「ベトナム戦争から何を学んだのか」地獄の黙示録 ファイナル・カット bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
ベトナム戦争から何を学んだのか
1945年7月、連合国はポツダム会議において、「インドシナは北緯16度線を境界とし、北は中華民国、南はイギリス軍が駐留。インドシナの独立は認めない」と決定。当時ベトナムには、日本がフランス植民地軍を退けた後に独立を許可したことに始まる、「ベトナム帝国」が存在していました。1945年8月、帝国首相のチャン・チョン・キムはハノイにて「独立を与えた日本は敗れたが、ベトナムは心を一つにして我々の政権を築こう」と演説。欧米による植民地統治の再開を拒絶します。続いて、ベトミン20万人のデモ隊が日本軍が撤退した後の政府機関を次々に占拠し、ハノイクーデターが成功。その後9月2日に、ホー・チ・ミンが独立宣言を発し、ハノイを首都とする「ベトナム民主共和国」を樹立します。
フランス軍とベトミンの全面戦争勃発は1946年12月。第一次インドシナ戦争。ディエンビエンフーでのフランス軍の敗退、ジュネーブ協定による第一次インドシナ戦争の終結、ジエム政府の樹立(ベトナム共和国=南ベトナム)などを経ますが、そのジュネーブ協定に基づく南北統一選挙が実施されなかったことを不満としたホーチミンが、1959年「第十五号決議」なる、事実上の「ゲリラ戦の開始宣言」を出し、1960年12月「南ベトナム解放戦線」が「ジュネーブ協定を無視したジエム政権とその庇護者であるアメリカの打倒」を掲げて宣戦布告。翌1961年1月、35代大統領に就任したジョン・F・ケネディは同年5月から、特殊作戦部隊600人を派遣すると同時に、物量に任せた軍事物資の支援を開始し「南ベトナム解放戦線」を壊滅させる戦争に本格的に介入。泥沼のベトナム戦争が始まります。
日本も歴史に関わっています。フランス植民地軍を武装解除し独立させたのが日本。1946年に中国共産党が開設した士官学校で、ベトミンに戦闘指揮や、戦闘技術、土木を教えたのが旧陸軍の軍人たちで、その数800人弱。北ベトナム軍は中国共産党から支援される武器を使用しますが、その中には日本軍から鹵獲した小銃もあったとのことです。
そもそも、欧州は「植民地政策の復活」が目的で。アメリカは「共産主義への潮流を止める事」を目的に、この戦争を行った訳です、物凄くザックリ言うと。太平洋戦争で、日本軍が欧州の植民地軍を、いとも簡単に退けた様を見たアジア諸国の人々は、日本軍人や元軍人に士官としての教育を受け武器を入手したことで、自ら戦う事を知る。士気も高い。また、ジエム政権時代の反政府勢力への弾圧(80万人が投獄、9万人が処刑。フランス軍が残したギロチンが使われた。)への報復の機運は、ベトナム全土に渦巻いていたでしょう。
一方で、大義らしい大義の無い戦争のために、インドシナくんだりまで派兵された連合国側の士気は最低。これが戦闘を長引かせたと言われています、真っ向マジに。
米軍のダナン上陸は1965年。大統領はジョンソン。有名なソンミ村虐殺が起こります。ホーチミンルート(物資の支援ルート)を断つために、周辺国とも戦闘を開始します(ラオス&カンボジア)。ジャングルが苦戦の原因と、枯葉作戦が実行されました。
1969年1月、ニクソンが大統領に就任。未だ戦争は続いてましたが、「名誉ある撤退」作戦を開始。キッシンジャーが北ベトナムとの和平交渉を開始します。ところが。中国まで訪問した和平交渉が暗礁に乗り上げたニクソンは、講和条件を有利にするため、停止していた北爆を再開。ハイテク兵器も大量投入。結果的に和平交渉は収束に向かい、1973年1月27日にパリ協定が交わされ停戦。ニクソンは1月29日にベトナム戦争の終結を自国民に宣言し、1961年から始めた軍事介入は、終わりを告げました。
※以上はザックリと簡素化してます。面倒な国々の関与・干渉などはバッサリと割愛。
映画はニクソン政権時代、ベトナム戦争の末期。
自分だけは被弾しないと自信を持つキルゴアは、アメリカの象徴。有名なサーファーの波乗りを目の前で見たいと言う理由から、ビーチ沿いの村を襲う。結果、女子供を含む多くの命が失われ、部下も重症を負うが「俺の部下を助けろ!」と叫ぶ。アメリカ至上主義の象徴じゃね。ワグナーのワルキューレをバックにUH-1の編隊が村を襲うシーンや、F-5A Freedom Fighterの爆撃は、実写の迫力に圧倒されます。
ド・ラン橋で闇に向かって機銃を撃ち続ける兵士。指揮官はどこだと尋ねるウィラードに明確な答えが帰ってこない。そもそも兵士の意識はLSDでぶっ飛んでいる。ドーピングで恐怖を覆い戦争している。統制も正気も失った部隊の姿はアメリカへの批判。
ミラーは恐怖から機銃を乱射し女を殺してしまいます。何ものかへの恐怖に理性を失う姿は、ジャングルを枯らし、北爆を再開させたアメリカへの皮肉。
カーツが王国を築いていたのはカンボジア。歩く先々で、狂気としか思えない殺戮が繰り広げられています。結局、それが「世界」なのだと。
リアリティと言う面では「有り得ない」ところが目に付くため、やはり「叙事詩的」と言うしか無いんでしょうが。にしても、公開当時は若かった俺にとっては衝撃的な作品でした。
"Apocalypse" はギリシャ語源のキリスト教における「黙示」で、「神が人に示すこと」。神ってカーツ?本当の神?この映画の世界観で神?カーツが示したことは「お前が生活する世界も狂ってる。この王国と何が違う。今更、何を言うのだ」
ウィラード役はハーベイ・カイテルが演じる予定だったけど、契約に合意できず、それがハリウッドを干された原因になったとか。あれが、17歳の頃のローレンス・フィッシュバーンだったとか。今、知って驚いてます。
ベトナム戦争からアメリカが学んだことは「兵士はキッチリと鍛え上げてから戦地に送り込む事」。いや、そこじゃ無いでしょ、ってのは別の話で。
午前十時の映画祭で鑑賞。
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4/28 ちょっとだけ追記
現地にとどまり自衛団を形成しているフランス支配層が描かれていました。ベトナム戦争末期に、あんなところで生活できるなんて、少なくともベトナムじゃないよね。カンボジアかラオスかなぁ。にしても。インドシナの植民地では、社会主義思想を背景とした独立戦争が全土を覆う中、居座りつづける心理。新しい世界の潮流を受け容れられない、欧州列強の支配者層の姿は、「それがこの戦争を引き起こしたのだ」と言う事を象徴的に描写してるのだと思う。未亡人とのロマンスは蛇足。
で、ミリオタです。
当時のベトナム戦争で使われていたのは、Patrol Boat, River (PBR)。MK.1とMk.2がありますが、全長が40cmしか違わないので、見分けがつきません。ブリッジやコックピットにはセラミック・アーマー(防弾チョッキなどにも使われる減衰材)が装甲されており、ライフルやマシンガンの銃撃程度なら耐えられます。映画の中では機銃はRearに一つだけ取り付けられています。所謂、M2HB。 Browning .50 caliber machine gunです。第二次世界大戦の頃から使われており、戦闘機の機銃にも使用されたりしてます。
.50 caliber は弾丸のサイズ。12.7mm x 99mm。この99mmは薬莢の長さなので、銃弾の全長はフルメタルなら130mmくらいあります。つまり、めちゃくちゃでかくて威力もあるんです。なんせ重機関銃。相対速度が大きければ飛行機の主翼をぶっ飛ばしたりします。連射すれば、建物の壁を打ち砕いたりできます。何が言いたいかと言うと、この弾を直接ヒトが被弾すると、身体には大穴があいて千切れます、多分。
と、無駄に突っ込んでみた。
そんなシーンが見たかった訳じゃないけど。
と言うか、哀しいシーンだった。