「一市民としての良心と矜持を失わない」オフィシャル・シークレット h.h.atsuさんの映画レビュー(感想・評価)
一市民としての良心と矜持を失わない
憲法や国際法に関する難しい争点が織り込まれた、実話をベースに制作した社会派サスペンスの秀作。
公務秘密法を犯してまでKatharine Gunが告発したことは何だったのか。その行為はどこまで許されるべきことなのか。
注目したポイントは大きく2つ。
「公共の利益の衝突」と「戦争の適法性」である。
1点目は、「公共の利益」に関して。
彼女は機密情報のリークという不法行為を犯してまで守りたかったことに「public interest(公共の利益)」をあげている。英国市民が正しい情報にアクセスできず、好ましくない戦争に巻き込まれることを危惧する。さらに「common(公共)」の概念をグローバルに拡げると、イラクの一般市民の安全性(他者危害原則)を容易に損なわないことを意味する。
かたや、政府側にとって守るべきものは「国家の利益」である。場合によっては国民の利益を毀損してまで守るべきものも出てくるだろう。政府側にとっての「公共」はofficial(公)を意味する。それぞれの「公共」と「公共」の、どちらを守るべきかのぶつかり合い。
2点目は、「戦争の適法性」。
宣戦布告において、イラク戦争の正当性があったかどうか。
戦時国際法においては「軍事的必要性 」と「人道性 」の要件が要求される。軍事的必要性として、必要な戦闘行動などの軍事的措置を正当化するための理由が求められる。
イラク戦争では、大量破壊兵器の存在と、「テロ支援国家」による自国へのテロ行為の脅威がその理由となる(直接的には「先制的自衛権の行使」)。
しかし後ほど明らかになる、大量破壊兵器のでっちあげの事実と、早々に戦争に持ち込みたい米国のプロセスの拙さが批判の的になっていく。
多国籍軍としての開戦に至るプロセスに米国の不法な行動を知ったKatharine Gunは、自身の不法行為を犯してまで告発するに至る。
彼女は決してパーフェクトなヒロインではなく、情報リーク後に「大それたことをしてしまった」と後悔したり、夫とともに危機的状況に追い込まれ精神的にまいってしまったりと、彼女の言動は生々しく現実的だ。
だが、彼女の英断と行動を誰もができるような簡単なものではない。
国家の不法行為の告発は、自分以外を全員敵にまわして100%勝ち目のない戦いに挑むにひとしい。
GCHQにまだ2年しか在籍していなかったことが良かったのか、組織の「毒」に侵されることなく自身の「良心」に従ったことができたのだと思う。
「正しい行いとは何か」
唯一絶対の正解のない問いが観客一人ひとりに投げかけられる。
Keiraの鬼気迫る演技が、さらに作品の質を高めている。
日本で同じようなことが起きたら、政府は訴訟の取下げなど絶対に負けを認めることなく徹底的に潰しにかかるだろう。
オブザーバー紙のような骨のある新聞社もないと思う。残念ながら。