星の子のレビュー・感想・評価
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『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『コンタクト』に繋がる傑作!!
新所沢レッツシネパークで『星の子』を観ました。
私にはメチャクチャ刺さりました!!
私が少し前から考えている事に、凄く符合しまくりました。原作も読んでみたい。
新興宗教がモチーフにはなっているけど、普遍的に人類の事が描かれていたと思います。
人間は、自分が信じたい事しか信じられない。
それを外側から、論理的に説明されても、自分達にも屁理屈にしても理屈がある。
そもそも、自分が理解できない理屈は理解できる訳はないし、理解したくない事であれば当然理解しない(聞く耳を持たない)。
大友康平さん演じる、ちひろの叔父さんの一連のエピソードです。
そして厄介なのが、この屁理屈がある場面では機能してしまう事がある。
精神的に追い詰められていたり、極端に弱っている時には、心の拠り所が必要になる。
それが正しい(本当)か正しくない(嘘)かは二の次です。
「溺れる者は藁をも掴む」ですネ。
本作でのちひろの両親は、この状態だった訳です。
そもそも、嘘や嘘を信じる事が悪なのか?
必ずしもそうでは無いですよネ。昔から、嘘も方便などと言ったりします。
学校の教科書にも載っている「一切れのパン」が、一番の良い例だと思います。
ちひろの両親にとって、一切れのパンが「金星のめぐみ」奇跡の水であった訳です。
それが木片であろうが、水道水であろうが関係ない。信じて生き続ける事が大事だったんです。
「鰯の頭も信心から」ですネ。
私は、これが宗教の本質だと思っています。
では、論理的な思考や科学的な見地、理屈が万能かと言えばそれは違います。
何故なら、科学は日々進歩する。それは分からない事がまだまだ沢山あると言うです。
そう、科学は万能ではないのです。
科学自体も、解明されている事しか解らない。
逆に言えば、現時点の科学が万能ではないから宗教が必要とも言えます。
科学的である事の弊害は、唯物論的になり心の事が置き去りにされがちになる事。
科学や正しい理屈の象徴がちひろが授業で受ける数学であり、科学万能主義の象徴が岡田将生さん演じる南先生(数学教師)なのだと思います。
これらの事は、人類が進化の過程で、知恵と心を持ってしまったからなのだと私は思います。
中途半端に知恵を持ってしまった人類は、自分に降り掛かる災難を避けようとして、それを解ろうとする。
自分の愛する人を苦しみから救ってあげたい。なにより自分が救われたいと、何かせずにはいられない。
だから、屁理屈をこねたり、何か理由が必要になる。
ただ、宗教も科学も、妄信してしまえばどちらも一緒なのだとも思います。
今のコロナ禍に、これらの事が象徴されていると思います。
コロナ禍に於ける一番の問題は、新型コロナウイルスではなく人間としての有り様や心なのだと思います。
人は一人では生きていけない。
人は、群れたいし社会に身を委ねたい。
人は、誰かを信じたいし家族や仲間を作りたい。
だから、人は人間になる。
南先生の噂話、「ひかりの星」の海路さんや昇子さんの噂話は、人間の下世話な部分の象徴だと思います。
それは、一般的な社会であろうが、新興宗教であろうが変わらない。
何故なら、それらを構成しているのは人間だからです。
新興宗教は悪や詐欺だと決めつけている方が多い。
現実にはオウムの事件もあったので、ステレオタイプ的に決めつけるのは仕方ないのですが…
本作中の教団「ひかりの星」は、本当に悪なのでしょうか?
効能などない只の水を、効果があると謳って販売するのは当然犯罪です。
ただ、神社やお寺で売っているお守りってどうなんでしょう?
初詣に出掛けたり、神社にお祈りしにいった時、お賽銭を入れたりしますよネ?
一方的に騙している詐欺商法などと違って、「ひかりの星」は心の平安や安心を提供しています。
只の水としては法外な価格かもしれませんが、その価値が水ではなく精神のケアにあるのであればどうなんでしょう?
他の方のレビューを読むと、新興宗教を特別視している方が多いですが、普通の宗教も同じだし、社会だったり国家だったりも同様なのだと思います。
未だに男女の差別があるし、先の大戦前の日本、封建時代の日本は今から思えば信じられない事が普通に行われていた。
世界では、魔女裁判や天動説などが常識だった訳です。
社会的な価値観は、時代的なスケールで見れば更新されていきます。
今、様々な意見が交わされているLGBT問題、遅くとも1世紀後には解決していると思います。
自分が所属している社会やそこでの価値観は、正常だと思うし、正しいとバイアスが掛かります。
科学の発達だったり、時代背景などはあると思いますが、私は本質的には変わらないと思います。
消費税が段階的に引き上げられ、大企業や富裕層が優遇されている社会は、悪徳新興宗教と何が違うのでしょうか?
民主主義(普通選挙)の限界も見えてきたし、資本主義が最強の社会システムでない事も解ってきました。
本作、本当に素晴らしいシーンばかりなのですが、上手く一連の話しとして纏められないので、個別に書きます。(^^;
◆ちひろの面食いについて
あのアイドルが、タレントが、俳優が、「格好いい」「キレイ」「可愛いって」って普通に言いますよネ。
実際、私も女優さんは、目が大きくて顔が小さい方が好きです。
(勿論、それだけではありませんが… (^^;)
特に幼い頃は、無邪気にそれを前面に押し出してきます。
でもコレって、善悪にも人間性にも全く関係ない。
でもソレを、美しい→好き→信じる→正しいと勘違いして(同化させて)しまう。
大好きな南先生に、否定・拒絶されたちひろは可哀想でしたよネ。
でもコレって、ちひろの一方的な想い(込み)が原因な訳です。
(私は、南先生が悪い人だとは思っていません。)
世間でも美醜に言及しがちで、根拠を伴わない勝手なイメージや先入観がもたらす問題の象徴だったとも思いました。
コレは、新興宗教→悪にも繋がっているとも思います。
―《後から追記①》――――――――――――――――――――――
ラストシーンについて書きながら気が付いた、ちひろの嘘にも関係あるのかも?
面食いを公言する事の是非は置いておいて、ちひろは嘘がつけなかったのかもしれない。
自分が好きなモノ、美しいと思う気持ちに正直だっただけなのかも?
それは、人間として未熟である事の象徴だったのかも。
他者の気持ちを想像できる、想いやれる事が足りない。
(「◆評価が分かれるラストシーンについて」に続く)
『2001年宇宙の旅』で、HALがボーマン船長達の殺害を企てる切っ掛けも、木製探査の本当の目的を隠す為(嘘)だと私は思っています。
人類の進化と嘘の関係を描いていて、『星の子』にも繋がっている様に感じます。
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◆評価が分かれるアニメーションパートについて
私は大好きです。
世界観と言うか時空間が一気に広がった感じがしました。
オーラスやクライマックスに持っていっても良い素材だと思いました。
(ストーリー的に陳腐になるとは思いますが…)
だからこそ、この映像が予告編で公にされていた事に怒りを覚えます。
このシーンを初めて映画館で観たら、もっともっと気持ちが高まったと思います。
本当に残念です。(怒!!)
◆教団施設内で両親と会えないくだり
孤独の不安や家族の大事さを再確認するくだりだと思いました。
教団に対する悪い噂があるので、「もしかして?」的にサスペンス調の面白さも加味されていたと思います。
ちひろが、自分の家族以外の家族(だけではないけど)と出会い、様々な家族や家族の形がある事を知る。
そして、ラストへ繋がるのだと思いますし、ちひろが社会と触れる事の象徴だったとも思います。
◆評価が分かれるラストシーンについて
ちひろは、早く帰りたくて「見えた」と両親に嘘を言ったのだと思いました。
このラスト、ストーリー的には好きではないです。
結局、ちひろは家族の関係性を断ち切れない、人は人間として生きる為にその呪縛から逃れられない。
構造的に進化が行き詰まっている、人間の、人類のポテンシャルの限界が語られている様に感じました。
私には、絶望的なラストにとれました。人類の幼年期は終わらない。
あれ!? 書いていて気が付いたけど、ちひろの嘘って初めての嘘?
人間になる為には嘘も必要と言う事かも。
本作の粗を探せば、シーン・シーンが的確で雄弁過ぎるので、説明的かも? と思いました。
でも、他の方のレビューを読むと、私の懸念は老婆心だった様です。(^^;
『星の子』は、人類の進化、人間性、宗教が語られている、『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧シリーズ)、『コンタクト』に繋がる傑作だと私は思います。
未見の方、是非、御覧ください。
今年の年テンを決める前に、観ておくべき作品です。
個人的には、「ラストラブレター」の影山祐子さんが、エキストラ出演されているのもお気に入りポイントです。(^^*
(「ひかりの星」本部で、ちひろがホール(集会会場)に入場する前のロビーのシーン。)
―《後から追記②》――――――――――――――――――――――
原作を読みました。
ストーリーの大筋自体は、基本的に同じです。
但し、原作はちひろの視点でストーリーが展開されるので、映画とはテイストが大きく違います。
特に冒頭、ちひろが生まれた後「金星のめぐみ」に辿り着くまでは、実質1ページも無くあっさりと描かれています。
勿論、原作全てが描かれている訳ではないので、残した部分の選び方が絶妙です。
原作を読むと脚色の素晴らしさも分かります。
ラストシーンのちひろの嘘については、私の勘違いでした。
原作では、ちひろは本当に流れ星を見ていました。(^^;;
小説を先に読んでいたら、「人類の~ 進化の~」なんて解釈にはなっていなかったと思います。(^^;
「現代社会に蔓延る隠された仕掛け」みたいな解釈だったかもしれません。
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洞察力が試される
観ているうち芦田愛菜さん演じる主人公ちひろの他に色々な立場の人に感情移入してしまう。それは違うだろと思いつつ、いやそうことじゃないと焦ったり言い訳したい気持ちになったりと場面毎に物事の正邪を判断する気持ちがこちらまで揺らぐ。つまり傍観者である鑑賞者自身が傍観者のままではいられなくなり結局、正邪や善悪など二律背反する狭間に信じるべき基準が自分事として揺らいでしまう。ちひろの苦悩を感じつつ誰の味方をするでもなく出演者それぞれになったような錯覚に陥る不思議な作品だ。本作を観て感じる事は世間の通念も客観的に見ると立場によっては間違いになるという危険性があり、それによって誰かを傷つけてしまう事もあり得るという事だ。この作品と同様のことが自分の近くで起きた場合にどのような立場にあるかで真理は変化するのだろう。
奇異の目で見られる世間と家族との狭間にあって、その両方とどう向き合って行くのかを少しだけ大人に近づいた、ちひろには見上げる星空がどう映っているのか?
久々に原作を読んでみたいと思った良い作品でした。
元々、監督はじめ大好きな俳優さんが大勢出演する作品という理由で鑑賞したのですが改めて大森立嗣監督の感性が私の好みにピッタリだと気づきました。キャスティングも最高で皆さんのハマりようは見事でした。それにしても芦田愛菜さんのブランド価値はやっぱり本物。女優活動と学業の両方で並外れた才能を持つのだから天才性が今後もどこまで伸びるかが、とても楽しみです。
物語が追いかけてきた
レビューや評論を読まずに、どこかで拾ってきた「あいまい」という言葉だけ頭に入れて鑑賞。
結果それが良くって、肩透かしにあうことがなく楽しむことができた。
聞かれたら、何も信じてないですよと答えそうな自分だが、よくよく考えるとそうでもなさそうだ。
きっとうまく行く、あれはきっとそういう事だったのだ…等、思い込むことで何かを消し去ったり、存在するかのように振る舞うことができる。根拠なく信じることができなくなったら、心はたちまち窒息してしまうだろう。
風邪なんて存在しないから!くしゃみをして、慣れた手つきでティッシュを渡しても。
奇妙でありながら凪いだ暮らしが、どうぞ・ゆっくり・観てください ぐらいのリズムで、丁寧に映される。
動体視力弱いタイプの自分には優しいw
芦田愛菜さんうまい!と特別に意識しなかった程、出演者の方が全員本当に凄かった。
いちばん後ろの席の眼鏡の女の子、どうしても気になる…またスクリーンで出会いたい。
まぁまぁ良かったなと映画館を出て、無色透明の液体を吹き付け、手もみする儀式?をすると先程までスクリーンで観ていた世界が動き出した。
パパが肩車の家族連れ。ひとりベンチでスマホの人。お揃いのジャンパーのボランティア隊。何を信じ、何に救われているのか…想像が止まらない!
無限の空間を得た生き物のように、物語が膨張し目の前で次々と展開する。とても興奮した。
この「映画と現実の視界との地続き感」実写の邦画だけがくれるマジックを味わった。
やっぱり映画は観てみないとわからない!
風邪でしょ
信じること・決めることについて考えさせられる映画だった。新興宗教という、傍目から見れば"狂って"しかいないものを、本気で信じる両親を唯一見捨てなかったちひろ。ちひろが両親の元を離れることでしかこの作品に解決はない、そんな殺伐としたことを考えながら見ていたが、芦田愛菜演じるちひろの両親を愛するが故の葛藤が見事で、単純な新興宗教の映画ではないと気づいた。ちひろを愛する両親と、両親を愛するちひろがもたらした悲劇かもしれない。このあとちひろがどういう選択を取るのか、観客に委ねる終わり方も良かった。わたしは純粋に新興宗教こわってなりましたけど。笑黒木華と高良健吾の宗教家というか洗脳家っぷりが、少しの出演もあまりに印象深いです。

星をかける少女
大きな題材が2つ
端(一般の人)から見たら不審者か頭がおかしいと思われるような家……
私自身はネグレストを受けていました。(この映画とは少し違いますが)
ちひろが世間で生きることと、家族の問題の間で苦しみ、泣きながら走るシーンがとてもリアルに感じました…でも良かったです。
ちひろは物時を自分なりに考えています。
何故、新興宗教に嵌ってから歪んで行く家から、圧倒的にちひろにとって苦しいことの方が多くそうなのに家から出ることを選ばないのか不思議でした。
病弱だったちひろに対して、両親は子として愛してて、だからちひろは、愛を信じて両親を大事にすることを選んだのですね。それに対し、お姉ちゃんがすぐに家を出て家族を突き放すことを選んだことも納得です。
もしかしたら、どちらの方が本当の意味で幸せになれるのかは分かりませんが。
両親を突き放すも愛するも、子供本人が決める生き方ですね。
芦田愛菜ちゃんの演技1つ1つが素晴らしかったです。
自分が恥ずかしい
こういう作品は、私みたいな新興宗教マニアにしか刺さらないと思ったんですが、意外と皆さんそうでもないっすね…。
家族愛を描いた作品とも見れますが…私は、今作のテーマは「被差別者の悲しみ」と受け取りました。
何ひとつ悪い事してないのに、ゲイに生まれた、黒人に生まれた、親が朝鮮半島に生まれた、被差別部落に生まれた、カルトを信じた、
ただそれだけで阻害される人々の悲しみを描いた映画かと。胸が痛みます。
しかし、だ。
そんな私も、幸福の科学が作ってるトンチキ映画を毎回観てはゲラゲラ笑ってる訳ですよ。だって笑うじゃんあんなの観たら。
あなた、隣家にカルト越してきたら、いくら善良な一家でも怯えるでしょ?あるいは笑うでしょ?本当にクズだな俺は!
ラストシーンで、最後ギリギリまで星が流れないのが胸に刺さります。未来はどっちだ?
芦田愛菜がすごっ!
救われるものを信じましょう🙏🏼
マル🙆🏻♂️マルもモリ🙆🏻♀️モリも見たことはありませんでしたが、芦田愛菜女史の出演する作品なら一定以上の演技が見られるだろうと思い、また話の内容も個人的に興味深いものがあったため、良くない印象を訴える方々のレビューは華麗にスルーしてシアターインしました。
若かりし頃は脳内がファンタジー方面に好奇心旺盛で(追記: いや、今でも‥)、昔の極(飽き性なので)片時に私自身が新興宗教にハマってみた経験もあり、且つ片方の親にそういう気(ケ)のあった妻(後日談: いや、妻自身もその素質をモロ受け継いでました‥)と一緒に鑑賞したので、なかなか突き放して笑えない展開もありましたが、両方とも終わった話なので、やはりああはならなくて良かったなぁと距離を置いて楽しめました😌 (追記: でも、また今後私自身が類似品にハマる可能性は否めない🤨)
鑑賞前に幾つかチラ見していたレビューでは、尻切れトンボなラストにモヤっている?🤨?人たちがわりと多かった印象なので、私はてっきり最後になかなか見つからなかった人たちがそのまま行方不明で終わるという、ジャイアントスイングを投げっ放すかのような展開まで覚悟していたのですが、終わってみればそうでもなかったので、逆にそれくらいに投げっ放しにしてくれて、観た者の胸に思いっ切り濃いモヤを掛けて終わるのも案外アリだと極個人的には思ったりもしました🥴(←ナンダコノ顔⁉ ︎iPhone以外の人には空白!?)
水を売る男に妻の叔父がモロ重なる😓
黒木華(はる)さん演ずるお姉さんが、過去に私が関わった人と雰囲気が超似てる〜😳
岡田将生くんは確かに顔面 整ってんね~🧐
田村飛呂人くん演ずる友達DKみたいな何でもすぐビックリする人 イルイル〜👈🏼😙
新音(にのん)ちゃん演ずる友達JKのシニカルな返しがめっちゃ笑える〜 (そこは⭐️4)
教室で叱責された後の涙目の愛菜ちゃんと交わしていた3人の会話のオモシロさに、ワタシ肩を揺すってウケてました🤣ウッウッウッ
そんな感じで楽しめました。
私は今は特に何かの宗教に属することなく、調子の良い時は毎朝自宅で神棚に(あ、神社神道か‥)今生かされていることへの感謝のお詣りと、そして御先祖には無宗派的な線香♨︎供養をし、日々、今生で暮らせる貴重さを噛み締めつつ‥そのわりに😑…な自らの至らなさを見つめつつ生きております🙏🏼
追記:ちなみに昔に北海道は函館の鉄山町という山間の夜道を歩いていた時に、見上げれば満点の星空の中🌌、流れ星が15秒に1回ほどの頻度で スッ↙︎ スッ↙︎ スッ↙︎ と見られましたの🤩イヤ~一生分観たワ~
異形だが深い愛情があった
7月に公開されたばかりの『MOTHER マザー』に続く大森立嗣監督作。異形の親子を描く作品が続く。
何も信じることができず救われることがない自分が言うのも何だが『信じれば救われる』と思っている。
あやしい宗教を信じる両親の行動は側から見れば奇行だった。娘のちひろは両親が普通とは違うとわかっていたが、両親を否定することはなかった。
幼児のちひろの病気が『星の水』により治癒する瞬間に涙した。この両親の入信が府に落ちた。両親には信じるに足る深い愛情があった。
一方で早くに家を出たちひろの姉がこの家族の抱える矛盾をしっかりと提示した。姉のエピソードがこの作品に深みを与えた。多くを語られない姉の人生を思った。
ちひろの揺れる心を見事に表現した芦田愛菜ちゃんが秀逸だったなあ。『MOTHER マザー』でクソみたいな母親を演じた長澤まさみさんに続き、大森作品から二人目のエロくそチキン主演女優賞候補だ。
異形の家族を描きながらも親子のあるべき姿を考えずにはいられない逸品でありました。今年の日本映画のベストの一本だろう。
人間って感じ。
誰しも弱って、縋りたくなるときに少しでも、その希望が見えるとそれを信じてしまうし、もしもそれで(たまたまであっても)改善したら、成功体験が一生付きまとってしまうのだなと感じた。主人公・ちひろは赤ちゃんの時からお父さんお母さんと共に当たり前にある「金星の水」(宗教を象徴してるような水)をまぁ当たり前のものだと思っていたのは、それは仕方ないことだとは思う。最後に行くにつれてちひろの宗教(と言っていいのか?)への熱意は、それ自体ではなくほとんど親への愛であったように感じられた。
新興宗教的なものはそうでない人から見たらとても奇妙に映ったり異常に思えるけど、当人たちは《それ》以外はごくありふれた人間なのだと言うことを伝えるような映画でもあった。ちひろいい友達に巡り会えたね〜。先生とかおじさんはん〜…まぁしょうがないけど、人の信じるものを真っ向から否定しても何も生まないというのは一つの考えとして持つべきだと感じた。
「差別や偏見にどう立ち向かうか」がテーマなのだろうか?
1番の見どころは芦田愛菜だよ!←似てねー
2020年映画館鑑賞107作品目
原作未読
芦田愛菜主演
芦田が演じるちーちゃんが赤ちゃんのとき湿疹が治らず親が藁をも掴む思いで新興宗教が販売している怪しい水「金星の水」を使い奇跡的に完治した結果その水にハマってしまう両親と次女の話
病は気から鰯の頭も信心から
新興宗教を扱っているがそれほど暗い映画ではない
社会派ドラマというよりコメディー色が強い
その点では『獣道』と同じジャンルかもしれないがまるで違う
小五と中三の時代が行ったり来たりする構成は好きじゃない
数学ほど嫌いじゃないが順番通りにしてくれると脳に優しい
芦田愛菜ただものではない
存在感が違う
南先生に両親をディスられたときとホームルームで叱られたときの演技が素晴らしい
今回の作品に限ったことじゃないがツッコミを入れるときの岡田将生も素晴らしい
両親が緑のジャージを着て金星の水を垂らしたタオルを頭の上に乗せている状況が面白い
特にお母さん役の原田知世
永瀬正敏が珍妙なことをするのには見慣れているからそうでもない
帰りの車内でその両親を観た南先生がコテンパンにディスるわけだがそこも面白い
憧れの先生に愛する両親をボロクソに言われる悲しみは計り知れない
ユーモアとペーソスが最高
ホームルームでも南先生に叱られ泣いているちーちゃんと慰めるなべちゃんと割って入る新村くんのやりとりも面白い
母の兄であるおじさんとその家族はちーちゃんの金星の水と新興宗教にハマるちーちゃんの両親に対してとても否定的だ
高校進学をきっかけにちーちゃんを預かりたいと思っているくらい
それでもちーちゃんは姉のまーちゃんと違って決して両親に愛想を尽かして見捨てたりはせず現状維持の関係を続ける決心
本人は信仰心が一応あるようだが両親ほどではない
だけどそこに愛がある
気持ちはわかるけど身内とはいえ大きなお世話なんだよね
きょうだいは他人の始まりであってお互い家庭を持ったら深入りするべきじゃないんだよ
こんなこと書けば失礼だし語弊があるがちーちゃんは中学生になってグレードアップしているがなべちゃんは逆に劣化している
ハーフ美少女から吉田沙保里っぽくなっている
『ターミネーター2』のエドワード・ファーロングの現在に比べたらたいしたことないけど
僕は少女性愛じゃないしむしろ熟女好きだがなんか残念な思いがあった
中3時代のなべちゃんを演じたコもそれなりに良かったけどね
新興宗教の教祖らしき人は出てこない
高良健吾が演じた海路さんは中心的人物だけどよくわからない
何度聞いてもカエラに聞こえたが海路だった
海路さんのカノジョなのか昇子役の黒木華の演技力が凄すぎて怖い
何も大声で喚き散らすわけじゃなく常に静かなトーンで穏やかに喋るのだがその内部は狂気に満ちている
顔つきが尋常ではない
黒木華もただものではない
いろんなことができるとても器用な人だが今回は1番びっくりした
褒め言葉のボキャブラリーが貧困なので多くは語れないが素晴らしいことは間違いない
貫地谷しほりや蒼井優も凄いが黒木華は世界一の女優と言っても過言ではない
最後のシーンはそれで終わりかよって感じがした
なんか物足りない思い
姉であるまーちゃん役は新進気鋭の若手女優蒔田彩珠
親離れした姉が男と出会い母になるその件もしっかり描いてほしかった
それをあえてカットした大森監督の意図も分からなくはないが全く好みじゃない
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