが行き止まりの様に見えていた暮らしから抜け、前を向いて歩き出す、その出発点となり力にもなったのだと思った。
家庭環境の影響によってその後も変わってくるし、自ら切り開くことによって変わる。
とても良かった
行き止まりなんかじゃない!と言いたい…!
朝の情報番組で紹介されていたのを見て気になっていた。
ノンフィクションの映画ということで、序盤は若者がノリとテンションで回してるような雰囲気を感じで入り込めなかったが、ライフステージに応じて様々な出来事に直面していく中で、自分の過去を振り返りながら直面している現実に向き合う姿に自分を重ねてのめり込んでいった。
カメラを回している男性と出演者が築いて来た関係があってこその内容で、カメラマン自身がこの映画を残す目的を不意に伝える場面がとても印象に残った。お芝居ではない、だから胸に焼き付いたんだと思う。
改めて同じ国民でも人種が違うということを自分は微塵も想像できないんだと思った。
その後の彼らの人生が気になると共に自分に置き換えた時にこんな世の中行き止まりだ!と投げやりになりそうな気持ちを立て直したいと強く思う。
環境と人となり
人は環境によってつくられる。
が、それには幾つかの意味がある。
(基本的に)安定した国の中産階級に生まれると衣食住が与えられ教育がほどこされ、それなりにいい子に育つ。
ここに出てくる三人は不安定な経済圏の貧しい家庭に生まれている。
監督でもあるビンは中国で生まれ5歳でアメリカに渡り14歳で母親が再婚し米市民権を得たものの、継父から人種差別と虐待をうけながら育った。他の二人も家庭内暴力と貧困の毒の中で育った。
ひどい環境に育った彼らはひどい大人になっただろうか。──ならなかった。
じぶんは日本で貧しくない親のもとに生まれた。まあまあな教育もうけた。まっとうな大人になっただろうか。そうであってほしいが、おそらくザックやキアやビンよりもヒューマニティや生活力が脆弱ではないか──と思う。
いい環境で人はいい子に育つ。だがそんな凪(なぎ)の中で育った彼/彼女に人生のダイナミズムはない。(凪=無風でおだやかなこと)
ビンがこのドキュメンタリーを撮った2018年、彼はまだ30歳に達していなかった。おそらく30歳に達していない日本人はこんな熱い人生訓に満ちたドキュメンタリーをつくることはできない。
(たとえば)豊かなバブル期をなんの不自由もなく生き、なんにも無かったことを書いた小説/映画ボクたちはみんな大人になれなかったの作者はこの映画の三人よりもずっと年上である。そこに人生訓はなく物語は何者でもない自分を発見した──と結論する。
(牽強付会な対比だが、かれらとわたしたちがその生活環境から享受しうるダイナミズムの格差を言いたかった。)
もちろん、ザックもキアもビンも、まっとうに育ったのは偶然だった。本来ならばグレて犯罪者かアル中か与太者か野垂れ死ぬか──になるのがその地方の低層の現実だった。
だが三人はスケートボードを見つけた。そこで鬱憤を晴らし、そこに逃避しながら、世界と大人たちを反面教師にしたことによって「いい環境で育ったいい子」以上のヒューマニティと生活力を勝ち得た──のだった。
このようなことはしばしば起こり得る。すなわち、ひどい環境が反面教師となるとき、人はいい環境で育つ以上の成長をする──ことがある。だがそれは一種の奇跡のようなものだ。映画にはその輝きがある。トマトメーターでも冷評ゼロ、100%だった。
ところで、いい環境なのにわるい大人に育ったひとたちもいる。そんな輩がいちばんやっかいではなかろうか。きょうび、ほとんど総ての犯罪のニュースでやったやつが「やってません」とか「しりません」とか言う。(むろん彼らがどんな環境で育ったか知らないが雑感として普通の人間が卑劣なことが日常化した)
もはや日本人クズすぎ。
じぶんがアート系シアターのコーディネーターだったらボクたちはみんな大人になれなかったとこれMinding the Gapを同時上映したい。
自分の人生を生きること
これ以上落ちる事はない。
縦軸がしっかりしていて、
とても良いドキュメンタリーだった。
行き止まりと言う言葉には、
これ以上進めないと言う意味じゃなくて、
これ以上落ちる事はないと言うポジティブな意味が
込められてると思いました。
始まりはスケボー少年の成り上がって行く、
或いは落ちて行くさまを描いたドキュメンタリーかと
思っていたけど、
イリノイ州ロックフォードと言う街が抱えている問題と
3人の登場人物の人生、
そして、縦軸には過去の家庭内暴力からどうやって向き合う
かと言うのがしっかり描かれてて
監督の手腕を感じました。
家庭内暴力を受けた監督が、家庭内暴力を受けてたキアーに
自分を重ねていた。と打ち明けるシーンは鳥肌モノ。
ザックのインタビューからは、
もしかしたら監督に暴力を振るった父親の気持ちを
知りたかったのかもしれないと思いました。
周りがクソなんじゃなくて自分で選んだ人生だった。
なんて言葉は、遠いアメリカの話じゃなくて
自分の事を言われてるようで、
グッと来る、ずっと持って歩きたくなる愛読書のような
映画でした。
分断されたアメリカ社会の実情が、痛いほど鮮明に描かれている
なぜこの人たちはこんなにも苦しんでいるのだろうか?
この映画を観ると考えてしまう。
この人たちは飢餓に苦しんでいるわけではない。
紛争に巻き込まれているわけではない。
差別に苦しんでいるわけではない。
客観的に見れば、この人たちが苦しんでいるというのは、誠に不思議なことだ。
ギャップが鮮明に描かれる。
作品の序盤は、少年たちの屈託のない笑顔が印象的。
中盤以降は、現実が重くのしかかってくる。
タイトルにある通り、楽しそうな時とのギャップが凄いんだよね。
少年たちは友達としては繋がっているのにも関わらず、何かが分断されている。
この分断の感覚はなんなんだろう。
誤解しないでいただきたいのは、黒人と白人が分断されているという、そんな軽々しい話ではない。
この映画で描かれている分断は、そういった分断ではなくて、もっと身近で実生活の中にある分断である。
彼らはなぜ連帯できないのだろうか?
映画パラサイトが示したように、下流が下流同士で殺し合っていては何も解決しない。
繋がりのない状態では、人間というものは恐ろしく脆弱な存在であることを示唆している映画だと思う。
テクノロジーと資本主義がもたらした最大の罪は、人々が連帯できない状況を作ってしまったことなのかもしれない。
時給15ドル
スケートボードが生き甲斐の少年達と自身の過去がシンクロするドキュメンタリー
イリノイ州ロックフォードは“ラストベルト“に位置する寂れた町。そこで生まれ育ちスケートボードに夢中になった3人組、本作の監督ビン・リューとキアー、ザックの12年間を捉えたドキュメンタリー。
ビン自身が自分達の姿を撮り溜めた映像から垣間見えるのは、閉塞感に満ちた町で精神的にも肉体的にも追い詰められていく少年達がスケートボードに救われるがそんな彼らを飲み込むのは所得格差、人種差別、性差別、学歴差別といったそこら中を縦横無尽に張り巡らされた段差。原題の”Minding the Gap”とは段差に気をつけろの意味ですが、段差を乗り越えて颯爽とスケートボードで街を走り抜ける3人の勇姿と厳しい現実の中でなんとか生活していこうともがく3人の姿が何度も何度も重なって、どこにも出口のない深い闇が浮き彫りになっていく様が圧倒的に切ないです。しかしここで描かれている不寛容で窒息しそうな社会はこの日本でも昭和からずっと続いている風景。3人の姿はそのままその社会でどうにかこうにか生きてきた自身の分身であるかのように見えてきて、『mid90s ミッドナインティーズ』とは逆にスケートボードで街を滑走する姿を背後から捉えた映像が不寛容な現実を乗り切っていこうとする彼らの姿とシンクロしてとても他人事とは思えず胸が痛みました。
今年観たドキュメンタリーでNO.1
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