「この映画は「何」を描きたいのか?」ジョゼと虎と魚たち(2020・アニメ版) ベテランの新人さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画は「何」を描きたいのか?
※原作も実写映画も観ていない状態で本作を鑑賞し、その後実写映画も鑑賞。
評判のアニメ版ですが、正直「この手のストーリー」にはもうウンザリです。
何か男子と女子が坂とか角とかで激突して、女子がヒスって「どこ見て歩いてんのよ!」「どこ触ってんのよ変態!」とか、一体いつまでやってんだよアニメは!!!
~って感じです。
あと、やたらしゃしゃり出てくる「小動物」も要らないです。
(『バケモノの子』とか『天気の子』とかがやるから、他が真似するんですよ)
あとから観た実写版にも犬が出てきますが、本作の猫は全く要らないでしょ!
本作に出てくる黒猫は、尺を埋めるためだけに呼ばれもしないのにニャーニャーしゃしゃり出てきているようにしか見えませんでした。
98分という貴重な上映時間ですら「猫」で時間稼ぎするようでは、この作品の底の浅さが見て取れてしまいます。
本編の主人公・恒夫に関してですが、正直「見ていて面白くない」ですコイツ。
なんか充実した大学生活を送っている、割と誰もが憧れる典型的なラノベの好青年という感じで、彼の私生活を垣間見ても人間的な面白みを感じないんですよね。
所謂「王子様」だから、爽やかでカッコイイ面しか映らない。
「綺麗な絵で動く美青年」が見たい人にはこれで丁度良いのかもしれませんが、僕は彼に何の魅力も感じなかったです。
続いてヒロインのジョゼ。
「ツンデレ」ということなのでしょうか。
あとで可愛らしいところを見せて、ギャップ萌えさせたいのかは知りませんが、そういう「要素」とか要らないです。
とにかく可愛げがなくて、愛想も悪くて、観ているコチラ側にしてみたら「『映画』に出てるんだぞ?オマエ!」と怒鳴りたくなるくらい、第一印象は最悪でした。
というわけで、魅力の無い男と印象の悪い女が平行線を辿るだけの序盤の「バイト」のシーンは、ただただ地獄のような時間でした。
本当に、この時点で「何を描きたいの?この映画」でした。
「この二人が何かのきっかけで急接近して、紆余曲折を経てまぁ『結ばれる』んだろうけど、その過程をダラダラ見せているだけならマジで時間の無駄だな」
案の定、中盤から二人でイチャイチャするシーンが始まるのですが、これはもう「前に観ました」。
『君の膵臓をたべたい』で!
本当に日本のアニメーション映画って、こんな引き出ししか持ち合わせてないのでしょうか。
(みんなで同じ引き出しを引っ張っいるから、取っ手もユルユルでしょうに・・・)
そうこしている(笑)うちに、やっぱり些細なことで二人の関係に溝が出来て、挙句の果てに主人公が事故で大怪我をするわけです。
・・・もう一度伺いますが、「何を描きたい」んでしょうか、この映画は?
恒夫の痛々しい姿を見せて、「このように、障碍者と健常者が付き合うと、常に危険が伴う」とでも言いたいのでしょうか。
それとも、「こんなにも最悪な状況から、二人はどうなっていくのでしょうか?とくとご覧あれ♪」とでも言いたいのでしょうか。
・・・これが「エンタメ」ですか?
映画館に入った人を、ただ単に「ハラハラドキドキさせてから、最後に感動させて泣かせる」ことだけを考えてこの作品を作ったのであれば、非常に不愉快ですし、もし「そうでない」のならば、もう日本のアニメーション映画に何も期待できなくなってしまいます。
僕は、アニメーション映画にも実写映画と同等に「衝撃」を求めています。
「『人間』を描く」という表現は、結末まで見逃せなくする連続テレビドラマとは違い、映画ならではのものだと思っています。
本作に充分感動できた方からは「勝手に一生求めていろ」と言われそうですが、やはり「作る」からには、何かしらを「表現したい」わけでしょうから、そこから目を瞑ることは僕には不可能です。
~さて、話を戻しますが、本作を観た人の多くが「感動した」と賞賛する「絵本」のシーン。
僕は苦手・・・というか「嫌い」です。
僕は、この絵本は「描く『主人公』を間違えている」と思っています。
ジョゼは、事故から立ち直れない恒夫を励ますために「恒夫を『主人公』にした物語」を作ってしまったわけですが、僕が恒夫なら「勘弁してくれ、もう放っておいてくれ!」とその場から逃げ出すかもしれません。
「北風と太陽」で喩えるなら、ジョゼの絵本は完全に「北風」です。
「押してもダメ」なのに、別の方法でまた「押している」んです。
「引け!」と。
「照らせよ!」と。
マジでつくづく「一本調子」ですね、この映画!!
「馬鹿の一つ覚え」と言っても良いでしょう。
※しかも、このジョゼが絵本で語る内容は、いまの今まで「劇場で観て知っている内容」です。
それをもう一度「絵本で説明する」んですか?
僕はただの「時間(尺)稼ぎ」としか捉えませんでした!
映画で感動した人たちは、自分があんなことされて・・・つまり自分の辛い出来事を人前で「作り話」に仕立て上げられて晒されて、素直に感動できますか?
僕には耐えられません。
寒気すら覚えます。
「イタイことしてるな~コイツ・・・」と。
ジョゼが「やるべきこと」は、「自分の心(の弱さ)をさらけ出す」ことでしょう。
自分がどんな気持ちで外に憧れを持ちながら生きてきたか。
自分の前に恒夫が現れたことで、自分がどんなに救われたか。
「恒夫、ありがとう」
これが絵本の場面で言えなかった時点で、本作は救いようの無い駄作になったと思います。
でも恒夫は馬鹿だから、お人よしで「馬鹿」だから。
真に受けて「立ち直っちゃう」んです。
ね?ちっとも「面白くない」んですよ恒夫は。
赤ん坊がすくすく育って立つ姿を見届ける近所のママ友のように、みんなで見届けながら微笑ましく恒夫の「あんよ」を見届けるわけです。
(暴言ですよね、分かってます)
とにかくコース料理のようにスムーズに「起承転結」を提供する本作が、最後に「粋なサプライズ」を仕掛けます。
これも「実際に自分がされた」としたら、非常に迷惑な話です。
なにしろ、「事故の大怪我から、ようやく歩けるようになったばかり」の「大雪の日」ですから!
このレストランは、「締めのデザート」にいきなり「おあずけ」を食らわせて、またここで一騒ぎ起こそうというわけです。
(シェフを呼んで来いシェフを!!)
クライマックス。
いよいよ「冒頭の悪夢」が蘇ります。
「またやるのか、コレを・・・」と。
「人は同じ過ちを繰り返す・・・まったく」
そう嘆く、某エースパイロットの声が頭を過ぎったわけではありませんが、「今の二人ならこの局面を乗り越えられる」ことを証明するために、わざわざ・・・わざわざ「同じハプニング」を引き起こさせたのでしょうか?
もう三回目になりますけど、一体「何を描きたくて・・・いいや、もう疲れた。
1回目の「激突」でも「恒夫が無傷」なのには、「これは『ドラえもん』じゃねぇんだぞ!かすり傷一つ無いってどういうことだ!!!」と激高しましたが、松葉杖をついて雪の中を歩く恒夫が、
・・・もう一度います。
「松葉杖をついて雪の中を歩く恒夫」が、坂道を猛スピードで突き進む車椅子から放り出されたジョゼを「ナイスキャッチ」。
これか?
これなのか、「描きたかったこと」は!?
この瞬間とそのあとのイチャイチャシーンで観客をホクホクさせるために、90分以上かけて「お膳立て」をしたわけですか?
これは・・・あまりにも酷い・・・辛い。
(※自分で書きながら泣きそうです)
「虎の絵が上手」
「魚の絵が上手」
「障碍者の動き方、座り方が良く観察されていて上手」
「大阪の街並みがリアルで綺麗」
これだけでは、正直「元」は取れないです。
僕が観たかったのは「映画」ですから。