「これは私の物語でした。」映画 えんとつ町のプペル ユキさんの映画レビュー(感想・評価)
これは私の物語でした。
周りにとても気を遣って生きていた。
周りに合わせようとしてとても苦しかった。
初めは「優しいね」って褒められるのが嬉しくて人に優しくしていたんだけど、そのうち「優しさ」が「自分の意見を言わないこと」になっていった。
そうするとだんだん自分のやることに自信が持てなくなってきた。
分からないことがあっても誰にも聞けず、気付いたときには自分の出す答えは全部間違っているんじゃないかと思うようになっていた。
世の中の何が正解で何が間違いか分からなかった。
でも最後に心の中にポツンと残ったものがあった。
「好き」と「嫌い」
あ…、これだけは分かる!
確かに分かる!
その日から私はその感情を頼りに日々を過ごした。
相変わらず世の中は難しい問題も山ほどあったけど、自分の感情に真っ直ぐ生きているとなかなか良い感じに前を向いて歩いて行けた。
ただひとつ
みんなは自分みたいに好きとか嫌いで生きていないみたい。
私とみんなは何が違うんだろう。
みんなはどうやって色々なことを決めて日々を生きているんだろう。
みんなはどうやって頭の中で言葉を選んで、どうやって表情を選んで、どうやってそのトーンに声を合わせて目の前の人に言葉を届けているんだろう。
そんなことが気になって仕方なかった。
ある日、アルバイト先の仲間で遊びに行く話が持ち上がった。私にとっては友達以外の人たちと一緒に遊ぶのは初めてだったから、ちょっと照れ臭い感じもあったけどやっぱり楽しみの方が大きかった。みんなであーだこーだ言って、またどこに遊びに行くか決めよう!と1人の子が言った。
その日から私は遊びに行く日はどんな服を着て行こうかとか、もしみんなでご飯を食べに行くならどんなお店かなぁとか考えていた。
でも、なかなかその日が来なかったし、どこに行くかも決める様子がなかった。でもみんな何もなかったみたいに毎日せっせと仕事をしていた。
その頃の私は「社交辞令」という言葉を知らなかった。遊びに行くことを提案してくれた子の顔を見るたびになんとも言えない気持ちになっていた。
そこから何度か同じような出来事が繰り返されて、私は日本人の文化である社交辞令なるものを認識した。
同時に人は自分で何かを決めることを恐れて生きているんじゃないかと思った。
私は周りに馴染めなかった。
相変わらず何かするときは「好き」か「嫌い」で決めるし、自分の見たものを信じて、見えないものは確認しなくては気が済まない。
みんなが「流行ってるから」を理由に物を買ったり使ったりする気持ちがどうしても分からなかった。
私が西野亮廣という人間に出会ったのは今から2年ほど前、YouTubeでカジサックにハマって動画を沢山見ていたときのことだった。サムネイルに「文字がお金になる!」と書かれたキンコン西野の最高傑作というタイトルでアップされているYouTubeが関連動画として上がってきたことがきっかけだった。
最高傑作という文字に心が踊って、その動画の再生ボタンを押してみた。
YouTubeだというのに画面の西野亮廣は動かず、ラジオみたいな音声だけの動画だった。
でも私はそのYouTubeを聴きながら、動かないサムネイルの西野亮廣を見ながら、涙が止まらなかった。
彼の創り出した優しさに溢れた世界に心が震えて止まらなかった。
そこから私は西野亮廣が発信するメディアを出来るだけ見たり聞いたりした。
その中で彼がこれまでどれだけの誹謗中傷を浴びてきたのかと、どれだけの挑戦と説明を繰り返して生きてきたのかを知り、この「映画えんとつ町のプペル」にどれほどの想いを注いできたのかを知った。
そんな私が観たこの作品は西野亮廣そのものです。
これは彼の物語です。
でも私が感動し涙したのは、これが私の物語でもあるからです。
周りの人が他人の意見に合わせすぎて自分の感情を見失っていることや、責任を負うことを恐れて行動を起こさず、行動することを間違いの様に寄ってたかって潰そうとすることが変だと思った私の気持ちを代弁してくれた唯一の物語、それを真っ直ぐここまで届けてくれたのが「映画えんとつ町のプペル」です。