アリ地獄天国のレビュー・感想・評価
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ブラック企業に戦いを挑む無名の青年が観客の心を掴み取る理由
ドキュメンタリー映画の時代だと言われる。現在、日本国内で上映中のドキュメンタリー映画は、トータルで実に58本にも上る(10月20日現在)。すべてのジャンルで最高の本数だ。
そして、今週末公開されるのが、運悪くブラック企業に再就職してしまった34歳の主人公(西村さん/仮名)が、理不尽な就業規則を押し付けてくるどす黒い引越し業社に屈することなく、個人加盟型の労働組合に加入して、徹底抗戦を仕掛ける「アリ地獄天国」だ。組合に加入した途端、営業職からシュレッダー係に回された西村さんは、会社前で抗議活動を続けるユニオンの委員長たちの前を通り過ぎて、ただ黙々とゴミを運び続ける。幾度となく抗議団体に詰め寄ってくる会社側幹部の"品のない大阪弁"が飛び交う中を。そんな西村さんの姿は、目の前にある過酷過ぎる現実に言葉を失いながらも、人は時として不屈のファイターになる得ることを僕たちに教えてくれるのだ。
何しろ、西村さんの冷静沈着ぶりには感服する。そもそも、彼は営業職から管理職にまで上り詰めた優秀な人なのだが、それにしても、マイクを向けられると、その時その時の自分の気持ちを噛むことなく、時折ユーモアを交えつつ説明できてしまうのは凄いと思う。本人曰く、「辛い時は自分を俯瞰で見下ろすことが得策」とか。これは災難時に覚えておくべき賢い対処法かもしれない。
そうして、いつしか観客全員を熱烈なサポーターにてしまう西村さんは、もしかして、ドキュメンタリー映画の主人公として類まれな魅力の持ち主かもしれないと思う。市井の人々に寄り添い、光を当ることで現代人が見落としがちな社会の闇を突きつける。ケン・ローチ作品も然り、それこそが、ドキュメンタリー映画の醍醐味だと再認識させる「アリ地獄天国」。59本目は特にお薦めだ。
ブラック企業を減らすための助けになる事を祈る
月に390時間という信じられないほどの長時間労働を強いられ、事故や車を擦れば給料から天引きされ、社員たちは自分たちの状況をアリ地獄と自嘲するアリのマークの引越社。
34歳の営業職・西村有さん(仮名)は、48万円の自己負担を強いられた事をきっかけに、個人加盟の労働組合に加入する。労働組合に加入した西村さんに会社はシュレッダー係への配転を命じ、給料は半減、その後懲戒解雇にまで追い込まれてしまう。
労働組合の抗議によって、解雇は撤回されたものの、復職後もシュレッダー係のままだった。
最終的には裁判を争う中で、勝てそうにないと判断した会社側が和解を受け入れることとなったが、それまでの3年に渡るドキュメンタリーは見応えあった。
法令を守らないブラック企業が少しでも減る事を祈り、本作品を多くの人に観てもらいたいと思った。
特に経営者は必見でしょう。
ググって知ったのだが、あの恫喝動画の井ノ口副社長が現在は社長に昇格してるのも驚きだった。
純粋に映画としてはそこまで・・・
かつてアリさんマークの引越社で営業成績トップだったにもかかわらず、労働組合に加入したのを理由にシュレッダー係に異動され、解雇された西村さんの戦いを追ったドキュメンタリー。
アリさんマークの引越社の問題は、以前ガイアの夜明けで観たことがある。経営陣が取材陣を恫喝するなどヤクザまがいの行為を行うとんでもない会社である。この会社が悪いのも、西村さんの主張が正当なのも明らかである。しかし、組合に入るとこんなにひどい目に会うのかと思うと、映画を観て勇気をもらうというより、むしろ勇気をくじかれてしまう。また、いくら主張が正しいとしても、なぜ辞めないのかという点では感情移入しづらい。
もっとも、それはこの騒動で何十億円もの利益を失ったアリさんマークの引越社側にも言えることだが。さっさと和解しとけば良かったのに。
映画のつくりとしては、それこそガイアの夜明けでやってそうな内容なので、純粋に映画として面白いかというとそこまででもない。
最後が救われる内容なのはよかった。
こんなのにこんな長い時間を・・・
ダメな方が明確なのに、何でこんなにも係争されるの!?と思えるのは丁寧に追いかけたこの作品のおかげなのであって、見えない理不尽がまだまだあるんだろうなぁ、と空恐ろしい気持ちになりました。
些細なことでも洗脳されることがないように、こういったドキュメンタリーを見たり組合に入ればいいのかな?まぁそれも一つの手なんでしょうけれど、まずはブラック抹殺だと思います。
日本の教育体制がブラック企業を陰で支え続けている
重くて苦しい作品である。ブラック企業で働いたことがある人にはとてもきつい映画だ。そこで働いた時間が無為の時間、まったくの無駄な時間だった気がするからである。
どんな仕事でも自分なりの達成感や、客に喜ばれる満足感はある。しかしブラック企業においてはそれは一過性のものだ。何を達成しても誰も褒めてくれない。一度は喜んでくれた客も、次にミスをすればクレームを出してくる。意に沿わない仕事や日々のハラスメントは精神を痛めつけ、体力の限界を超えるほどの長時間労働は身体を痛めつける。そこまでして働いて得たのは給料だけという徒労感。
ブラック企業がブラック企業たる所以は長時間労働やサービス残業にあるのではない。ブラック企業の本質は一元論にある。経営者の成功体験があって、自分はこうやって成功した。どうしてお前たちは同じように出来ないのかと従業員に自分のやり方を強要する一元論である。多様性が組織や共同体を安定させることを理解できず、個性を否定して軍隊のような組織を作ろうとする。エスカレートした経営者は従業員に丸刈りにしろ、七三にしろ、シニヨンにしろなどと、髪型さえも強制する。軍隊では兵士ひとりひとりの個性など重視されない。どれだけ敵を殺す能力だけが求められる。死んだら代わりの兵士を派遣する。経営者の自己実現のために使い捨てにされる従業員はまるで兵士のような消耗品だ。
労働は時間と行動をスポイルされることと引き換えに対価を得ることだ。使用者に仕える限り、完全な自由はあり得ない。しかし労働者が企業で働くのは、収入が安定し、自分の才覚で稼がなくていいという利点がある。それなりの承認欲求も満たされるし、労働時間が過ぎれば自由に行動できる。たとえ長時間労働が続いても、精神的な強要がなく時間外手当が正しく支払われるなら、それはブラック企業ではない。
ブラック企業では時間と行動に加えて、人格もスポイルされる。口ごたえは許されず、何かにつけて罰金といって給与が減らされる。耐え忍んだ果ての薄給では、労働そのものが浮かばれない。本作品の引越社は、まさにブラック企業の典型だ。
人間が他人と自分を比較して自分が優れていることに満足するという性質を脱却しない限り、差別もいじめも格差もなくならない。差別や格差は悪を育む温床だから、悪もなくならない。当然ながらブラック企業もなくならない。ブラック企業を批判する人も、いつの間にかブラック企業の側に立っていることもままある。誰の頭の中にも差別や格差が存在するからだ。
しょうがないとして諦めるか、それとも戦うかは個人によって異なるだろう。本作品の西村さん(仮名)は戦うことを選んだ。苦しい戦いだが、応援してくれる組織もある。無条件で味方してくれる妻も父親もいる。それでも大変な精神力だ。
自分がハラスメントの対象になるまでは、西村さんも会社の言うことに唯々諾々と従っていた。長時間労働やサービス残業も、それに罰金も、そういうものだと思っていた。これは西村さんだけでなく、世の中の企業で働く多くの人々がそうだと思う。人権の意識がないのだ。そういう教育を受けていない。憲法の条文も知らない。
ブラック企業は悪どい経営者だけでは存在し得ない。おとなしく言うことを聞いて従う羊のような労働者の集団がいるから存在できるのだ。個人の権利を教えない、憲法も教えない日本の教育に大きな問題があることは明らかで、逆に言えば、個を軽視して組織を絶対視する全体主義の日本の教育体制がブラック企業を陰で支え続けているのである。
見るべき
会社のひどさに引きました。
こんな会社が、そこそこの知名度で存在できるという事実に驚愕しました。おそろしい。。
西村さんがんばりましたね。
確かに辞めるだけでは、犠牲者を増やすことになる。
しかし、こんなとこに居続けたらメンタルやられるよ。
映像だと飄々として見えるのだけど、
裁判で号泣した様ですし、
トークイベントでその後会社を辞めたと聞いて、
相当にきつかったのだなと思った。
当たり前ですよね。
朝鮮人や部落へのヘイトを会社が煽っていて、
なんじゃそりゃ?と思いました。
こんなバカな経営者がいることも、現実なんですね。
一方、労働組合の清水さんのような心強い味方もいる。
こちらもすごかった!
あの恫喝に怯まず闘う姿勢は本当にすごい。
いざというときは、このような人たちが力になってくれるというのも覚えておくとよい。
労働問題、権利闘争は昔の話ではない。
色んな場面で顔を出してくる。
闘い方を身につけておくことは、
自分を守ることであり、
陰湿な社会を変えていくことに繋がるのですね。
当たり前の事を当たり前に訴える勇気
ブラック企業の社名も隠さず、組合に加入して訴える本人も会社を辞めないで出社しているという、物凄い状態の3年間を追ったドキュメンタリー。
当たり前の事を訴え、その為に社内で追い詰められたのにも関わらず、その状況から逃げないという背筋が伸びるような姿勢が凄い。
淡々とカメラの前で語る本人は相当な精神の持ち主なんじゃないか?そんな風に驚きとあっぱれな気持ちで見ていた。
しかし、上映後のトークショーで監督が語った撮影後の本人の話が印象的だった。完成前の観賞会の際には本人はずっと泣いていた、そして現在は求職中だという。
粘り勝ちでスッキリと終わった様に見えたが、判決が終わりじゃなかった。本人の中は全然終わってないのだ。
より多くの方々が知るべき事実です。
この作品は全国公開しなければならないです。
企業で働く人はあまねく知らなければならない事実の映像だと思います。
ドキュメントとしては、一方からの取材の作品(内容的に、相手は撮影に同意しないだろうから、
仕方ないでしょうが)ですから、あくまで「奮戦ドキュメント」であり、第三者の視点で描かれたものではありません。
極力、寄らないような表現だったかな?とは思いますが・・・。
監督さんの撮影動機を考えても、まぁいたしかたないかなとおもいます。
けど、それがダメと言ってるわけではありません。
本作品は様々な理由で不条理な環境で
従事している多くの方への応援歌なのだとおもいます。
全てがうまくいくわけでもありませんが、
成功事例を広く伝えられれば、それは
同じような境遇で働く方々に可能性の存在を知らせることができます。
そして、それが新たな行動動機につながるのでは・・・?
それこそが本作品の意義なのではないか?と思います。
そして、願うことがあります。
本作品が作品内に出てくる企業のネガティブキャンペーン、排斥運動にならないことを
強く願いたいです。
第一に、それが本作品の目的ではないと思います。
企業、組織とは様々な想いと事情を抱えた人間の集合です。そして生活がかかってます。
だからこそ、その方々を窮地に追い込むことは誰も望まないと思います。
あくまでも、ある企業の不条理な就業環境に関して、
無理に納得、我慢しなくても良い、声を上げ続けることをしてもいいんだ、
それをサポートする大勢もあるし、成功事例もある。
だから、どうか自分で抱えず、抱えきれなくなる前にこうやって動いてみようよ。
そんな優しい語りかけが聞こえてくる映画です。
ブラック企業と戦う青年の物語
たたベテランの年配層ならともかくどうして高給を稼がなきゃ特殊な業務ならまだしもそこまでしてそんな会社に勤めたいかな?さっさと辞めてしまえばいいと思うが あの状態で残ってたらやめざる終えないと思うけど‼️
道を切り拓いた闘いの記録
主人公の男性を父親は人として精神力が強いと話していましたし、監督は肝が座っているのだろうと語っています。
私ももちろんそう感じながらも強さだけじゃない何かを感じながら、穏やかで強がる素振りも見せない都会的に見える主人公の男性を、自分自身と重ね合わせて見ていました。
私自身のことごとく挫折して問題から逃げてきた職場での自分の半生と比べて、和解にたどり着くまで闘い抜いた彼をどう表現したらいいのか、すごいとしか言葉が見つかりません。
自分のためだけではなく、多くの仕事仲間にとっても理不尽だから闘いをやめないのだとの思いがあったのではないでしょうか。
周囲で理解し支えた人達からもそんな信念を感じました。
こんなドキュメンタリーを見せてくれるのだから、ミニシアターはやめられないですね。
生きにくい世の中を生きるエネルギー
歳月は人を癒すこともあるけれど、情熱を冷めさせてしまうこともある。この主人公が歩んだ忍耐の日々は尋常ではない。まずはこの男性のバイタリティには頭がさがる。自分であれば、さっさと見切りをつけてからアリさんと交渉します。在職しながらそういう運動はなかなかできないと思うし、何よりもそういう主人公に理解を示した家族の存在も大きかったと思います。
2人の主人公
「コロナ禍」で、ミニシアターは苦境にあるようだ。
しかし、「観に来て下さい」と大きな声で言えない厳しさ。(ただし、そのために、どこも今や「密集」はなさそうだ。)
自分も神経を尖らせながら、「不要不急」の誹りを覚悟の鑑賞である。
とはいえ個人的意見だが、鑑賞中は「密接」がなく呼気の絶対量も少ないので、映画館そのものは、「密集」して顔が正対しがちな電車に比べれば、けっこう安全に思える。
むしろ映画のために、都会を長時間移動することが大問題だろう。
映画は、2015年1月に主人公の“西村さん”が、営業中の自動車事故で、不当な弁償金を会社から要求されたことに端を発する。
“独自のルール”を押しつける“ブラック企業”に対し、個人で加入できる組合「プレカリアートユニオン」で団体交渉したところ、シュレッダー係にされるとともに嫌がらせを受け、給料も大幅に下がる。
それまでは、残業でボロボロになっても“独自のルール”に従い、部下にも要求していたというが、完全に変わってしまった。
作品は、2018年2月まで“西村さん”に密着し、裁判、団体交渉、そして、組合による抗議の街宣を映し出す。
2015年10月の街宣の際には、会社側の衝撃的なヤクザ的振る舞いが動画で拡散し、自分もその動画でこの件を知った。
その他、差別的な採用基準も明かされる。“ブラック”どころではない。
この作品の素晴らしいところは、一つは時系列も含めて、非常に分かりやすいことである。
背景や状況の進展、そして結末まで、何が起きているか分かる。“西村さん”側の一方的な主張だという、会社側の反論がナンセンスなことが理解できる。
例えば、会社は「度重なる遅刻」と主張しているようだが、すさまじいサービス残業時間をどう説明するのか?
また、監督自身の思いが、しかるべきタイミングで、しっかり込められていることも、観る者の胸を熱くする。
“ブラック企業”で苦しむ友人“やまちゃん”の撮影を断って、自殺を救えなかった悔恨。つまり、この映画には、もう一人の“隠れた主人公”がいるのである。
しかし、映像は感情に流されず、事実を伝えることに徹している。
この映画は、平時における“ブラック企業”による法令違反行為を扱っており、「コロナ禍」による“合法的”な雇い止めや失業に対して、直接的な関係は無い。
しかし、直近でも「サイ○○○でコロナ助成金の「不使用」が問題に」というニュースが出ている。
個人が組合に入って団体交渉することの顛末が、形ある映像として記録されているというのは、意義のあることだと思う。
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