「環境と人となり」行き止まりの世界に生まれて 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
環境と人となり
人は環境によってつくられる。
が、それには幾つかの意味がある。
(基本的に)安定した国の中産階級に生まれると衣食住が与えられ教育がほどこされ、それなりにいい子に育つ。
ここに出てくる三人は不安定な経済圏の貧しい家庭に生まれている。
監督でもあるビンは中国で生まれ5歳でアメリカに渡り14歳で母親が再婚し米市民権を得たものの、継父から人種差別と虐待をうけながら育った。他の二人も家庭内暴力と貧困の毒の中で育った。
ひどい環境に育った彼らはひどい大人になっただろうか。──ならなかった。
じぶんは日本で貧しくない親のもとに生まれた。まあまあな教育もうけた。まっとうな大人になっただろうか。そうであってほしいが、おそらくザックやキアやビンよりもヒューマニティや生活力が脆弱ではないか──と思う。
いい環境で人はいい子に育つ。だがそんな凪(なぎ)の中で育った彼/彼女に人生のダイナミズムはない。(凪=無風でおだやかなこと)
ビンがこのドキュメンタリーを撮った2018年、彼はまだ30歳に達していなかった。おそらく30歳に達していない日本人はこんな熱い人生訓に満ちたドキュメンタリーをつくることはできない。
(たとえば)豊かなバブル期をなんの不自由もなく生き、なんにも無かったことを書いた小説/映画ボクたちはみんな大人になれなかったの作者はこの映画の三人よりもずっと年上である。そこに人生訓はなく物語は何者でもない自分を発見した──と結論する。
(牽強付会な対比だが、かれらとわたしたちがその生活環境から享受しうるダイナミズムの格差を言いたかった。)
もちろん、ザックもキアもビンも、まっとうに育ったのは偶然だった。本来ならばグレて犯罪者かアル中か与太者か野垂れ死ぬか──になるのがその地方の低層の現実だった。
だが三人はスケートボードを見つけた。そこで鬱憤を晴らし、そこに逃避しながら、世界と大人たちを反面教師にしたことによって「いい環境で育ったいい子」以上のヒューマニティと生活力を勝ち得た──のだった。
このようなことはしばしば起こり得る。すなわち、ひどい環境が反面教師となるとき、人はいい環境で育つ以上の成長をする──ことがある。だがそれは一種の奇跡のようなものだ。映画にはその輝きがある。トマトメーターでも冷評ゼロ、100%だった。
ところで、いい環境なのにわるい大人に育ったひとたちもいる。そんな輩がいちばんやっかいではなかろうか。きょうび、ほとんど総ての犯罪のニュースでやったやつが「やってません」とか「しりません」とか言う。(むろん彼らがどんな環境で育ったか知らないが雑感として普通の人間が卑劣なことが日常化した)
もはや日本人クズすぎ。
じぶんがアート系シアターのコーディネーターだったらボクたちはみんな大人になれなかったとこれMinding the Gapを同時上映したい。